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あかね雲

□ 勇者が魔王に負けまして。 □

5-2 人の情


 力のある人族の体は、魔族にとって、何よりの能力上昇剤となる。その血肉は、闇の深いところでは、高値で取引されるほどだ。

 まして、最高位の冒険者であった彼女の体は――

「文字通りの、血の海だな」
 その場所をながめ、一人の男がそうつぶやく。青黒い肌。魔族だ。
 その部屋は、赤く染まっていた。

 文字通りの血の海。
 男の慨嘆は現状を端的に示していた。

 床で、元通りの色の部分の方が少ない。壁にも鮮やかな飛沫痕がある。それも、複数。
 それらが壁を鮮やかな赤で彩っていた。
 どう見ても一人分の血ではない。
「あの王妃が、奮戦したみたいだな」
 死体はないが、そういうことだろう。

 不意を打たれ、それでも奮戦した。血の量からして十人は返り討ちにし、しかしそこで力尽きた。
 あまりにも血の面積が広く、また入口から全貌が見えるため、男は部屋の入口から室内を眺めている。
 靴を汚さずにこの部屋には入れず、そして急いでこの部屋に入らなければならない理由がないので、その位置にとどまったのだ。

 ただただ膨大な血。小さな肉片も浮いているが、せいぜい小指の先程度。
 それだけなら、王妃の殺害を確信できるものはないが――決定的ともいえるものがあった。

 人体の一部位。そこを失ってはいきてはおらず、かつ人が個体識別をする最大の部位が、その血の海の中にあったのだ。
 今はもう、魔王の手元へといっているが、王妃の死亡を疑う余地もない証拠である。

「……保守派の反動か、あるいは、単なる人食いか、あるいは王妃に恨みをもつ人間か……」
 旧来の政治を変えようとしてた王妃への反動が噴出した可能性は低くない。
 ただ単に、その力溢れた体を食いたいという人食いに出会った可能性も高い。
 そして、王妃に恨みを持った人間――これは一番低いが、その可能性もある。

 なぜ、王妃に恨みを持った人間の可能性が低いかといえば、奴隷商人にとってみればいまや殺す方が害が大きいからだ。
 王妃が魔族の国に移住し、目先の危険がなくなり、しかも王妃になり、しかも魔王の寵愛を受けていて、しかも警戒厳重な魔王城に住んでいる。利に敏い商人が、これだけの悪条件を押しのけて殺害にいたるかという問題がある。

 おまけに王妃は決して、弱くない。
 いや、強い。不意を突くこと自体が至難の業。
 不意を突けても短時間で処理できなくば兵が飛んでくる。

 それに、首尾よく成功しても、魔王の追跡隊がしぶとく追ってくるのだ。彼女は魔王の寵愛を受けていたのだから。
 しかし。
 利害だけなら、害の方が圧倒的に大きいが、私怨は、そんな計算のすべてを吹きとばす。

 損得を抜きにして、彼女に殺された友人、家族のために彼女を殺そうとする人間は、少なくはないのだ。残念ながら。
 彼女に殺された人間がどれほど悪人であろうが、人は家族には別の顔を持つ。そして、どちらも真実なのだ。
 愛してくれた父親が他人に酷いことをしている悪人であっても、殺されれば子は恨む。
 人の情とは、細やかで温かく、そして鋭利で冷たいものである。

 いま、城内は王妃殺害の凶報に、静まり返っている。

 王妃の手飼いの部下たちはもちろん、直接関係のない侍女たちにもそれは及ぶ。
 そして城下町(魔王城のすぐ側にある、魔王城の使用人たちの家族の家が集まっている地域)も、同じ知らせを受け、静まり返っていた。
 そして、もちろん、最も衝撃を受けているのは……。
 魔族の男はため息をつくと、彼の主の元へ戻った。
 そして、戻ったことを後悔した。

 謁見の間。その広い室内は、背筋がひんやりと冷たくなる鬼気に満ちていた。

 室内には、魔王とその側近。
 そして、魔王の視線の先には、彼が唯一愛した女の首が置かれていた。


     ◆ ◆ ◆


 魔王は、無言のまま、それを眺めていた。
 膝上に置かれたそれから血が染みだし、その下の白布を浸食して広がり、べっとりと衣に赤黒い色が染みているが、気づいた様子もなかった。
 その身体から噴き出る殺気に、気の弱いものは卒倒し、逃げだし、室内には二人しかいない。
 フィアルはできるかぎり己の気配を殺し、側に控えていた。息遣いですら低くおさえこみ、できるだけ己の存在感を消していた。

 今の魔王は、わずかなきっかけひとつで激発しかねない。
 爆発寸前の火球のようなものだ。そこに理由などなく、ただ居ただけで、殺されかねない。

 その原因である、白い布の上に置かれたものを、フィアルは視線だけを動かして一瞬見た。

 ……長い黒髪。小麦色の肌。瞳は閉じられている。表情が安らかなのが、唯一の救いだろうか。
 フィアルにも憶えのある顔立ち。
 持ってきた召使いはとうの昔に逃げ出している。
 首の断面は極めて滑らかで、殺害者の並々ならぬ力量を感じさせる。
 もっとも、あの王妃を殺害したのだ。
 強くて当然だ。

 しかしこれだけは言える。
 首を切断し、置き去りにして肉体を持ち去った以上、それが売られる可能性は高い。
 魔王は彼女の死の知らせを聞き、「それ」を見てから一言も発していないが、フィアルは魔王の指示を待たず、独断で調査の手を伸ばしていた。
 切断された上、闇市で売られるようなら一欠片たりとも逃さず買い戻す。魔王は金に糸目をつけるまい。
 ……そして、売りに出さず、殺害者自身が食うつもりなら……、必ず、いつか見つけ出す、と。



 ――そんな側近の考えも知らぬ気に、フィアルの主は黙ってそれを見つめている。





魔王の膝に乗ってるものは、偽物ではありません。本物です。
他人でもないです。本人です。主人公の本物です。


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Date:2015/12/12
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