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あかね雲

□ 勇者が魔王に負けまして。 □

5-13 クリスの最期 後篇


「あれ? 俺に惚れました?」
 軽妙な雰囲気を宿してそう尋ねる青年に、彼女は笑顔で答えた。

「まさか。私の夫はエデンだけよ。そうじゃなくて……、これから殺す相手の名前ぐらい、知っておきたいじゃない?」
 空気にぴりっと刺激が走る。

 それを受けて、むしろ青年は笑う。愉しげに。
 それとそっくりの表情を、彼女も浮かべているに違いない。

「……へえ。俺に、勝つ気なんですか」
「負けるつもりで勝負する人間が、いるわけないでしょう? まさかと思うけど、あんな子ども騙しのお遊びを元に私があなたより下、なんて思ってないわよね?」
 装備は一緒、仲間の手助けもなし、正々堂々。
 ――そんなの、実戦ではありえない。

「いえいえ。流石に俺も、そんな自惚れてはいませんよ。俺の名は……そうですね、ラージャプトアレジアというんですが、長いので、ラージャでいいですよ。どうせそう長い付き合いにはならないでしょうし」
「あら? 長い付き合いに、私としては是非ともしたいわよ? いくらで雇われたのかは知らないけれど、その倍を支払うわ。もちろん、即金でね。どう?」
 ラージャは小さく笑う。
「さすが、王妃さま」
「それに、産後で体調の戻らないか弱い女を殺すなんて汚名をかぶるより、万全の体調で戦った方が、よくはない?」

「それはできませんねえ」
 軽い口調の裏で、垣間見える酷薄さ。
 わかる。彼は、気の置けない親しみやすい青年の顔をして、次の瞬間にはその首を刎ねることのできる人間だ。
 ――ま、私もそれは同じか。
 クリスもまた、笑顔で子どもの頭を撫でるその同じ手で、ついさっき何人もの人間を殺した。
 一瞬も躊躇わなかった。
 躊躇ったら死ぬ。この戦力差で、躊躇えるほどの力は無い。手加減なんて傲慢を考えたら死ぬ。だから最初から相手の命を考慮せずに戦った。

 冒険者など、大あれ小あれそういう人間の集まりだ。
 町の人間と快活に付き合うその一方で、盗賊や犯罪者を容赦なく殺せる人間だ。

「……理由ぐらいは教えてもらってもいいと思わない? 見て、この格好。わたし、防具ひとつも身につけていなくて、ドレス姿で、しっかもそのドレスも焦げちゃって。そりゃもうひどい姿よね?」
「うん」
 と、ラージャは真顔で同意した。
 ……自分で言っておいてなんだが、そう同意されると……。

 ラージャは明らかに本気とわかる口調で言う。
「そんな酷い格好の女の人、初めて見た。なんていうか……服じゃないですよね、それ。もう。素っ裸に、ペンキを塗っているというか、煤を塗っているレベルですよね」
 うんうん、と一人でうなずく。

 クリスは笑顔がひきつるのを感じつつ、言葉を紡いだ。
「そうよ。ひどいでしょ? だから戦うのやめるか、せめて理由を教えてくれない? 雇われたんじゃなきゃ、なんでこの魔族至上主義者の人に協力しているの?」
 どう見ても、彼の肌色は魔族ではないのだが。
「――クリス・エンブレード。君が生きている事が許せない。そしてもうひとつ、君の事をそれなりに好きだから、かな」
「うーん……肉親とかの仇? わたし」
 過激なことを言われたが、まるで堪えた様子も見せずにクリスは首をひねった。

「いいや。――混血は、この不出来な世界のとばっちりを一身に受ける身だ。俺は、俺みたいな思いをする子を増やしたくない」
 彼の芯を感じさせる言葉だった。
 それゆえに、彼は協力したのだろうと思わせる言葉。

「でも、まあ、この人たちに殺されたら最後、君の辿る運命って、かなり、悲惨でしょう? それはちょっと可哀想だ、そう思うぐらいの情は持っている。そういうことですよ」
「暴行凌辱死体姦のうえバーベキュー?」
 ラージャは思いっきり、嫌な顔になった。

「……そういうことを女の子が言わないように」
「冒険者として長年暮らした女にそんなこと言ってもなあ。実際の経験こそなかったけど、耳年増にはしっかりなったし」
「……とにかくだ。そういうのになるのは嫌でしょう? その点、こっちのお客さんは約束してくれた。俺の出番が来ることになったら、君の身柄を自由にしていいと。俺は魔族じゃないから人食いなんて気持ち悪いだけだしね。ちゃんと、埋葬してあげますよ」
 クリスは肩をすくめた。
「ねえ、あなた、魔族と人族の混血?」
「……ええ」
 大抵は魔族の青い肌になるが、稀に例外もある。十人に一人ぐらいだから、そう低い確率ではない。

 一見すると人族以外には見えないが、彼は半魔族だ。
 そして、それは割と広まっていることだった。
 十年も年を取る様子がなければ、さすがにばれる。半魔族とは知らなくとも、人族ではないということは薄々察されていて、人族そっくりなので混血……それももののずばり、半魔族じゃないか? と言われていた。

「何故私が混血を推奨するのか、教えてあげる。神が、人族の排除を決定したの」
 ラージャの表情が驚きに固まった。

「私が炎神の寵愛を受けている事は、有名だから知っているわよね? 直接炎神から聞いた話よ。間違いないわ。私は人族を残したい。その血脈だけでも。それが、私が混血を推進する理由。……さて、と。あなたは、それを聞いてもなお、私と戦う?」
「……」

 ラージャは、甘さを払拭した眼差しでクリスを見ていた。
 クリスは面食いではないが、(家族同然のマーラは誰もが認める美人だ)もし彼女がまともな感性を持っていたら、ラージャのことを大層な美形だと見惚れたかもしれない。

「……そうか……。それが、君が、推奨する理由、か……」
「ええ」
「……ふ……本当に、物事は一方の視点から見たり判断したりするものじゃないな……。この年になって、初歩の初歩を間違えるとは……」
 それは彼女にも憶えがあることだった。
 なまじ、一方の意見に嘘が無いことが判ったので、その意見だけを鵜呑みにしてしまい、大失敗したのだ。
 ラージャがその目で見て感じた彼にとっての真実と、彼女にとっての真実は違う。嘘などではなく、人の数だけ真実がある。そういうことだ。

「納得できたなら、できれば引いて欲しいわ。まだ、私は生きている。なら、取り返しはつく。でも、ラージャ。私はあなたと戦って、生かして勝てるほど自惚れていない。そしてあなたもそうでしょう?
 私はあなたが混血として、どれほどつらい生を送ってきたのかは知らない。でも、私は、あなたみたいな人こそを集めて、暮らしていける町を作るつもりなの。――そうしなければ、人族の未来は無いわ」

 ラージャは、表情に迷いを見せていた。
 彼のことを良く知りはしないが、それが珍しいということは、察しがつく。彼は、内心の動揺をそのまま外には出さないタイプだ。
 腸(はらわた)が煮えくり返っていても、笑顔でいられる人間だろう。それが、内心の動揺を出してしまうほど、動じているのだ。

 人族が滅びる。
 これは諸刃の刃の情報だ。彼女もこうして人に言うのは初めてだった。
 なんせ、人族に関わる種族は多い。人族が隆盛だからと、嫌々ながら従っている種族も、また多い。
 このことを知れば、彼らは笠にかかってくるだろう。もうすぐ滅びるのだからもう我慢することなどないと。

「……人の意識が……そう簡単に変わるとでも思っているんですか?」
 クリスは破顔した。
「このことを議論すると、必ず真っ二つに分かれるわね。人の意識は、意外とあっけなく変わるという人と、そうでないという人とが、必ずいるの。――私は、やったわよ。知っているでしょう? 異種族とみれば目の色変える人族の国。サンローランでエルフが普通に歩けるようになるまで、たったの三年で楽勝だったわ。人の意識なんて、そちらのほうに利があると見れば、意外とあっけなく変わっていくものよ。いいえ。私が、変えてみせるわ」

 クリスは不敵な笑みを浮かべていた。
 それは実績に裏打ちされた、自信あふれる笑顔だった。青い瞳はどんな宝石より魅力的に輝いている。寿命が短いからこそ一瞬一瞬を生きようとする人族の命の輝きが、そこにあった。
 ――彼女は確かに魅力的だと、ラージャも魔族も認めた。

 ラージャは、長い熟考の後、口を開いた。
「――君がやりたいことはわかったよ」
 よ、の音が消えないうちに、攻撃が来た。
 魔剣を合わせることも、回避することもできなかった。
 人の持つ意識の「揺らぎ」の外側から来た攻撃。

 反応すらできず、クリスはまともに胸を貫かれた。
 膝をつき、かしぐように床に倒れ込んだ。

 それを見下ろし、ラージャは呟く。
「……ごめんね。考えてみたけど、やっぱり俺は、君のように人族であることを誇れないんだ。出来れば俺も、君みたいになりたかったよ。自分の種族を誇りに思いたかった。でも、やっぱり俺は、人族は滅びるのが正しいって、思うから……ってうわあ!」

 倒れたまま放ったクリスの一閃は、呆気なくかわされてしまった。
「ぐ……ぺっ!」
 口から血の塊を吐き出して、クリスは起き上がる。

 引っくり返った声が聞こえる。ラージャのこんな声は非常に珍しい。
「な、な、あ、な、なんで生きてるのさ!?」

「人族の、最高位の戦士をなめないでよね」
 クリスは二つの膨らみの中央をなぞった。煤と血がそれで落ちて、ピンクの再生した皮膚がラージャの目にもあきらかになる。
 唖然とした声が響いた。
「……うそお。心臓ぶち抜いたのに、何で生きてんの……」
「馬鹿ね。自分の手札をそう明かすはずがないでしょ」
「そりゃそうだ」
 どこか暢気に、こっくりと、彼もうなずいた。死体が生き返った驚愕を、この短時間でおさめたのだ。

 心臓が止まっても、即死するわけではない。心臓が壊されて死ぬのは全身に血を送れなくなったからであって、仮に医療技術が発達して心臓のかわりのポンプなどができれば、心臓がなくても人は生きていけるようになるだろう。
 ――ならば、心臓が壊れても、全身の血流が止まる前に治せばいいのだ。
 とはいえ、さすがに、彼女も心臓を貫かれたのははじめてだ。再生できる保証は無かった。よかったとしか、言いようがない。

 動揺を冷えさせたラージャの声が響く。
「でも――、可哀想だね」
 斬撃の軌道を見極めることもできなかった。

「どんなスキルを使ったのか知らないけど、相応の代償でしょう? それは。だから、こんな攻撃ももう見切れない」
 切り刻まれた体が、みるみる治っていく。でもその治癒速度はそう早くない。彼女のいつもの、治癒速度だ。
「可哀想に。以前の君なら、かわせただろうに。恐らくは一瞬で全身の傷を再生する代わりに、能力を恒久的に低下させるやつでしょう。今の戦いで、それを何度使った? 少なくともさっき一回。そして……魔法に耐えるのに、最低三回は使ったでしょう。そんな高威力高代償のスキルは、君のとっておきだったはずだ。誰も知らない、君の最後の切り札。乱発するものじゃないし、乱発したら……ほら、こうなる」

 両足を貫かれて、クリスは倒れ伏した。
「あ……ぐ……っ」
 ふくらはぎの筋肉を、深々と斬り裂かれた。骨に届かないぎりぎりの深さまで、両断されたといっていい。いくらなんでもこれだけの深手は一分やそこらでは治らない。

「以前の君なら、鼻歌交じりにかわせるはずの攻撃でさえ、もうかわせない。しかもそれ……時間経過で治るものでもなく、この先ずっと一生つづくだろう? その足、超回復のスキルを使って治す? もっと戦力差は開くよ? もう君は、俺の攻撃を見ることもかわすこともできなくなってる」
 地に伏したまま、片腕で上半身を持ち上げ、クリスはラージャを睨みつけた。

 彼の言葉は当たっていた。
 このスキルは全身の傷を一瞬で癒す代わりに、身体能力が一割低下する。今の戦いで六回使ったから、単純計算で、六割減だ。
 致命傷を受け、マーラの回復魔法が期待できないとき、使ってきた。前衛職の彼女の最後の切り札。
 代償の能力低下は時間経過で治るものではないが、鍛えれば下がった力は再び向上する。いくら能力が低下しても、死ぬよりはましだった。

「そのスキルを多用した以上、君はもう並みの戦士と同じぐらいの力しかない。しかも、再生力だけは以前のまま高い。足の傷も、五分もすれば治るんだろうね。……ほんと、高レベルの戦士の再生力ときたら、冗談みたいなもんですよ」
「……わたしを、嬲り物にでもするつもり?」
 再生力が高く、なのに痛覚はあり、並みの戦士の力しかない人族の女。
 辿る運命は、真っ暗なものしか見えない。
 自害は性にあわない。しかも下手に再生力は高いから、舌を噛んでもたぶん死ねないだろう。

「いえ、一思いに殺してあげるつもりだったんですけどね」
 やれやれ、とでもいいそうな軽い口調だった。
「手加減して勝てるほど甘くは無いだろうし、捕獲するのも難しいでしょう。殺せる機会に殺しておかなければ危なすぎる――と思っていたら、予想が外れて」
「……」
「今の君なら、捕獲するのも飼うのもそう難しくは無い。そして俺は君を気に入っています。俺のものになると誓うのなら、生かしてあげますよ」

 正直に言う。
 少し迷った。
 クリスは、死にたくなかった。

 凌辱されて死を選ぶような繊細さなど彼女にはない。体を使うのも結構。命に比べれば貞節など軽い軽い。力いっぱいぶん投げる覚悟がなければ、女の身で戦場になど出られるものか。
 たとうべきかな鈍感力。
 だが――。

「……束縛の鎖を、使うつもりでしょ?」
「おや? 気づきました?」
「以前、一度かけられたことあるから、なんとなくね」
 ここで、「諾」を言えば、鎖をかけられるだろう。
 魔力を感知する能力は無いけれど、直感力は高い。そして、経験も。
 以前、クリスの手首に巻きついた鎖は、気にせず放っておいたらいつの間にか……、いつ消えたのかもわからないぐらいいつの間にか、消えていた。
 それをマーラに言ったら、額を押さえられたことを覚えている。
 条件を満たしたから消えたのだそうだけれど、普通はもっと気にするもので、気が付いたら消えていた、なんてものではないらしい。
 ――だってかけられた最初から気にしてなかったし。実際実害出る前に消えたし。

「エデンに束縛かけられたんだけど、こうなってみると、一度受けておいてよかった」
 受けていなかったら、恐らく、気づけなかっただろう。
「エデン? ……ああ魔王様か。ほんとに執着されてるんですね。それで、答えは? 想像はつきますが」
「もちろん、お断りよ」
 にっこりと笑って、彼女は言った。

 魔術的な束縛がなかったなら、受けていただろう。
 貞操など命に比べれば安いものだ。少なくとも、彼女はその覚悟で戦場に出ていた。
 命があるかぎり、脱出の可能性はゼロじゃない。
 取引に応じ、そして隙を見て逃げ出す道を選択していただろう。まずは命だ。

 でも、束縛の鎖で縛られたなら。
「私はあなたの抱き人形になるのは許せても、エデンの身中に潜んだ害虫になるのは許せないの」
 結婚の言質を取られた時の鎖は、意識しなければ忘れてしまうほどのものでしかなかった。
 でも今度取られる言質はちがう。「あなたのものになる」だ。
 そして、魔王は彼女をひとかたならず寵愛している。夜ごと閨に呼び、愛の言葉を囁く。なら……彼女を使えば。

 ラージャは心外そうだった。
「そんな気、俺にはありませんよ? 俺が魔王になっても、すぐに追い出されるでしょうし」
 たぶん、それは本心だろう。
 彼の肌は白い。歴史上、魔族でない人間が魔王の座についても長続きしたことはない。召使いも官僚もすべて魔族のなかでは、遅かれ早かれ暗殺されてしまうからだ。今、彼女がこうして殺されようとしているように。
 だから、魔族以外の挑戦者が魔王を殺したら、財宝を持ってトンズラするのが最良の方策だと言われている。

「それをする気があるかないか、じゃないの。その気になったらそれができる力があることが、問題なのよ」
 それは、彼女が一番嫌う論法だったが、自分で使う立場になってやっとわかった。
 いつ、自分が操り人形になってしまうかわからない、そんな仕掛けを体に埋め込まれ、愛する人を害するかもしれない立場になったら、ラージャの「そんな気は無い」、なんて言葉ひとつを信用できない。
 今は本心であっても、人は心変わりするものなのだから。

「死にたくないわ。私の体で済むのなら、いくらでも差し出してあげるぐらいに。でも、そのせいで愛する人に害を与えるのは、もっと嫌」
 死にたくない。それは当たり前だ。でも……、夫を裏切りたくはないではないか。
「エデンが好きなの。私の旦那さま。私を愛してくれて、大事にしてくれる人。だから言質はあげない。私の夫は、あの人だけよ」

 返答は想定内のものだったのだろう、ラージャに驚いた様子は無かった。
 少しだけ、その目に残念そうな光がよぎったけれど、すぐに消えた。
 彼にとってクリスは、その程度の存在なのだろう。多少気に入っているけれど、そう大仰に惜しむほどの相手ではないということだ。今の申し出が限界で、それ以上はできないし、しない。

「俺は、結構君が好きだったんですけどね」
 それは、紛れもない本心だろう。命を助けるほどではないけれど、気に入ってはくれていた。だから、ここにいる。
「ええ。恨んだりしないわ。立場が違えば、私があなたを殺していたでしょうから」
 にっこりと笑う、その笑顔を驚いた顔でラージャは見やって――。

 ――それが、彼女の、最期の言葉になった。


     ◆ ◆ ◆


 一瞬の躊躇は、どのような心の作用か。
 最後の最後で、殺すのが惜しいと思ったのだろうか。
 けれど、それは、躊躇以上の感情に育つことはなく。
 剣は振り下ろされ、首は切り離された。



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Date:2015/12/16
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