血の海の中で、ただ、見せしめのように、身の程もわきまえず王妃として君臨したことへの罰のように、首だけが置き去りにされていた。
「……あ……」
長い黒髪が、血の海の中に浮かんでいる。
小さな顔が、己の顔より見慣れた顔が、顔だけになって、赤の中に、浮かんでいた。
「あ、あああっ」
マーラは、それを一目見た瞬間に、誰なのか判った。判った瞬間、腰が抜けた。
判っていても、否定する為に、膝でにじり寄った。
衣は、瞬く間に血で赤く染まった。
そして、彼の推測は、破られることなく終わった。
「あああああああああっ!」
その声を、彼は、他人事のように聞いていた。狂気へのとば口が、眼前に開いていた。
彼の長い一生で、初めて愛し、二度とこれほどまでに愛せないだろうと思った女が、首だけとなっていた。
「ちがう……ちがうっ! こんな、こんな、こんなっ! こんなことのためにっ! こんな未来のためにっ! 私は、私は、魔王との仲を取り持ったんじゃない!」
少女は、マーラに語った。
――魔王の事が好きって言うだけで、結婚を決めたんじゃないの。わたし、足掻きたいの。
人族が滅びる。それが、因果応報の果ての結末だとしても、弱肉強食の因果だとしても。
――私は、足掻けるだけ足掻いて、滅び去りたいの。
彼女は、そう言って、笑った。
――王妃になれば、権力が手に入るわ。魔族の国の中での、権力。そして、たくさん子どもを産みたいの。
半魔族として、魔族の中に、人族の血を混ぜることができれば、そういう形で、人族は存続できる。
――だから、私は魔王の妻になって、たくさん子どもを作る。いちばん上が率先して先例を作れば、人はそれに倣うものよ。少なくとも、禁忌の念は薄れるわ。
なかなか身籠らず、不安にかられていた。
――どうしよう、マーラ。私、いろいろと普通じゃない生活していたから、不妊になっちゃったのかもしれない……。このまま、子どもができなかったらどうしよう。エデンにも、子どもを抱かせてあげたいのに。
やっと、懐妊できたときにはほっとしていたものだ。
――たくさん、たくさん、愛情を注いであげる。だから、無事に生まれてきて。
流産しないよう、生活に細心の注意を払っていた。
無事に母親になれた後は、とろけるような笑顔で赤ん坊を見ていた。
――年子で二人目欲しいなあ。
そんなことを言っていた、彼女はもういない。
「……ダルク」
呼びかけると、隣で同じように茫然としていた半魔族の青年が、ぎくしゃくとマーラの方を向いた。
「ユーリッドを……彼女の、娘を、お願いします」
言って懐から護身用の短剣を取り出し、一息に首を掻き切ろうとして――、強い力で腕を掴まれた。
「つっ……!」
「なにをする!」
エルフの彼には、その力は強すぎた。
「……骨が折れる……弱めてください」
はっとしたように、ダルクは手の力を抜いた。しかし手は離さない。へたりこんでいるマーラを、強引に立たせる。
「あんたも来るんだ!」
「わたしは……駄目です。行けません。置いていってください……」
「駄目だ! あんたも来ないと、ユーリッドは守れない! あいつの娘を殺したいのか!」
答えを待たず、ダルクは走りだした。引きずられるように、もはや動く気力もないマーラがついていく。途中でしびれをきらしたダルクがマーラを肩に担ぎあげた。魔術師だが純魔族に近い彼の力は強く、容易に人一人を持ち運べる。
「あいつが殺されたのなら、次はあの子だぞ!」
「……そんな……、ユーリッド姫は、魔王の娘です。魔力だってある。殺す必要など、ないではないですか……」
魔力がないのなら、魔王の面汚しと動く可能性もあるが、魔王の娘に相応しい魔力がある。魔王の地位は血筋で継承されるものではないので、半魔族だからといって殺される筋合いはないはずだ。
ダルクはぎりっと歯ぎしりする。
「普通ならそうだろうな。でも、あいつの娘、だぞ?」
あの女の娘というだけで、恨まれる理由には事欠かない――。
やっと、理解して……。
マーラは、目を閉じた。
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