――私が死んだら、この子をよろしくね。
コリュウはまどろみのなかで、母の声を思い出していた。
……ユーリッド、あの子は、父親に捨てられた。
確かに、あの子のせいでクリスが殺されたのかもしれないけど、そんなのあの子のせいじゃないのに。
人質にした奴らが悪いに決まっているのに、魔王は殺意をあの子に向けた。
――自分の、子どもなのに。
クリスが不義などしていないことは、誰より四六時中ひっついていたコリュウが知っている。あの子は間違いなく魔王の子なのだ。
なのに、魔王はあの子を殺そうとした。ダルクだけがそれに気づいた。防御してくれた。ダルクがいなければあの子は……妹は死んでいただろう。そう思えば最大級の感謝を贈りたい気分だった。
ダルクは受け取らないだろうけど。
命を預け合うパーティでは、命の貸し借りは当たり前。過剰な謝意は逆に迷惑になる。ダルクは妹の恩人だけど、だからと言って気に病むほど恩に着る必要はない。
――そうだ、あの子は妹なんだ。
改めて、コリュウは自分に刻んだ。
血なんて寸分も繋がっていないけど、クリスは間違いなく自分の母だった。だったら、あの子も間違いなく自分の妹だ。
――魔王のばか。自分の子どもなのに、殺そうとするなんて。
ダルクが激高し、啖呵を切って連れ帰った、その点においてコリュウは完全にダルクに賛成だった。
竜族はひとりしか子が生まれないので、子に対する想いが本能的に強い。子捨てや、子を売ることを日常的にする人族とは比べ物にならないほどに。
子どもを、それも自分の子を殺そうとした、なんて、竜族にしてみればあり得ない。言語道断の所業だった。
――守んなきゃ。ボクの妹。
ずっと昔、クリスが同じように赤ん坊のコリュウを守ってくれたように。
今度は、コリュウが赤ん坊の妹を守る番だった。
コリュウが浅い夢の中で決意を確認していると、同じベッドで眠るマーラがゆらりと起き上がった。
「マーラ?」
コリュウの中ではダルクの株が急上昇しているが、それでも信頼度ではマーラが勝っている。
最初にパーティを組んで、何度となくクリスの命を助けてくれた相手。同じぐらいにコリュウも彼を助けたけれど。
マーラは、屍体を思わせる目でコリュウを見た。
「……ああ、コリュウ……」
「ど……どうしたの?」
「……寝れば、落ち着くかと思ったんですが……、落ち着きません……」
「じゃあ、ご飯食べなよ」
こういう目をした人には、何度もあった。
クリスは、人がよくて人がよくて馬鹿だから、奴隷市場にいつも殴りこみをかけていた。
そのせいで何度も何度も何度も何度も死にかけて、馬鹿馬鹿しいほど暗殺者を送り込まれても、それをやめなかった。
マーラは婉曲に言った。
奴隷だったマーラが、言ったのだ。もう少し、控えた方がいいと。
奴隷だった人を助けるのはいいことだけど、でも、それは危険と隣り合わせ――ではなく危険そのものだから、自分の身のことを考えてほしいと。
でも、クリスは止めなかった。
奴隷だった人は、みんなこんな顔をしている。
大切だった人を、家族を、失っている事が多いから。
そういう人たちにクリスは食事を与え、寝台を与え、そして、仕事を与えた。
――食べるものを食べて、寝て、体を動かしていれば、心の傷は塞がっていくものよ。人は、そういう風に心ができているの。
サンローランまで移動する行軍でくたくたにして。
たっぷりの食事を用意して。
鞭も縄もなく眠れる夜を用意して。
クリスの言ったことは本当だった。
夜は泥のように眠るほど体をいじめて。ご飯をたくさん食べていれば、奴隷だった人の目には光が戻った。
クリスが言った言葉を覚えている。
――どんなに大切な人を亡くしても、それでも人は生きていかなくてはならないの。苦しくても、人は忘れて、立ち上がることができる。それが心の持つ力なのよ。
コリュウも……クリスを亡くしたことは悲しい。でも、今の自分には守らなければならない存在がいる。たった一人の妹が。
だから、マーラも元気にならなければ。なれるはずだ。
あの人たち、奴隷狩りにあってたいせつな人を失った彼らだって、今はもう立ち直ってサンローランで仕事をしているのだから。
――人は、それほど弱くない。どんなに打ちのめされても、ご飯を食べて、たくさん泣いて、眠って、体を動かしていれば、その記憶は過去へと変わっていくのよ。立ち止まっているのが、いちばんダメ。前へ進めば、つらい記憶は過去へと変わるわ。
聞いた時、それはクリスの実体験かと思ったのを覚えている。
冒険者となって以来、クリスはいつもくたくただったけど、過去のことをめっきり口に出すことは無くなったから。
「マーラ。ご飯を今持ってくるから。食べて。寝て、ご飯を食べるの。そして、何でもいいから体を動かすの。何もかも忘れて、それをするの。そうすれば、記憶は過去へと変わっていくから。
いまは、どんなに苦しくても、ご飯を食べよう。泣いて、ご飯を食べて、進もうよ」
「……あなたは……クリスを……殺した相手が……憎くないんですか?」
コリュウはそう聞かれて、きょとんとした。
そうだ――クリスは、殺されたのだ。
彼女の笑顔を思えば、殺意が湧きおこる。でも――。
「……クリスは、望んでないよ。そんなこと」
「望んでない? そんなこと……っ」
コリュウは、首を振る。もう一度言った。
「望んでないよ。きっと。……間違いなく。クリスは……自分を殺した人間を、恨んでいない。きっと、復讐したいとも思っていないと思う」
何故か、確信を持って言えるのだ。
彼女が殺される瞬間、そこにあったのは、「力及ばなくてごめん」という、謝罪の言葉だけだっただろうことが。
悲しませてごめん、殺されてしまってごめん。
それだけで、殺害者に恨みは無いだろう。
彼女は、多くの者を殺めてきた。その恨みを背負っている事を知っていた。
戦い、それ自体に善悪は関係ない。結果を決めるのは、ただ力の強弱のみだ。
そして、その戦いで、彼女は弱者の側にまわった。ただ、それだけだ。
弱い者が死に、強い者が生きる。そこに、善も悪もない。弱肉強食のルールを、ドラゴンであるコリュウはよく知っていた。
「――サンローランに戻ろう。マーラ。ユーリッドと一緒に。苦しくても進んでいけば、記憶は過去に変わっていくから」
この城下町は、本当に小さい。魔王城をぐるりと取り囲む城壁の中にある、使用人の家族用の小さな町なのだ。
ダルクはマーラの側にいてくれと言った。
コリュウもそのつもりだけれど……、それでも、綺麗なマーラには、危険が多い。
「……さがさ、ないんですか? 犯人を」
「うん」
「……どうして……」
「……クリスの魔剣ね、見つかってないんだ」
はっと、マーラが息を飲んだ。
「たぶん、敵に奪われたんだと思う。そして、クリスを殺すほどの手練れが、魔剣を握ったら……ボクとの相性は、最悪に近いよ」
竜族は、魔剣を握る者との相性が悪い。それは、クリスの魔剣を奪った相手にも同じことが言える。
「ボクは、ユーリッドを守んないといけない。たぶん、敵は、今のボクやマーラが勝てる相手じゃない。復讐で命を散らすより、ボクはユーリッドを守りたい」
憎くないか、と言われれば、憎い。
でも、幾多の戦いをくぐってきた経験がコリュウに告げるのだ。
――勝てない、と。
コリュウはクリスの側にいた。
だから、竜族といえど勝てない相手がいるのだということを、自分の目で、肌で、実感することができている。それはとても幸運なことだろう。世界最強の種族でも敵わぬ相手がいるということを、この年で、頭ではなく実体験として、理解できているのは。
無駄な復讐に命を散らすより、ユーリッドを守りたい。
それが、コリュウの選択だった。
→ BACK→ NEXT
- 関連記事
-
スポンサーサイト
Information
Comment:0