「……下手打ったなあ……。まさかあの王妃さまがここまで祟るとは思わなかった」
やれやれと、ラージャは肩をすくめた。
恨みも多いが、恩も比例するほど売っていた王妃だ。
魔族第三の国ゼトランド王国魔王の名において手配がかけられ、クリス・エンブレードの死の原因が『残光の夢追い人』ラージャであると知れると、一気に風あたりが強くなったのだ。
半年が経ち、あの依頼人の魔族は捕まり、首を落とされたと風の噂に聞いた。その分追う人間はどんどんと増えていく。
さすがに、たまたま立ち寄った町で懸賞金がつけられた似顔絵を見たときには乾いた笑いしか出なかった。
あれだ、いくら身に覚えはあるとはいえ、闇世界の賞金首ではなく、自分の似顔絵の載った公式な表の手配書を目の前にすると、堪えるものである。
獣人族や精霊族にとって、クリス・エンブレードは恩人であり英雄だ。そして彼女に恩を抱く種族はこの大陸のあちこちに点在している。
その「あちこち」に、彼を捕まえようとやっきになっている人間がいた。
一方、彼女に恨みを持つ人間もまた多いのだが……世の中、悪事と醜聞は隠そうとするものだ。そして、王妃に恨みがある人間というのはまさに醜聞を持つ人間であることが多いので、恨みの元である王妃がいなくなるとさっさと身を潜めた。
彼を支援して「どうして王妃が居なくなって嬉しいんだ?」と痛い腹を探られ、違法行為がばれたら困る。
藪をつついて、蛇を出すような真似、誰だってしない。
王妃を殺した人間を恨み、追いたてる分には外聞は悪くならない。以前助けてもらった、と言えばいい。
だが、王妃を殺した人間に感謝し支援するなんて「何があった?」と腹を探られる。王妃は勇者でもあり、正義の味方という印象が強いのだから。
闇世界の人間は、そこまで馬鹿でも義理堅くもない。俺は知らない、と我関せずしてそれきりだ。実際、ラージャは彼らから依頼を受けたわけではないので、関係ないと言えばその通りだ。
一方、表の世界の人間は堂々と執念深く彼を追いかける。
そんな訳で、ラージャはほとんど孤立無援に等しい状態で逃げ回る羽目になっていた。
「ま、しょうがないか」
命に関わる深刻な後悔を、ラージャはあっさりとその一言で片づけた。そういう性格だった。
悩んでも後悔しても、王妃がいまさら生き返るわけでなし、後悔するだけ時間の無駄だ。
――まあ、王妃が潔く死を受け入れた態度を思い出すにつれ、、ちょっこっとだけ、惜しかったかもと思うことはあるけれど。
逃げ切れずに捕まったら、王妃の態度を模範として受け入れよう。
――そしてそれは、遠くなさそうだった。
「……近々そうなりそうだなあ……」
ぐるぐるに捕縛された格好で、ラージャはぼやいた。
戦士系が強いのは、小細工なしの一対一の戦いでだ。
周到に罠にかけられると、案外あっさりと捕まってしまうのが戦士系でもある。
「炎神の御座(みくら)に来たのがまずったかな」
ラージャは追われるまま、この大陸で最大の神域と呼ばれる砂漠地帯へと足を踏み入れた。
砂漠であるが、熱に強い蜥蜴系の種族はここで町をつくっている。……ついでに順応力では類を見ない人族も住んでいる。ホントに呆れるほど人族はたくましい。
だから人族の貨幣も通用するし、こんな辺鄙なところまで手配も及ばないだろうと思っていたのだが……どうやら間違いだったようである。
炎神の領域では、よほど水の精霊に愛されていないと、魔法でも水が出ない。炎神のお膝元なので、精霊力の平衡が狂っているのだ。
だから、ラージャも町で水を買い、食料を買った。どうやらその時に通報がいったらしい。
ラージャは半魔族なので、人族の戦士ほど多様なスキルは無いが、基礎能力は高い。
ほとぼりが冷めるまで二三年、しばらく不便な砂漠暮らしでもしようかと思って町を歩いていたら――落とし穴に落ちて痺れて毒をくらって昏倒して、気が付いたら魔術とおぼしき黒い縄でぐるぐる巻きにされた状態で石牢に入れられていた。
そしてそのまま、半日以上ほったらかしである。
「あー……こりゃ、餓死狙いかい……」
戦士系は燃費が悪い。とても悪い。
王妃が大喰らいだったのは戦士系としては普通のことで、ラージャも洩れなくそうだ。
腹が減っては戦は出来ぬ、はどこの世界でも真理である。
高レベルの戦士系は反射速度といい、感知範囲といい、力の強さといい、人間やめてるようなのばかりだが、手っ取り早い無力化方法が飢餓である。
代謝を止める(かわりに動けなくなる)スキルは存在するが、半魔族のラージャは憶えていない。
ぐーぎゅるるるー……。
腹部から無情な音が鳴り響く。
「……はら、へった……」
半日もたつと、頭の中はそればかりである。
水甕があるので縛られながらもそれに頭を突っ込めば水を飲めるのだけが救いだが……。
ちなみに炎神の御座にあるこの石牢は熱気がすごいのだが、それについては堪えなかった。空腹で頭がいっぱいだった、というのも大きいが、高レベルの戦士はいろいろ人間やめているのだ。
牢には他に入牢者はいない。
こんな暮らしにくいところまでわざわざやってきて犯罪を犯すような人間は少ないということだろう。
空腹に耐えつつ、待つこと三日。
ぐったりのへろへろになり、抵抗する気力もなくなった頃、その死者は現れた。
牢を覗き込み、彼は言った。
「――ああ、間違いありません」
もし、ラージャが本来の状態なら、驚いたかもしれない。それは、ゾンビであったのだから。
だが、餓死まで秒読み状態ではそんな気力さえもない。
普通の人間なら水さえあれば餓死まで十日以上もつが、燃費の悪いラージャはたったの三日でその瀬戸際まで来ていた。
あと一日遅かったら、確実に死体になっていただろう。
顔を上げることもできずに熱い石の床の上に頭を乗せていると、ふと口の中に物を突っ込まれた。
「!?」
「――できれば、食事なんてあげたくないんですけどね。一騎打ちで彼女に勝つような相手を回復させるなんて危険で仕方ない。でも、ここで死なれるとそれはそれで困るので」
口中に放りこまれたのは、小さなパンだった。それでも今の彼にとってみれば命を救う甘露に等しい。
貪るように食べて、そしてやっと現状認識能力が戻ってきた。
――うわあ、ほんとに、ゾンビだよ……。
高位の冒険者なら、一目でわかる。目の前にいる知性を瞳に宿した存在は、ゾンビだった。
有名なので知っている。王妃に仕えていた動く死体。完全なる知性を持つゾンビ。
ラージャが彼を見ていると、苛々した感情が瞳に宿った。驚きだった。死者が、こんな風に感情を表情に浮かべるなど。しかもそれが、高度な感情の動きなのだ。
「……いちおう、念のため、聞いておきましょう。クリス・エンブレードを殺しましたね?」
王妃を殺したラージャが動じる様子もなく、平然と彼を見ていたから苛ついたのだ。
「ああ、そうだよ」
頷くと、横合いから思いきりこめかみを殴られた。
そしてすぐに後悔するように殴った手を押さえる。
「……ちっ……。平然と頷くな。お前を殺したくて仕方がない」
「ひどいな……。王妃さまが食べられなかったのは、俺のお陰なんだけど?」
「お前がいなければ、彼女はまだ生きていたはずだ!」
――やはり、相当高度な知性を持っている。人間と接するのと同じと思って遜色ない。
怒りを抑えられずに殴り、それをすぐに後悔し、煽られてまた怒りつつも、今度はそれを自制しているのが見て取れる。ゾンビにはありえない複雑な心の動きだった。
「最後にお前が出てこなければ――お前がいなければ、彼女はあの襲撃を切り抜けて生き延びられたはずだ!」
これにはラージャも少なからず驚いた。
「……何で知ってるの?」
依頼人が口を割ったのだろうか。
ゾンビはせせら笑っただけで、答えなかった。まあ答えるはずもないよな、と思っていたので、気にしない。
「俺はどうなるのかな?」
「私では真偽の判別がつかない。おまえの言葉に嘘があるかどうか、見極められる人間のところまで輸送する」
そう言って背を向けるゾンビに、ラージャは話しかけた。
「その後俺はどーなんの?」
聞かずともわかることをあえて聞いた。
ゾンビも、振り返って冷笑しただけで答えなかった。
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