※不妊に関する非常に無神経な表現が多々あります。
ホントーにすみません。
でも、この世界ではこれが避けては通れない現実なので、あえて書かせていただきました。
悩んでいる方にとって、ひとかたならず不愉快だろうと思います……すみません。
その日、クリスは執務室でへたばっていた。
書類を左右にどけ、スペースを確保し、机に突っ伏していた。
「……疲れたのか?」
滅多に見ない姿に、気遣わしげな声をかけたのは、彼女の夫である。
「うううう~」
顔を上げなくても、近づいてきた時から、誰なのかは判っていた。
魔王は、ひとりだ。
誰も連れていない。
室内の隅にコリュウがいるけれど、それだけだ。
おかげで、魔王が来たのに起立して礼を取らなくてもいい。
――落ち込んでいるから、来てくれたんだろうなあ……。
彼女の夫は、こう見えて、優しいのだ。
「疲れては、いないんだけど……」
体調管理は冒険者の責務のうちだった。夜はどなたかのせいでしっかり眠れないが、仮眠をとり、日常生活を無理なく送れるリズムは作っている。
ここのところ、仕事に没頭している時はいいが、不意にぽっかりと穴があいたとき、ふと思い出して落ち込んでしまう。
はあ、とため息をついて、クリスは言った。
「……子どもが、できなくて……」
人族らしくない、とはさんざん言われてきたクリスだが、人族としての価値観も持っている。
そして、その価値観から言えば、人族の女にとって子が産めない、というのは、他のすべての長所を取り消してあまりある欠点なのだった。
どれほど賢かろうが、どれほど美しかろうが、どれほどよく働こうが、子が産めなければそれだけで離縁の理由には充分であり、身一つで嫁ぎ先から叩きだされるに足る罪科である。――残念ながら、それが人族の価値観である。
彼女のことばに、魔王は驚いたらしい。
「まだ、半年だぞ?」
「もう、半年でしょ?」
「ああ、お前は人族だったな。魔族は人族と違って妊娠しずらい。五年経って子が一人できればいい方だ。気にする程の時期じゃない」
「そうなの?」
少し、気が楽になって、クリスは顔を上げた。
どんな長所も、子が産めなければ帳消しになる。女の存在価値とはつまるところ、子を産むことにある――人族の価値観とはつまり、人族の男の価値観であり、女性ですらそれに染まり、信じているところに、問題の根深さがあった。
彼女は、「彼女自身の」名声を勝ち取り、己自身の財産を築いた珍しい女だ。それでも、その価値観から抜け出すことは、難しい。
なんといっても、彼女は王妃なのだから。
王族に嫁いだ女の最大の仕事は、公務でもなんでもない。ただ、子を産むこと。これに尽きる。
「わたし、子どもを産めない体だったら、どうしよう……。心当たりがたくさんありすぎて、どれがどれだか」
「……どんな心当たりだ」
夫に問われるまま、心当たりを言う。
「お腹を蹴られたり、斬られたり、病気にかかったり、食事にあたったり、毒を盛られたり……」
要するに、冒険者稼業のなかで負った怪我と病気と毒である。
「……不可抗力だろうそれは」
魔王は妻の長い黒髪を一房すくい取ると、口づけた。
「子が産めなくとも、お前はお前でいればいいだろう。俺は別にかまわん」
「……でも、確実に、私は追い出されるわ……」
タイムリミットは十年と彼女は見ている。
魔族は妊娠しづらいから、人族より猶予は長いが、それでも十年経っても彼女が孕まなければ、追い出されるか殺されるかだろう。
人族とはいえ、彼女と魔王の子どもの能力に、期待と関心を抱いている者はかなり多い。
魔族は純血にこだわる者も多いが、それ以上に能力を重視する者が多い。
「大地の勇者」であった彼女と魔王の子。
期待するに充分だった。
強い人間の子は強く、賢い人間の子は賢い。
優生論は、いつの時代も一定の支持者がいる。
遺伝は万能ではない。だが、絶無でもないのだ。
子は親に似る。それは、どの種族でも変わらぬ真実なのだから。
彼女の子どもに期待する人々は、彼女が王妃となっても賛成もしくは静観した。実質的に、彼女の支持勢力といっていい。だが、彼女が子を産めない女と判れば掌を返すだろう。
王族の妻の存在価値は、子を産むことにある。産めなければ、どれほど美しかろうが、公務ができようが、無意味だ。
子を産む、そんな、本人の意志や努力とはまるで関係のない能力によって、女性は全否定されるのだ。
望んで不妊になる女など、いないだろうに。
なのに、女性は子を産めないという一点で、全ての長所を切り捨てられ、その存在を根底から否定される。
そして、こればっかりは……彼女がいかに努力しようと、どうにもならないことだった。
もちろん、彼女は一人でも生きていけるだけの財産と実力がある。だが……。
魔王は彼女を引き寄せると、机越しにその頬に口づけた。
「そんなに不安がるな。俺は、お前が子を産める女だから選んだのではない。お前の言う通りの危険はあるが……、なに、その時は俺が退位すればいい話だ」
クリスは目をぱちくりさせた。
「……退位?」
「ああ」
「王様やめるの?」
「魔族の王など、ころころ変わるものだ。俺でなくともかまわん」
クリスは魔王をじいっと見た。
……嘘は、言って、いないように見える。
彼女の直観力はかなり高い。百発百中とは言わないが、九割ぐらいは当たる。
「お前と俺なら、何をしてでも普通に食っていけるだろう? いざとなれば冒険者になればいい話だ」
「…………まあ、ね」
借金がなくなった今となっては、手持ちの財産だけで一生食っていけるだろうし、魔王の力なら冒険者としてじゅうぶん稼げる。
……嬉しい申し出、のはずだ。
普通の女なら、「そこまで私のことを……っ」とか言う場面だろう、これは。
なのに――クリスは、ため息をついてしまった。
魔王の気持ちは嬉しいのだ。そりゃあ女として、嬉しいに決まっている。
けれど――当初、結婚した時、彼女は魔王の役に立つ奥さんになろうと思った。そして、いい家庭を築いて、できるだけ長く添い遂げたいと思った。
なのに、現実は、コレだ。
魔王のいい奥さんになるどころか、魔王の足を引っ張って、王様から一介の冒険者に落とすかもしれないなんて。
「ありがとう。嬉しい。……役に立つ奥さんになるどころか、足を引っ張る奥さんになるかもなんて……思ってもいなかった」
普通の女性は、結婚するとき、自分が不妊であるかもなど考えない。幸せな新婚生活だけを考えるだろう。
クリスも例にもれず、たくさん子どもが欲しいなとは思っていたが、子ができなかったらどうしようとは考えもしなかった。
夫が忙しく不在がちで回数が少ない、というのならともかく、お情けは充分すぎるほど貰っている。
子ができない夫婦の正攻法は、子作りの回数を増やすことだが、今以上は無理だ。年齢も……彼女は十九。人族としては年増といっていい。今後、どんどん子どもは出来にくくなるばかりだろう。
マーラにも相談したが、「子ができやすくするような薬草はちょっと覚えがないです……」と言われてしまった。
森の精霊族である彼が知らないのなら、世の中にはないと言っていいだろう。いつの世にもいる不妊に悩む女性を騙すインチキ商品ならあるだろうが。
不妊に悩む女性の定番は、怪しげな薬と神頼みである。
しかしクリスは怪しげな薬に大金を払って騙される気もなかったし、……人族の神がいない事を知っている以上、虚構の神に祈る気にもなれなかった。
「……、まだ、半年だぞ? そこまで思いつめることもないだろう?」
「――人族の女性の妊娠しやすさを知らないの? というか、あなたは毎晩毎晩私と一緒に過ごすでしょうがっ。大抵朝までっ! フツーはあれだけ回数こなしてたら、とっくに妊娠してるのよっ!」
今の時代でさえ、子どもをたくさん作る方法は、夫婦仲良くすることだということは知られている。
これが、月に一度しか同衾しません、なんていうのなら話は違うが。
子どもは授かり物とはよく言ったものだ。
このまま、子を孕めば良し。その時は何も問題はない。
できなければ……そのときは。
彼女を離縁するのは、外聞が悪い。大地の勇者であり、結婚式には各国の王族も列席し、多くの種族の敬意を勝ち取っている彼女を、彼女自身に咎なきことで離縁することは、得策とはいえないのだ。
妾妃をめとるか。
あるいは、彼が退位するか。
どちらかしかないだろう。妥当なのはやはり、妾妃か。
市井の夫婦ならある「子どもが無くても幸せに暮らす」という選択肢が、彼らにはない。
もちろん、彼女が妊娠すれば、全ては杞憂に終わるわけなのだが……。
人族の繁殖力を思えば、不妊である可能性を否定できない。この先ずっと、子どもが産めない可能性を、考えなくてはならない。
女ってつらいなあ、とクリスは思う。
何をやろうがどれほど善行に励もうが、本人のせいじゃない子が産めないなんてことのせいで、収支はマイナスになり、責められてしまうのだから。
「王家なのに子どもができない」ストレスでぶっつぶれそうなクリス。
え? 大げさですか?
とんでもないです。現実でも実際に雅子さまが潰れてしまったことを考えていただければ、かかっている重圧のほどをご理解できるかと。
子どもができないのはその女性のせいじゃないのですが、みんな女性を責めるのです。
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