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あかね雲

□ 勇者が魔王に負けまして。 □

5-9 コリュウの選択


 ――私が死んだら、この子をよろしくね。
 コリュウはまどろみのなかで、母の声を思い出していた。

 ……ユーリッド、あの子は、父親に捨てられた。
 確かに、あの子のせいでクリスが殺されたのかもしれないけど、そんなのあの子のせいじゃないのに。
 人質にした奴らが悪いに決まっているのに、魔王は殺意をあの子に向けた。
 ――自分の、子どもなのに。

 クリスが不義などしていないことは、誰より四六時中ひっついていたコリュウが知っている。あの子は間違いなく魔王の子なのだ。
 なのに、魔王はあの子を殺そうとした。ダルクだけがそれに気づいた。防御してくれた。ダルクがいなければあの子は……妹は死んでいただろう。そう思えば最大級の感謝を贈りたい気分だった。
 ダルクは受け取らないだろうけど。
 命を預け合うパーティでは、命の貸し借りは当たり前。過剰な謝意は逆に迷惑になる。ダルクは妹の恩人だけど、だからと言って気に病むほど恩に着る必要はない。

 ――そうだ、あの子は妹なんだ。

 改めて、コリュウは自分に刻んだ。
 血なんて寸分も繋がっていないけど、クリスは間違いなく自分の母だった。だったら、あの子も間違いなく自分の妹だ。

 ――魔王のばか。自分の子どもなのに、殺そうとするなんて。

 ダルクが激高し、啖呵を切って連れ帰った、その点においてコリュウは完全にダルクに賛成だった。
 竜族はひとりしか子が生まれないので、子に対する想いが本能的に強い。子捨てや、子を売ることを日常的にする人族とは比べ物にならないほどに。
 子どもを、それも自分の子を殺そうとした、なんて、竜族にしてみればあり得ない。言語道断の所業だった。

 ――守んなきゃ。ボクの妹。

 ずっと昔、クリスが同じように赤ん坊のコリュウを守ってくれたように。
 今度は、コリュウが赤ん坊の妹を守る番だった。

 コリュウが浅い夢の中で決意を確認していると、同じベッドで眠るマーラがゆらりと起き上がった。
「マーラ?」
 コリュウの中ではダルクの株が急上昇しているが、それでも信頼度ではマーラが勝っている。
 最初にパーティを組んで、何度となくクリスの命を助けてくれた相手。同じぐらいにコリュウも彼を助けたけれど。

 マーラは、屍体を思わせる目でコリュウを見た。
「……ああ、コリュウ……」
「ど……どうしたの?」
「……寝れば、落ち着くかと思ったんですが……、落ち着きません……」
「じゃあ、ご飯食べなよ」
 こういう目をした人には、何度もあった。

 クリスは、人がよくて人がよくて馬鹿だから、奴隷市場にいつも殴りこみをかけていた。
 そのせいで何度も何度も何度も何度も死にかけて、馬鹿馬鹿しいほど暗殺者を送り込まれても、それをやめなかった。
 マーラは婉曲に言った。
 奴隷だったマーラが、言ったのだ。もう少し、控えた方がいいと。
 奴隷だった人を助けるのはいいことだけど、でも、それは危険と隣り合わせ――ではなく危険そのものだから、自分の身のことを考えてほしいと。
 でも、クリスは止めなかった。

 奴隷だった人は、みんなこんな顔をしている。
 大切だった人を、家族を、失っている事が多いから。

 そういう人たちにクリスは食事を与え、寝台を与え、そして、仕事を与えた。
 ――食べるものを食べて、寝て、体を動かしていれば、心の傷は塞がっていくものよ。人は、そういう風に心ができているの。

 サンローランまで移動する行軍でくたくたにして。
 たっぷりの食事を用意して。
 鞭も縄もなく眠れる夜を用意して。

 クリスの言ったことは本当だった。
 夜は泥のように眠るほど体をいじめて。ご飯をたくさん食べていれば、奴隷だった人の目には光が戻った。

 クリスが言った言葉を覚えている。
 ――どんなに大切な人を亡くしても、それでも人は生きていかなくてはならないの。苦しくても、人は忘れて、立ち上がることができる。それが心の持つ力なのよ。

 コリュウも……クリスを亡くしたことは悲しい。でも、今の自分には守らなければならない存在がいる。たった一人の妹が。
 だから、マーラも元気にならなければ。なれるはずだ。
 あの人たち、奴隷狩りにあってたいせつな人を失った彼らだって、今はもう立ち直ってサンローランで仕事をしているのだから。

 ――人は、それほど弱くない。どんなに打ちのめされても、ご飯を食べて、たくさん泣いて、眠って、体を動かしていれば、その記憶は過去へと変わっていくのよ。立ち止まっているのが、いちばんダメ。前へ進めば、つらい記憶は過去へと変わるわ。

 聞いた時、それはクリスの実体験かと思ったのを覚えている。
 冒険者となって以来、クリスはいつもくたくただったけど、過去のことをめっきり口に出すことは無くなったから。

「マーラ。ご飯を今持ってくるから。食べて。寝て、ご飯を食べるの。そして、何でもいいから体を動かすの。何もかも忘れて、それをするの。そうすれば、記憶は過去へと変わっていくから。
いまは、どんなに苦しくても、ご飯を食べよう。泣いて、ご飯を食べて、進もうよ」

「……あなたは……クリスを……殺した相手が……憎くないんですか?」
 コリュウはそう聞かれて、きょとんとした。
 そうだ――クリスは、殺されたのだ。
 彼女の笑顔を思えば、殺意が湧きおこる。でも――。
「……クリスは、望んでないよ。そんなこと」

「望んでない? そんなこと……っ」
 コリュウは、首を振る。もう一度言った。
「望んでないよ。きっと。……間違いなく。クリスは……自分を殺した人間を、恨んでいない。きっと、復讐したいとも思っていないと思う」

 何故か、確信を持って言えるのだ。
 彼女が殺される瞬間、そこにあったのは、「力及ばなくてごめん」という、謝罪の言葉だけだっただろうことが。
 悲しませてごめん、殺されてしまってごめん。
 それだけで、殺害者に恨みは無いだろう。

 彼女は、多くの者を殺めてきた。その恨みを背負っている事を知っていた。
 戦い、それ自体に善悪は関係ない。結果を決めるのは、ただ力の強弱のみだ。
 そして、その戦いで、彼女は弱者の側にまわった。ただ、それだけだ。

 弱い者が死に、強い者が生きる。そこに、善も悪もない。弱肉強食のルールを、ドラゴンであるコリュウはよく知っていた。

「――サンローランに戻ろう。マーラ。ユーリッドと一緒に。苦しくても進んでいけば、記憶は過去に変わっていくから」

 この城下町は、本当に小さい。魔王城をぐるりと取り囲む城壁の中にある、使用人の家族用の小さな町なのだ。
 ダルクはマーラの側にいてくれと言った。
 コリュウもそのつもりだけれど……、それでも、綺麗なマーラには、危険が多い。

「……さがさ、ないんですか? 犯人を」
「うん」
「……どうして……」
「……クリスの魔剣ね、見つかってないんだ」
 はっと、マーラが息を飲んだ。
「たぶん、敵に奪われたんだと思う。そして、クリスを殺すほどの手練れが、魔剣を握ったら……ボクとの相性は、最悪に近いよ」
 竜族は、魔剣を握る者との相性が悪い。それは、クリスの魔剣を奪った相手にも同じことが言える。

「ボクは、ユーリッドを守んないといけない。たぶん、敵は、今のボクやマーラが勝てる相手じゃない。復讐で命を散らすより、ボクはユーリッドを守りたい」
 憎くないか、と言われれば、憎い。
 でも、幾多の戦いをくぐってきた経験がコリュウに告げるのだ。
 ――勝てない、と。

 コリュウはクリスの側にいた。
 だから、竜族といえど勝てない相手がいるのだということを、自分の目で、肌で、実感することができている。それはとても幸運なことだろう。世界最強の種族でも敵わぬ相手がいるということを、この年で、頭ではなく実体験として、理解できているのは。

 無駄な復讐に命を散らすより、ユーリッドを守りたい。
 それが、コリュウの選択だった。



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Date:2015/12/14
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