あんな派手な戦闘をやっていれば、気づかれないはずもない。
「魔王さま!」
奥から魔族が駆けつけてくるのを見やって、魔王は立ち上がろうと足に力を込めた。
瞬間、その頭が横にブレた。
魔王は顔を上げ、不意打ちの一撃を喰らわせた人間を睨む。
少し離れたところに、駆けつけてきた魔族――ダルクが立っていた。
「貴様……」
不意打ちを防ぐはずの指輪の弱点。それは、相手が姿を現していると、効果がないのだ。
魔王自身の感覚も鋭いが、嫌がらせ程度の低級魔法は隠れるのも上手い。
効果の高い魔法ならば気がつくが、こんなチンケな魔法で完全に気配を消されては、感知するのは難しい。
「ご高説どうも。その理屈には全く同感だ。じゃあ、俺はあんたを殴ってもいいんだよな?」
ダルクは笑っているが、怒っていた。
かなり、深刻に、本気で。
……この怒りには八つ当たりも含まれているのだが。
それがわかるだけに魔王は余裕の表情で頬を撫でる。大した威力の魔法でもない。痣もできない程度のものだ。
「王を殴るとは、良い度胸だ。隠し方も上手いな。八十点だ」
冷静にそう採点し、魔王は改めて向き直った。
「それで、どうする? 一発殴ることは成功したわけだが、本当に『挑戦』するのか?」
ダルクは渋面になった。
「……くやしいが、その力がない。本気の殺し合いでもしたら、即座に五体がバラバラになるだろう」
ダルクは魔術師で、この距離で魔王と対峙し、前衛もなしで勝てると思うほど頭が花畑していない。
「挑戦する、と言ったら、俺は一秒で切り刻まれて天国へ行くんだろうが。そんな危ない橋を渡れるか」
正しい戦力分析ではある。
あるが……。
魔王はつい、正直に言ってしまった。
「おまえ……ヘタレだなあ」
ぴきっ。
ダルクの顔が強張った。
「あの娘は子作りに熱心だ。俺も喜んで協力しているぞ? 夜ごと、溢れんばかりの愛情を注いでいる」
ぴきぴきぴき。
「その状況で、お前は、何をしている? 俺を不意打ちして一発殴って憂さ晴らしか? それで何がどうなる?」
魔王は呆れていた。
「好きな女に好きともいえんで、恋敵を一発殴って終わりか? ヘタレならヘタレで、俺を殺して奪い取るぐらいの気概を持て」
ダルクはぎりぎりと歯ぎしりする。しかし動けない。挑戦できない。
ここでダルクが挑戦すれば、一瞬で魔王はダルクの命を摘み取るだろう。
彼我の実力差は、憎悪すら打ち砕く。
「こ……の、ヤロウ……」
「まあ、お前ごときでは一生かかろうが無理だがな」
そう言って立ち去ろうとしたが、三度邪魔が入った。
「そう苛めないでくださいよ。彼は彼なりに頑張っているんですから」
「……今度はエルフか」
魔王は嘆息する。
「俺を殴りたい気持ちもわからんでもないが、俺だとて好きでクリスを悲しませているわけではないんだぞ?」
ある意味、魔王にとってこのエルフが一番厄介だ。
手を出したらエルフは死ぬ。それはもう、殴っても蹴っても斬っても死ぬ可能性が高い。
そして、このエルフを殺しでもしたら……最愛の妻が魔王を拒絶する姿が容易に想像できるではないか。あなたが好きだけど憎い、妻なんてやってられない、さようなら、と言う姿が目に見える。
魔王はふと思いついて尋ねる。
「そうだお前。クリスの悩みを解決する方法を知っているか? 金に糸目はつけんぞ」
「残念ながら……」
肩を竦める。
それもそうだ。知っていれば、エルフは進んでクリスに提供するだろう。
「子どもができれば彼女の憂鬱も解決します。せいぜい頑張ってください……としか、言えませんね」
「言われずとも励んでいるが……」
魔王は頭を振る。
いまいち、クリスの悩みに同調できないのは……。
「子ができないというのは、女にとってそんなにつらいことなのか?」
「――クリスは、人族ですからねえ……」
その辺の感情は、マーラも魔王に近い。
子どもができないからといって、どうしてここまで憔悴しなければならないのか。
普通の女ならまだわかるが、クリスがだ。
死体というより肉片というのが相応しい陰惨な死体の前で、平気で美味しそうに焼き肉食える彼女がだ。
魔王の寵愛が薄れたわけでもなく(魔王は子どもなどどうでもいいという人間だ)、まだ、たったの一年なのに。
「人族では、子を産めない女に価値なしという考えなんですよ」
「……前にも思ったが、つくづく人族の女は不憫だな」
「それについては完全に同感です。クリスもそれが嫌で結婚しなかった部分がありますしね」
マーラはそこで話をまとめた。
「つまり、人族の価値観では、子を産めない女=役立たず、なんですよ」
「……じゃあ、人族で子を産めない女はどうなるんだ?」
知らないマーラは首を傾げる。さすがに、夫が妻を殺したあの一例は極端な例だろう。一般的な例として言うのは気がひけた。
答えたのはダルクだった。
「大抵、離縁されるな」
「……。よく女が反乱を起こさんな」
「夫婦仲がいい場合は、養子をとったり、あるいは子無しでいいと決めたり、男が妾を持って子を産ませたりする。複数の妾を持って子どもができなかったらその時初めて男に原因があるんじゃないかとされる」
「ああ……」
魔王は髪をかきあげた。
「俺に子種がない場合もあり得るわけか」
魔王はその人生で子を持ったことがない。少なからぬ人数の女と関係を持ったが、商売女だ。
子種がない、と断定されても頷ける。
「――あの子、人族ですから貞操観念固いですからね。すんごく固いですからね。他の男を閨に忍び込ませたりしないでくださいよ」
暴行されたら性格的に自殺……はしないだろうが、相手の男を殺害するだろう。彼女は人を視覚以外のものでも細かく認識しているので、騙すのは難しい。自分に夜這いを掛けた不埒な男にしたたかな逆撃を加えて放り出す姿が目に見える。実際、以前似たような事はあって、目に見たし。
女性として当たり前の話だが、クリスは自分に性暴力を働く男が大嫌いだ。まして、それを夫が仕組んだと知ったら、今の不安定な精神状態から鑑みるに、ショックのあまり本気で死にかねない。
「わかっている。固くなければ冒険者で生娘ではいられないだろうよ。もっと言えば俺自身が我慢ならん」
誰の手もついていない無垢なところから、魔王が全てを教え込んだのだ。他の男があの体を自由にするところなど、想像するだけで腹が立つ。到底たくらむ気にはなれない。
ふと気づけば、エルフが魔王を見ていた。
「クリスを、愛してますか?」
「愛してもいない女を娶る趣味はない」
「今は月のものと重なって気分が落ち込んでいますが、すぐに復活するでしょう。明るく元気な彼女でないからと、失望しないであげてください」
「……失望などしない」
常に背筋をピンと伸ばしていた少女。
敵が多すぎ、弱みを見せられず、常に「強い」姿でいた。
だが、人間だ。時には泣く事もあるだろう。むしろそこまで受け入れてくれたのかと魔王は内心ひそかに喜んだほどだ。
エルフは、優美な仕草で首を傾ける。
「そうですか? 今はまだいいでしょう。いま、たまたま、いくつかの要素が加わって気分が落ち込んでいるだけでしょうから、二三日すれば元の元気な彼女に戻ります。でも、子どもができないかぎり、これは時の進行とともに酷くなりますよ」
「……何が言いたい」
「あなたは、彼女のどこに惹かれました?」
華奢な体のエルフから、不穏なものを感じて魔王は眉をひそめる。
「気が強いところ? 明るいところ? 正義感の強いところ? いったいどこでしょう? 彼女が病み、あなたが惹かれた彼女の美点が全て消え去っても、あなたは彼女を愛せますか?」
――それは、回答至難な問題だった。
即答できなかった魔王に、非はない。
「あなたに、ぐしゃぐしゃの精神状態の彼女を支える覚悟がありますか? 輝かしく凛々しい勇者であった面影もなく、鬱病のひとりの女に成り下がり、惨めにどん底に落ちた彼女を支えられます? もしあなたが彼女を支え切れなくなり、見限ったら、私たちにくださいね。
私たちは、どんな彼女であっても、大事にしますから」
サンローランに集う種族は、彼女ひとりに親愛をささげる。
人は、変わる。子を産めぬという理由と、それによる鬱から来る性格の変化。
それによって魔王が彼女を「見限る」という選択肢をとっても、彼らの感謝と親愛が揺らぐことはない。
もし彼女が嫌になったら、下げ渡して下さいね、と言っているエルフは、彼女と魔王との結婚を反対しなかったことを後悔しているのだろう。
「……そんな予定はない」
「ええ。今のところは」
悠然と、エルフは微笑む。喧嘩を大安売りしているに等しい笑顔だ。
あなたごときに支えられるとは思えない、あなたが彼女を捨てたら、私たちがちゃんと引き取りますからご心配なく。
そういうことだ。
「貴様……」
「あなたにとっても、いいことでしょう? 捨てるということは、あなたの彼女への愛は疲弊し、愛想が尽きているということ。それを代わりに引き受けるということなんですから」
攻撃されれば一撃で死ぬだろう魔王の本気の怒気を受け流し、マーラは平然と微笑んだ。
見返りを求めぬ、ただ愛するだけで満たされる愛。
サンローランに住む種族が彼女に抱いている愛は、そういうものだ。
そんな愛情をそうそう人に抱けるはずもなく、魔王が喧嘩を買えなかったことは、罪ではない。
いずれ、彼女に愛想が尽きたとしても、それもまた、罪ではない。
人は支え合うものであって、一方的に支え続けることに疲れるのは当たり前。無償の愛など、そんなに転がっていない。
ただ、自分たちが疲れ切った彼女を貰うだけだ。
彼女を支え切れずに断念した魔王に代わって、支えるだけ。それだけだった。
鬱~な展開で済みません。
嫌味全開のマーラ。鬱になった人って人格変わるので、支えるのは覚悟と気力が必要です。自分たちにはあるけどあんたにはないだろう、と慇懃無礼に言ってるのです。
……うん、思いっきり喧嘩売ってますね……。
魔王さま、悪くないんですが……、マーラは価値観がクリス至上なので、「クリスを悩ませている」ってだけで喧嘩腰になるのですよ……。
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