「この金をつかってお前のやりたいことをやるにあたり、条件がある」
ジョカの言葉に、リオンは深くうなずいた。
二人の目の前には、うずたかく積まれた現金――のかわりの預かり証がある。
現金をそのまま家に置いておくのは物騒極まりないため、両替商(銀行)に預け、その代わりに預かり証をもらったのだ。
報酬の為替は無事、商人組合にて現金化できた。
旅の時などに使う為替は、この預かり証自体を金券として扱ったものだ。
現金を持ち運ぶのは危険だし、かさばるし、重い。その危険を回避するという利点がある。ただし、それ相応のデメリットもある。
なにせ、モノが単なる紙切れ一枚である。為替が偽物で現金化を拒絶されたり、実際に現地に現金自体がなかったり……トラブルは多い。
ジョカとしても、確認はしてもきちんと現金化できるかそこはかとなく不安だったのだが、先ほど、ちゃんと現金化できた。
すぐにそれをまた預けたので手元にあるのは再び紙切れ一枚だが、二人の目には先ほどうずたかく積まれた現金の映像が焼き付いている。
先ほどまでとは違い、実際に現金化できると確かめた紙切れである。
そこに書かれているのは、莫大な、といっていい額だ。
かつてならともかく、一般庶民の生活に馴染んだ彼らにとっては、驚愕する額だった。
だから、ジョカは重々しく告げた。
「この金の半額までは、お前の自由に使っていい。ただし、条件がある」
これはジョカの稼いだ金、である。
リオンの貢献はなくもないが、ほとんどない。
だからリオンはすなおに首肯した。
「聞かせてくれ」
「一つ目は、お前が俺以外の誰かと関係するの禁止。男でも女でもぜったいに禁止」
「ん、了解。次は?」
「二つ目。使う時は一々俺の了解は得なくていい。その代わり、金の出入りを記録した収支表を作って俺に見せる事」
「了解、問題ない。次は?」
「三つ目。何かに躓いたり失敗したら、正直にそれを俺に伝えること。詐欺にあったりした時も同様だ」
初めてリオンは不服そうな顔を見せた。
「私が失敗すると思うのか?」
「うん」
「…………」
リオンはジョカを見つめた。
ジョカもリオンを見つめた。
「いいか、人から見たお前を教えてやる。自信過剰で自分が成功すると根拠もないくせに頭っから信じ込んでいる馬鹿だ、お前は」
「…………否定できないが、そうずけずけ言われると腹が立つな……」
「詐欺師にとっては、いちばん騙しやすい型(タイプ)の人間。おまけに大金を持っていることはあっという間に広まるぞ」
商人組合は為替という形で現金を振り出したので、ジョカが治療費として受け取ったことも判っているだろう。治療師に大金を支払う人間は少なくない。
額が異常だが、まあそれはジョカがこれほどの長期間町を留守にしていたということで、それだけ時間的にも距離的にもかかる治療をしていたと思えば、なんとかぎりぎり通るだろう。
家族の情につけこみ、大金をせしめる悪徳治療師は少なくない。ジョカの評判は傷ついただろうが、もう仕方がない。
大金を得た出所はそれで問題ない。
官憲の追及もそれで大丈夫だろう。
しかし――悪人の関心を集めることは、避けられない。
「お前はこれから、雲霞のごとく押し寄せる悪人どもの対処をしなきゃいけないんだぞ。金のある所には人が集まる。悪人も善人も集まるけど、悪人の方が多いのが世の常だ」
「善人も? 悪人が集まるのは分かるが……」
「お前にすがって自分の借金を返してもらおうっていう人間がやってくる」
「……それ、善人か?」
「切羽詰まれば人間はどんなことだってやる。たとえば一家心中するしかないところまで追いつめられた人間が、お前にすがれば出してくれるかもしれないと思ったら? 少なくとも出せるだけの金があると判ってるんだから」
「ああ……」
「あるいは、自分の事業に投資してほしいって人間が来るかもしれん。以前のお前のように、やりたいことがあって、社会的意義があると信じていて、でも先立つ金がないっていう場合、一番いいのは金持ちを口説いて金を出してもらうことだ」
リオンは、金持ちのパトロンが芸術家や冒険家を援助することに肯定的な文化に育ち、肯定的な立場である。
よってジョカの話はすんなり頭に入った。
「ああ……なるほど……。それは善人だな。でも、今は駄目だ。むしろ、私がそういう立場なんだから。あなたを口説いて金を出してもらっている。私ではなくあなたを口説いてくれ、と言ってもいいか?」
「いいけど、それでもお前に来る人間はいると思う。だって、俺がお前にベタ惚れってこと知らない奴は滅多にいないから」
国王の愛妾が、時として王妃よりも力を持つのと同じだ。
「影響力か……」
リオンがポツリとつぶやき、ジョカは肯(うべな)った。
「実際、俺はお前に口添えされたらかなりの確率でそうすると思う」
「……わかった。何か失敗したり躓いたら、ちゃんとあなたに相談するから」
「そうしてくれ」
ジョカがあえてその条件を付けくわえたのは理由がある。
ジョカはリオンを愛しているし、リオンもジョカを愛しているが、だからといって隠し事がない関係などではない。
リオンに依存心がなく、自立心が高いからこそ、危険なのだ。
男は、意中の相手にこそ見栄を張りたがる、そういう悲しい生き物である。
リオンのような自負心の強い人間ほどそうだ。
リオンが何か失敗しても、高いプライドと矜持がかえって足を引っ張って、ジョカにその失敗をさらけ出せないかもしれない。
そして多くの場合――そうして隠そうとすることが余計に事態を悪化させるのだ。
「お前がどんな失敗しようと、俺がお前を見捨てるってことは絶対にないから。だから、ちゃんと困ったことになったら言ってくれ」
リオン自身がそれでも隠したいと思うのなら効果はないが、ジョカは釘を刺すことにした。
事業の出資者としても、当然の要求である。
リオンは頷く。
そこへ、扉のノックする音が響いた。
と同時に、扉を開けようとガタガタ揺する音も。
一体誰だと二人は顔を見合わす。
相手はすぐに判明した。
「先生! お帰りになったんですね!」
扉の外から響く声に、ジョカはすぐに誰なのか分かった。
押しかけ弟子の少女だ。
接点のないリオンの方は判らなかったらしく、ジョカにたずねた。
「患者か?」
「いや……弟子の子だ」
ジョカはテーブルの上の紙をしまうと、無言でリオンが扉の前方、正面から少し離れた位置にずれる。扉の脇に廻ったジョカは鍵を開けた。
「先生!」
鍵を外したのと同時に黒い塊が飛びこんできた。
勢いそのままに少女は前方にいた青年に抱きつく。
「ご無事でよかった! 予定よりずっと遅くって……わたし、わたし……! ひょっとしたら先生の身に何かあったのかって……!」
「落ち着いて」
ゆっくりと、柔らかい声で言ったのはリオンだ。
「え、あ、あれ?」
至近距離でリオンの美貌を見た少女は自分の勘違いに気づき、みるみる顔が赤くなっていく。
少女に抱き付かれたリオンは安心させるように優しく笑う。
男ならさっさと蹴り倒しているところだが、筋金入りの男女差別主義者であるリオンは女性には優しい。しかも子どもだ。リオンが優しくする条件は役満で揃っていた。
「あ、す、すみません。先生の大事な方……ですよね」
「そう。君の先生はあっち」
リオンはジョカを指さす。
今度こそ、少女は師匠に抱き付いた。
「先生……! 良かった、よかったです!」
当初の予定よりずっと遅くなったので、少女は気が気でなかったのだろう。
山賊、事故、病……死に至る原因がいくらでも転がっているご時世なのだ。
無事を泣きじゃくられたジョカが困ったようにリオンを見て、リオンは軽く肩をすくめる。
無言の許しを得て、ジョカは少女の頭をぎこちなく撫でた。
「俺はだいじょうぶ。ほら、いい加減泣きやめ」
「よかった……よかったですう……」
少女は落ち着くと顔を上げ、目と目を合わせると――訴えた。
「――先生。どうか助けてください!」
「……はあ?」
少女は必死の表情で言い募る。
「先生がいない間に、親が私の嫁ぎ先を決めてしまって……。治療師になるなんて馬鹿な夢を見ていないで嫁げって!」
「あ? 両親の許可はもらってあるんだろう?」
「私はほんとうに治療師になりたかったけど、親は私に先生の手がつくことを期待していたんです!」
「……ああ……」
「でも、先生は私のことなんか眼中にないし! 父は先生のその、性癖を知って、長期不在で戻ってくるかどうかもわからないって私を無理やり嫁がせようとしているんです!」
そこで、話を聞いていたリオンが首を傾げた。
娘の嫁ぎ先は親が決めて当然、というリオンには少女が嫌がる理由が理解できない。
「ジョカ。この辺ではこれは悪いことなのか?」
「いや。この辺でも娘の嫁ぎ先は親が決めるのが普通だな」
「じゃあ何も悪いことはないんじゃないか?」
「――わたしはいやなんですっ!」
リオンとジョカの、暢気とも言える会話に当事者である少女は涙を貯めて叫んだ。
「私は治療師になりたいんです! 借金のカタにあんな男に嫁がされるなんて死んでも嫌! 先生、どうか助けて下さい!」
「そんなに嫌な相手なのか?」
「五十すぎの男の妾なんです! しかもしょっちゅう奥さんは顔を腫らしているんです。家の中で暴力ふるってるんだって近所中のうわさなんです。あんなところ、嫁ぐなんていやあ!」
頼られたジョカは、顔の表情を困ったものに変えた。
「――とは言っても、親御さんの決めたことだろう? 俺が口出しできることなんて何もないぞ」
できることといえば親と話をすることぐらいだが、それだって「家庭のことに他人が口出しするな」と言われればそこまでだ。
「いえ、先生が助けてくれればどうにかなるんです。どうか先生、私を買ってください! 一生私、先生のために働きます! 家事も仕事もやります! 治療師の修行だってずっとずっと頑張ります! だから……だから、どうか助けて下さい……」
そのとき、ジョカがリオンの様子をうかがうと、すっかり同情している様子で顔には憐れみが浮かんでいた。リオンは、基本的に女性に優しいのだ。
――いや、お前が同情してどうするんだと言いたい。
ずっと接していたジョカが少女の災難に同情するのはありとしても、リオンの方は少女との接点はほとんどない。
声を聴いても誰なのかわからなかったほどだ。
懸念したジョカはリオンの方をじっと見たが、数秒経ってもリオンは何も言わなかった。
先ほどのジョカの言葉を、ちゃんと覚えているのだろう。
――リオンが口添えしたら、ジョカは。
その態度に満足したジョカは頷き、少女をまずは自分から引き剥がした。
乱暴な仕草に少女はたたらを踏んだがこらえた。
「え?」
「誰に言われた?」
「え?」
「俺に、そう言って金を引っ張ってこいって誰に命令された? 親か?」
リオンははっとした様子で顔を上げた。
ここに至るまで気づかなかったリオンも、ここまで来たら気がついたようだ。そうでなければ困るが。
少女の顔から、どんどん血の気が引いていく。かさかさで薄皮の浮かんだ唇がぶるぶると震え、内心の動揺を映し出す。
ジョカと、これまでこの町でいちばん多く接してきたのがこの少女だ。
女は家に引きこもって家の内々のことをやるべき――そんな認識の強い時代に、女性の治療師志望という頓狂な夢を持つ少女である。
小さな体で頑張って働く様子に、好意を持っていた。
傍目にも、ジョカはこの子を可愛がっていた。
リオンと同じだ。――だからこそ、利用される。
「わ、わたし……」
「うん、誰に言われた?」
口調は優しく、けれども言葉ははっきりと、逃げられないということを暗に教える。
少女の表情は、もう、卒倒するんじゃないかというほど白かった。
弟子の少女にもジョカが誤魔化されてくれないことは伝わった。
こういう時、決してジョカは手加減しない。
弟子であり、この町の住民の誰より長い時間一緒に過ごした少女はそれを知っている。ジョカが優しいだけではないことを。
少女はつっかえながらもその言葉を口に出す。
「お、お父さん……と、お父さんがお金を借りた人……」
ジョカは嘆息した。
「そうか」
「ほんとに売られるんです! 先生に断られたら、お前は売るって……。そうじゃないと借金を返せないって……、それが嫌なら、先生がお金を出してくれるよう説得しろって……」
半べそで言葉を吐く少女の様子は、嘘とも思えない。
実際に、困窮して娘を売る親など珍しくもない。
ジョカはぽん、と弟子の少女の頭に手を置き、リオンを眺めた。
「さて。リオン、お前はどうする?」
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