クリスが友人に言われたことは、こうだ。
「いい、あんたはちょっと男を立てるっていうのを覚えなさい!」
友人はこんこんと諭したものである。
「あんたがどれほど強かろうが、大抵の、いやええとこの世のほとんどの男は殴り倒せようが、だからといって、男は女に庇われたらプライドが傷つくもんなの! 女は男に庇われたって傷つかないけど、男はちがうの。男はね、女より上に立ちたいもんなの。見栄をはりたい生き物なのよ。それをまず理解しなさい」
クリスは、はあ、とか、うん、とか、言ったかもしれない。
「妻とダンナがうまくいってる家っていうのはね、奥さんがそれをよくわかっているのよ。男は女よりよっぽど繊細で、夫婦仲はあんたみたいに意固地にならずに女が男に甘えた方がうまくいくっていうのをね。それを理解しなさい。男っていうのはね、単純で、馬鹿なんだから、女に甘えられて悪い気なんかしないの。むしろ、甘えなきゃだめ! それが男を立てるってことでもあるの」
これを聞いて、クリスはずーんと落ち込んだかもしれない。これまでの自分の所業を思い返し。
これまでことごとく、友人の忠告とは正反対の行動をとってきたような気が。
「だからね、デートするのはよし! おしゃれはまあ当然私がアドバイスするとして……やっぱね、できるだけ甘えて、ひっつきなさい」
「ひ、ひっつく……って」
「最低でも腕を組む。できれば体をこすりつける。大事なのは笑顔ね。ニコニコしていなさい。そうすれば多少の失敗は失敗にならなくなるわ」
友人はこういって締めくくった。
「とにかくあんたに必要なのは、男に甘える、そういうことよ!」
確信を持って言い切られ、更にそれがものの見事に的中していたら、もはやこう言うしか選択肢は残されていなかった。
「……ハイ」
◆ ◆ ◆
という友人の注意(説教)を受けて、彼女は待ち合わせ場所に立っていた。
化粧、アクセサリ担当はくだんの友人で、化粧をした少女に
「……あんた、化けたわね……」
と、褒めているんだかどうだかわからない一言を言った。
着ているものは木綿のドレスだ。ただし、おろしたての品の良いものだと一目でわかる。裾には白い手織りのレースもついている。レースは高価なものだが、自分で編む技術を持つのならばこうして端にアクセントとして付ける娘もいるので、村娘のドレス(一張羅)ならばおかしくない。
基本は生成りの色だが、ところどころ継ぎはぎで色鮮やかな布に変わっている部分もある。それはあくまでデザインの一部として変わっていて、破れや汚れを取り繕うためのものではないとすぐわかるものだ。
黒髪は丹念に梳かれ、お下げになって垂れている。腰まであった黒髪も、三つ編みになれば先端が胸の先に来るぐらいになった。
二本のお下げ髪になった頭のてっぺんには、乾燥した花をちりばめた
髪飾りが載せられ、胸元には木彫りのペンダント。
そして楚々と体の前で合わさった手のなかには、細く割いた木の皮で編まれた手籠があった。
ちなみに、本日のデート前「完成品」を見た男たちは、揃いも揃って褒めてるんだかけなしているんだかわからない一言を言った。
「――うわ別人ですね」
「こいつを良く知らん奴なら素通りするぐらいには別人だな」
「……女ってこええ」
「クリス、かわいい!」
どれが誰だかは言わなくとも判ってくれるだろう。
コリュウだけが味方であった。いつものことながら。
この町いちばんの有名人である彼女だが、今のところ通行人たちは気づいた様子もない。
白粉をはたかれた肌は白さを増して、お下げに編まれた髪といい、彼女がこの町で着たこともないドレスといい、俯いていてよく顔が見えないこともあって、まるで別人の風情である。
立ち止まり、俯いている少女の顔を下からのぞきこみ、しげしげと眺めれば判るが、活気のある街ではそこまでの関心をもって通りすがりの他人を見る者はない。
可愛いな、彼氏とデートかな、という視線はあるが、それぐらいだ。
そうして誰にも気づかれずにいると、ふと少女も不安になってきた。
――まさか、エデンも気づかないなんてことは――。
ないよねえ、と顔を上げる。
道の反対側の露天商と眼が合った。
露天商の体が固まる。
――げ。
今の反応は間違いなくアレだ。
どうしよう、と少女が慌てたのも一瞬のことで、露天商はにっこりと笑顔で手を振り、何事もなかったように商売を再開した。
ホッと胸を撫で下ろした瞬間、声がした。
「別人のように装ってるな」
「あ、エデン」
少女は顔を上げると、ぱっと笑顔になった。
以前彼がエルフの結界の中に空間を繋いでやってくる、なんていうことをしたあと、エルフたちはそれについての対策をした。
今回は味方だから良かったが、悪人が同じことをしないという保証はない。
戦闘慣れしていないエルフの目の前に突然殺意を持った敵が現れたら――、結果は考えるまでもなく明らかだ。
いくら結界が強固でも、それを素通りされたら何の意味もない。
また、魔王の魔力を持ってしても通信用の鏡を媒体に空間を繋げるのは少なからぬ負担の力技なので、避けたい。
なので、クリスはエルフたちに掛け合い、魔王城とサンローランをつなぐゲートを作ってもらったのである。
事前の連絡をしたうえで、「正規の入口」から入る。こうすることで、魔王は遠距離転移が楽に確実にできるのだ。
もちろん、人族で魔力なしの彼女はゲートを通ることはできないが、今後マーラがサンローランに帰りたい時などには重宝することだろう。
笑顔だった少女は魔王を見て、すぐに怪訝そうな顔になる。
「姿を変える魔法、使った?」
魔王の肌色は、人族のそれになっていた。
顔かたち自体は変わらないが、肌の色が違うだけでずいぶんと印象が違う。
「ああ。用心のためにな」
異種族が混在するサンローランだが、魔族と人族のカップルは珍しい。それに、相手はこの町の有名人だ。また、魔王としてもいくらなんでもデート中に襲われるのは避けたい、ということで変装することにしたのである。
その辺の事情は彼女も似たようなものだ。
彼女が彼女だとばれると、かなり面倒くさい。なので、入念に化粧をしてもらい、髪を編み、ドレスを着て、別人と見まごうような変装をすることにしたのだ。
色白? なにそれ美味しいの、という日焼けした小麦色の肌の彼女だが、本日は色白で楚々とした大人しい女の子、に見える。
少女は笑って手を広げる。
「かわいいでしょ?」
「……可愛いが……、お前じゃない気分になるな」
少女の印象というと、やはり冒険者姿で長い黒髪をなびかせ剣を手にしている姿が思い浮かぶ。
そういう武張った姿とは正反対の、大人しやかな姿であった。
「それはおたがいさま。私もエデンじゃない気分になるなー。やっぱり青い肌でないと」
と、人族の価値観とは真逆のことをいう少女に、魔王は笑って手を差しだした。
当たり前のように手をつながれて、少女の頬が赤くなった。
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