――コリュウにだって、わかっているのだ。
彼女が憑依しなければ、クリスの運命は暗いものだっただろう。
難民の少女など、必死に職探しをしてもまともな職が見つかるかどうかだ。
まして、生きようという気概すら持たず、動くことを放棄した少女の辿る道など、判りきっている。
「気が……つけなかった。ボクは、ボクだけは、気がついてあげなきゃいけなかったのに……!」
憑依者は、記憶と強い感情を宿主と共有する。だから親しい人間ほど、気がつけない。
クリスはコリュウが好きだった。だから『彼女』もコリュウが好きだった。
思い出も共有した。――これで気づける方がどうかしている。
多少性格が活動的になっても、ああ前向きになったんだ、ですんでしまう。
人形はコリュウを抱きしめたまま、詫び続ける。
「ごめんねコリュウ。殺された時、そのまま消滅も考えたけれど、できなかった。だって……生きていたかったの。ユーリッド、コリュウ、みんなに会いたかった。だから、憑依したの」
「……クリスは……村娘のクリスは……死んじゃったんだね……」
「……ええ。肉体が殺された時に、彼女の魂は黄泉路をたどったわ。今頃は、安らかに眠っているはずよ。向こうで」
コリュウは人形の胸に抱きしめられるまま、むせび泣いた。
生まれる時、彼を助けてくれた村娘のクリスは死んでしまった。
これはクリスではない。でも、クリスなのだ。
コリュウの鱗を撫でる手つきが、感触が、別人なのに記憶にあるそのままなのだ。
「……異世界人で、彼女に憑依していた私は、肉体が死ぬことですべてを思い出した。そして、消滅を避けるためにその場にいたラージャに取り憑いたの……」
精神体である彼女たちは、憑依する肉体が無い状態ではたやすく消滅してしまう。
「……なるほどな。スゾン、お前が刺客を殺すなといったのは、そういうことか」
魔王がスゾンを見やる。スゾンは深く頭を下げた。
適当な理由をつけて、二人を生かして捕えろといったのは、彼だ。確認した後は処刑したが。
「恐らくは、こちらに憑依しているとは思いましたが、二分の一の確率でしたから、両方確認すべきと思いました」
あの閉鎖空間で、生き残ったのは二人。
なら、どちらかに憑依しているはずだと踏んだのだ。
「同族なので、憑依の有無は一目でつきます。――そして、二人を捜索する間に、人形の制作をマーラ殿に依頼しました。もう、自我の壊れた都合のいい肉体はありませんし、彼女の性格からして拒絶すると思いましたから」
彼女は、仮宿として憑依することはしても、体を乗っ取り、表面に現れることはできないだろう。
できるかできないか、ではなく、する意志がないのだ。
「試みに問うが――こいつの肉体をそのまま使うのは無理なのか?」
魔王がラージャの体をつま先でけり飛ばす。
念の為聞いているだけで本気ではない。
スゾンはかぶりを振る。
「憑依は万能ではありません。あくまで肉体の主人は、本来の持ち主のものです。一度は操作できても、主人格に疑念を抱かれ、抵抗された時点で、肉体の操作権は失われていきます。人格が壊れた体に入るのが一番ですが、彼女の例を考えると、似たような事故が起きる可能性を否定できませんし、何より彼女が嫌がるでしょう。
――『緑を呼ぶ娘』。ずっと、その男の中にいたのでしょう? お前の前の体は、どこへいきました?」
全員が、人形を見た。
「……意外なことに、彼はきちんと埋葬をしてくれました。売られたり食われたりすることも覚悟していたのですが……」
「どこへ?」
「海へ。今頃は、生命の循環の輪の中に入っているかと思います」
――クリス・エンブレードは、本当に死んだのだ。その魂は黄泉路をたどり、肉体も葬送された。
そこで今まで黙っていたマーラが口を開いた。
「『緑を呼ぶ娘』……でしたか? あなたの本当の名前は、なんですか?」
「あ……それは……その」
「なにか、言えない理由でも?」
にっこりと笑うマーラは恐ろしい。
怒っている……これは。
それを知っている人形は大人しく答えた。
「異世界の言語なので上手く発音ができないだけです……。『緑を呼ぶ娘』という意味で、近い発音ではビーファーナフィールア? ええと、ファーナでいいです」
「では、ファーナ。あなたのその身体、良い出来でしょう?」
「はい……」
「念入りに、丹念に、作ったんですよ。声もちゃんと出るでしょう? いきなり、スゾンに人形作れと言われた時には驚きましたが。お陰で、四か月も人形にかかりきりになりましたが」
「……はい」
人形は俯いて頷く。
周囲の面々は、マーラの怒りを感じて静観している。
「なんで、私が怒っているか、わかりますか?」
「……ええと、手間暇かけさせて人形つくらせてすみません?」
「それもありますが――その前に言う事があると思いませんか? クリス? いえ、ファーナ?」
「――し、心配掛けてごめんなさいっ!!!」
人形はその場で土下座した。
が、エルフは厳しかった。
「それもありますが違います。――あなたは! どうして! 自分が異世界人かもしれないって気づいたときにそれを相談しなかったんですか!」
「そ、それはっ!」
「さあ、もうわかりましたね! 何をみんなに言わなきゃいけないか!」
「み、みんなに相談しなくてごめんなさいいいい!」
人形の絶叫に、エルフは腕組みをして、ふんと鼻を鳴らして言った。
「よろしい」
人形はひれ伏したまま言う。
「ごめんなさい。信じてなかったとかじゃなくて……その、相談する勇気がなくて……」
「相談していたら! 私たちはあなたの生首見せられた時あんなにショックを受けなくてもよかったんですよ! コリュウには悪いですが、私たちが大事なのは中身であって体じゃないんですから!」
「ううううう……!」
「中身が生きているっていう可能性があれば絶望しないで探します! ああそういえばスゾンは平静でしたね、そういうことだったんですね! あなたが生きてるってひとりだけ知ってたんですもんね!」
「わ、私が悪かったから……!」
「血の海の中に浮かぶあなたを見たときのこっちの気持ちがわかりますか! ダルクが止めてなければ後追い自殺してますよ!」
人形はがーん、という書き文字を背中に背負ってよろめいた。
「ダルクが止めてくれたの?」
「そうでなきゃ今頃その人形も出来てませんよ。せいぜい感謝しなさいね」
「うん……する。ありがとう、ダルク」
「ま、スゾンに依頼されたときに半分予想がつきましたけどね……!」
クリスと同じように、マーラにも推測の材料は、十二分にあった。トドメが「等身大の生き人形をつくってくれ」だ。怪しまない方がどうかしている。
反省して彼女は仲間に向き直り、頭を下げた。
「エデン、コリュウ、ダルク、マーラ、パル、相談しなくてごめんなさい。心配掛けてごめんなさい」
その謝罪で、皆も許す気になったようである。
何より外見はまるで似ていない人形だが、言動がいちいちクリスを思わせる……いやクリスの中身だったので当たり前なのだが、クリスそのものなので怒りが持続しないのだ。
――生きてて良かった。嬉しい。
結局のところ、この感情に多くを占められてしまって、怒りが持続しない。
そしてその怒りも、今謝ってもらったことで感情的な区切りはついた。
謝って済まないことはたくさんあるが、謝ってもらいさえすれば納得できることというのも、多いのだ。
魔王が問いかける。
「ファーナ。それで、お前はこれからどうするつもりだ?」
「ユーリッドに会いたい……」
するりと口から出た言葉に、魔王の動きが一瞬止まった。
理由を知っている他の人間は白い目で魔王を見る。
「いま、ダルクが保護してるって聞いたわ。マーラを止めてくれて本当にありがとう。そしてダルク。お願いです、会わせてください」
と、床に手をついて頭を下げた。
母親としては当たり前の望みだが……魔王が口をはさんだ。
「魔王城には戻らないのか?」
「人形だもの……戻れないわ」
ぱっと目には人形と判らないほど精巧だが、少し注視すればすぐに人形とわかる。
まず瞬きがない。
呼吸もない。
体も同様で、性別のない体つきだ。胸もないし股間もない。
「みんなは今、サンローランにいるって聞いたけど……?」
「ああ。――そこの馬鹿のせいでな」
ダルクが冷たい目を向けたのは、魔王である。
「――エデン。何やったの?」
すべての事情を伝えた結果、ファーナは魔王に言った。
「……エデン。ダルクにお礼を言って」
譲れない意志がうかがえる声だった。
一方、渋ったのが魔族の王としてそうほいほい頭を下げれない魔王である。
自分が悪いことは判っているが、それでも魔族の王だ。立場と矜持が邪魔をする。
「嫌だと言ったらどうする?」
「別にどうもしないわ。もともと私とあなたは他人だもの。私はあなたの妻だったクリス・エンブレードじゃない。他人として、あるべき態度にもどる。もう二度と会わないだけよ」
「……悪かった。俺の娘を助けてくれてありがとう。感謝する」
あっさりと魔王は折れて、ダルクに頭を下げた。
ダルクはこれまでの諸々の苦労を思い出して、むっと眉を曲げたが……ため息をついて、その謝罪を受け入れた。
「……あんたは、ユーリッドの父親なんだ。二度とあんなことするんじゃないぞ。あと、クリス……じゃなくてファーナだったな、俺たちはサンローランで、前に住んでいたあの家で、ユーリッドと一緒に暮らしている。一緒に暮らそう?」
「え? いいの?」
まさにこれからお願いしようと思っていたことを相手から申し出られ、顔を輝かせるファーナにダルクは頷き、その積極性に他の全員が驚いた。
ずっと惚れていた女を指をくわえて見ていたが為に脇から出てきた魔王にかっさらわれた、あの悔しさをダルクは忘れてはいない。
幸い、クリスが死んだ直後のどたばたでダルクはマーラを助け、ユーリッドを助けた。加点は上限一杯で、好感度も上げ上げだろう。
一方魔王は娘を殺そうとしたということで、減点はこれまた上限一杯だ。
今度こそ失敗するものか、とダルクはファーナに優しく微笑んだ。
「ああ。ユーリッドの事が気になるんだろう? それに……確かに体は違うんだろうが、お前の娘だろう? お前だって、自分の手で育てたいだろうが」
「う、うん。ありがとうダルク!」
ファーナはこくこくと頷く。
顔かたちはクリスとはまるで似ていない。こっちの方がずっと美人だ。性別はないが。
マーラはあえてそういう風に作ったのに、さすがに本人だけあって、どんどんクリスにしか見えなくなってきた。
「ただし、もちろん料理と娘の世話はやってもらうからな」
「うん! 任せて」
一方的にちやほやしても人間関係は上手くいかない。相手にはむしろ相応の負担を求めた方がいいというのは、彼女から学んだ処世術だ。
「マーラも、コリュウも、それでいいよな?」
ダルクが振り返って問うと、マーラは満面の笑みで頷いた。
「ええ、もちろん」
内心、成長しましたね……と感涙にむせんでいることは誰も知らない。
「うん!」
と元気よくコリュウも頷く。
「あと、俺の母も今は一緒に同居している。俺たち男手だけじゃ、やっぱり赤ん坊の世話って出来なくてな……いいか?」
ちなみに、家の名義人は、今はマーラである。
結婚するとき、誰もサンローランにはとどまらないということで売ったのだが、マーラが買い取ったのだ。
その家で、いま、マーラとダルクとその母とコリュウとユーリッドが住んでいる。
サンローランへの道中、ダルクの母に育児についてシゴかれたので、マーラもコリュウも一緒に住むことへの抵抗はなかった。
なんせ唯一の経験者で熟練者だ。育児経験皆無で赤ん坊を引き取った男どもにとっては救世主にひとしかった。
他人と同居することになるわけだが、ファーナもわだかまりなく頷いた。
「うん。私もダルクのお母さんにいろいろ子育て聞きたいし……」
五人は順調に同居の相談をする。
そうなると、おもしろくない人物が一名いるわけで。
「――おい。そこの妻」
ファーナは振り返り、首を振った。
「そう言ってくれるのは有難いけど……、もと、妻よ?」
人形を蒐集している愛好家はこの世界にもいる。そこまでなら趣味で許容されるが、等身大の人形を妻にしている人間はこう呼ばれる。――変態、と。
彼女が魔王城に戻った場合、対外的に見るとこうなる。
妻を亡くし、人形を寵愛する変態魔王。……いくらなんでもマズすぎる。
評判に致命的な打撃が入ることは確実だ。
何より彼女にその気がなかった。
人形であるファーナと、王妃であったクリスを、彼女自身は別人と考えている。
魔王の妻であったクリスは死んだのだ。
ダルクは魔王を見てせせら笑った。
「そうだぞ、なあ、娘を殺しかけた馬鹿親父」
痛いところを思いきり突かれて魔王のこめかみが引きつるが、さすがにさっき感謝を伝えたというのに言い返すほど愚かではなかった。
ファーナはするりと人の間を歩いて、魔王の前に立つ。
首を傾げ、目と目を合わせていった。
「あのね、エデン……じゃなくて、魔王。私は、クリス・エンブレードじゃないの。彼女は、もう死んだのよ。ここにいるのは人形。生きているように動くけれど、男でもなく女でもない、ご飯も食べないし排泄もしない、人形なのよ」
クリスが、不妊でどれほど苦しんだか、知らない者はない。
「子を産めない女に、王の妻になる資格はないわ」
「……」
子を産める女であること。それが、王妃の最大にして絶対の条件だった。
「だから私は戻れない。人形を奥さんにすることはできないの。私はクリスじゃない。彼女は死んだ。そしてここにいるのは、息もしなければ子どもももちろん産めない、夜の生活もできない人形なのよ」
王妃であったクリス・エンブレードは、死んだのだ。
魔王は眉間に深い皺を刻んで考えていた。
なら別の女に憑依すれば、なんていうのは下策中の下策であることは、わかる。
人ひとりの人格を破壊するのは大変だし、『事故』が起こる可能性もある。なにより、彼女はそれをよしとしないだろう。
それぐらいは――魔王にも想像がついた。
クリスは死んだ。もう二度と、彼の妻であった女は、取り戻せないのだ……。
改めて突きつけられると、目の前に転がっている男を蹴り殺してやりたい気分がむらむらとわき起こる。
「――わかった。だが、俺にも娘を育てる権利があるだろう」
ダルクは呆れ果てた顔になった。
「おまえなあ……。今の今まで俺たちに娘の育児全部押し付けておいて、今更それか? だーれがお前なんぞと一緒に暮らすか! ユーリッドを育ててたのは、実質俺だぞ?」
正論だった。
サンローランに移住してすぐにマーラは人形作りにかかりきりになってしまったので、実際ダルクとその母がほとんど育児をやってきたのだ。
大体虫が良すぎるというか魂胆が透けて見えるというもので。
「お前は、自分の娘を口実にして、ファーナと一緒にいたいだけだろうが。おむつを交換したことが一度でもあるか」
王様にあるはずがないが、ダルクはあえてそう言った。
そして、実際、あるはずがなく。
ぐっと口をつぐむ魔王のかたわらで、ファーナがおずおずとダルクに切り出した。
「あのね……ダルク。時々で良いの。月に一回でいいから、魔王にも、娘に会わせてくれないかな?」
「うー……ユーリッドは俺に随分懐いているし、俺も、父親のつもりでこの半年育ててきたんだが……」
そう言われると、弱い。
魔王が父親の義務を何一つ果たさなかった一方で、すべてをやったのはダルクだったのだ。
クリスはもう死んだと思い、父親の魔王は糞以下の役立たずと切り捨てて、男手ひとつで育てる覚悟を決めて愛情を注ぎ、下の世話もいとわずやってきたのだ。
いわば、一度捨てられた子どもを拾い、愛情を持って育てている育ての父のもとに子の母親が来て、その母親目当てでロクデナシの実父が自分にも子どもを育てる権利があるとしゃしゃりでてきた状況に近い――、というかそのまんまだ。
「父親は、ふたりいらないぞ? 子どもが混乱する。産みの親より育ての親だ。あんなのより俺の方がずっと父親している」
その辺のことはファーナも理解しているのか、頷いて、理由を言った。
「魔王が、魔王をやめるっていうのを止めないと……」
「? 止めなきゃまずいのか?」
「次がいないの」
そのやり取りを聞いていた人間は全員、魔王を見た。もちろん、ダルクも。
「世界を守る十二の結界の
要石は、魔王自身なのよ。同じぐらい力の強い魔族が育っていれば問題ないけど、いないから。力の弱い魔族が次に即位すると、それだけ結界が弱くなるの。育つまでは魔王でいてもらわないと。ここで断ったら、魔王が職を辞してサンローランまで追いかけてきそう……」
ダルクは魔王を見て、次にクリスより背丈の縮んだ人形を見た。
ここで妥協して頷かないと、魔王が退位してサンローランに移住し、四六時中押しかけてくるかもしれない。
サンローランは、異種族の移住に極めて寛容なのだ。
「……月一回だ。それと、きちんと次の魔王を育てろ。退位するならそれからだ。その条件ならユーリッドに会わせてやる」
その条件に魔王は顔を一瞬しかめたが、すぐにといた。
「人形……ということは、お前には寿命がないんだな?」
ゆったりとした動きで、人形はかぶりを振った。
「いいえ。この生き人形の作り手……マスターであるマーラが死ねば、私も死ぬわ。その時にはコリュウもユーリッドも成人しているでしょうし、思い残しもない。そのまま消滅を迎えるつもりよ」
森の精霊族のマーラの寿命は、あと数百年はある。
魔族より、半魔族より、ずっと長いのだ。
それを聞き、魔王は笑った。
ファーナ以外の一同は唖然とする。彼がそんな風に優しげに笑う姿を、彼女以外誰も見たことがなかったのだ。
「それならいい。……お前がクリスであった頃、俺は常に怯えていた。お前がそう遠からず、長くてもたったの五十年で、俺を置いて逝ってしまう……どう手を尽くしても先に死んでしまうことを知っていたからだ」
神の定めた寿命ばかりは、どうしようもない。悪あがきで寿命を延ばそうとしたところで、伸びても数年。どうあがいても人族のクリスは先に死ぬさだめだった。
「逆に、お前が俺を看取ってくれる立場になったんだろう?」
「……ええ。あなたが、それを望むのなら」
「――なら、それでいい」
笑って、魔王は受け入れた。
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