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あかね雲

□ 勇者が魔王に負けまして。 □

5-20 すべてが明らかになる 前編


「以前の私の名前は――クリス。クリス・エンブレードです」
 その発言にダルクは唖然としたが、周囲の反応は二つに分かれた。

 パル、コリュウはダルクと同じく唖然としている。
 スゾンと、マーラ、魔王は、黙って一度、目を閉じただけだった。

「どういう……ことだ?」
 喉が凍りついて、言葉が上手く操れない。もっとたくさん、多くの事を聞きたいはずなのに、ダルクはそんな凡庸な言葉しか出せなかった。

 人形は、ダルクの方にきちんと向き直り、言った。人形は、黒の瞳をしていた。
「私の以前の名は、クリス・エンブレード。もう御察しかと思いますが、そちらにいる長と同族。異世界人で、憑依する精神体として、彼女の中で、主人格をつとめていました」
「――あ……」
 蘇る。

 クリスは、スゾンの事を、唯一見分けた。あれは――。
 あれは、ただ単に、同族であったから。

 勇者だから見抜けたうんぬんはただの嘘。
 ダルクも自分で言ったではないか。敵の言うことを信じるな、と。
 その通り、スゾンは嘘を言っていたのだ。彼女を庇うために。
 勇者などそこらにそうそう転がっているものではない。そう言っておけば、真偽の見極めは困難だ。

「あなたが知っている、農家の村娘からたった三年で昇りつめた天才剣士は、いません。彼女の強さは、才能のたまものではありません。天賦の才などではなく、ただただ私が憑依したために、彼女は強くなったのです」

 平凡な農村の村娘が、たったの三年で冒険者の頂に登るなんて、話に聞くだけなら誰だって笑っただろう。有りえない絵空事だと。いくら話を盛るにしても過ぎると。
 だが、彼女自身という実物を前にすれば、そんな笑い声も絶えた。
 いくらあり得ないことであろうと、空想以上の現実を目の当たりにすれば、「あり得ない」という言葉自体が消えてなくなる。

 そして、誰もが思った。
 平凡な村娘の中に、非凡な戦士の才が潜んでいたのだと。
 彼女こそ、本物の天才であると。
 信じられないような話だが、時として現実は想像をも上回る。
 才能など目に見えないものだ。平凡に見えた人間が他方面では非凡な才を発揮することはよくあるし、そういうこともあるだろうと、誰もが現実を前にそう納得をつけた。
 だが――ほんとうに、「あり得ない」ことだったのだ。

「魔力や筋力は肉体依存ですが、私が憑依することで、肉体の反応速度は跳ね上がります。そしてそれは、戦士として、得難い才能でした」
 動くものを目でとらえる動体視力。考えを肉体に反映させる反射神経。どちらも、剣士として最重要に近い能力だ。
 スゾンも、その能力だけは高かった。
 その巨大なアドバンテージをもった彼女は、後はコリュウを供に、自分の肉体を鍛えていけばよかった。

 “たった三年で最高位までのぼりつめた、天才少女戦士”。
 ――そんな存在は、いない。

 いたのはただ、憑依され、肉体を操られることで強くなった哀れな操り人形。
 才能も素質も関係なく、天才なんていう言葉とは全く不釣り合いの存在だけだった。

「ちょっと待ってよ! クリスは……クリスはいつから乗っ取られてたの!?」
 この中で、唯一冒険者となる前から付き合いのあるコリュウが悲鳴のような声を上げた。
 それに、人形は目を翳らせる。
 人形なのに、人間のようだった。
「……ごめんなさい。コリュウ。私が彼女を乗っ取ったのは、村が滅んだあと。両親を見殺しにして、心神喪失状態で、自我を手放して人形のようになっていた彼女を見た時に、もぐりこんだの。それからの彼女は、ずっと――『わたし』」

 衝撃を受けるコリュウに、人形は語りかける。
「……騙していて、ごめんなさい。そして、気がつかなくても無理は無いわ。私たちは、憑依とともに親しい存在への感情も受け継ぐから、親しい人間ほど気がつかないの……」

 宿主の記憶も、共有される。強い感情も共有される。だから親しい人間ほど、憑依されても気がつかない。
 まして、コリュウ以外は、彼女が『彼女』になってからの付き合いだ。気がつくはずがない。

「街角で、心神喪失状態でへたりこんでいた、貧しい身なりの村娘。抵抗すらおぼつかない姿に、危険だと思ったわ。いつ、悪人に連れ込まれるか、売り飛ばされるかわからない。いつの世でも、女性には、女性というだけで一定の価値があるのだから」
「……」

「だから取り憑いたの。でも……そこで、思ってもみなかったことが起きた。――本来あの体の主人であるべき魂と、私の精神が、混ざってしまったのよ。
その事故で、私は自分が何であるかを忘れた。自分が憑依している異世界人であることを忘れてしまった。記憶は彼女のものだけど、人格のベースは、すべてわたし。本来主人格である魂は完全に奥へと引っ込んでしまったの」
「――道理で、妙に純真だったり、教養があったわけだ……」
 親に虐待されていたにもかかわらずの、心根のまっすぐさ。王妃としての公務をとりしきれる教養。
 ぼそりと呟く魔王のかたわらで、コリュウは思い出していた。

「……そっか……。村が滅びたことにショックを受けて、打ちひしがれていて……でも、急に立ち上がって前向きになって、生活しなきゃいけないから冒険者ギルドに行こうっていったのは……そういうことだったんだ……」

 そのとき、コリュウは、やっと少女が目前の問題に取り掛かる気になったのかと、立ち直ってこれからのことを考える気になってくれたのかと、そんな風にしか思わなかった。
 けれど、無理もないだろう。
 うずくまって茫然としていた少女が立ち上がり、明日の生活について検討しだしたら、やっと立ち直ったのかと安堵して嬉しく思うのが当たり前。
 別のイキモノに憑依されたなんて思う人間がいたら、逆にちょっと頭がおかしいんではないかというところだ。
「ごめんね……コリュウ。ずっと、あなたを騙していたの」

 その隣にスゾンが立った。
「……私が彼女に近づいた理由は、もう言うまでもないでしょう。私たちは滅びゆく種族です。だからこそ……長としての責任で、彼女に近づきました。『事故』で、記憶を失っているようだというのは、初対面のときにわかりました」
 ――あのときの言葉は、そういうことだ。

「彼女は、記憶がないまま、私たちの世界の価値基準で動き過ぎました。私たちは単一種族しかなく、だからこそ偏見などは存在しません。皆さんも、不思議に思ったでしょう? どうして人族なのに、と」
「……思ったな」
 全員が頷く。
 彼女は、異種族への偏見が、なさすぎた。おかしいほどに。

 彼女はそれを、偏見がない村で育ったから、と言っていたが……確かに、それだけにしては行き過ぎていたような気がする。
「ある意味、当たり前です。私たちの世界には異種族はなく、人権思想、というものが世界を覆っていました。生まれながらにして人はみな、平等である、そういう考え方です」
「…………、異世界の考え方だな」
 魔王がぽつりと慨嘆した。

「ええ。こちらの世界では、非常識ですらあります。私はそれを理解していますから、それを表に出すことは自制しますし、世界に大きな影響を与えるような行動をとることはありません。ところが――」
 と、スゾンは彼女を見やる。
「彼女は、その辺の事情を、すべて忘れていましたから……。自分の感じるまま、思うがままに動きました。その結果、世界がどうなったか、皆さんはご存知ですね」

 彼女がやりたい放題やったがために、滅ぶはずの種族が生き残ったり、奴隷売買がズタズタになったり、付随して人族が経営していた魔力が必要な産業が衰退したり、聖光教会の力と面目が丸潰れになったり、何より色んな種族が仲良く暮らせる街が出来て、異種族と仲良くなろうという勢力が力を増したり、混血を推進したり――。
 まあ要するに。

「……異世界の人間で、自重しなければならないのに、世界に影響を与えまくったのか」
「あ……あははっ」
 魔王の言葉に人形が脇を向いて笑ってごまかす。
 その反応を見て、周囲の人々はやっとこの人形の中身が彼女だと納得がいった。
 ――あ、これ、クリスだ。

「なので、正直な話、処分も考えたんですが――、炎神の寵愛を彼女は受けているでしょう?」
「ああ……。――ああそういえば、炎神も言っていたな……」
 ――クリスを見た瞬間おどろいた、と。
 今ならわかる。そういうことだったのだ。

「神、それも力ある神である炎神が彼女を認めているということは、彼女の行いは許容されているのではないかと思い至りまして。……それに、処分しようにも、力が足りなかったというのもあります。彼女を素の状態に引っ張りだすためには肉体を滅ぼす必要がありますが、あなた方はそれを止めるでしょう?」
「当たり前だろうっ!」
「当たり前だよっ!」
「……ということで、見守る路線に切り替えたんです。正直なところ、何もかも忘れてクリス・エンブレードとして生きている彼女を見守りたいという気持ちもありましたし。人族なので長生きしてもあと五十年ぐらいでしょう、寿命で死んだらその魂を回収すればいいと、思うようになっていたのです」

 生憎と、暗殺されてしまったが。

 人形は言う。
「私が自分でそれに気がついたのは、エデンからお墓参りの話を聞いた時……。両親の名前を思い出そうとして、気がついた。いくらなんでも、両親の名前を忘れるなんて異常すぎる。そして、気がついてみれば、答えはすぐそこにあった。
 なんでスゾンが急に私に臣従するようになったのか。
 どうして、炎神エーラさまが、二択の選択のうち、どちらかを選べば破滅するといったのか。
 どうして、わたしが、村の人々の名前を思い出せなかったのか……。判ってみれば、とても簡単だった。『鍵』はかかったまま、本当の名前も思い出せないままで、憑依者であった頃の記憶は戻らなかったけれど、自分が恐らく異世界からやってきた憑依者であろうということは、想像がついた」

 彼女は思い出したのではない。
 数々の状況証拠から、自分がそうなのだろうと、結論しただけだった。このときは。

「この肉体に取り憑いたとき、『事故』が起きて、私は自分が自分であることを忘れた。クリスという村娘が過去に出会った人々の名前を忘れた。
名前は鍵。私は、そのとき手にしていたすべての鍵を忘れてしまったの。自分の名前も、知っているはずの旧知の村人の名前も……すべて。
『わたし』の名前も忘れたことで、私は私であることも思い出せなくなった。……憶えていないわよね、コリュウ。私とあなたが初めて出会ったとき。あのとき、私があなたの名前を聞いたこと」

「あ……う、ん。憶えてない……」
「わたし、道端にへたりこんでいて。立ち上がろうとしてあなたに気づいたの。そして、あなたの名前を聞いた。あなたは心配そうに答えたわ。コリュウだよ、忘れたの、って」
「……おぼえてない……」

 ずっと前の、些細な出来事だ。
 コリュウが忘れていても無理はない。
 だがそれで、彼女はコリュウの名を憶えた。
 村人の名前は憶えていないけれど、その後出会った人々の名前は普通に彼女は憶えることができた。
 一度リセットされた『名前』。けれど、新しく書きくわえるぶんには問題なかったということだ。
 コリュウの名前も、そうやって再度憶えた。

 異世界人であるのならば魔法を無効化することもできるはずだが、やり方が判らなかった。スゾンにやり方を聞いて、確認することも……恐ろしくて避けていた。
 スゾンが魔法の無効化状態を「切り替え」していたように、異世界人は何もしなくても自動的に魔法が無効になるわけではない。やり方を理解し、そのようにしなければならない。異世界人は本能的に方法を知っているはずなのだが、彼女はそういう知識もすべて、閉じ込めてしまっていた。

「……炎神様に二択を迫られた時、炎神様は、私のためを思って忠告してくれたんだってことも、わかった。あのときのハズレは、殺す方法ではなく、祓う方法。だって、考えてみて? 憑依者を祓う方法があるとして、それが広まったら、真っ先に私がやられるわ。私が広めるからこそ、私がやってみろと言われたでしょう。記憶のない私は堂々とそれをやってみて……――そこで、おしまいよ」
「……その場合、おまえはどうなった?」
 人形はかぶりを振った。

「……私の中で、彼女の……クリスの魂は眠っていた。時が止まっているようなものよ。私がいなくなったら、故郷の壊滅に茫然としたままの無力な彼女が再び表層に現れたでしょう」
 ――そして、殺されただろう。
 「クリス・エンブレード」の怨名は高く鳴り響きすぎていた。肉体の基本性能は高くとも、戦闘経験のない村娘が暗殺者に抵抗できるはずもない。
 その場合、仲間たちが「クリス」であった村娘を守ってくれるかどうかは……微妙だ。肉体は一緒でも、中身はちがう。

「――私は自分が異世界人であるということに気づいたけれど、そう推測しただけだから、やり方がわからなくて、肉体から出られなかった。……それに……、私はクリス・エンブレードとして、あまりにも長くいすぎてしまった。夫も、家族も、仲間も、お腹には子供もいた。だから、決めたの。このままでいようと。クリスとして生きようと。
――でも、私は殺されてしまって……。肉体が死んだ瞬間に、やっと私はすべてを思い出したの。本当の自分の名前を。
……そして、私によって人生を歪められてしまったクリスという少女のことも……」
 人形は後悔しているようだが、周囲の面々の反応は冷淡だった。コリュウを除いて。
 それぐらい、良くある話なのだ。故郷を壊滅させられて難民となった少女など腐るほどいる。

「故郷を魔物によって壊滅させられた単なる村娘が生き延びる道なんて、一つしかないぞ?」とダルク。
「あなたも以前言っていたじゃないですか。娼婦になるか野垂れ死ぬかですよ」これはマーラ。
「いくら竜族とはいえ三歳の幼児が、生きる意志をなくして屍になった人間をどう世話できるというんだ?」魔王。
「……」
 そして、魔王の言葉を否定できず、沈黙しているコリュウである。

 実際、コリュウはあのとき、クリスを助けよう、動かそうと努力したのだ。
 道端にへたりこんで茫然としている少女に声をかけ、仕事を探しにいこう、ご飯を食べに行こうと何度も声をかけた。
 でも、彼女は動かなかった。生きようとする意志を無くしていたのだ。
 あのままなら、早晩死んでいただろうことは、コリュウにもわかる。竜族であってもたった三歳で、常識も知らず、世間知もない子どもが何とかできるほど、世の中甘くないことも。

「……でも、ボクを助けてくれたのは、クリスなんだよ……」
 全員がコリュウを見た。
「必死になってお母さんのお腹を裂いてボクを引き出して、ひもじい思いをしながらボクにご飯を分けてくれて、育ててくれたのは、クリスなんだよ……」

 この中で、コリュウだけが本当のクリスを知っている。
 クリス・エンブレードではなく、ただのクリス。姓もなく、一介の村娘でしかなく、両親に虐待されながらもコリュウを助け、そして目前で生まれ故郷が壊滅するのを見て心を壊してしまった少女を。

 人形は手を伸ばし、コリュウを抱きしめた。
「ごめんね……ごめん。ごめんなさい……。あなたの大切な人の体と人生を、私が奪ってしまった」



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Date:2015/12/18
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