コリュウの言葉は、マーラの心も揺らした。
そう――相手は、「あの」クリスを殺した人間なのだ。
そして、おそらく、魔剣を奪っている。あんな価値のあるものを奪わないはずがない。世界中の剣士が垂涎の眼差しで見るものだ。
この世で、たった十二本しかない神器だ。
魔力が無く、武具召喚が出来ない彼女でも、常に呼び出せるたったひとつのものだ。
彼女が魔剣を呼びだして反撃しなかったはずがなく、
死体となった彼女から、敵がその剣を奪わないはずもない。
……そして、魔剣を握った前衛がいなくなり、逆に敵に魔剣を握る敵がいるとき、自分たちの総合力は著しく低くなる。
ああ……そうだ、まともに戦ったら、勝てないだろう。特にコリュウは、相性が悪すぎる。魔術師であるマーラは、言うまでもない。
周到な罠にかければ、勝機はあるけれど――。
「ああ……」
息を吸い、吐き出す。
いつからこんなこともできなくなったのだろう、自分は。
森の精霊族とはいえ、呼吸しなければ生きていけないのは同じなのに。
コリュウが何か話しかけていたようだが、入ってこなかった。
やがてコリュウが器用に二本の前足で盆をもち、食事を運んできた。
……鉤爪で盆に穴があいているが。
差し出された食事を見ても、食欲はちらともわかなかった。
「――食べなきゃだめだよ、マーラ」
「……食べたくないんです……」
むしろ、どうしてダルクとコリュウは平気なのだろう。あんなものを見たのに。
血の海のなかで、浮かんでいた、「あれ」を見たのに。
「……なんで、平気なんですか……」
「え? もっと酷いの、たくさん見てきたでしょ?」
平然と言うコリュウの言葉にも、一理ある。
もっとひどいのを、もっとたくさん。
そうだ……見てきた。
彼女は最初は具合悪そうにしていたけれど、すぐに慣れて……どんな凄惨な戦場でも、平気で食事がとれるようになった。
そして、マーラにも、そうなってほしいと言ったのだ。
食事は全ての資本だから、と。
酷なことを言っているとは判ってる。できるかぎり、見せないようにするわ。でも、食事をしないのだけはやめて。体がもたないから。
口の中に押し込んで、ごっくんするの。そして吐かない。
ね? かんたんでしょ?
「ああ――……」
思い出す記憶の一つ一つが、彼女とのものだ。
強引に、マーラに食事をさせた彼女は、それだけは譲らなかった。
――食べることが、生きることの基本だから。
……なら、生きていたくない場合は、どうすればいい?
簡単だ、食事をしなければいい。それだけで人は死ぬ。
何もかも、もう、どうでもいい。
自分が何の価値もない一個体に成り下がり、何をする意味を見いだせなかった。
息をする事も、食事をすることも億劫で、全ての活動を停止して、衰弱して息絶えていきたかった。
「――マーラ。お願いだからごはん食べて。クリスが、そんなのを望んでいると思うの?」
鮮やかに脳裏に彼女の声が蘇った。
――これまで……ついてきてくれてありがとう、マーラ。私が死んだら、サンローランに戻ってね。もう、縛られる必要は無いから。
言われたのは、彼女が結婚する前のことだったと思う。
まだ、結婚のけの字も出ていなかった頃。
幾つもの依頼をこなしていくさなか、ふと言われた。
そのとき、彼女のパーティの中で、遠距離転移ができるのはマーラだけだった。
ゲートさえ作れば、サンローランの拠点にすぐに戻れるのは彼だけで、そして、最も危険が高いのも、彼だった。
魔族など珍しくもなく、竜族は珍しいけれども強くて捕獲が難しい上に同族に見つかった場合の報復が怖い。
希少種族のエルフである彼が一番、危険だったのだ。
そのエルフを、自分の都合で連れまわしている事を、彼女は気にしていた。
――気にする必要など、なかったのに。
彼に、生きる実感を、流れる血潮の熱さを感じさせてくれたのは、彼女だったのに。
エルフは……いや、精霊族はみな、長い時をただ生きる。不老に近く、寿命も長いけれど、その長い寿命を使って何をするわけでもない。
ただ生きるだけ……それがエルフだ。
その点で、人族の目まぐるしいまでの変化は、彼にとって衝撃だった。
精霊族から見れば一瞬に等しいような短い時間を少しも無駄にすることなく、彼らは次々に新しい技術を作り上げ、発展していく。そのエネルギーと力強さに、圧倒された。
彼女が、混じりけなしの人族であったという点も、大きい。
もしも彼女が別の種族であったり、あるいはどこかの混血であったら、マーラは「彼女」が彼女である理由をその血に求めてしまっただろう。
彼女は○○だからこうなんだと、そう思ってしまっただろう。その特別さに理由を得た気分で、嬉々として。――血統を理由に人を選別する人族たちと、変わらぬ愚かさ。
彼女が生粋の人族であったからこそ、マーラは、仲間を殺し、自分を虐待し、ここまで連れてきた人族への憎悪と、種族全体への憎悪を、取り違える事をしなくてすんだのだ。
そうして初めて触れた人族の文化は……粗雑で乱暴で野蛮であったけれど、同時に、魅力溢れていた。
――私たちは、何一つ与えられず、自分たちの力だけでのしあがったのよ。
毅然として言い放つ彼女の姿は、エルフである彼が見ても、輝いていた……。
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