いったい、だれが、精兵であった彼女を殺したのだろう?
マーラは答えた。
「わかりません」
「……そうだよね。わからないよね」
誰かへの愛情が、即座に殺意に繋がるわけではない。
マーラはクリスを愛していたが、だから復讐したいのかといえば、そんなことはなかった。
ただ、虚しい――……。
視界にうつるものすべてが灰色に変じ、これから先の人生で出会う何もかもが塵芥に等しくなったことだけが、判っていた。
クリスを殺した相手を、殺したいのだろうか?
マーラ自身にも、よくわからないのだ。
クリスがいなくなって、混乱しているせいだろうか。だから、復讐したいという思いがないのだろうか。
そうも考えた。
それはなかなかにあり得る事に思えた。
クリス・エンブレードが死んだのだ。平静であるほうがおかしいだろう。
マーラはどくどくと血を流し続ける腕をみて、治癒の魔法をかけると、それからダルクに視線を戻す。
「寝ます」
「――は?」
「いま、私は、冷静ではない。しばしの休息が必要と判断しました。寝ます」
「あ……ああ。そうだな。落ち着くためにも、眠ったほうがいい」
ダルクは客室に案内する。幸いなことに、住民である母の分以外にも、客用に二人分のベッドが備え付けてある家を買ったのだ。
ダルクはマーラを案内して戻ってくると、コリュウにも声をかけた。
「コリュウ。マーラと一緒に寝てやってくれ。……あいつは、綺麗だからな」
「……うん。わかった」
コリュウが滑るように部屋を出ていく。やることはクリスと同じ。――護衛だ。
この魔族の国でも、エルフが希少な生き物であることは変わらない。
そしてエルフという生き物は、みな、一様に、美しいのだ。
色欲の対象になっても、少しもおかしくないほどに。
クリスがいたときは、彼女が矢面に立って注意を引きつけていた。
美貌のエルフであっても影へとかすむ、大勢の一人にする。それが勇者の存在感だ。――でも、もうその彼女はいない。
美は、それだけで価値を持つ。
サンローランでも、エルフの気品ある美しさに魅了される人間をどれだけ見たことか。
不埒な真似をする人間も出てくるだろう。
サンローランではエルフの監視網が行き届いていたが、ここはそうではない。
魔王の庇護も、王妃の庇護も、もうない。
――出来るだけ早く、マーラをサンローランに帰した方がいいだろう。
エルフという生き物は、不意をつけば呆気ないほどたやすく陥落する生き物なのだから。
そして、ダルクたちも一緒に行こう。クリスは死んだし、もうここにとどまる理由が、ない。
マーラは着の身着のままで出てきてしまったから、一度は荷物を取りに戻らなければならないが、それが終わり次第すぐに。
いつも魔王城を徘徊しているパルが姿を見せないが、ダルクは心配していなかった。たぶん……そのうち郵便で知らせが来るだろう。
ダルクは頭を振ると、赤ん坊の様子を見に行った。
「ごめん、母さん。いきなり押しかけて、迷惑かけて……」
母が至急用意した小さなベッドの中で、赤ん坊はすやすやと眠っていた。母が振り返る。厳しい表情だった。
「――ダルク。この子はなに? そろそろ事情を聞かせてもらえるんでしょうね」
「……ああ。いきなり世話を押しつけて、してもらって、助かった、母さん」
泣きわめく赤ん坊を前に、全ての事情説明を後回しにして、赤ん坊用品の手配と世話をしてくれたのは、母である。男はこういうとき、糞の役にも立たないと相場が決まっていて、そしてダルクもマーラもコリュウも、相場通りの役立たずだった。
ダルクは包み隠さず事情を説明した。
赤ん坊の素性を聞いた母は仰天した。
「……ちょ……、じゃあ、この子は、勇者さまと魔王の子ども!?」
「ああ」
「お姫様でしょう! 誘拐じゃないの! お城に戻してらっしゃい!」
これが、普通の人族の感覚である。
勇者と魔王の子ども。世界でも最強の一対が作り上げた、生粋の貴種。
「いや、魔族には姫とか王子とかいう感覚がなくて……」
なにせ、魔王に勝ったら次の魔王という種族である。
王族は血統で決まらない。
「魔王が……ちょっと今、王妃が殺されたことで普通の精神状態じゃない。とち狂ってその子を殺しかけたんだ。俺が防御しなかったら、確実に死んでた」
母が息を飲んだ。
「だから、しばらくの間預かることにしたんだ」
「……そう」
複雑な顔で、母は赤子を見下ろした。
「魔王さまは……落ち着いたらこの子を迎えに来るかしら?」
「――たぶん、来る……とは思う、けど……」
ダルクは言葉を濁した。
あの魔王は肉親への情愛が薄い。それをせっせとクリスが教育していたところを、殺されてしまった。
「魔王が愛していたのはクリスであって、子どもではないから……」
目の前からいなくなったことを好機とみて、これ幸いと放置するなんてことも……ないとはいえない。
男は女とは違う。
女が胎内で十月かけて育む親の自覚を、男は目の前に赤ん坊を差し出されてから育むのだ。
母は衝撃を受けたようだった。
「……そう。勇者さま……王妃様は、お幸せだったのね」
「え?」
「夫からそこまで愛されるなんて……女として、とても幸せなことよ」
――魔族の夫に捨てられた妾である母の言葉に、ダルクは何も言えなかった。
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