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あかね雲

□ 勇者が魔王に負けまして。 □

5-16 失ってやっとわかったもの


 魔王は、しばらくそのままの姿勢でいたが、ふと、顔を上げた。
「乳母は、どうして死んでいたのだ?」

「恐らくは……死亡順が逆かと。はざまの空間が閉じられると同時に、中に有ったものはすべて通常空間に戻ります。王妃さまの首と、おびただしい血があったことがその証拠」
 証拠となる刺客の体は始末しても、血は放置したのだろう。空間が閉じられた瞬間、血液もまた、通常空間に戻ったのだ。

「ですが、ユーリッドさまには空間を移動した痕跡がありませんでした。王妃様と正面きって戦うより、ユーリッド様を人質にした方がずっと楽です。実際、相手側は十一人もの犠牲を出しています。事前に赤子を人質に確保しようとした刺客はしかし、誘拐しようとして乳母の抵抗にあい、殺し、……そして何らかの事情で赤子を人質にするのをやめたのでしょう」

 彼らの知らない実際の模様はこんなところだ。
 殺された乳母は、恐ろしく、貴族の神経を逆撫でしたのだ。
 ――赤ん坊を人質に取らねば産後の王妃様一人殺せぬ卑怯者が! 冷静に鏡を見てみるがいい、赤ん坊を人質に女を多勢に無勢で寄ってたかって殺そうとする己の姿を! それでも恥じるところがないというのなら、お前たちの誇りでできた鏡はよほど手垢で歪んでいると見える!

 逆上した彼らに乳母は殺されたが、その言葉は貴族である彼らのプライドをしたたかに傷つけた。
 そして、「赤ん坊を人質に取る」という控えめにいっても醜悪で卑劣な行為に元々消極的であった人間が反対意見を述べるに至って、その案を却下したのだ。

 魔王は力のない瞳を道化に向ける。
「……お前は、さぞ、俺が憎いだろうな。俺と結婚しなければこんなことにならなかったと思っているだろう。……俺も同感だ」
「――魔王さま……?」
「反逆者どもを狩りつくし、報いを受けさせたら、俺は玉座を下りる。誰なりと座るがいいのだ。……最初から、そうしていればよかった」

 ――それは、最も大切なものを失ったから言える言葉だった。
 己の努力と力によって得た地位と妻、両方を手に入れることのできる立場にあったら、どうして片方を放擲しようと思うだろう。
 妻を失ったから、そう思うのだ。

 道化はことりと首を傾げる。
 魔王が魔王でなくなる。王の座を降りる。
 そうすることで出てくる不具合を考えたことは――たぶんないんだろうなあ、と、問うまでもなく答えは出てしまった。

 魔王の代替わりは、同等かそれ以上の人間がいるのなら問題ない。
 しかし、結界を支える十二の魔王は相応の負担を担っている。その負担を背負える人間は、今この領にいない。
 以前はひとりいたが、魔王が殺した。
 あるいはクリスの肉を食べた魔族が今頃「そう」なっているのかもしれないが――さすがに、考えたくなかった。

「次の王は?」
 と聞くと、
「知らん」
 予想通りの答えが返ってきた。

 道化は、頭の中であらゆる可能性を検討した。
 そして、結論は、出た。最終的に導き出された最も世界にとって悪影響の少ない方策を実行した。
 道化は呼びかける。
「魔王さま」

 ――たぶん、彼は生きている。そして、今頃はくっついているはずだ。
 あの映像のなかで、クリスの首を刎ねた相手。クリスを殺した相手。クリスの友人ではないけれど、知人だった人間に。
 発見されて殺されているかもしれないが、小人族は隠蔽魔法では世界でも追随する者はない。小人族が尾行したら、それを察知するのは至難の業だ。
 そして、生きているのなら、じきに連絡が来るだろう。

 道化は告げた。
「退位の前に、まずは、復讐をさせてください。陛下が魔王でなくなれば、王妃様の下手人探索の手勢もなくなってしまいます」

 道化がそう言いだしても、魔王は驚くことは無かった。
 魔王が魔王だからこそ、妻を殺した魔族に追尾の兵を放てるのだ。そうでなければたかだか人族がひとり死んだぐらいのことでしかない。真面目に討伐しようとする者がいるかどうか怪しい。
 クリスを大事にしていた道化からみれば、復讐をしたいだろう。その為には、魔王が魔王の地位でいることが肝要なのだ。

 そしてそれは、彼の心にもかなう。
 ――まあ、よいか。
 彼としても報復はしたい。そう長い時間のかかることでなし、そのために魔王の地位が必要ならば、多少の我慢はできる。

「王妃様が奪われた魔剣を、どちらかが持っていったのは確実でしょうから、それも取り戻さなければなりません」
 あの魔族が捕縛され、引き縄を打たれて這いつくばる姿は、遠くないだろう。だが、道化には懸念があった。

「あの魔族を生きたまま捕らえ、魔剣をどこへやったのか、聞かなくては。その捕縛には魔王さまの力が必要かもしれません。その折にはどうか、ご助力を。その……王妃様のお身体が、損なわれているかもしれませんから」
 さすがに言いづらく、言葉を濁した。だが伝わるだろう。
 あなたの妻の肉を食って強化しているかもしれない、とは。

 会話からして、『残光の夢追い人』の所有となったようだが、それはあくまであの時点で、だ。その後、金額交渉したかもしれない。
 大金を積んで「腕一本分けてくれ」とか……。
 ――想像すると、気持ち悪くなってきたのでやめた。

「そして、もう一人……王妃さまに直接手を下した下手人も、何としても捕まえなければなりません。生かしたままで」
 道化にとって、本命はこちらだ。
「――そうだな。あやつが持っている可能性が一番高い。誰に売ったにせよ、吐かせるためには生かしたままでなければな……」

 死人は喋らない。ゾンビにさせて喋らせようにも、ゾンビ化が成功するかどうかは運なのだ。どんなに腕のいい魔術師であろうと、半々の確率で失敗する。その境目がどこにあるかは、さだかではない。神のサイコロによって決まるのではないか、そう思えるほどだ。
 よって、絶対に取りこぼせない情報を吐かせるためには生かしたままが原則だった。

 道化はほっとしながら頭を下げる。
「身勝手であるとは重々承知しておりますが、両名が捕縛できるまでは、どうか陛下が陛下でいてくださいますようお願いいたします」




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Date:2015/12/17
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