ラージャの剣が、王妃の首を切り落とすところで映像は終わった。
その場は静まり返っていた。
魔王が炎神に乞い、相応の貢物を捧げることによって、クリスの死の前後は映像として映し出された。
さすが、神の御業というべきか。
人の技術では作りようもない虚像が玉座の間に映し出されていた。
その場にいたのは魔王とフィアル、列席する臣下たちと、道化師だ。
その全員が神の御業の具現に驚いていた。幻は作ることができるが、こんな精緻な、誰にでも見える幻影を長時間維持することは、魔王にもできなかったからだ。
そして彼らは王妃の最期をその目に見た。
神の手による、欺瞞の入る余地のない客観的な映像を。
「――フィアル」
「……はい」
その声に含まれるものに、戦々恐々としながら、フィアルは短く答える。
映像は、第三者的視点からではなく、王妃の視界からできていた。
王妃が見ていたものは、すべてわかる。
王妃を殺した魔族の一族は、名門と名高い貴族だ。いや……今はもう、主だった人員は王妃に討たれているが。
「逃がすな」
魔王が発した言葉はそれだけ。しかし、その意味は誤解しようもない。
――フィアルは頭を下げた。
「御意」
魔王の眼差しはぐるりと広間を巡る。
「お前たちもだ」
居並ぶ者たちすべてが膝をつき、頭を垂れた。
「御意」
そして立ち上がり、去っていく。
残ったのは、道化師だけだった。
その呟きは、道化に向けたもので、向けたものではなかった。
「……俺は、あの娘を、欲しいと思った。思わぬ方が、よかったのであろうな」
そこにいるものに語りかけただけで、その行為は愛玩動物に話しかける行為と大差なかった。彼はただ、語りたかっただけなのだ。
――懺悔を。
反発は、予想していた。
でも、彼女ならそれを切り抜けられると――その力があると、愚かにも信じ、そしてこうなった。
彼女は力の限り戦った。そして、賊を数多く返り討ちにしたが、最期は力尽き首を刎ねられた。
「……あの娘なら、俺に幸せを、愛を与えてくれるかもしれないと予感したのだ。そして、それはそうなった。だが、代わりにあの娘は死んだ」
恐らく、妾妃でなら、問題なかったのだろう。
だが、正妃で、しかも他の妃候補に目もくれないとなれば、話は違う。
「……魔族の王など、血統で維持されるものではない。だから俺一人子を為さぬでも問題は無いだろうと思ったが、そうは思わぬ者も多かったようだ」
――血を。
優秀な、魔族の血を。
半魔族などという穢れのない、純粋な魔族の血を。
優秀な血同士をかけあわせ、一層優れた子を。それが、魔族の本能だ。
「見知らぬ他人であろうと愛情を注ぎ善意を注げるあの娘ならば、俺を救ってくれると……考えた罰か」
――彼も、幸せになりたかったのだ。無心に愛情を注いでくれる人間に側にいてほしかった。愛されたかった。愛されることに飢えていたのだ。
期待したとおり、彼女は愛してくれた。たとえ欲得づくの結婚だろうと家族を作ろうという誠実さに嘘はなく、家族というものを教えてくれた。家族を愛するということを、少しずつ教えてくれた。
――けれど、彼は娘を愛せない。自分の娘を愛することができない。それを教わっている最中に、彼女は死んでしまった。
「娘を……引き取って、愛しいと思うように努力すれば、愛しく思えるのだろうか。あの娘はそれを望んでいるだろうか」
道化は、嫌な顔になった。
「……いくらなんでも、勝手の過ぎる話かと……」
一度殺しかけておいて、いまさら。
現在養育している彼女の仲間たちは、金にも愛情にも人の手にも足りないところはない。
誠意を込めて説得すればひょっとして受けてくれるかもしれないが、ただ返せといっても拒絶されるだけだろう。なんせ、誰が聞いても道理の合わぬ話なのだ。一度殺そうとした娘を返せ、など。
そして、これが何より肝心だが――魔王の要請を拒絶できる力を彼らは持っている。力が無ければ道理が通ってなくても娘を奪えるだろうが、ゼトランド王国は森林が多く、そして相手は森の精霊族だ。
「そうだな。身勝手がすぎる。クリスの死に、ユーリッドは関与していなかったからこそなのだから」
もし、見せられた画像に、人質に取られた娘が映っていて、その結果死がもたらされたなら、こんなことを言い出す気にもなれなかっただろう。
その時点で、父親としての資格はないと断罪されれば、そこまでだ。
「――すまない……クリス」
やっと、その言葉が、唇からこぼれ落ちた。
妻の期待を、彼は裏切った。娘をよろしくと言われていたのに、殺そうとすらしたのだ。
魔王は天を眺め、慨嘆した。
「俺は、あの娘を望むべきではなかった。一度断られた時点で満足して、遠くから見ているべきであったのだ。手に入れたいと思うべきではなかった。それがそもそもの間違いだ」
――道化はそれを、外側から見ていた。
魔王は自分を責めているが、それはどうだろうか。
彼女の仲間が想定していた通り、十年後の彼女の生存率は、五割を切る。
遅かれ早かれ、こういう結末がもたらされていた可能性は、高い。
人を殺すというのはそういうこと。
恨みを買うというのは、そういうことなのだ。
いつか巡り巡って、その恨みが己自身にやってくる。
彼女は確かに多くの人間を助けたが、同時に、多くの人間の恨みを買った。
人に与えた禍福は、巡り巡って本人に戻る。災いも、福も、平等に。
居並ぶ臣下が聞いていて感嘆したことに、彼女は、死に際でさえ潔い態度のままだった。
彼女は知っていたのだ。
善悪関係なく、人を殺めるというのはそういうこと。己もまたいつか誰かに殺される、その運命を受け入れるということであると。
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