「……なにかやられたのか?」
「んー、先日ね、毒を盛られたんだけど」
彼女は気にしていない。
魔族の王に、
人族の女が嫁いで正妃になる。それに、反発がないはずがないのだ。
だが、魔王は驚いた。
「なっ!」
「あ、私、暗殺され慣れてて、毒物全般見分けることできるから。へいきへいき」
「っておい! どうして俺に言わない!」
クリスは憤りをあらわにする魔王を見て、一瞬あっけに取られ、ぽんと手を打つ。
これが、普通の反応である。
「ごめんなさい。毒を盛られることに慣れてて、つい処理しておしまいにしちゃった」
「……おい……」
脱力してしまった魔王に、クリスは謝った。
「ごめんね。次からはちゃんとエデンにも伝えるから。で、そこまではいいんだけど」
「どこがいいんだどこが!」
突っ込みは無視した。
「問題は、その毒が、私以外の人がひょっとしたら食べるかもしれない状況だったってことよ。私が見つける前にエデンやコリュウが食べたらと思うと、ぞっとするわ」
コリュウは家族であるので、彼女の飲食物を隣から拝借するのに遠慮がないのだ。魔王も彼女の飲みかけの飲料を飲むぐらいは普通にする。
「――まあ、確かにな」
青い瞳に、鋭利な光が宿った。
「でしょ? できるだけ生かして捕らえたいけど、それが無理なら、殺すわ。私は、私の命を暗殺者と引き換えにするつもりはない。……いい?」
「ま、当然だな」
潔い断言に、魔王も首肯した。
殺さないよう気をつけて、逆に殺されたら笑い話だ。手加減していられない状況では、自分の命を優先する。
そうは言っても、相手は臣民だ。かつて、魔王は裏切り者の命をも気に掛けていた。それを思い、クリスは改めて了解を求めたのだ。仁義を切った、のである。
王妃らしく絹のドレスを身にまとい、美しく髪を結いあげている可憐な少女が戦場の
理を口にする。そのアンバランスさが何とも凄絶だった。
「あと、もうひとつ。……あのね、黙って殺されてあげる気はさらさらないけど、そうは言っても殺されちゃったら、私が集めた人たちを、どうかよろしくね」
彼女を心配し、彼女を慕って、知己が魔王城に来ている。有能な官僚として、即戦力の知り合いに来てもらっているのだ。
――これを別の視点で言えば、王妃の権力で一派閥を築こうとしている、という。
危機感をおぼえても、無理ない構図だ。
……なら、その王妃が暗殺された時の彼らの立場は、言うまでもない。
ダルクやマーラは強いから、彼女の死後もまず心配いらない。コリュウも同様だ。だが、それ以外の、官僚たちは。
戦闘力と事務処理能力に、相関関係はないのだ。
「よろしく、とはどうするんだ?」
「去りたい人には、去らせてあげて。役職をそのまま続けたいというのなら、そのままに。あと……私の個人の装備が結構な財産だから……できれば、それを、換金して、皆にあげて欲しいの」
彼女が大借金と引き換えに購入した高額の装備を、彼女はそのまま持ち込んでいた。
なんせ、彼女が嫁ぐのは魔王である。
いつ挑戦を受けるかわからず、いざとなったら、戦場に赴く覚悟があった。
その装備はどんな宝石よりも高価であり、幾重にも魔法付与がかかっている。通常ならばお互いに干渉してしまう魔法付与を計算しつくして作成したそれは、間違いなくエルフの最高傑作だった。その時の。
魔王は、まじまじと自分の妻を見つめた。
クリスも、わからないまでも見返す。
「……お前、頭がいいのか悪いのかわからんな」
「はあ?」
「ひたすら馬鹿かと思えば、冷静に現実を見つめている。お前の立場なら、だ。魔王に望まれて妻になって、めでたしめでたしで浮かれていると思うが」
おとぎ話になってもおかしくない話で、実際、吟遊詩人が歌い始めているという。
人族の庶民の女の子が冒険者となり、勇者になり、やがては王様に望まれて妃となる……。おとぎ話ではそこでおしまいだ。
暗殺者によって自分が死んだ時のことなど、真剣に考えはしないだろう。
彼女は小鳥のように可愛らしく小首を傾げて、言った。
「賭けてもいいけど、その場合あなたは私に飽きるわね。ものの数カ月で」
予想していなかった方面から斬り込まれて、魔王は呼吸を滞らせた。
クリスは、人の醜いところをたくさん見てきた。本気の恋であっても、あっけなく風化するものなのだということを、知っていた。
恋して結婚した夫婦が、もろくも壊れるところを、何度も見てきた。だから、恋にあこがれを抱けない。永遠を確信できない。
恋に夢見る無邪気な女の子ではいられなかった。
毎夜抱かれるたび、愛の言葉を囁かれても……それを、永続するものと思える純粋さは、ない。
「閨の相手をして、公式行事の時に見苦しくない風体をしていればいい。後はたくさんの侍女を侍らせて贅沢三昧。それが通常の王妃だけど――あのね、あなた、そういう女性嫌いでしょ?」
クリスはつけつけと言った。
「そして、私はそういう奥さんになりたいんじゃない。あなたを助けたいの。あなたの役に立てる奥さんになりたいと思う。だから、お願い、あなたも私を助けてね。そういう助け合う関係になりたいの」
異種族同士の婚姻は、継続へ向けた相互の努力がなければ、うまくいかない。
彼女だけが努力しても、駄目なのだ。
魔王も努力してくれなければ、きっと破綻する。
マーラがかつて言ったのも同じこと。
恋は、お互いが努力しなければ呆気なく壊れてしまう。
魔王が言ってくれる言葉に甘えていたら、魔王はきっとすぐに彼女に飽きるだろう。
そして、魔族の国で魔王の寵愛を失えば、人族の彼女の立場は一瞬で砂上の楼閣と化す。
そして、この地上で彼女ほど、「頼られてばかりだと鬱陶しい」という感情を理解している人間はいないだろう。
助けてくれ助けてくれ、勇者なんだから助けてくれ、無償で奉仕してくれ、してくれないなら偽物だろう! ――ああまったく嫌というほど学習した。
人は、頼ってばかりだと駄目になる。
醜い我欲の権化となる。
……だから、彼女はそうなりたくない。
クリスは魔王の頬に手を添える。その闇色の瞳を覗き込む。
「わたしは、あなたが好きよ。ずっと一緒にいたいと思っているわ。そのためにあなたの役に立ちたい。一緒に、信頼関係を築いていきたいの。同じように、思っていてくれる?」
「……ああ」
クリスはにっこり笑った。
「じゃ、書類の決裁よろしく」
後日、魔王が真面目に仕事をするようになったそうで、クリスはフィアルから謝罪とともに盛大なる感謝を受けた。
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