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あかね雲

□ 勇者が魔王に負けまして。 □

5-5 越えてはならぬ一線


 その部屋は相変わらず、赤ん坊の泣き声が鳴り響いていた。
「おぎゃああああああん!」

「……乳母を探しにいきますか」
「にしても、泣き止まないと……」
 さすがに、泣き続けている赤ん坊をつれて移動することは避けたい。置き去りは論外だ。
「ボク、厨房からミルクを貰ってこようか?」

 赤ん坊の声というのは、神経に障る。
 神経を苛む金切り声の泣き声から逃げ出したい気持ちが透けているが、コリュウの提案はありがたい。
「いえ、コリュウ。乳母に、魔力糸をつけておきました。今、あなたにも見えるようにしますから、辿ってください」
「うん、わかった」
 乳母の用意も身元調査も、魔王側がした。つまり、彼らにとっては得体の知れない人間だ。
 そんな女性が大事な赤子の世話を受け持つのだ。魔力糸ぐらいは当然つけていた。

「この糸が彼女の軌跡です。見つけてください。……そして、戦闘になったらすぐに戻るように」
「――うん」
 誰もが、口には出さないが、判っていた。
 コリュウが矢のように扉をくぐって出ていく。飛竜の飛翔は、どんな生き物より早い。

「うわああああん!」
 流れるようなエメラルドグリーンの体が出て行ったあと、ダルクはマーラをうかがう。
 ――ものすごく、うんざりした顔だった。
 たぶん、ダルクも似たりよったりの顔だろう。
 赤ん坊はさっきから泣き続けていて、少しだけ止まってもすぐにまた泣き叫ぶ。よくまあ体力が続くと思うほどだ。

「おぎゃああああん!」

「クリスと一緒のときは、ただ可愛いだけだったんだがな……」
 母親の腕の中で落ち着いていて、こんな全身で泣き叫びつづけるようなことはなく、にこにこと笑顔の赤ん坊は「ただ可愛い生き物」でしかなかった。
 だが、もうすでに一時間近くもこの声でずっと泣かれている。

 うるさい。
 やかましい。
 神経に触る。

「あー、頼む、泣き止んでくれ。ほらほら高い高い」
 ダルクが一生懸命高く持ち上げたり抱っこしているのだが、一向に泣き止まない。

 コリュウが戻ってきたのはそんなときで、思わず二人は期待に満ちた目で入口を見た。
 しかし、二人の視線を浴びて、コリュウはかぶりを振る。
「――駄目だった」
「殺されてましたか?」
 端的にマーラがたずねる。
 こくり。
 飛竜は頷いた。
「城の隅の控室」

「……わかりました。そういうこと、でしょうね」
 クリスが殺され、その子どもの乳母もまた、殺された。
 それはつまり、そういうこと・・・・・、だ。
「……よく、この子だけでも助かりましたね」
「さすがに赤ん坊を殺すのははばかったんじゃないか?」

 赤ん坊を殺すのは抵抗がある人間が多い。
 しかも、メリットがない。
 半魔族なのだから王位を継げる可能性もほとんどないし、食べたところで半魔族なのだから能力も上昇しない。
 残るは彼女への腹いせぐらいだが……その彼女が殺されたのだ、死者は嘆きも悲しみもしない。
 死んでしまった彼女への腹いせに赤ん坊を殺す……微妙である。

 そういう場合はクリスを生かしておいて子どもを殺し、嘆き悲しませないと意味がない。クリスが死んだあとで赤ん坊を殺しても、その時には当の本人は感知もできない場所に旅立っているのだから。
 だから、赤ん坊がここに置き去りにされた事には不思議はない。用済みのものを元の場所に放りだしただけのことだ。

「コリュウ、お前がこの部屋に来たのはいつだ?」
「……二人が駆けこんでくるちょっと前。その一時間ぐらい前に来たときは、乳母も赤ちゃんもいなかったの」

 口には出さないが、三人とも意見は一致している。
 赤ん坊の乳母が殺され、クリスもまた殺された。
 その情報から見えてくる図式の、最も単純な形だ。

「うああああああーーーん!」
「……コリュウ、すみませんが、ミルクを厨房から……」
 赤ん坊がぎゃん泣きする部屋に、ひとりの人間が入ってきた。

 虚を突かれて反応できず、次の一瞬で三人とも振り返った。

 いくら赤ん坊に注意がいっていたとしても、この三人の隙を同時に突ける相手。そんな人間がそうそういるはずもない。
「――魔王」

 コリュウがつぶやく。
 魔王は、その手の中に、かつて彼の妻だったものを抱いていた。
 そして、ぐるりと室内を見回す。竜族、エルフ、半魔族。もちろんギャン泣きしている赤ん坊にも目を止めた。
「……うるさいな」

 ぴりっ。

 肌が粟立つような空気に、すぐさま、ダルクが動いた。
 赤子のまわりに遮音の結界を張る。部屋に静寂が戻り、ダルク以外の皆がほっと息をついた。今までそうしなかったのは、赤ん坊がうるさいからと別所に放置する行動と、本質的に差がないからだ。
 ――だが、それ以上に今の魔王を刺激するのはまずい。ぴりぴりなんてものではない。一つ間違えば殺されても不思議でない。
 でかでかと危険物注意の看板が出ている状態だ。

 室内にいるべき人間がいないことに、魔王も気づいた。
「乳母はどこへいった?」
「……乳母は……」
 マーラは一瞬つまった。
「――別室で、殺されていました」

 語るエルフの隣で、ひそかにダルクは準備する。
「この子は、放置されていて、お腹がすいているようで、今ミルクを用意してるところです」
 マーラの視線も、コリュウの視線も、魔王が腕に抱いているそれに釘付けになっている。
 血染めの黒髪が腕からこぼれて垂れ下がり、幕のようだった。

 そして、魔王も気づいた。
「そうか……」
 ゆっくりとした声音は、優雅ですらあった。

 ――準備していたおかげですんでのところで間に合った。
 結界を維持するダルクは決死の表情で叫ぶ。
「マーラっ! コリュウ! 力貸せっ!」

 無造作に振るわれた一撃がダルクの張った結界を半分以上破壊した。
 耐えきれずに崩壊する刹那、助力がすべりこむ。
 エルフの張った結界が守るように赤ん坊を覆う。
 八つ当たりのような攻撃だからこそ間に合った。そうでなければ木端微塵になって赤子は殺されている。

「魔王! この子のせいじゃない! 正気に戻れ!」
「そいつを人質にされたんだろう。そうでなければ、この娘が……クリスが、殺されるはずがない」
「だとしても! この子のせいじゃないだろう! それにこの子はお前の娘だ!」
「知らんな」
「――え……」

 魔王は淡々と告げた。
「クリスが欲しがっていたから、クリスの立場のために作っただけだ。子が欲しいなどと思ったことは、一度もない」
「ぐ……」

 元来、男という生き物は胎内で子を育む女性とは違って子どもに愛情を感じにくいとされている。
 クリスが生きていれば、魔王も子どもに愛情を注げるようになっただろう。そういう点で、彼女は夫の教育に手を抜く女ではなかった。
 魔王の欠陥に気づいていただけに、クリスは手間を惜しまず、父親教育を行ったはずだ。いや、すでにしていた。

 時間を作っては赤ん坊を抱いて魔王のところへ行き、頻繁に触れ合わせていた。後もう少し、時間があれば。魔王はその赤ん坊を、「自分の娘」として、愛せたかもしれない。
 だが、まだそこまでの愛着はない。単なる「可愛いイキモノ」程度でしかなく、それなのに、愛情を一身に注いでいた妻が「そんなもの」のせいで殺されたとあっては、多少の愛着など消し飛ぶ。後に残るのは、忌わしさだ。

 うるさく泣きわめく鬱陶しい生き物で、妻の仇。
 それが、魔王の認識だった。

「そいつのせいで、クリスは殺されたんだろう」
 ダルクの体がびくりと跳ねた。
 それは――それだけは、親として絶対に言ってはならない言葉だった。
「――馬鹿がっ! 正気に戻れ! クリスが命を引き換えにしても守った子どもをお前が殺す気か! あいつの死をお前が無駄にするつもりか!」

 魔王はダルクを見て――そして、手を引いた。
 必死に結界を維持していたマーラは冷や汗をぬぐう。
「目ざわりだ。どこかへ連れて行け」

 ダルクは鼻白む。
 目ざわり――。実の父親が、子どもに言っていい台詞ではない。
 それは、言ってはならない言葉だ。
 かつて、ダルクを捨てた父親も、きっと同じように言って、ダルクと母を捨てたに違いない。
 ダルクの母は何も語らなかったが、ダルクは薄々察しがついていた。
 自分の父は魔族の貴族だったのだろうと。そうでなければ、母がしばらく暮らしていけるだけの手切れ金を持っていたことや、ダルクの能力が半魔族にしてはかなり高いことの説明がつかない。

 貴族の屋敷で勤めていた侍女がお手付きになり、そして追い出された。――それがダルクの考えるストーリーで、そして、事実は大差なかった。

 ダルクは腕の中の赤ん坊を抱きしめた。
「貴様……」
 いいだけ罵ってやろうとして、止める。
 いくら罵ったところで、今の魔王に、言葉が届くはずがない。
 ――クリスがいれば。
 きっと、魔王を殴って、叱って、説教してくれるだろうに。クリスの言葉なら、魔王も聞いただろうに。
 魔王が腕の中に抱え込んでいる彼の妻の髪が揺れている。それが、彼女の涙に思えて、無性に悲しかった。

 ダルクは唇を吊り上げて笑う。
「……目ざわりなんだろう。言葉通り、俺が連れていく。この子は俺がもらう。俺が育てる。返せとは二度と言うなよ。言ったところで返さんがな。お前は、自分の娘で彼女の忘れ形見を、自分で捨てたんだ。一生二度と会えると思うな!」

 その時になって魔王の表情が動いたが、知ったことではない。
 泣くしかない無力な赤ん坊を殺そうとした父親など、親の資格はない。ダルクが危険を感じて準備していなければ、殺されていたのだ。
 ダルクがいなければ、無くなっていた命なのだ。
 なら、自分がもらったところで、誰が責められるというのか。

「お前はこの子を殺そうとしたんだ。俺が貰う!」

 ダルクが言い捨てて部屋を出ると、何故かマーラとコリュウもついてきた。魔王は、ついてこなかった。
「……馬鹿が……っ!」
 ダルクは舌打ちする。
 ああは言ったが、追いかけてきて、さっきは悪かった返してくれと嘆願するのなら返しても良かった。何と言っても、クリスの望みは、実の父親の元で育てられることだったと思うから。
「くそ……っ」

 遮音結界を解けば、相変わらず赤子は泣き続けている。ダルクはそれを不器用な手つきであやした。
「ああ……お腹空いたか、ごめんな」
 きっと、自分は情けない顔になっているだろう。
 ダルクには子育ての経験などない。マーラもコリュウもその点ではダルク以下だ。城下にいる、母親を頼るのが一番順当だった。


     ◆ ◆ ◆


 魔王は、先ほどまで赤子がいた場所で立ち尽くしていた。
 うるさく泣きわめく赤子がいなくなれば、その場の喪失感は並大抵ではない。赤子一人で、大人十人分は騒がしいのだから。

 全身から険呑な空気が立ち上っているのは相変わらずで、側近たちも声をかけられない。少しでも逆鱗に触れれば、即死の攻撃が来る気がする。

「……クリス……」
 乳母が殺されていたことから、殺害時の状況は察しが付く。
 子どもを人質にされたのだろう。そして、殺されたのだろう。首だけが残ったのは、どういう次第かはわからない。見せしめとしたら、効果的だ。
 なんにせよ、彼女は子どもを守った。
 その子を、彼は殺そうとしたのだ。

「――いまごろ、お前は、呆れているかな? それとも、ほっとしているか?」
 仲間が赤ん坊を庇い、守ったことに安堵し――そして、呆れているだろう。夫が自分の子どもを殺そうとしたことを。

 不義の子でもなく、他の誰でもない、自分自身と最愛の妻の子だ。身代りと思って愛するのが普通だろう。
 けれどそれは、彼には出来そうもなかった。彼には妻がいればよく、妻を失う理由となった赤子を厭わしく思わずにいることが、できなかったのだ。
 ――そして、後悔しても、もう遅い。

 魔王は、腕の中のクリスの髪を、ゆっくりと撫でた。
 滑らかな切断面。防腐の魔法を魔王自らかけた、小さな白い首が穏やかな顔でいるのは、最後の慰めというべきか。

 さきほどフィアルが、恐る恐る進言した。その首だけでも、炎によって送別すべきではないか、と。
 炎神を崇める魔族には、遺体を炎にくべて捧げる風習がある。人族とは違って燃料にも不足せず(魔法)、人から人へ伝播する伝染病の対策という側面もあるその風習は広く広がっている。
 死者を心安らかに眠らせるべきだとかき口説かれ、一度は魔王も、葬送しようとした。
 できなかった。
 魔王自身が作りだしたこれ以上は望めぬ炎の中で、髪一筋たりとも損なうことなく、彼の妻はその姿を残していた。

 ――その意味は、考えるまでもなかった。

 炎神に祝福された彼の妻は、死したのちも火焔に抱かれて灰になることはない。彼の作り出した最高の火焔でさえ、炎神の祝福の前では無意味だ。

 ならばと、魔王は防腐の魔法をかけた。
 すべてが終わったのちに、海に還そう。そして、それまでにやるべきことは決まっている。

 彼にできるのはただひとつ。
 ――妻を殺した人間を見つけ出し、八つ裂きにする事だけだった。




魔王さまが血迷っています。いくら尋常でない精神状態でも、許せることと許せない事がありますよね……。後々までこれは響きます。


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Date:2015/12/13
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