――その箱を開けたとき、ダルクはしばらく無言だった。
「……あの、ばか」
ぽつりと言った言葉には、あらゆる感情がこもっていた。
家に戻ったダルクはコリュウに報告した。
「コリュウ。クリスの箱、開けてきた」
「どうだった?」
「……どうもこうも。装備以外は全部換金されてて最高額通貨の山」
コリュウは沈黙する。
彼らは一旦魔王城から抜けて城下町のダルクの母の家に移動した。
赤ん坊をあやすこともできない男たちが赤ん坊の世話をするなど、無謀の極みである。そこでダルクの母に赤ん坊を託し、ダルクは単身、魔王城に戻った。
――私が死んだら、この箱の中のものを開けて、みんなに分けてね。
クリスがそう言っていた箱があったのだ。
開けられるのは、魔王と、マーラと、コリュウと、ダルクのみ。
予想はしていたが、とんでもない宝の山だった。
ダルクはそれらをクリスが呼び集めた官僚の面々に分配すると、今後の進退は自分たちで決めろと、彼女に事前に託されたとおりに処分してきた。
クリスが魔王に前もって頼んでおいたそうだし、部署で戦力になっているようだから、望めばそれまで通りに勤めることは可能だろう。
しかし……ダルクはショックだった。
「土地から何から全部換金されていた。……装備以外、本当に全部だ。残しておいたほうがいいんじゃないかっていうのまで、ぜんぶ」
それだけの覚悟をもって、人族の彼女は魔王に嫁いできたのだ。
おとぎ話的な、「お姫様は王子様と結婚しました、めでたしめでたし」とは対極の思考だったとわかる。
――逆に言えば、それだけの危険を感じていたのだ。
「めでたしめでたし」のあと。お伽話のお姫様はお城のなかで幸せになれたのだろうか。
命を狙われたり、邪魔者扱いされたり、不妊扱いされたりしなかったのだろうか。
「めでたしめでたし」で終われば、世の中どれほど楽だろう――……。
「……どうして、俺たちは、あいつを守ってやれなかったんだろう……」
「ダルク……」
ダルクは軽く頭を振ると、たずねた。
「マーラはどうしている?」
本来、ダルクではなくマーラがやるべきだった仕事だ。でも、今のマーラは到底できそうもなかったから、ダルクが代わりに行ってきたのだ。
コリュウは、黙ってかぶりを振る。
「……お母さんて、すごいね」
「え?」
「赤ちゃん、ずっと、ずうっと、泣き続けてて。ボクもう神経限界だったの。黙らせたくてしょうがなかった。でも、ダルクのお母さんがミルク買ってきて、いろんなもの買ってきて、世話したら赤ちゃんが泣き止んで……」
「――ああ……」
こんなときは、十人の役立たずの男より、ひとりの子育て経験のある女のほうがよっぽど役に立つ。
「マーラね、ずっと泣き続ける赤ん坊と一緒の部屋で、ぴりぴりしてて、苛立っていたのが、泣き声が聞こえなくなったら落ち着いて……」
「落ち着いて?」
いやな予感がした。
なんせ、あのエルフはクリスの死を知るなり、躊躇いなく一気に首を裂こうとしたのだ。
それをダルクが力ずくで止め、赤ん坊のところに移動し、そうするととても無視できないギャン泣きの赤ん坊の姿に、おちおち落ち込んでもいられず、神経がかきむしられるような声にイライラしていて?
その赤ん坊がやっと熟練者(ダルクの母)の手によって何とかなって?
――ダルクとコリュウが部屋に駆けこんだとき、ちょうどマーラが腕に短剣を突き立てるところだった。
「ばか! 何やってる!」
大慌てで飛びつくと振り払われた。もっとも、エルフの貧弱な力ではダルクを弾き飛ばすことなどできるはずもない。逆にねじり上げられ、短剣を取り上げられた。
「……誤解しないでください。私は……ただ単に、血で魔法陣をつくろうとしているだけです」
「魔法陣を?」
エルフの血には、いや、魔力持つ者の血には、魔力が宿る。
「魔法陣? ……なにを、やろうというんだ?」
ダルクはまともに系統立って魔法を習っていない。パーティに入ってからはマーラが師だが、実用的な魔法の習得ばかりで、理論系はさっぱりだ。
いかに効率よく攻撃魔法をぶっ放すか、どうやって補助魔法を成功させるか、そんなことばかりやっていたので、魔法陣理論はほとんど修めてない。
魔法陣を描いて発動させる魔法もあるらしい――これがダルクが知る魔法陣についてのすべてだ。
「――魔法陣で、何をするつもりだったんだ?」
腕を掴まれたまま、抵抗する気力もないようすで、マーラは吐くように首を折った。
たおやかな貴婦人にも通じる容貌のエルフは、その容姿の印象を裏切らず、繊弱だ。
その白い指が、流れる血潮を絵の具に、魔法陣を描いていく。
「……彼女の、体を……探そうと」
ぐっと、ダルクは唇を引き結んだ。
「各地の情報屋に連絡を取って……、もし、競売に出たのなら、高値がつくに違いないから、それを……買い戻そうと思いました」
「……連絡をとるための、魔法陣か? これは」
こくりと、マーラは頷く。
この時代、遠距離の情報伝達にかかるコストは極めて高い。「遠距離通信」の価値自体が恐ろしく高いのだ。
自分の足で出掛けて話をするしかない場合も多々あるぐらい、民間で情報伝達路が出来ていない。
エルフ族の血液で描いた魔法陣は、通信に必要な魔法を成立させるのだろう。――マーラの手元に鏡がない。その代わりだろう。城に戻ればあるが、それをできない状態だ。
エルフの血という多大なコストを支払って、魔法は成立した。
――強い人族の血肉は、魔族の能力を上昇させる。
その点、クリスはうってつけだ。ダルクとは違い、生粋の人族。首から下の肉体が闇の競売に出されたら、相当な値がつくだろう。
「何を馬鹿な。……いや、そうだな……」
とっさに否定したダルクも、少し考えて撤回する。
「あいつの体が取引されるのなら……金に糸目はつけない。魔王にも脅しをかけて金を出させよう」
「いえ。……サンローランの自治組織から、金を出させます。いくらかけても構わないと、言質はもうとりました……」
おずおずと、コリュウは口をはさんだ。
「でも、さ……。そもそも、出ないんじゃないかな?」
魔族が彼女を周到に罠にかけ、狩ったのなら、今頃は胃袋の中だろう。……深刻に考えると吐きそうなのでそこで思考を止めているが。
「……その可能性は、高いです。でも、出るかもしれない」
確かに、敵の正体はまだ何もわからないのだ。
ダルクやマーラ、コリュウが彼女から目を離したのは、ほんの少し。
昼が終わった後の、ほんの僅かな時間だった。
常に、一秒たりとも空きがなく誰かに見張られているなど、人間が耐えられることではない。
入浴、就寝、トイレ、食事、休憩。
人は必ずどこかで気を休める時間が必要だった。
それを、狙われた。
目を離したのは、彼女への信頼もあったからだ。
たとえ襲われても、クリスならば即座に殺されることはない。最低でも数分はもちこたえる。そして、戦闘の気配がそれだけあれば、すぐに駆けつけられる距離にいた。
しかしそれも――今から思えば、油断だったのだろう。
目を離した時間は、三十分ほど。
昼の食事が終わり、クリスが赤ん坊の様子を見に行って、そして授乳をするというのでさすがに男たちは部屋を出て……、そのままクリスは赤ちゃんを構って一時間ほど時間を潰して部屋を出てくる事が多かったので、それを待って待機していた。
しかし、いつまで経っても出てこない。
この時点で待機していたダルクとマーラは、部屋に入った。
そして姿が消えている事に気づいて、城内を探し回り……、あの血で彩られた部屋と、そこに置き物のように置かれていた小さな首を、見たのだ。
三人の護衛のうち、ダルクとマーラは、マーラがあまりに魔法特化すぎて接近戦が弱いので一緒に行動することが多いが、万能型のコリュウはひとりで行動する事が多い。
聞けば、コリュウは、ダルクに教えられるまで、何も知らずに交代時間まで城内をさまよっていたのだという。
竜族の鱗はほとんど万能に攻撃をふせぐし(例外は魔剣だ)、見た目にもコリュウは小さく、可愛く、そのしなやかな流線型の肢体は優美でさえある。
おまけに強い。
強さを尊ぶ魔族に気に入られないはずがない。
城内の魔族たちもコリュウに一目置くと同時に可愛がっていた。
護衛の交代時間までそうして自由に過ごし、赤ん坊と遊ぼうとあの部屋に行って……そして、そこに、ダルクが駆けこんできたのだ。
……今から、ほんの、数時間前の話だ。
利益目的で、人族が彼女を狩ったのなら、競売に出ることもあるだろう。人族が人族を食べてもメリットはない。……いやそういう趣味の人間もいるだろうが……。
「網を広げておいて、損はないでしょう?」
「うん……」
悄然と、コリュウは頷いて……そして、誰もが避けていた一言をつぶやいた。
「……誰が、やったのかな」
重苦しい空気が、その場に立ちこめた。
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