そのとき、彼女は絶体絶命の危機にいた。
「さあーあ、吐いてもらいましょうか。いったいどこで、どういう事情で、そうなったのかな?」
ぐいと詰め寄られ、サンローランの主は思わず一歩引く。
「そ、そそそれは」
「もっちろん、根掘り葉掘り、話してくれるわよね~?」
嬉しそうな満面の笑顔でにじり寄るのは、彼女の数少ない女友達である。
ガールズトーク、堂々の第一位といえば恋バナだ。
この町の主で、本人が気づいているかは別としてしょっちゅう言い寄られているにもかかわらず色っぽい話の一つもなかったこの少女がとうとう結婚!
しかも相手は遠い国の国王陛下!
待遇は王妃様!
一介の庶民の娘が王妃様である。現代の夢を具現化したようなお伽話だ。
これを聞かずして何を聞く!
友人の全身からは、聞かずに済ませられるものか、という気迫が満ち溢れていた。
「そ、そそそ、それは、ですね、ええと、その……仕事の関係で知り合ったんですよ!」
テンパっているので敬語になった。
言っていることも嘘ではない。うん。
「へえー。仕事の関係、ねえ……」
彼女はそこで考える。
聞いても教えてくれないだろう。大地の勇者である彼女はそういうところでは固い。そうでなければ仕事の依頼など来ない。
一介の冒険者である彼女に、国王が依頼するなんていう荒唐無稽なことは……あったりするのだ。これが。
大地の勇者は、確かに身分的には冒険者に過ぎないけれど、彼女の名声と実績はもう「一介の」とはいえないのだから。
「ま、それはいいわ。で、で! 求婚されたんでしょ? なんて?」
少女の顔がぼっと熱くなった。俯き、ぼそぼそという。
「そ、その……好きだ、結婚してほしいって……」
「おおー」
これぞコイバナの醍醐味!
やるじゃん、国王陛下。
内心賞賛し、更に友人はずいと身を乗り出した。
この鈍い少女にそこまで直球で攻めるとは。まず口説いているということを認識させただけでも凄い。彼女のスルー力といったら一級品である。
サンローランの町でも、彼女を口説く人間は山ほどいるが、それら全てはスルーされるか、周囲の妨害にあう。
友人としては側で見ていてそりゃあもう地団太踏んだものだ。
「それで? それで?」
「う、うん、一度はお断りしたんだけど……」
「そう、そこよ!」
ぴしい、っと友人は彼女を指差した。
「どうして断ったの? だって国王陛下でしょ? 王妃様でしょ?」
「え? だって、そのときは好きじゃなかったし……、王妃とかそういうのにも興味なかったし」
一回の仕事料の最低ラインが、庶民の年収である少女である。
「――まあ、そこはいいわ。その時は好きじゃなかったから断った、と。……クリスだしなあ……」
普通の女だったら、一も二もなく頷く話だが、相手は大地の勇者だ。
金にも権力にも不自由してない、と主張する権利がある人間だった。
「魔族なんでしょ?」
「うん。魔王さまだよ」
「……うーん、無神経かもしれないけど……大丈夫?」
「だいじょうぶって、なにが?」
「ほら……、やっぱさ、肌の色とか、あるじゃない」
言葉を濁していても、言っていることは明らかだ。
どんなに美形でも、魔族は範疇外、という人族が多いのは、そのせいだ。
肌が青黒い。単純に言えばそれだけなのだが……、理屈では対処できない嫌悪感がどうしてもある。
「この町には魔族もいるから、差別する気はないよ。ないんだけどさ……やっぱね、友人にはなれるけど、恋人とか、夫婦とかには、無理かな」
自分とは違う青黒い肌に触れて、口づけして、体を重ねられるか。そういう生理的嫌悪感の問題だ。
これは頭でっかちな理屈で解決できる問題ではなく、心の奥にある問題だから対処が難しい。
クリスも不快にならずに答えた。
「私んとこのパーティには、ダルクがいるから割合へいき。慣れだよ、慣れ」
「……ま、あんたならそうかも。でも、じゃあ、青い肌は最初から平気なのね? で、最初は断って、今になって求婚を受けたってことは……」
クリスは思わずたじろぐ。
この手のガールズトークにおける女性の恐ろしさを舐めてはいけない。
友人は目を爛々とさせて詰め寄った。
「好きになったのよね?」
「……そ、そう、なんだけど……その」
「その?」
クリスは悩んだ末に、どうにも誰にも相談できなかったことを口にした。
「……その人に見つめられると、逃げ出したくなるの。こう、そういう雰囲気になると、狩られる兎になった気分で逃げたくなるっていうか……」
「……あー」
「好きか、って言われたら好きなんだけど、けど、逃げたくなるんだよー!」
友人はふっと醒めた笑いで、ぽんと肩を叩いた。
「――お子様だねえ」
「…………はい」
がっくりと、頷くしかない。
「クリスだって男と付き合った経験ぐらい、あるでしょ?」
「ないよ?」
「――えええ!?」
「えええ、って……。私、未婚だもの。そりゃあ冒険者やってるからそう勘違いされてるけど」
どいつもこいつも、妙齢の女性の冒険者は非処女だと決めつけるのだ。……それを否定できないぐらいに貞操の危機があったので文句も言えないが、友人にぐらいは言いたい。
「わたしは! 血のにじむような努力で! がんばって守ってきたんだからねっ!」
「うん。びっくりした……。なんだーそっかー。じゃあ、男のそういう目線に怯えるのも無理はない、かな?」
「……油断するとぱっくり食べられそうで怖い……。結婚するって言ったら即座に押し倒されたし……」
「結婚決めておいて今更何言ってんのよ。どっちにせよ初夜の晩にはぱっくり食べられるんでしょうが」
「うわあああああ!」
少女は絶叫した。
「そうだけど、そうなんだけど、でも!」
「てか、その人あんたが好きなんでしょ? 国王陛下なんでしょ? でもって無理矢理強制じゃなくてその気になるまで気長に口説いてくれたんでしょ?」
「……はい」
「そりゃあゴーサイン出たら即押し倒すわよ。食べちゃうわよ。よく我慢してくれたってもんよ」
同年代なのに、結婚しているせいか遥かにオトナの意見に、クリスは落ち込んだ。
「……あのね、ここだけの話なんだけど……」
「なになに?」
「――私、裸の女性が押し込められた部屋を見たことがあるの。それも、一度や二度じゃない」
友人はさすがに何も言えなかった。
それが、どういうものか、察しがつかないほど幼くはない。
クリスは、はあとため息をついた。
「最悪のケースでは、同じ冒険者が私をその一人にしようとしたこともあったなあ……」
慣れてしまって、男のぎらついた眼差しに、一々怯えることもなくなった。
が。
「好きなのに、怖い。エデンから欲望の混ざった眼で見られると、こわいの。頭ではわかってるし、我慢しなきゃって思うんだけど、……ぶっつけ本番で、一度しちゃえば、もう大丈夫かなって思うんだけど……ね」
暴行を受ける女性を、見過ぎたせいかもしれない。この過度の恐怖は。
「あのね……うーんと」
友人はそこで言葉を区切り、天を仰いだ。
どう言おうか悩みつつ、口にした。
「好きなら欲しいって思うのは、普通のことだよ?」
「……はい、わかっております」
「わかってても、怖いもんは怖いかー。そうだよね。トラウマにもなるよねえ」
「……」
少女は黙っていた。たとえ聞かれたって言う気はない。あんなの見るのは一人でじゅうぶんだ。
人には想像力がある。
彼女が見たものを克明に説明すれば、友人はそれを想像する。そして、実話のトラウマは――、うつるのだ。たちの悪い病のように。下手したらトラウマ第二号だ。
「あのさあ、魔王さまと、デートとかしてみたら? そうすれば怖くなくなるんじゃない?」
「デート、かあ……」
少女はぼんやりと想像してみる。
「――いいかも」
「結婚式前にさ、ちょっとデートしてきなさいよ」
「エデンがいいって言えば……してみる」
ああ見えても王様だ。忙しいだろう。
断られるかもしれないが、たぶん数時間程度なら抜け出せるだろう。本当に魔力持ちというのは羨ましい。
マーラに頼み、連絡をとってもらうと予想通りの快諾が返った。
と、いうわけで、デートをすることになった。
ちなみに、その女友達が口をすっぱくして注意したことがある。
「――いい? わかった?」
「……はい」
しおしおと、頷くしかなかったクリスだった。
トラウマが話を聞くことによってうつる、というのは本当の話。
人のトラウマを聞くことを職業にしているカウンセラーや精神科医、あるいは性暴力担当の警察官は、精神科医にかかっているケースがとても多いです。
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