その日の夜、泊まって行けと言われた炎神の好意に甘えて、一行はくぼ地になっている山頂にある家に泊まった。
神様に家は必要なのか、という深刻な疑問を一行は抱いたが、神にそんなことを聞ける蛮勇の持ち主はおらず、唯一聞けそうな炎神のお気に入りの少女は、言葉も少なく、落ち込んでいた。
そしてその日の夜、少女は寝付けずに床を抜け出した。
炎の精霊力に満ちていて、動きまわるのは危険なこの一帯も、彼女だけは問題ない。
一緒に眠っていたコリュウも目覚めたが、撫でて囁くと、思いを理解したのか、大人しく寝台に丸くなった。
この神域で、暗殺者などいるはずもないせいもある。
すり鉢状に陥没し、そこに堆積物が積もった山頂には、ところどころ溶岩の吹き出し口もあり、ぐるりと一周するだけで一時間はかかるだろう。高低差もあるし、道などない上、ところによっては溶岩まで出ていて極めて危険だからだ。
山のふちまで行き、それに沿う形で、歩き始める。炎神の家から相当離れたところで足を止め、急斜面を見下ろして、少女はしゃがみこんだ。おおきく、ため息をつく。
「……はあ……」
この一行の中で、人族は彼女だけだ。
だからだろう、人族が遠からず滅びる、と言われても、誰も動揺はしていなかった。
少女が巻き込まれるのならまだともかく、少女の死後だと神がはっきり言ったのだから、ならいいや、というのが、仲間の……人族以外の種族の偽らざる意見だろう。
人族がいなくなったら、まったく困らないかと聞かれれば、少しは困るだろう。人族の生産物は、かなりの数の種族が利用しているのだから。だがそれは、「人族がいることの不利益」と天秤にかけたら、そちらへ傾いてしまう程度のものだ。
魔王が言った通り、「絶対にその人間でなければいけないことなど滅多にない」のだ。
人族が絶滅したあと、多少の混乱はあるだろうが――十年、五十年もすれば、代わりの機構が出来上がるだろう。
……人族が滅んでも、仲間は気にしない。
でも、彼女が頭を下げて頼めば、協力してくれるだろう。これまで、そうだったように。
けれど……そこまで、付き合わせていいのか。
そう思うと、宙を睨む視線が厳しくなる。
……もう、いいじゃないか。
……あんたはよく頑張った。
……どうして君だけが。
……あんた一人で、人族の命運を背負えると思うのは思い上がりだ。
数々の言葉が蘇る。
いちいちもっともだと思う。思うのに、彼女自身の心だけが、納得しないでじたばたしている。
……人族が滅んだほうが世界の為だという意見は、正しいのかもしれない。少なくとも、一定の正当性があることは理解できる。人族に滅ぼされた種族をいくつも見てきた彼女としては。
でも、……でも!
わかっている。
これは私情だ。
彼女は、人族だ。純粋な人族として生まれ、育ち、生きてきた。
彼女は、彼女なりに、己の種族を誇りに思って生きてきた。だから……。
自分が死んだあとであろうと、滅び去るということが、悔しくて悲しい。
けれど、と彼女の理性が言う。
……自分たち人族が滅ぼした種族も、きっと、同じように、思っていただろう。
ならこれは、因果応報ではないだろうか……?
そのとき、彼女の感知範囲に一人が入ってきた。宿泊場所からは大分離れたというのに。
「……わたし、いま、ものすごく機嫌が悪いの。悪いけどひとりにして。どこかへ行ってちょうだい」
「知ってる。殺気が充満してて、臭いぐらいだ。その険呑な気配を何とかしろ。寝ててもびんびん感じたぞ」
「……」
彼女の仲間たちは、寝ている最中であろうとこれほど強烈な殺気を感じたら跳ね起きる。それだけの経験を積んでいる猛者である。
だから、わざわざここまで歩いてきたのだが、魔王には距離が足りなかったらしい。
仕方がない。
少女はしゃがみこんでいた膝を伸ばし、立ち上がった。
「……それは、悪かったわね。もうちょっと離れた場所に行くわ」
尖っている神経は少しの刺激で激発しそうになる。それを理性の掌で撫でてなだめて、そう言った。
八つ当たりの対象を求めて、うずうずしている自分を自覚しているので、距離を取りたかった。
すれ違う時、魔王は言った。
「いい気味だ」
理性が消し飛んだ。
気がつけば強烈な手刀を叩きこんでいた。
「……俺でなきゃ、首が落ちてたぞ」
その手を受け止め、逆に抑え込んで、魔王は言う。
今の少女は神域での就寝ということで、すべての装備を解いて身一つだ。
それでも、彼女の渾身の一刀は素手で受け止められるようなものではない。最低でも手の骨の一二本は砕けるものだ。ということは、前もって防御をかけておき、その上で挑発をしたのだ――と、冷えた頭でならそう瞬時に計算できたのだろうが、今の彼女はそれができない。
即座に地を蹴ってとびかかり、魔王の胴体に蹴りをくらわせてその反動で手を取り返す。
蹴り飛ばされて、魔王は一歩後ろに押しやられた。しっかりと地面を踏みしめていた足に、ずり下がったぶん、土が付着する。蹴りの衝撃で、体ごと、後ろに押されたのだ。
魔王は獰猛な笑顔で、手を振りながら言う。
「おまえほど物騒な女は初めてだ」
呆れる色と、興がる色が同居している声だった。
まるっきり毛を逆立てた猛獣の様相で、少女は魔王を睨みつけた。
「いまのは……どういう意味!?」
「人族が滅ぶと知ったら、いい気味だと皆言うだろうな? そういう意味だ」
「――!!!!」
脳天を、怒りが突き抜け――そして、燃やすものが無くなった炎が鎮火するように、急激に冷めた。
戦意はまるで針でつつかれた風船のように、急激にしぼんでしまった。
少女は肩を落とす。
「……わかってるわよ。自業自得だって。それだけのことを私たちはやってきたんだって! だからこんな危機でも誰も味方してくれなくて、どの種族も指を指していい気味だってあざ笑うだけで、それは私たちがそれだけのことをやってきたから仕方ないんだって……」
白霧の大陸でマーラの部族が危機にあったとき、近隣の種族の誰も助けてくれなかった。
理由は簡単。
これまで、マーラの部族は誰も助けなかったからだ。
これ幸いと、攻めかかる相手こそいなかったが、積極的に助けてくれる相手もいなかった。
交流が無いから、攻められることもない代わり、助けも期待できなかった。
常日頃の関係は、危機が起こった時の対応に、大きく影響する。
……それは、もちろん、人族も同じだ。
人族が滅んでも、いい気味だと、手を叩いて喜ぶ人々ばかりだろう……。
自業自得。
己の振る舞いが、巡り巡って還ってきたにすぎない。
……すぎないのだ……。
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