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あかね雲

□ 君の死骸を苗床に、未来の樹を芽吹かせよう □

《旅立ち前夜》


 旅立ち前夜。
 村は、盛大な宴となっていた。

 オルウから、村人全員に、二人が春をもたらす使者となることを告げたからだ。
 そして、こうも付け加えられた。
 世界樹を蘇らせる道中はつらく厳しく、死の危険もある。皆、最大限の感謝を二人に捧げるように―――。

 事実上、二人の望みは何でも叶えてやれという通達に等しい。
 しかし、その主役の一人はもてなしから離れて、少し離れた物見の塔から、町の様子を見ていた。

 物見の塔は、木造りで、高さは大人五人分にもなる。この村の全域をすっぽり見通せる高さだ。途中の階段はむき出しだが、最上階は表面に油脂を塗った毛皮で覆われ、物見の窓以外は密封されて、長時間の見張りができるようになっている。一年前全焼し、再建した。
 そこに、コウヤは来ていた。

 冬の陰鬱な空に覆われてから初めてといっていいほど、村の人々は華やいでいる。
 皆、春が訪れるのが嬉しいのだ。
 そして、それを見ているコウヤも嬉しい。

「……よお。こんなところ来てたのか。探したぜ」
 背後から声をかけられ、振り返った。
「……ユージーンさま」

「あのクソばばあも、今日ばかりは大盤振る舞いして御馳走出してるぜ。お前が食わないでどうすんだよ」
 さすがのユージーンも、常日頃はオルウのことを「おばあ様」もしくは「村長(むらおさ)」と呼ぶ。
 昨日のことがよほど腹に据えかねていると見える。
 少し嬉しい。それは、それほどコウヤのことを思ってくれているということだから。

「ユージーンさま、オルウ様のこと、そんな風に言うのはよくないよ」
 恨む気持ちは、ほとんどない。
 オルウの、自分が行ければ行ったというあの言葉は、本心からのものだったからだ。
 ユージーンは、コウヤの隣に腰をおろす。

「ああ? お前な、あんなこと言われて、まだそんなこと言ってんのか。そーんな面してこんなところに引き籠ってながらよ」
「オルウ様は悪くないよ。行けといわれたことについても、恨んでない。俺が嫌なのは、……みんなが、すごーくちやほやすることに、だよ」

「ああ?」
「俺は死ぬかも知れないから何でも望みをかなえてあげなきゃってみんな思ってる。俺が気を変えて、行かないと言ったら困るから。女の子だって……。でもそれってさ、変だろ!?」
 コウヤは言いながらむかむかしてきた。

「そりゃ、みんなからすれば当然だと思うよ? 感謝の気持ちを示さなきゃってのもわかる、わかるけど―――すっごいヤなんだよ、俺は! みんなが腫れものにさわるように俺に接して、いつもみたいに俺が馬鹿やったりしても誰も咎めないし気安く小突いたりしないのって、スッゲーやだ!」

 ユージーンは黙って聞いている。「聞いてもらっている」ことに気まずさを感じて、腹の中のもやもやの正体がわからなくて、コウヤは声を落とした。
「なんか……俺が、勘違いしそうで、やなんだよ」

「ちやほやされんのは、当然だろ? 俺たちは英雄だぜ? 特にお前は、正真正銘の英雄だ。なんたって、自分の命を投げ出して世界樹を復活させるんだからな」
 コウヤは目を見開いた。わかった気がした。

「……それが、やだ。わかった。俺が、自分で自分のこと勘違いしそうなのが嫌なんだ。俺はお前たちのために命を捨ててやるんだから、特別扱いして当然だって気持ちが隅っこにあって、でも俺はそんなの嫌なんだ」
 コウヤがこの気質に育ったのは、最年少の子どもとして村の皆から惜しみない愛情を注がれたからだ。

 俺はお前たちのために命を捨ててやる。だから感謝しろ。
 そんな傲慢な気持ちが胸のどこかにあるけど、そういう風になりたくないと思う自分がいて、でも村の皆にちやほやされるとそんな気持ちが大きくなるから、だから嫌だったのだ。

「俺―――いつもどおりに皆に扱われたい。ヘマやったら怒られて、馬鹿やったら笑われて、頭ぐしぐしされてる方がいい」
「……ああ。俺もそう思うぜ? 俺様は救世主でござい、なんてそっくり返ってるお前なんざお前じゃない。お前はいつもみたいに減らず口叩いて、みんなを笑わせているのがいいんだよ」

「ありがと、ユージーンさま。おかげでわかったよ! あれ? どうしてユージーンさまはここにいるわけ? 奇麗な女の人がいっぱいはべってたのに」
 村の人間は、誰もが髪の毛を伸ばしている。長い髪の毛は、防寒の役に立つ。寝るときは首に巻けば、それだけで燃料の節約になるからだ。
 ユージーンもまた、長い黒髪を三つ編みにしていた。瞳は深い青。
 ユージーンの顔の彫りは深く、名工に丹念に刻まれた彫刻のようだ。鼻梁は高くすっと通る。その鼻梁の落とす影が、印象的だった。

 それで、剣の腕も魔法の腕も一番で、次期村長。もてないはずがない。
 平素からユージーンはもてていたが、今日はまた格別だった。

 そして、ユージーンは女好きである。自分から誘うことはないが、誘われれば断ることはまずない。
 ユージーンは、息を吐き出して言った。
「お前といるのが、一番落ち着く」

 少しの疲労と、郷愁がにじんだ声音。
「お前だって、村の女たちからコナかけられてたじゃないか。行かないのか? 女と寝たことまだないんだろ? 今ならどの女もヤらせてくれるぜ?」

「うーん……」
 年頃だ、そういうことに興味は当然ある。あるのだが―――

「やめとく。そんなの、悪いだろ? 感謝とかお礼の気持ちとか悪いからとかで女の子に差し出されてもさ」
 肩をすくめた。経験したことがないから夢見がちとか言われることは百も承知だが、ほんとは嫌なのに体を差し出されてもなあ、と思うのだ。

「それとな、コウヤ。俺のことユージーン様、はやめろ。ユージーン、でいい」
 コウヤは少し考えたが、素直に頷くことにした。ユージーンは、世界樹の苗床となる自分を憐れんで、そういう特権を与えてくれるのだろう。村人たちも、明日は出発することだし、事情が事情だし、うるさく言うことはないだろう。

「うん、わかった」
 コウヤは立ち上がると、物見の窓から外を眺めた。
 そこここにある天幕から、暖房用の炎の明かりがもれている。
 明日、この村を離れるのだ。
 そして、それきり、もう二度と帰ってくることはない。
 自分は、世界樹の苗床になって、春を呼ぶのだ。

 コウヤは、自分を愛してくれた村の人々を一人一人思い浮かべた。
 大好きだった村の情景を思い浮かべた。
 道の途中にあり、座るのによかった大岩。村の作業に疲れるとそこに腰を下して休んで。村の清水がわき出る泉。毎朝凍りついた水面を石斧で叩き割って水をくんだ。

 浮かび上がってきた涙をぐっとこらえる。
「……コウヤ。なにも、お前が犠牲になることねーんだぞ?」
「え?」

 コウヤは予想外の言葉に振り返ってぎょっとする。
 ユージーンは、コウヤのすぐ後ろに立っていた。
 その瞳に射竦められて、息が詰まる。
 初めて見る、顔だった。

「なーにが世界樹だ、なにが春だ。お前が犠牲にならなきゃならんそんなもん捨てちまえ。村を出たらこっそりどこかにいきゃあいいじゃねえか。この冬でも実をつける樹はあるし、川には魚もいる。二人ぐらいなんとか食っていけるさ」
 一瞬―――ほんの一瞬だが、心が揺らいだ。
 それでいいじゃないかと、そう思った。

 だけど、それは、一瞬のことだった。
 ユージーンは本気だ。ここで頷けば、その通りにしてくれるだろう。
 明日明星の村を出て、そのまま行方をくらませ、ふたりで細々暮らすのは、できないことではないだろう。

 だが、コウヤはかぶりを振った。
「できないよ。ユージーン。できないんだ。わかるだろ?」
 眼下に浮かぶ、いくつもの明かり。最近では、滅多にないほどの明かりの数。
 皆、喜んでいる。……コウヤも。

「でも、お前は……」
「いいよ。だって誰かがしなきゃいけないことだろ? 俺は別にいい。春が来るために誰かが犠牲にならなきゃいけないんだからさ。誰かがしてくれるだろうってみんなが待っていたら、いつまで経っても誰もやんないに決まってる」

 誰かがやってくれるだろう。
 ……誰が?

 待っていれば誰かがしてくれるだろう。
 ……みんなそう思っていれば、ただ待っている人間がたくさんできるだけだ。
 誰かがやるだろう、そう思い、結局誰もやらないのだ。

「……それに、オルウ様が一番つらいと思う」
 自分が行くのはまだしも気が楽だ。だが、オルウはそれを人に命じる、立場なのだ。
 想像するとぞっとする。
 おそらく、オルウは冬に閉ざされたこの世界で、最も年を経た人間だろう。普通の人間の寿命は五十前後だ。冬が来る前でそれだから、今はもっと低いだろう。だがオルウは、六十をとうに超えている。

 ユージーンは露骨にむっとした顔になる。
「あのクソばばあなんざ、同情してやる価値ねーよ」
 その声には、本気の怒りが感じられた。

 銀山の収益をひとりじめにし、自分の道楽に注ぎ込んだオルウに対する村人の視線は冷ややかだ。
 子を流された夫婦も、オルウを恨んでいる。
 けちで強欲で権力を振りかざして私腹を肥やしたオルウは、村人からの評判は最悪で、孫息子のユージーンが村一番の魔法の使い手でなければ殺されていただろう。

 昨日までのユージーンは、唯一の家族であるオルウに対しては敬意を払っていたのだ。
 ちなみに、銀に価値があったのは、終わることのない冬が始まるまでだった。
 まず、食料。次に実用的な価値。
 銀はやわらかく、すぐ錆びる。今の状況では美しさなど、何の価値もない。
 金はまだ錆びないという価値があるが、銀は何の役にも立たない金属として、打ち捨てられた。現在、装飾品を集めるような村は、皆無である。

「お前、荷物まとめたか?」
「うん。みんなが持ちきれないほどいろいろくれた。食料とか、衣類とか、薬草とか、護身用の小さな武器も貰った。いろいろあって、選ぶのが大変だった。あ、地図と、方位磁石もジャシムさんからもらったよ。お前が道案内しろっていうんだけど」

 それを聞き、内心、ユージーンはちっと舌打ちする。ニセの磁石と地図がパーだ。
 あのクソばばあと、心底からの憎悪でもって罵りつくす。
 クソばばあクソばばあクソばばあ。

 あの祖母が何を思い、何を狙って二人を送り出したのか、何も言われずとも、ユージーンは手に取るようによくわかる。
 なぜ、コウヤに生贄になれという話をユージーンの目の前で言ったのか。
 なぜ、ユージーンをコウヤにつけたのか。

 目の前の単純な少年はまるで気づいていないことだが、ユージーンははっきりと気づいていた。
 ユージーンは、これまで、祖母に対しては敬意を抱かなくもなかったのだ。この下らない村の中で、たったひとり。
 それに、家族としての情もあった。
 だが、それも昨日でふっとんだ。
 僅かな敬意も吹っ飛ぶような計略がそこにあった。

 ―――そして何より腹が立つのは、この期に及んでも、自分は、この弟分を見捨てて一人で逃げることができないということだった。



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Date:2015/12/24
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