ジョカの視線の先で、リオンはぎこちなく顔を動かし、当然の反問をする。
「なんで、私に聞くんだ? あなたが決めるべきことだろう?」
少女を助けるも、助けないも、すべてジョカの胸先三寸――ではない。なぜなら。
「俺が、こう言うからさ。リオンが助けてくれと言えば助けよう。助けないというのなら、助けない」
リオンは衝撃を受けたようだった。
「なんで……?」
「なんでだと思う?」
「――見捨てるかどうか、私に選べと言うのか?」
「見捨てる、というのは正しくないな。ありのまま、ごく普通に流されるだけだ。それは悪い事でもないし、珍しくもない。世の多数がとる行動だ」
リオンは涙をいっぱいに貯めてこちらを見つめる少女と、ジョカを交互に見た。
「……あなたが助けたいというのなら、助ければいいんじゃないか? だって、あなたの、弟子だろう?」
「だって、俺は自分の生活がいちばん大事だもの」
ジョカはにっこり笑った。
「この子を助けるということは、金を出すという事。金を出すという事は、この子の親に付きまとわれるということだ。金づるになるとわかった人間を、解放してくれると思うか? 何かあるたびに金を請求されるぞ」
少女は提示された未来予想図に体を震わせる。
リオンも同感だった。
一度で済まない。済むはずがない。
彼女という弱みに食いつき、幾度も幾度も金をすすりあげるだろう。
「俺は、自分の生活がいちばん大事だ。生活を脅かさない範囲内でなら、助けの手を差し伸べてもやれるけど、今回はそれじゃすまない。他人の、家庭内の事に口出しするんだ。俺は、平穏な生活を諦める覚悟がいる。だから助けない。
――リンカ、お前はそれを、酷いと思うか?」
少女は泣きそうな顔だったが、かぶりを振った。
「……いいえ。酷くありません。いつも、先生は治療費の払えない貧しい人も快く治療してくれました。先生は、優しい人です」
その返答を聞いたとき、リオンはこの少女を見直した。
大恩ある師を罠にはめ、金を引き出そうとしたということで少女の評価はだだ下がりだったのだが、少女ははっきりと言った。
自分を見捨てることは優しい、と。
自分の生活に影響のない範囲でなら助ける。
ジョカの言葉は酷くはなく、普通のことでもなく、優しいことだ。
自分の生活を脅かさない範囲でなら、助けてくれるのだから。
だが、頭でそれはわかっていても自分自身の事だ。
実際に、それを認めるのは容易ではない。
「……あなたはどうしたいんだ? まずはそれからだろう?」
「おれ? 俺はリンカを助けたいよ」
さらりと言われ、少女も、リオンも呆気にとられる。
「なら――」
「リンカのことは助けたいけど、最悪を考えれば俺たちは投獄される。そんな重大な決断は、俺の独断じゃできないし、していいものでもない。そうだろう?」
リオンは口をつぐむ。
確かに、最悪を考えれば投獄、懲役、鞭打ちもあり得るのだ。
婦女誘拐はそれくらい重い罪になる。
そして、親の同意なしにリンカを連れ出すしかないという事態になれば、すなわちそれは誘拐である。
「『助けてもいい』じゃ駄目だ。『助けたい』じゃなきゃ。リンカを助けるっていうことは、それだけの覚悟がいることだ」
ジョカの言葉がようやくすべて腑に落ちた。
リオンは、少女と関わりなどない。他人同然だ。リオンにとっての彼女の価値とは「ジョカが可愛がっている」という一事に尽きる。
そんな少女のために、ジョカの独断でリオンにも被害がいくような選択はできない。
リオンが言ったような、「助けてもいい」では駄目だ。
「助けたい」という想いをリオンが持たず、ジョカがひとりですべて決めてしまったら、被害をこうむったときリオンはジョカを責めるだろう。
一人で決めるには、大きすぎる。
二人の今後の人生にも関わる事だから、ひとりでは決めない。
ジョカのそういう態度は、リオンにとっても好ましい、納得のいくものだった。
リオンはまた、少女を見つめた。
少女は頭の上にジョカの手を置かれたまま、白い顔色でリオンを見つめて唇を必死に動かす。
「お願いします……、わたし、結婚なんてしたくない……! 治療師になりたいんです! 先生みたいな治療師に! 何でもします、だからどうか助けてください」
すがられたリオンは、珍しく心底困った顔になった。
現在のリオンから見ても、粗末な服。まったく手入れされていない髪や唇。あかぎれの目立つ手。
貧相な少女である。体つきも細い。肌は若さの特権で手入れナシでも見られるが、年を取ればあっという間に潤いをなくすだろう。
リオンは膝を折った。
視線を合わせ、問いかける。
「結婚したくないのは、どうして?」
「私、治療師になりたいんです……! 結婚したら、先生のところに通うことなんて許してもらえない!」
「でも、君のお父さんが決めたんだよ? それに、私たちは、君の家庭の事情にまで口を挟む権利はない。誰かの妻になって子どもを産んで育てるのは、ごく普通のことだよ。そんなに嫌?」
「嫌です!」
返答は雷鳴よりも早かった。
リオンは瞠目する。
少女はさっきまで白かった顔に朱を散らし、言い募る。
「私が、嫌なんです。私を、助けて下さい。かってに結婚を決められて、かってにどこに嫁ぐかも決められて誰も私の意見なんて聞いてくれなくて……! 私は、治療師になりたいんです。どうか助けて下さい」
話は聞いていたが、こうしてリオンがジョカの弟子である少女と直接話をするのは、これがほぼ初めてになる。短い挨拶程度ならあるが。
初めて話をする少女が自分が思っていたよりずっとしっかり自分の人生を生きる意思の強い子だという事を知って、リオンは驚いた。
「君は、女の子だよ?」
「女だからってなんで自分の人生を自分で決めちゃだめなんですか!」
即座に叫ばれて、リオンはその言葉が自分の心を鋭く貫通するのを感じた。
少女はリオンをまっすぐ睨みつけた。愛しい人と同じ、黒い瞳。
その瞳に宿る意思の強さに、リオンはその瞬間気圧された。
「私は、治療師になりたいんです。みんな夢物語だできっこないって笑うけど、私はそのためにこれまで頑張っていました」
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