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あかね雲

□ 勇者が魔王に負けまして。 □

4-28 努力ではどうしようもないこと


 部屋に戻るなり寝台に倒れ伏したクリスのもとに、コリュウが舞い降りた。
「クリスう……」
「……うん。うん。だいじょうぶ……だいじょうぶだから……」

 ――今月も、月のものが来た。

 クリスの月経は軽い。マーラが薬湯をつくってくれるし、いざとなったら回復呪文を唱えてくれる。また、彼女自身、痛みに強い。

 それでもしばらく動く気力が湧いてこない。
 そんなはずがないと思っていても、視線が気になる。召使いたちのひそひそ声が気になる。能力の感度を高めて常時囁き声を拾って歩いていたら、逆に過負荷で倒れそうになった。
 人は、ほんの僅かな時間ならともかく長時間広範囲の声をあまさず聞きとれるように脳ができていない。そんなことを常時やっていたら、気が、狂う。

「……コリュウ。わたし、死んだ方がいいかな……」
「クリス! 何言ってるんだよ!」
 呟くと、コリュウは本気で怒った。

 一年が過ぎたのに……子どもが、できない。

 魔族は子どもができにくい。だから非難の声はまだない。「まだ」。
 でも彼女に残された猶予は短い。寿命が長い魔族とは違い、妊娠可能期間は短いのだ。

 気のせいだ。
 そう思おうとする。そう頭では判っている。だって、魔族は妊娠しづらいのだ。
 非難が出るのは早すぎる。五年ぐらいは見てくれるはず。はずなのに。

 心が怯えている。
 人族で、婚姻後睦まじくしていて一年も妊娠の気配がないというのは長すぎる。だから彼女は怯えている。石女うまずめという声を、ひそひそ声を、彼女を非難をしているのではないかと怯えずにはいられない。

 誰かが自分をそしっているのではないか、嘲笑っているのではないか、馬鹿にしているのではないか。
 ――みんなが私を笑っている。そんな妄想が、頭にこびりついて離れない。

「――私は、わたしは……」
 記憶を掘り返せば、いくらでも原因になりそうなものは出てくる。

 あれだろうか、これだろうか、それともこっちだろうか。それのせいで不妊になってしまったのだろうか、自分は、子どもを育むことができない体なのだろうか。
 逃げだしたら魔王がついてきてしまう。何も悪くないあの人を巻き添えにするなんてできない。
 だったら、いっそ、後腐れないよう死んでしまうのが――。

 ――駄目だ。
 今の自分はとことんナーバスになっている。
 クリスはそこで考えを打ち切った。

 幸いなことに、それが判るぐらいの頭はあった。
 いつもの自分じゃない。考えれば考えるだけ下り坂を辿ってしまう。

「コリュウ。気分が悪いから、私、少し寝るね……」
「うん。ボクもそれがいいと思う。お休み……クリス」

     ◆ ◆ ◆

「――ってわけで、クリスが物凄く落ち込んでいるんだけど、何か方法ない?」

 そうコリュウが相談を持ちかけたのは、城で一室を与えられ、そこで薬を作っているマーラである。
 彼がつくる魔法薬は回復魔法が使えない魔族たちにとても評判がいいのだ。

 マーラも難しい顔だった。
 そもそも、懐妊しやすくなる薬とかがあれば、とうに彼女に渡しているのだ。ないからどうしようもないわけで。
「……うーん……。子どもは、授かりものといいますし……」

「でも、クリス、死にたいって……そこまで言ってるんだよ」
「ええ? 本当に? 何で……」
 結婚して、まだ一年しか経っていない。城内の目線も、「まだ懐妊しないのか」という責めるものではない。

「不安定になっていて、つい言っちゃったっていう感じだけど……。今はよくても、いずれはもっと酷くなるでしょ?」
「……身籠らなければ、もっと酷くなるでしょうね」
 ふう、とため息をつく。
 森の精霊族であるエルフは、子どもが数百年にひとりしか生まれない。だから、彼女の苦しみや悩みは正直実感できない。
 だが……思い返してみれば、確かに人族は結婚するなりぽこぽこと子どもができていた。

 できなかった女性は、女性は確か――。
 思い出した事柄に、マーラは総毛立った。
「……夫に殺されてましたっけ……」
 自殺に見せかけられて。

 興味のない他人のことだったので、それを聞いたときも聞き流していたのだが、身近な話となった今思い出すと、氷水をかけられたような気分になった。
 彼女は「そういう」価値観の種族なのだ。
 子どもができない妻など殺してしまえ、という価値観の。

 ……それは、女性は子どもを産もうと必死になるはずだった。

「かといっても……ねえ……」
 最良の解決手段ができればいいのだが、こればっかりは神の領域である。
「……炎神様にお祈りでもしますかね?」
「……それ、神頼みじゃん……。もっとこう……効力のあるものないの?」
「一個だけありますが……使えません」
「あるの? なに!?」
 コリュウは勢いよく食いついた。
「無理ですって。――要は、閨を共にする回数を増やすことですから」
「……クリス、いっつも朝までだよ」
「だから、むりなんです」

 エルフと飛竜は顔を見合わせ、ため息をつく。
「愛妾でも持ってくれれば、とも思いますが、クリスは嫌でしょうねえ……」
 ついでに言えば、相対的な地位も低下する。
 魔王唯一の妃、と、魔王の複数いる妃のうちのひとり、では比較するまでもない。

 コリュウはぽつりと言った。
「……クリスはさあ……、頑張り屋さんなんだよ」
「ええ、そうですね」
「これまで、いろんなことがあったけど、無理な事も多かったけど、でも、最後は結局頑張って解決してきた……できちゃったんだよね」
「――そうですね」
 コリュウもマーラも遠い目になる。

 ああ、ほんとうに、苦労させられた。
 あの石頭の少女は、人を振り回し、振り回し、振り回しまくって、結局は自分の意志を通して貫いて、成功させてしまうのだ。
 結果だけ見ると、それは、まるで、魔法のように。

「だから……努力しようがない現状に、すごく、悩んで、参っているんだと思う」
 さすがは親子である。
 その分析は、たぶん、ただしい。

 これまでの困難を努力でどうにかしてきてしまった(それだけの才能があった)彼女は、努力ではどうにもならない状況に陥って、参っているのだ。

「夜の生活を増やすのは、無理ですしね。……というより」
「……うん、ていうか、さあ」

 コリュウがクリスを心配するのは当然だ。
 マーラがクリスを心配するのも当然だ。
 その事に不満はない、ないのだが……。
 だが。
 その前に、一番心配すべき人間がいるだろう!

「魔王は何やってんですか。自分の奥さんを鬱にしてんじゃないですよっ!」




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Date:2015/12/07
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