クリスを泣かせたことに、ブチ切れている連中がいることは想像がつく。
怒りでスープが作れるぐらいに煮立っている馬鹿がいるだろうことも。
――が――。
「……お前が来るとはな」
王妃の部屋から出たところで、魔王は足を止める。
永遠に少年の姿をとどめている
屍体が、完全に無手の手をひらひらとさせ、(はい、得物はありませんよ)魔王からおよそ二十歩ほど離れた廊下に佇んでいた。
このゾンビ、なかなか芸達者である。
異世界から来たから魔法が効かない……らしい。それでいて、魔法は使えるのだ。反則的な存在である。本体は精神体。精神体が死んだ肉体をのっとって、操っているのが、現在ここにいる道化師である。
ゾンビは各種族共通の嫌われ者である。なんせ見た目がよろしくない。おまけに知能もない。更に臭い。基本的に魔物と同類項で、破壊活動しかできない。トドメに衛生的に非常に問題がある。
そんなゾンビを魔王城へ呼ぶにあたって、魔王が与えた役回りが、道化師である。にぎやかし。
ゾンビであることは魔族から見れば一目瞭然。でも防腐処理をして臭さは激減。身につけているものは宮中の道化服。受け答えに、圧倒的な……そう、人と同等レベルの知能の高さを誇るゾンビ。
その道化を見た人間はみな驚き、ざわめいた。
完璧な知能を持ったゾンビ。それはつまり、禁断の「死者蘇生」の可能性だ。
そんな完璧な知性を持ったゾンビを作ることに成功したと、無言でゼトランド王国の国威を誇り、人の目を引きつける。
ゾンビは王宮の「花」になっていた。職責通りに。
スゾンは礼儀を順守して魔王に対して一礼する。
「王妃さまの具合はいかがでしょうか」
「……眠っている。が、その殺気をなんとかしろ」
殺気の焦点は、魔王だ。
これがクリスに向けられているのならこの場で壊してやるが、魔王相手なら、壊すのはまずいだろう。壊しても殺せはしないだろうし。
スゾンはにこやかに言う。
「魔王さまのご尊顔を、一発殴って差し上げたいと思いまして。駄目でしょうか?」
魔王は目を細める。獰猛な衝動が身の内から沸き起こる。
道化ごときに、一発殴らせろと侮辱されて黙っている趣味は、魔族の王には存在しない。
おまけに、さっきまで落ち込む妻を慰めて、その助けになれない苛立ちに、気が立っていた。
早い話が八つ当たりである。
「……ほう。できるものならやってみろ」
それが戦いの火蓋を切った。
魔王は小細工のない正統派の戦い方をよしとする。
圧倒的な身体能力と、回復、攻撃魔法の三本立ては、竜族をも軽く圧倒する。およそ弱点らしい弱点がない、オールマイティーな存在だった。
鎧武具は身につけていないが、すでに魔剣は手の中に召喚済みだ。
一方、死人であるスゾンの長所も短所もはっきりしている。
長所は魔法の無効化。試しに攻撃魔法を放ってみたが、あっさり無効化された。
「あれ? 聞いてないんですか?」
「俺は、確認をとるタイプでな」
続けざまに手持ちの全属性の魔法を叩きこむが、けろりとしている。ふと気がついて回復魔法もかけてみたが、効果はない。
スゾンは、別の方面で嘆いてみせた。
「あとで、お城の修復に駆り出されるんでしょうねえ……」
道化は、他国からの客がいないときは雑用係に早変わりだ。
単なる確認なのでいちばん弱い魔法を使ったが、それでも壁紙は剥がれ、漆喰は砕け、タイルは見るも無残に破壊されている。
後片付けは、道化の仕事だろう。
「安心しろ。城には結界が張ってある」
結界以下の強度の攻撃には、戦闘後に結界を作動させれば元に戻る。
「それはよかった」
道化が駆けてくる。悲しいかな、その速度はあまりに遅い。ゾンビの欠点。足が遅いのだ。
それでも一般的な基準で言えば速いが、魔王からみれば遅い。魔王基準は厳しいのである。
魔王から見て足が速い、というのは、クリスや飛竜クラスをいう。
しかし、魔王が叩きこんだ一撃は上半身をのけぞって簡単によけた。
反射神経は悪くない。続けざまの連撃も、スゾンは避けてみせた。本気の一撃ではないが、充分に速い一撃を。
「……ほう」
少し、見直し、スゾンに尋ねる。
「魔剣で切られたらお前は死ぬか?」
「死にませんよ……たぶん」
スゾンは少し不安そうに付け加える。
「では、普通の剣にしてやろう」
魔剣を消し、手の中に予備の剣を召喚する。彼の妻が見たら、「ズルイ!」と言いそうな場面だ。彼女は魔力が無いので武具召喚ができない。魔剣は別だ。アレは自分で、主の元に飛んでくるのである。
「良かったな、これでいくら切られても問題ないぞ」
「そうですね!」
殴りかかる動きは遅い。魔王から見れば蠅が止まって見える。
軽くかわして魔王は告げる。
「身体補助系の魔法を使え。遅すぎる」
「く……っ! 清らかなる神風よ、我に宿りて力を貸せ! 《神速》!」
魔王は詠唱の間、黙って待ってやった。
再び殴りかかる動きをかわし、剣の柄で胴体を払う。
「まだ遅い」
「うっ……!」
吹っ飛ばされてスゾンの体が壁にぶつかる。狭い廊下での戦闘なのだ。
死んでいるだろうから痛みはないだろうが。
「死角からの攻撃も甘い」
時間差で発動するよう、魔法を唱えておいたのだろう。
魔王の右側面から飛び出た剣も、背面から飛び出た杭も、両方回避する。
お返しで、同じことをやる。
「自分がやられて嫌なことを相手にするのは基本だが、対処法を考えておけ」
「ぐ……」
一本はかわしたが、一本はかわせなかった。
太腿を貫かれ、スゾンは一瞬硬直する。
血も出ない。死体だから。
「我が妻は馬鹿みたいに死角からの攻撃を回避するぞ。目を疑ったからな」
あの戦闘を思い返し、しみじみと魔王は呟く。
「いくら気配で察知しても回避できまいというタイミングだったのに、避けるからな。あの娘には、こう……」
魔王は見渡す限りの床から杭を生やす。
「逃げ場のない攻撃か、よほど体勢を崩さんと当たらん。……ふむ」
スゾンは全身を杭に貫かれ、標本となっていた。
「魔法は効かんが、魔法で作られた事象は、普通に効くな」
たとえば魔法で炎や風の刃を作り出したとする。スゾンはそれを無効にするが、落とし穴を作れば普通に落ちるし、こうして石の杭を作りだせば、貫ける。
「クリスはこの攻撃も避けたぞ。情けないな」
彼女はどこをどう察知したのか、一瞬前に床を蹴り、飛び上がったのだ。杭の高さは膝丈ほど。
また、飛び上がって着地するまでの間に仲間が着地できるだけの面積を「確保」した。
魔王が杭を消すと、そこには体に無数の穴を開けたスゾンが倒れていた。
骨も筋肉も断裂している。どこをどうあがいても、身体構造的に、もう動けない。
「さて、エルフは……死霊魔術を使えんな。仕方ない」
ゾンビの体の修復は、回復魔法とは別系統になる。
このゾンビは妻の「所有物」と、魔王は見なしていた。
妻に反乱したのなら壊すのに躊躇はないが、妻を泣かせた彼に怒って戦闘を仕掛けたのだから、忠臣といえるだろう。壊してはまずい。
魔王に戦闘を仕掛けたのだ、彼が壊してもクリスも誰も責めないだろうが、クリスは落ち込むだろう。
ただでさえ、今はやたらと敏感になっているのだ。刺激しないに越したことはない。
子どもなど、欲しいと思わない魔王だが、クリスがそれを苦にしているのはよく知っている。
そして、このままだと、子を産めない王妃として、彼女の立場がよろしくないことも……まあわかっているのだ。
その状況で、彼女を親身に思いやる存在を壊すほど、魔王は人の心に鈍感ではない。
「おい、お前は魔法の無効化を切り替えできるのか?」
死霊魔術で修復しようにも、魔法が無効化されている現状では、受けつけないだろう。
頭部だけは庇ったのか、穴がない。その頭が、かすかに動いた。
「よし、じゃあ治すぞ」
回復魔法が「生物の生命力を活性化させて傷を治す」のだとしたら、死霊魔術は「ぬいぐるみの穴を塞ぐ」魔法である。
魔法原理そのものが違うのだ。
呪文をかけようと膝をついたときだった。
「……だから、殺気の隠し方が下手だというのだ」
魔王はうんざりした面持ちで、拳を掴み取る。
スゾンは密かに腕だけ癒したのだ。油断した魔王を不意打ちするために。死霊魔術も習得していたらしい。
「く……そ……っ」
「お前ごときの腕では、百年たとうが俺を殴れん。ゾンビの体ではいくら鍛錬しようが鍛える事もできんしな。永遠に無理だ」
「一発殴らせろ……!」
「断る」
魔王はばっさり言った。
「俺を殴りたいならクリスに言え。あの娘なら俺を殴れる。あるいはクリスと最低でも同程度の力を身につけることだな。やりたい事があるなら力をつけろ。そうでなければ口出しするな。それが魔族の考え方だ」
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