「えええっ!?」
声変わりしたばかりの少年の声が、天幕いっぱいに響き渡った。
「オルウさま、本気ですか? ご使者ですよ、ご使者! そりゃあユージーン様は剣の腕も魔法の腕も村一番ですけど、護衛としてならともかく使者としては正直ヤバいって人選じゃありませんか? どうせ本当だけど言わない方がいいこと言って相手の村の方の逆鱗にふれて怒らせてしまうのがオチじゃないかと。悪いことは言いません、しばらくは護衛として、ジャシム様とかの落ち着きとか配慮とか角のたたない優雅な口上なんかを勉強してからの方が―――いてっ!」
立て板に水の弁舌は、隣の青年に頭を殴られて止まる。
思わず口元に手を当てあらぬ方を向き、笑いをかみ殺す者、多数。
今しがた、見事な口上を披露したのは、つい先日十五歳―――大人になったばかりの、最年少の少年である。名前をコウヤという。
そして、コウヤの隣に座っている青年が、ユージーン。先ほどコウヤに言いたい放題言われた当の本人であった。
村長(むらおさ)オルウの孫息子で、次期村長と目されている青年である。オルウの息子夫婦は、去年の冬に風邪をこじらして帰らぬ人となったためだ。とはいっても、もう何年も、冬以外の季節は来ていないのだが。
「いって~~~! なにするんだよ、ユージーンさま!」
「何をする、だと? 少しは口に遠慮とかいうものを身につけたらどうなんだ、お前は!」
「だってご使者だよ、ご使者! 村々をめぐって、長さまたちに挨拶してお世辞言って持ち上げて仲良くしなきゃならないんだよ? ユージーンさまは確かに次期村長だけど、今はどこも余裕がなくてツンケンしているんだから、もっと順当な方を立てて、ユージーンさまは経験積んでからにした方がいいじゃんっ!」
本人を前にしてずけずけ言う辺り、この少年の性質は陰湿さとは正反対にあった。
コウヤは栗色の髪を三つ編みにした少年だ。瞳は黒。くるくる変わる表情と、愛嬌のある裏表のない性格のため、村人みなから愛されていた。
そして、言っている内容も、密かに円座の多くの者が頷いたことだった。
広々とした天幕の中である。中央にはかがり火が焚かれ、その炎を中心に、円座となって三十名ほどの者が集まっていた。
集う者は皆髪が長く、三つ編みにしている。そうしてもなお、多くの者は腰以上の長さがあった。
髪の色は黒、焦げ茶、茶色のどれかである。肌の色は日焼けした小麦色をしていた。
天幕は二重に張られていた。そうすると間に空気の層ができ、断熱の効果を果たすのだ。その効果が知られるようになってから、村では皆、石造りの家から出て貯蔵庫にし、天幕の中で暮らすようになっていた。
この天幕は村一番の大きさで、村長の家である。重大な集会のときには、今のように村の成人した男たちが集まることになっているのだ。
「私が決めたことだよ、コウヤ」
一番上座に座る、千年を経た神降る岩のような老婆が口を開いた。
村長のオルウである。
そのしわがれた声は、決して大きくはなかったのだが、口の減らないこの少年を黙らせるだけの「力」があった。それは、言葉にするなら威厳というべきものだろう。
孫息子のユージーンには、いまだ持ち得るべくもないものだ。
「しかし……オルウ様。コウヤの言うことにも一理あるかと思いますが」
これまで、村の使者役を何度も務め、大過なくこなしてきたジャシムが言う。落ち着きある壮年の男で、村ではオルウに次ぐ、有力者だった。
「私ももう歳さね。いつ息子たちの後を追ってもおかしくない。ユージーンは、もう二十六。そろそろ村長としての務めを理解し、果たしてもらわなきゃいかん頃だ」
「ですが、感情のもつれは厄介なもの。まして、時期が時期です。ユージーンさまは悪気はないのですが、言葉に棘のある方。戦にでもなったら―――」
オルウは素っ気なく言う。
「問題ないよ。あんたにひと月前、廻してもらった書状があったろう」
「ええ……」
その箱を銀月の村に渡した。銀月はその次の村に渡す。そうやって順繰りに回ったはずだった。
「それで、根回しは済んでる。どこも、春を待ち望むのは皆同じさ。ユージーンたちがそれをもたらすとなれば、どの村もこぞってこの子たちを歓迎するだろうさ」
ざわり。
そんな音さえ聞こえるほど明瞭に、場がさわめいた。
誰もが目を見開き、腰を浮かせた者も少なくなかった。コウヤも、ユージーンも例外ではない。
世界が冬に閉ざされて、五年がたつ。
世界の中央に位置し、原初の生命である世界樹が、枯れたためだ。
原因はない。不心得者のために揺らぐような樹ではないのだ。
世界樹といえども、逃れ得ぬ運命―――老いである。
世界樹は、原初の生命にして、命のみなもと。そんな世界樹が倒れた影響は、終わらぬ冬となって表れた。
村々は雪で閉ざされ、石造りの家は捨てられ、植物も育たず、野の獣も痩せこけたものばかり。それでもそんな獲物を細々と狩り、凍りつくような川に入って川魚をとり、世界樹が枯れる兆候が見えたころから必死に備蓄した食料を細々と食いつないで、人々は生きてきた。
すべての村が、春の訪れを焦げる想いで願っていた。
このまま時がすぎ、食料が尽きれば、先に尽きた村から、決死の死に物狂いの戦火が広がるだろう。座して飢え死にを待つよりはと、まだ食料の残る村へと戦が仕掛けられ、それは瞬く間に燃え広がっていくだろう。
春。
それは、餓死の恐怖からも戦の恐怖からも逃れられる、唯一の希望だった。
「長……そ、それはどのような?」
ジャシムは自分の声が震えているのを自覚した。だが、当然だった。
オルウは、素っ気なく言う。
「世界樹を蘇らせる方法が、たったひとつだけある」
場に、その方法を聞きたいという空気がみなぎる。
しかし、オルウはその方法を口にする気はないらしく、散会を告げた。
三々五々、立ち上がり、天幕を出ていく。その表情は一様に明るい。
オルウが皆にかけた、
「あと少しの辛抱だよ。我慢しな」
という言葉のためである。
「ユージーンと……コウヤは残んな」
「え? 俺?」
立ち去りかけていた少年は面食らった顔で振り返った。
「ああ。あんたは、ユージーンの従者として行くんだよ」
「えっ……」
コウヤはこの村で最年少、十五歳の少年である。
こんな史上最も重大な使者といっても過言ではない役目の従者としては頼りない選定で、その声を聞いた付近の人間は皆、けげんな顔になる。
「あんたはユージーンと仲がいいからね。ユージーンの世話役だよ」
その言葉に、誰もが納得して頷いた。
ユージーンは、剣の腕も魔法の腕も文句なしに村一番で、その魔法は何度も他の村からの斥候らしい人間を阻んできた。
だがその反面、難しいことも村一番なのだった。
我が儘で、自分勝手で、なまじ剣と魔法の腕がいいだけに怒らせたら怖いと誰も逆らわないユージーンに、唯一面と向かってつけつけ言う相手―――それがコウヤである。
非常に口が減らない少年だが、村の中でこの少年を嫌っている人間は一人もいない。気難しいオルウですら。
冬に閉ざされたこの世界で、コウヤは春の気配を感じさせた。
二人は皆が出ていくまで少し待つ。
その間に、ユージーンはいつもの調子でぼやいた。
「あーかったりー。こんな面倒な役目、ジャシムにおしつけりゃいいのによー」
「ユージーンさま……」
さすがに、コウヤもとっさに言葉が出ず、深い深いため息を吐いた。
そして息を吸い込むと、
「春だよ、春! 春が来るんだよ!? どんな風にして世界樹を蘇らせるのか知らないけど、これで世界が掛け値なしに救われるんだよ!? 一族郎党子々孫々に至るまでの大名誉だよ! それをかったるいなんて何考えてるのさ!」
まくしたてる、という言葉がぴったりの勢いだった。
それを聞くユージーンはさぞ怒っているかと思いきや、何やら非常に愉快そうである。
二人の目の前を通り過ぎていく人々も、またやってるよ、と言わんばかりの温かい微笑を浮かべている。
「お前もなあ、俺にホント遠慮なしに言うよな。よーやく大人になったことだし、そろそろ食っちまうか?」
「食っちまうって何を食うんだよ? 俺は余分な肉なんてついてないからまずいよ!」
「ばーか、お前ほんとガキだな。食うは食うでも―――」
「ふたりとも、おいで」
村長の一声に、ユージーンでさえぴたりと口を閉ざし、二人は素早く御前に出てあぐら胡坐の形に座った。
長の席に座っているオルウは、体こそちんまりと小さいながらも、小ささを感じさせない威厳で二人を見やる。
「ユージーン。お前は、私のたったひとりの孫だ。なかなか口に出して言う機会はなかったが、私はあんたが赤ん坊だったころから、憶えてる。お前のむつき襁褓を、何度も代えた。可愛い、大事な、たった一人の孫だ。
コウヤ。私はあんたもとても可愛い。あんたがいると、こんな閉じ込められた陰鬱な冬空の下でも、すうっと清涼な風が吹くようだよ」
聞いたことのない声だった。
巌のような姿しか見たことのない村長の、情がにじむ姿だった。
この明星の村では、これまでに餓死者は一人も出ていない。
村の最年少者であるコウヤは、十五歳。それ以下の幼い者は、皆、胎児のうちにこの老婆の命令で、流された。
当時、いまだ冬は遠く、父母たちは断たれた子どもの命を思い、村長を憎み罵ったものだった。
オルウは村の共有財産である銀山からの収益をすべて独り占めにして懐に入れていたから尚更だ。その収益があれば、子どもが育てられたのにと、父母たちは深く恨んだ。
それをそよ風のように受け流し、その頃と変わらず、十五年たった今もなお、オルウは村長だった。いっかな死ぬ様子もなく、妖怪との噂もある。
醜く、強欲で、頑固な老婆は、村人からは恐れられ、嫌われていた。
例外は、コウヤぐらいである。孫のユージーンも、この老婆を明らかに煙たがっていた。
「だから、あんたにこんなことを言わなきゃならんことはつらい。身を切られるほど、つらい。だが、きいとくれ」
「は、はい。オルウ様」
すぐには切り出しかねたのか、三拍程の間の後、オルウはゆっくりと、話し始めた。
その無数の皺の刻まれた面には、苦渋の色があるのかないのか……。
「あんたたちは、村々を巡った後、世界樹へ向かってもらう。道中は、根回しをしたし、どんな村の人間だってあんたたちを最上級の賓客としてもてなすだろう。春をもたらす使者だからね。村の人間は問題ない。問題があるとすれば、はぐれ者だが―――」
ちらりと、孫息子に目をやる。
「わあってるさ。俺が何とかしろってんだろ? 山賊ぐらいまかせとけって」
「頼んだよ。あんた達が死ねば、それが世界の滅びなんだからね」
コウヤはずうんと重荷がのしかかるのを感じた。―――確かに、自分たちがいなくなれば春が訪れなくなるということで、つまりそれは、世界の滅びということなのだ。
「あの、オルウ様。二人だけじゃやっぱり不安なんで、もう一人ぐらい」
言い終わらないうちに、ユージーンが割って入った。
「やーだよ。くそうっとーしーったら。お前は俺の足手まといにならんよう、戦闘になったら隅っこでちんまりしてろ。そしたら俺が全部なんとかしてやる」
コウヤは、ユージーンが他の人間と起こす騒動を想像してみた。
―――まず、最初の一日目で相手は怒って帰るだろう。
……コウヤはそれ以上、オルウに護衛増員を願うのをやめた。
オルウはコウヤとユージーンに目をやり、二人が頷くと話を進めた。
「世界樹についたら、ひとつぶの実をお探し」
「実? それってまさか―――」
オルウはゆっくり頷く。
「そう、世界樹の実だよ」
二人は息をのむ。
「見つけたら―――コウヤ。お前は、その実を、飲むんだ」
「え? でも、そんなことしたら」
次の言葉までには、間があった。オルウはゆっくりと頷きながらいう。
「……そう、そんなことをしたら、あんたは死ぬ」
コウヤはすっと鋭く息を吸い込んだ。
「なっ――!」
ユージーンも腰を浮き上がらせた。今にも掴みかからんばかりだ。
そちらには目もくれず、オルウはコウヤに目を合わせて言う。
「あんたの体を苗床に、世界樹は再び芽生える。朽ちた世界樹と、あんたの体を苗床に、新たな世界樹が芽吹くんだ」
コウヤは、目を見開いたまま、その言葉を聞いていた。
「誰かがしなきゃいけない。誰かがやらなければ皆が死ぬ。お前がそうならなければ、この世界の全員が死ぬ」
「だからってなんでこいつが死ななきゃならない! そんなこと言う死にぞこないがやったらどうだ!」
オルウはゆっくり、かぶりを振った。
「代われるものなら、代わりたいよ」
寂しげな、演技とはとても思えない実感のこもった声だった。
その声ににじむ疲労感に、二人とも言葉を失う。
「このしわしわの体で、この村の中さえ満足に歩けない足で、世界樹までの旅ができると思うかい? 死ぬだけさ。よしんば、たどり着けたとしても―――この体じゃ、栄養はなかろうよ。若い体の、誰かに嫌々強制されてじゃなく、自ら進んで世界樹の糧となろうって人間でないと、世界樹の苗床には、ならないんだよ」
コウヤは顔を強張らせていた。
頭の中では、今しがた聞いたばかりの言葉がぐるぐる回っている。
新しく生まれいでる世界樹。
その―――苗床に、自分を?
「済まないね……実は一年前にはこの方法が見つかっていたんだよ。だけどね、他に方法はないかと、探していてね、遅くなってしまった……」
その結果は、聞かなくともわかった。
見つかっていれば、こんな話をするはずがないのだ。
オルウは探した。探して、探して―――見つからなかったのだ。
なぜ、オルウが自分を選んだのかもわかっていた。
この村で一番若くて健康で、しかも家族はいないからだ。両親は二年前、狩りのときに飢えた獣に襲われて、命を落とした。
春が来る。
自分ひとりの犠牲で、春が来る。
死にたくない。人生に未練はたっぷりある。
もうどんなだったか覚えていない、春。
春の空気の中で走ったり歩いたり花を見たり青空を見たり可愛い女の子と一緒にいちゃいちゃしたりしたい。
死にたくはないが……このまま、春が来なければ、どっちみちみんな死んでしまうのだ。
誰かがやらなければ皆が死ぬ。黙っていても誰も代わりにやってくれはしない。
「誰か」じゃない。自分がそうしなければ、この世界の全員が死ぬのだ。
コウヤは頷いた。
「オルウ様。わかりました。俺、やります!」
「……コウヤ。すまないね……」
やつれた声だった。
ユージーンは、一言も喋らず黙っている。
やがて二人が席を立ち天幕を出ていくとき、オルウは鋭い一言をその背に投げつけた。
「ユージーン。
わかるね?」
「……ああ。この、クソばばあ」
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