fc2ブログ
 

あかね雲

□ 勇者が魔王に負けまして。 □

4-9 人は変わる。良くも悪くも


 スゾンは彼女の仲間のエルフを訪ねた。
「マーラどの?」

 呼びかけると、ぎょっとした様子で、彼は振り返った。
 緑髪の、優しげな美貌。――中身は泥水だが。
「……あ、あなたですか……」
 机の上で、何か作業をしていた彼は、動揺を隠せない様子で、しかし椅子に座っていたので後ずさることもできず半立ちの姿勢だ。

 その顔をスゾンは眺めた。――記憶は主観で構成される。だが、それを差し引いても。
「……人は、変わるものですね」
 マーラはぎくりと体を強張らせた。

 この肉体に宿る記憶の中にある彼の姿と、今は、まるで別人だ。
 マーラは大きく息をして、椅子から立ち上がり、椅子を戻して、彼に向き直った。
 深々と、頭を下げる。
「……あの時は、本当に、申し訳ないことを、しました。すみませんでした」
 勇気を振り絞った謝罪を、スゾンは叩き落とした。

「それは、僕に言っても意味がないでしょう。生きているうちに、彼にそれを言うべきでしたね」
 少し思いなおし、付け足す。
「まあ……言っても無駄だったでしょうが」
 辛辣な言葉に、エルフは何も言わないで立ち尽くしていた。

 ……後で、彼女に殺されそうな気がする。

 スゾンは急いで話を変えた。
 このエルフを責めるのが目的ではない。というか、責めたら彼女に殺される。
「あなたは、サンローランの町にとどまるのですか?」
「……わかりません」
 顔をそむけて、エルフは答える。

 変われば、変わるものである。
 かつて、彼は、集団の一人でしかなかった。宿主は名前ぐらいしか覚えていなかった。
 個を主張せず、「大勢のうちのひとり」でしかなく、その特権を使って、罪悪感もなく集団でひとりの子どもを苛め抜いた。
 集団になったとき、人は、他人がやっているからと、何の良心の咎めもなく、ああもむごいことができるものなのだ。

 しげしげと、スゾンは眺めた。
「……後悔、しているのですか?」
「もちろんです!」
 即答してエルフは振り返り、彼を見た。しかし、すぐに耐えきれぬように目をそらしてしまう。
 スゾンの姿を見るのが、耐えられないというように。

「……私は、無知でした。傲慢でした。あの頃の私は、人に対する、想像力や、思いやりが……欠けていました。あなたが、どれほど心細い思いをしているかや、どれほど……つらい思いをしているか、それにあなたがいとけない子どもであることを、私は……忘れていました。どうか、許して下さい……」

 エルフは、スゾンに膝を折った。
 しかし、スゾンにしてみれば、平伏されても困るのだ。
「何度も言いますが……筋違いです。僕は、彼ではありません。それと、立って下さい。あなたにそんな姿をさせて、いま彼女が帰ってきたら、殺されます」

 このエルフを大事にしている彼女が見たら、激怒すること間違いなしだ。普段優しい人間ほど怒ったとき怖い。できれば一生、彼女が本気で怒ったところなど見たくない。
「そうですね……」
 エルフは立ち上がった。

「僕がここへ来たのは、あなたを責めるためではなく、あなたがどうするかを聞きたかったからにすぎません。彼女は、心細いからついてきて欲しいけど、そうなると仲間から引き離すことになってしまう、どうしよう、そう悩んでいますよ」
「………」
 緑髪、尖った長耳。その優しげな美貌といい、どう見てもエルフである。
 魔族の国で暮らせば――多少の軋轢はあるだろうな、と思う。なんせ、エルフは希少種族なので、珍しいのだ(サンローランは例外中の例外である)。
 珍しいものは注目される。それが人のさがだ。……彼女が守るだろうけれど。

「――わかりません。彼女同様、私の心も、木の葉のごとく揺れています。彼女の側にいたい。でも、いたくないのです」
 鈍い方ではないスゾンは、その言葉に、まじまじと見つめてしまった。
 そして、首を傾げる。
「何で言わなかったんです?」

 彼女がこのエルフを大事にしているのは明らかだ。否定的な返事をすることは、なかっただろう。
 そして、その一言で、エルフの方も、気づかれたことに気づいたらしい。
「一生、言う気はありません。あなたも、言わないでください」
「まあ、元からありませんけどね。彼女は、王妃になるんですし」
 そう言うと、エルフは無表情で沈黙してしまった。
 影に徹しようと思っていたけれど、いざ結婚していちゃつく夫婦を間近で見るとなると、覚悟はつかず、というところだろう。

 マーラは右手で顔を覆う。
「……自分の愚かさが、苦しくて、たまらないのです」
 脈打つたびに血を吹く傷口が、見えるような声だった。
「……もし、あの頃、あなたに手を差し伸べていればと、毎日毎日思います。愚かだった己の所業が思い出すたび苦しくて全身をかきむしられるような苦痛です。どうしてあの頃の私は、あなたにああも無神経に苦痛を押しつけることができたのでしょう? あなたが、――半精霊族だというだけで」

「みんながやっていたからでしょ?」

 あっけらかんと、スゾンは口にした。
 マーラは絶句する。
「みんながこの子を虐めていたから、あなたも何も考えずに加わったんでしょう。人は、集団になればいくらでも残酷になれるものです。集団の強制力に逆らい、自己の良心を保つのは、容易ではありません」

 マーラはどういう顔をすればいいのかわからない、という風だった。
 スゾンは、別に、彼を慰めたり庇ったりするつもりで言ったのではない。ただ単に、事実を言ったまでだ。
「だからこそ、彼女は賛美されるのでしょう?」
 人族としての、大きな流れに、面と向かって否を突きつけたから。
「……」

「死者に、謝罪を届ける方法はありません。あるのはただ、あなたが納得できるかどうかの問題でしょう」
 ひどく冷めた物言いだった。これまでの、道化のような軽妙な語り口ではなく、長い長い時間を見続けた人間が持つ、さらさらとした砂のような雰囲気が、含まれていた。

「あなたは……」
 エルフは顔を上げた。そして、スゾンを見た。
 合わせ鏡のようだと、思った。とある一点において、彼と、スゾンは、よく似ている。
「……あなたは、彼女が命よりも大事ですか」
「はい」
「そうですか。僕もです」
 短く告げた言葉に、エルフは驚愕の眼差しを送る。
 そう思うのも無理はない。最初の出会いが、悪すぎた。

「彼女に、幸せになってほしいのですが、これがなかなか難しい。何故なら、あなたが不幸だと、彼女も不幸になるからです。困ったことに、彼女は、あなたを、愛しているようなので」
 エルフは名状しがたい表情になった。
 ……彼女と付き合いの長い彼としては否定できないが、それを他者から言われるのはどうにも、ということだろう。

 たぶん、彼女自身に聞いても、屈託もなく頷くことだろう。想像がつく。マーラは家族なの、大事な仲間よ、と言って笑う姿が目に浮かぶ。
 家族のような、という種類のではあるが、愛は愛だ。
 そして、愛する家族が目の前で不幸になっていて、幸福を謳歌できる人間は、よほどの精神的不感症だ。

「だから、問います。あなたは、僕がこの体を使っているのが気に入らない様子。その気持ちは理解ができます。ですから、代わりの肉体を用意していただければ、移りますよ?」
「……そう、したいのは山々ですが、私に、死霊魔術の心得はありません」

「では、僕が、あなたに、許すと一言言えばいいのでしょうか?」
「……先ほど、あなたは言いましたね。問題は、私が納得できるかどうかだと。その通りだと思います。私が謝るべき相手は、死んでしまった。死んでしまった! 因縁も憎悪も行き違いも全てまるごと呑みこんだまま、永遠に手の届かない所へと行ってしまった。ふっつりと途絶えた糸は、二度と紡がれることはない。私は、永久に謝罪する権利を失い、許されることもなくなったのです」

 エルフは自嘲げに笑う。
「私は半分が人族というだけで、幼いあなたを追い出したときから、私に彼女を求める権利はなくなったのです。それが――無知で、無慈悲であった私の為した行いへの、代価なのでしょう」



→ BACK
→ NEXT


 
関連記事
スポンサーサイト




*    *    *

Information

Date:2015/12/05
Comment:0

Comment

コメントの投稿








 ブログ管理者以外には秘密にする