世の男は処女性を尊ぶ。
そんなことは彼女だって知っているのだ。
魔族は人族と違って処女信仰は無く、離婚も再婚もずっと自由である。それも知っている。
だが、魔王が彼女が未経験であることに喜んでいる事もまた、気づいているのだ。
どうやら、愛する相手に自分以外の男が触れていないというのは、種族関係なく世の男にとって歓迎すべきことらしい。
「……ううう」
サンローランの町に帰って一週間。
すでに彼女の結婚は街の隅々にまで知れ渡り、祝福ムードである。
そんななか、彼女が何をしていたかと言うと――、自分の家の自分の部屋で、山ほどある招待状にサインをしていた。
農民出身には珍しいことに、彼女は字の読み書きができた。
招待状にサインをし、封をする。
招待状にサインをし、封をする。
サインばかりは誰かがやるというわけにはいかず、なまじ交友関係が広いだけに数も膨大である。
ちなみに、この招待状を作ってくれた種族も、それを配布してくれる飛行種族も、結婚祝いということで無償で提供してくれた。
そうでなければ、とんでもないお金がかかっただろう。
「……結婚式って、お金かかるなあ……」
と、遠い目をしてしまうぐらいに。
配達は、距離に応じて値段が違うし、配達手段に応じても違う。飛行種族での配達は、早いぶん高額だ。しかもそれが、数百通。……どう考えても、家が一軒たつ。
この招待状だって、最上級の「紙」でできている。金彩の入った美しい紙は、ひょっとしなくてもなめし皮より高いのではないだろうか。それが数百通。どう考えても家が……以下略。
そのほか、各種族が素材を持ち寄ったり労力を提供したり、エルフ族がその素材を元に一世一代の花嫁衣装と花嫁道具を作っているなど、彼女の懐はほとんど痛まぬままに、ちゃくちゃくと結婚式の準備は進んでいた。
……まあ、彼女が自分でこの準備の代金全てを出したら、せっかく魔剣を売っぱらって借金を返したというのにまた大借金を抱えることになってしまっただろうから、有難い話ではあるのだが。
「や、やっと終わった……」
招待状書きをようやく終え、少女はばったりと机に突っ伏した。
……そのまま、動けなくなってしまう。
「はあ……」
好きな男と結婚して、周囲にも祝福されているというのにどうしてこうも気持ちが重いのだろうか。
「花嫁の憂鬱ってやつなのかなあ……」
はい、そうです。
炎神の御座で、魔王と話し合いをした。
彼女が冒険者を辞めて、そっちに移住する、と言ったらびっくりしたようだった。が、魔王にとっては嫌がるような条件ではなく、すんなりと受け入れられた。
そして、いくつかのお願いをした。
まず、コリュウの同行。これは向こうも承知していたようで頷いた。
次に、ダルクの同行。魔王城で、何でもいいから仕事を与えてくれ、と言うと、これまたすんなり頷かれた。とりあえず、フィアルの下で仕事を仕込まれて、一人前になったらこの間の内乱で空席だらけの十神将にあがるらしい。
最後に、スゾンの同行。
これには少々渋い顔をされたが、野放しにしておくには危険すぎる。少女がいれば、スゾンのなかにきちんと「彼」がいるかどうかは一目でわかるが、逆に言えば少女がいなければわからない。いわば抑止剤である彼女から離しておくのは危険、理詰めで言うと、渋々頷いた。
魔族は、直球勝負なだけに論理で攻められると弱い。魔族相手の交渉は正論攻めがいちばんである。
マーラについては……少女は少々気が重かった。
「ついてきて」と一言お願いすれば、マーラが応じてくれるのはわかっている。これまでのように。
でも……そこまでさせていいものか。
サンローランにいる同胞たちと、離れ離れにさせていいものか。しかも理由は、「心細いから」なんて完全なる自分の私情で。
――そこまで犠牲にさせる権利が、果たして自分にあるのだろうか。
そう思ってしまうと、動けなくなってしまった。
「……はあ」
テーブルに突っ伏したまま、ため息をつくと、その背にふわりと重みがかかった。
「クーリース。お偉いさんがたくさん来てるよー」
コリュウだ。
「……コリュウ。ちょっと背中からどいて……」
重みがどいたのでこきこきと、体を回しながら立ち上がった。
「あーあ」
伸びをすると、皮膚の下で全身の筋肉が動く。たるんでいた筋が緊張し、浮かび上がる。
一見普通の小娘にしか見えない彼女の全身は、鋼のような筋肉で覆われていた。
お偉方が大挙してやってきた、その内容は、想像がつく。
――彼女が結婚し、この地から退いたら、いったいどうなる?
それを懸念し、やってきたのだろう。
良くも悪くも、この町を作り上げたのは彼女だ。その行く末に責任があった。
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