マーラは激昂していた。
いつも笑顔を絶やさない彼が、こんなにも怒っているところは初めて見る。
少女は戸惑いつつも、正直に答える。
「え、えーと。婚約の証?」
「なあーにが婚約の証ですか! どこをどう見たって契約の鎖でしょうが!」
「……けいやくのくさり?」
「何か約束しましたね?」
「うん。結婚するって……」
彼女がすなおに答えると、マーラは眩暈と頭痛と脱力を同時におぼえたようで、頭を押さえて後ろのソファに倒れるように座りこんだ。
「……魔族の、隷属の契約です……。何か条件を満たすと発動、別の条件を満たすと解除します。特殊魔法に分類されますから、中途解除は術者本人にしかできません……」
「あー、そうなんだ」
のんきな少女にマーラはブチ切れた。……当たり前だが。
「そうなんだ、じゃないですよ!!」
少女はけろりとして、
「え、だって、結婚するんだからいいじゃない」
「………………ええ、はい、まあ、そういうあなたは見方をするっていうことは知ってましたよ。知ってましたけどね……」
どーせ結婚するんだから、結婚しなかった場合のペナルティなんてどうだっていいじゃない。
そういう性格の少女である。
「……一つ聞きますが、それ、事前に了解得ました? いえ、結婚するっていう言質を取られたのはわかっていますが、そういう鎖をかけるという……」
「ううん?」
「そう、ですか……」
ゆらりと、マーラはソファから立ち上がった。
天を仰いで言う。
「炎神エーラさま。なにとぞ、ご助力お願い奉ります」
そして、部屋を出ていった。
「……えーと」
コリュウが彼女の肩にとまり、心配げに言う。
「クリスー。だいじょうぶなの? マーラが行った先って」
いや、いくらなんでもわかる。さすがにそこまで察しが悪くはない。
「……止めに行くべきかな?」
頭で考えればそれ以外は無いのだが、どうにも、悪い予感がするのだ。それをやったらマズイ、と。
そして、こういう予感はまず当たる。
問われたダルクは、不機嫌の極みとでかでかと書かれた顔でじろりと彼女を見た。
「――ほっとけ。あいつも魔王にひとりで喧嘩売るほど馬鹿じゃないだろ」
少女は少し考えた。マーラは馬鹿だろうか? ……少女の命がかかっている状況なら馬鹿にもなるけれど、今はそうじゃない。
せいぜい嫌味を言うぐらいだろう。
そして、嫌味に怒った魔王がマーラを殺す可能性は……うん、まずない。
彼女にとって、マーラがどれほど大切な相手か、魔王も知っている。そんな相手を手に掛けたら、少女がどれほど嘆き悲しむか、わからない人ではない。
と、いうことはやはり、勘が囁く通りに、放置がいいだろう。
あっさり結論を出して、少女はコリュウを肩から下して抱きしめる。毎日恒例の、撫で撫でタイムである。
つい顔がにんまりしてしまうのは、さっきの魔王の言葉が胸の中をほかほかさせるせいだ。
「……見に行かないのか?」
ほっとけ、と言ったくせに、実際彼女がコリュウと遊び始めると気になったのか、ダルクが聞いてきた。
「マーラなら大丈夫。魔王……じゃなくてエデンもマーラに暴力ふるったりしないわよ」
なんせ、一発殴っただけでエルフは死にかねない。怖くて暴力なんてふるえない。
「……ほんとうに、あいつと、結婚するのか?」
「うん」
明るく、躊躇なく、少女は頷いた。
……その時、彼女の胸の中のコリュウは同情たっぷりの顔をしたのだが、気がつかなかった。
「……俺は、これまで通りにすればいいのか?」
コリュウが感心することに、ダルクがしばらくの沈黙の後、口にしたのはそういうことだった。
少女は思案するように天を仰ぐ。
「うーん……冒険者、止めようかなって、思って……」
「え?」
「え?」
意外な言葉に、ダルクもコリュウも声を上げた。
「スゾンのことも、なんとかなったし……。その、結婚するなら王妃として、いろいろやりたいことがあって。あと、なんていうか、なんというか……」
口に出すのが恥ずかしく、コリュウに顔を埋めながら少女は言った。
「子ども、ほしいなって……。できるだけ早く、たくさん……」
「――人族のお前が、魔族とか?」
ダルクの言葉に、あからさまな棘が混ざった。
少女は怒らず、すっと顔を上げるとその青い目でダルクを見つめた。
――ダルクは気圧され、続けようとした弾劾を唇の中でとどめてしまう。
「あなたが、そういうのはわかるわ。でも、魔族の国では、大丈夫。フィアルは、魔王の側近よ」
……人族の国で、同じことは、死んでも起きないだろう。
国王の側近に半魔族を置くなど、誰も許さないに違いない。
それが、二つの種族の差別の差だった。
「半魔族でも、魔族の国では、きちんと暮らしていける。強ければ、実力さえあれば、魔族の国では誰もが認める」
「――」
少女は謝った。
「ごめんね、ダルク。あなたは私に繋がれた身だから。参の国に移住したら、あなたも否応なくついてくるしかない」
仮に、ダルクが行きたくない、と言っても、それなりに長い付き合いのダルクには、少女がこう言うであろうことが読めた。
――それは駄目。
にっこり笑って、でもゴネても通じないことを感じさせる笑顔で、言うに違いない。
この少女は、どうしようもない甘ちゃんだが、愚かではない。ダルクを解放したら、何が起こるかぐらいはわかるだろう。
自分でもわかる。今の自分は、前の道に戻りかねない。
以前のように、生きるため、生活のために手を汚すのではなく、ただただ――胸の苛立ちを治めるための鬱憤晴らしとして。
でも、この少女とあるかぎり、ダルクは「こちら側」にいられるだろう。彼女が王妃となり、参の国――ゼトランド王国に移住しても、彼女に繋がれているかぎりは。
「……わかった」
強制ではなく、己の意志で、ダルクはその道を選択した。
「ありがとう」
その後、戻ってきたマーラは魔王と交渉して四か月後に結婚式の日取りを決めたことを告げた。
その際に魔王とどんなやりとりがあったかは、一言も口にしなかった。
予想外の日取りにびっくりした少女が尋ねると、彼女の衣装一式を作り、ゼトランド王国まで輸送する日数を考えたら当然と一蹴された。
大仰なのは嫌だと抵抗したが、マーラに押し切られた。彼に悲しげな顔で切々と訴えられると、それを無下に断ることが、できなかったのである。
その後、彼女は懊悩することになった。当たり前と言えば当たり前の事実を思い出し。
そう――結婚式の後は、「初夜」がある。
当たり前の話なのだが、……なのだが……。
どうにも、気が重いのだった。
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