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あかね雲

□ 君の死骸を苗床に、未来の樹を芽吹かせよう □

《第二の村、銀月(ぎんげつ)》


 世界樹への旅は、十個の村を経由して行う。
 その最初の村、銀月の村は、歩いて五日ほどの距離にある。

 道はあるが、ほとんどは雪に埋まっている。その雪が腰まであるため、行き来は困難を極めるのが常だったが、今日は昨日村人総出の雪かきのおかげで村からしばらくの間、道の困難さは解消されていた。
 ユージーンの張った結界のおかげで村の中はほとんど雪がないが、村を一歩出れば辺りは白い雪景色に包まれる。
 村近くの木々はほとんどが燃料となり、切り株は腰までの雪に覆われて、何も見えない。

 一面の白の中に伸びる一筋の黒い道を、二人で進む。
 天気は幸い曇り空で、雪は降っていなかった。
「うーさむさむ」

 全身を村人からの贈り物の防寒具に身をかためたコウヤは、分厚くなった手を口元によせ、赤くなった頬にそっと息を吹きかける。
 顔だけはさすがにむき出しで、手袋はすでに表面に氷の粒がついているため、頬をさすれないのだ。
 それでもこれまで着たことのない上等の防寒具はびっくりするほど暖かかった。

 油脂を塗ったなめし革は、水も風も弾いてくれたし、内側の毛織の一揃いは体温を逃がさず増してくれるかと思うほどで、懐に忍ばせた削り火は、内側から体を温めてくれた。
 背中に背負った荷物は相当な重量だったが、子どもは大事な労働力である。
 常日頃から村の仕事と家の仕事に借り出されてきたので、体にはしっかり筋肉がついている。重いことは重いが、音を上げるような重さではなかった。

 朝早くに村をでて、昼まで歩いたところで、快適な道は終わりを告げた。
 こんもりと、腰までの雪で道が埋まっている。当然道など見えないので、方位磁石を片手に迷わないよう進まなければならない。
 さあここからは大変だと、覚悟を決めたコウヤを尻目に、同様の大荷物を背負ったユージーンが手を突き出して何かを唱えた。

 一抱えもある大きな火球が生まれ、それが雪の上に陣取って、その放射熱で雪をどんどんと溶かしていく。
 目を丸くして見つめる前で、ある程度雪が溶けると、火球は前に進む。
 雪がくるぶしぐらいまでになった道を、雪を踏みつぶしながら二人は火球の後ろにつき従った。
 火球の熱でこちらまで温かい。

 道行きはゆっくりだが、雪の中を突っ切る苦労と疲労と時間を考えれば遙かに早い。
 防寒具が水に濡れたら、こんな雪原のど真ん中では凍死しろというものだ。
 水は乾くときに熱を奪う。乾く暇もなく、にじんだ水は体温を奪う。凍りつく寒さは気力をも奪っていく。
 なめし革の防水は完璧からは程遠い。雪をかき分けても防寒具に水がしみないほどではないのだ。
 だから、雪かきをしながら進むのが、こうした場合の安全策である。時間はかかるが命にはかえられない。

「……すっげー……。ユージーン。こんなことができるんなら、もっと早く言ってくれよ!」
「馬鹿かお前。言えばやれって言われるだろうが」
 しれっとしてユージーンは答える。
「ユージーン~~っ」

 何か言おうかと思い、口を開いたが……結局やめる。
 魔法というのは疲れるものなのだ。やりたくない気持ちも、わからないでもない。コウヤは、自分ばっかり魔法を使わされるというこの年上の友達のぼやきを聞いたことがあった。
 魔法というのは、努力すればできるというものではない。

 明星の村で魔法の適性があるのはユージーンを除けばコウヤの一つ年上のクライだけで、クライがユージーンのレベルになるまではあと数年かかる。
 村の結界はすべてがユージーンの手によるもので、何でも俺に頼るな、これだけやっているんだから雪かきで済むところは横着しないで自分でやれという主張も、まあわかる。

「ありがと。助かったよ」
「おお。……お前大荷物だなー。重くないか?」
「うん、実は雪かき用の道具入ってる。これから先、ユージーンに頼んでいい? 俺ばっかりやらせるなっていうんだったら持ってくけど」

「ま、いいだろ。捨てちまえ」
 ユージーンの許可を取り、ぽいと雪の上に投げ出す。

 じきに降る雪が、その道具を覆い隠すだろう。まるで何もなかったかのように純白の衣服の衣を広げる。
 だが春になり、雪が解ければそれはまた姿をあらわす。
 そうなればいいと、コウヤは祈った。

     ◆ ◆ ◆

 ユージーンの魔法のおかげで快適な道行きを夜まで続け、暗くなってきたところで野営の準備に入った。
 火球であらかた雪を溶かした後、二人で足踏みして雪を踏みつぶし、天幕を張る。中央に焚き火を一つ。簡単には消えないようにし、換気口もぬかりなく作ってから腰を下ろす。

 重い荷物を下ろすと心の底からほっとした。肩をさする。
 村人たちが用意してくれた食べ物は今の時期を思えば贅を尽くしたとさえ言えるもので、それを焚き火の火で軽く温めてから口にすると、思わず涙がでた。
 あれ? と思う。泣く気なんてなかったのに。

 止めようとしても、涙は次から次へと出た。
 結局止めるのを諦めて、もそもそと泣きながら食べる。
 コウヤは、明星の村が好きだった。雪に閉ざされる地方の村だが、村人は皆暖かく、優しかった。―――もう、あそこに戻ることは、二度とないのだ。

 それを黙って見ていたユージーンが口を開く。
「……うまいか?」
 こくり。
「もっと食うか?」

 ユージーンの分を指し示す。
 慌ててかぶりを振った。
「ばーか。遠慮してんなよ。めそめそ泣いてるくせに」

「なんだよ、ユージーンだってお互いさまだろ!」
「アホ。俺のどこがお前みたいに泣いてるっていうんだよ」
「心の中じゃ泣いてるだろ! 今日一日、ものすげー無口だったくせに。オルウ様とちゃんとお別れしてこなかったことが引っかかってるんだろ!」

 意表をつかれ、ユージーンははっとしてコウヤを見る。
 もくもくと脚を進めたのは、心に引っかかるものがあったから。そして、何が引っかかっていたのかは……たぶん、この口の達者な少年の言うとおりだろう。
 心の棘の正体をあっさり看破されて、ユージーンは苦く笑う。手を伸ばし、見抜いた弟分の頭をくしゃくしゃにした。

「お前はホントにおもしれーな。飽きない。―――そうだな。あのクソばばあ、ほんとに腹立つが……悪いばばあじゃなかったからな」
 両親が生きていたころから、よくあの祖母に面倒を見てもらったものだ。ユージーンに残されたただ一人の家族であり、―――そしてそれはあの祖母にとっても同じ。

 煮えくりかえったハラワタは、今日になってやっと祖母の立場になって考えられるようになった。
 祖母の立場から考えれば、最善の行動だったのだろうと、思えるようにはなった。
 ……頭が冷えても、許せないということには変わりないが。

「おい、コウヤ。ごほうびだ。荷物ちょっと貸せ。少し持ってやる」
「え? い、いいよ! 持てるから」
「あほ。お前がふらふらしてたのなんて判ってんだよ。大荷物すぎだ。お前」
 村人がくれる品物を、詰め込みすぎた。

 最初は良かったのだが、二時間もすぎると重さが心底こたえるようになり、食いこんだ肩紐に血流が遮られ、欝血するようになっていた。
 それでもやせ我慢で歯を食いしばっていたのだが、ユージーンには先刻承知だったらしい。
 ユージーンはコウヤの荷物をひも解くと、てきぱきとかなりの量をより分け、自分の荷物をひも解いてそちらに加え、まとめあげる。

「……村ではもっと重いものも持てたんだけど……」
「バーカ。ちょっとの間持つのと、それ持って一日中歩くのと一緒にすんな」
「――ごめん。でも、ありがと。ユージーン」

 村では軽薄だとか、傲慢だとか、いろいろ悪い事ばかり言われているユージーンだが、コウヤは決して嫌いではなかった。
 こんな風に自分で担ぎきれない荷物を荷造りしたコウヤが悪いのにも関わらず、ちゃんと察して気遣ってくれるし、ひどいことを言われたこともされたこともない。
「あとな。これ言っておくが」

 じろりと睨まれて背筋が伸びる。
「道中、キツかったらちゃんといえ。やせ我慢すんな。今回は俺が察したからいいが、俺が気づかなかったらお前どうするつもりだ? 我慢して重い荷物持って、結局ぶっ倒れたら余計迷惑だろうが。一緒に旅する上での鉄則中の鉄則だ。つらかったらちゃんと自己申告しろ! 何も言わないで気づいてもらおう、なんて横着すんな。いいな!」
 コウヤは考えた。
 正論だった。しおしおと頷く。

「ごめん。わかった。気をつける」
 素直に頭を下げると、ユージーンは「よし」と頷く。
「ちょっと服脱いで肩見せろ。さっきから肩揉んでやがって、こたえてんだろ?」

「う。……うん」
 直前のお説教がこたえていたので、コウヤは素直に服を脱ぐ。焚き火の炎で中は明るく、温かい。
「あーあ。痣になってんじゃねーか。やせ我慢すっからだぞ」

 呪文の詠唱と、温かい感触に、びっくりして振り返ろうとしたところを怒られる。
「あほ。そのままでいろ」
「でも……放っておけば治るよ。別にいいよ」

 ユージーンの回復魔法だ。魔法を出し惜しみするユージーンが、たかが痣程度で使うのを見たことがない。
「ばか。俺が治してやるっつてんだから、素直に受け取っとけ。最初で最後の大サービスだ。もう一回同じことやったらそんときはほっとく」
 じくじくした痛みがなくなって、肩が軽くなる。

「ほれ、こんなときに言うべき言葉は?」
「ありがとう」
 素直に礼をのべた。背後だから見えないが、ひどい痣になっていたのではないだろうか。

「うっしっし。その調子その調子。しかし、お前背中綺麗だな~」
 脇腹を撫であげられて怖気が走る。
 コウヤは慌てて振り返った。
「え、えーと。ユージーンて、男だいじょうぶ……だったっけ?」

 明星の村では、同性同士でそういう関係を持つのは決して珍しくない。
 子どもが作れないのだ。それでいて、寒い時に人肌を寄せ合い、ぬくもりたいというのは人情である。同性同士で暖めあう関係を作り、最初はそれだけであっても、日ごと自分を暖めてくれる相手に愛しいという想いを抱くのは、自然な成り行きだった。

 だが、ユージーンは女性に滅法もてるため、聞いたことがない。
「男なんざキライだよ。固いしごついし、ちっとも可愛くねえ」
 コウヤがほっとしていると、ユージーンはにやりと意地悪く顔を歪めて笑った。
「だけどお前は可愛いな」
 固まっているとユージーンの顔が近づいてきて……。
「わ、わーっ。俺は可愛くない!」

 土壇場で硬直が解けて両手で顔の前にバツを作る。
 ぎゅっと目を閉じていると、低い笑い声が聞こえてきた。
「ユ、ユージーン~~~!」
 手で顔を覆って、ユージーンが笑っていた。

 楽しくておかしくてたまらないと言いたげに。
 からかわれていたのだと悟り、ほっとする。
「なんだよ、冗談ならもっと笑える冗談にしてくれよな! 本気で今焦ったんだから」
 ユージーンは笑いをおさめると言う。
 ぽん、と頭に手のひら。

「お前は、可愛いな」
 反論する気も起きなかったのは、それが、あまりにも温かな声だったからだ。
 ……生まれ育った村を出た日。
 もう二度と、あの村に戻ることはない。そんな日に、同じ思いを共有する相手に、共感の混じった声をかけられて、喧嘩する気にはなれなかった。

 コウヤは黙ってうつむく。
 もう、あの村に戻る事は、二度とないのだ。

     ◆ ◆ ◆

 翌日、荷物が減った荷を担ぐと、大岩が小岩になったかのような前日との落差にほっと心が息をつく。
 だがその分ユージーンが負担しているわけで、コウヤは声をかけた。
「ユージーン、大丈夫? 押しつけちゃってごめん。重かったら俺が持つから」

「ばーか。お前とは鍛え方が違うよ、鍛え方が。そっちは大丈夫か?」
「うん! すごく楽になった。ありがとう!」
 昼ごろ、道が雪かき後のものに変わった。

「……あれ? どうしてだろ?」
 コウヤはきょろきょろしてしまう。
 ユージーンは火球をしまいながら答えた。

「銀月の村の連中だろ。俺達が来るとわかっていたんだろ? あのばばあのことだ、出発を知らせる狼煙でも上げたんだろうよ」
 成程。
 深く納得して楽になった道を行くと、二時間ほどで銀月の村が見えてきた。

「うわ早っ……」
 五日の道のりが、二日で済んだ。
 雪かきしながらと、雪かき不要では、それほど差があるのだ。
 もちろん、双方の村人総出での雪かきが一番大きいが、ユージーンの魔法もかなり大きいだろう。

 銀月の村に近づくと、村の物見の塔とおぼしきところから、鐘の音が聞こえた。
 明星の村の物とよく似ている。自分たちの到着を知らせているのだろう。
 ほどなく、歓迎の出迎えが二人を取り囲んだ。

     ◆ 

 世界樹までの道にある村は十。明星の村を入れて、だが。
 明星の村の次にある銀月の村で、二人は盛大な歓迎を受けた。
「ご使者様。お待ちしておりました。この村の長の、サルシュと申します。ささやかではございますが、酒席をご用意いたしました。どうぞ、ごゆるりとお寛ぎください」

 黒髪のがっしりした体躯の壮年の男は、そう言って頭を下げた。
 黒髪を三つ編みにした背の高い青年と、茶の髪を同じく三つ編みにした小柄な少年。
 これまでの使者といったら中年以上の者ばかりで、さぞ奇異に感じただろうが、表に出すことはなかった。

「このような歓迎をしていただき、身が引き締まる思いです。この未熟な身には過ぎたる大役ですが、精一杯、務めさせていただく所存です」
 ユージーンも如才なく返答する。村では傍若無人なユージーンだが、言葉を飾るぐらいはできるのである。

 春をもたらす使者であるユージーンの美貌に女たちは頬をあからめ、嬌声をあげた。宴席での酌も奪いあいになる始末である。
 コウヤはその様子を少々の驚きとともに見ていた。明星の村ではユージーンの容姿もこうまでは騒がれない。同じ村で、生まれた時から一緒にいるので、村の女たちもユージーンの存在に慣れているのだ。

 妬ましい、とかいう感情はない。むしろ、ユージーンの方に人が行っている分、気楽でよかった。
 宴席の食事は心を砕いたもので、食事を出されたのは二人にだけだった。宴席の他の人物にはない。そのかわり酒は皆に出された。
 寒村で酒は、体を温める飲み物として、子どもでも普通にたしなむので、成人したばかりのコウヤも酒には慣れている。

 くっと杯を空にすると、拍手が起こった。実はかなり強い方だ。
 コウヤは数えるほどしかない「もう食べられない」という状態がここのところ立て続けなことに、自分へいかに多くの期待がかけられているかを実感する。
 コウヤは十五にしては小柄だ。だが、それは食料事情から当たり前のことだった。

 成長期に、食べものが少なければ小柄になるのは当然だ。空きっ腹を抱えて寝たことなど、いくらでもある。ユージーンと並ぶと頭一つ、低い。
 コウヤが世界樹を蘇らせれば、ひもじい思いをする人間は、確実に少なくなるだろう。

 死にたくはない。……けど。
 肩に積まれた期待。心が焦げるほどの願い。
 春をこいねがう想いが、コウヤの身に一心に注がれている。
 それを裏切ることなど、できなかった。



 宴もたけなわになり、無礼講になると、コウヤはふと宴席にユージーンがいないことに気づいた。
 いつ抜け出したのかも気づかなかった。先刻まで、綺麗な女性たちに囲まれていたのだが。
 そろそろ宴の空気を息苦しく感じて、コウヤはそっと席を立った。

 この村では石造りの家を使っていて、そのかわり、内部や床にたくさんの毛皮を敷いて、防寒につとめていた。
 雪は重い。そのために家は、雪を受け止められる耐久性が第一になる。夜中に屋根に積もった雪で家ごと押しつぶされれば、どうにもならないのだから。故郷の村が天幕で家を作れたのは、ユージーンの張った結界が雪を防いでいたおかげだったのだ。

 建物から出ると、清涼な夜の空気が包んだ。
 腕を広げ、深呼吸する。
 肺いっぱいに新鮮な空気を取り込んで、ふと視線を脇にやると、ユージーンが立っていた。

「ユージーン」
 三つ編みにした髪が、黒々と濃く伸びている。
 ユージーンの髪は長く、三つ編みにしても先端は腰まで届く。明星の村の人間は誰もがこの髪型で、寝る時も解くことはない。コウヤの茶の髪は、ユージーンほど長くなく、背の半ばまでだ。

 ユージーンは、闇に溶け込んだようにひっそりとしていた。
 なんとなく、コウヤは黙ってユージーンの隣に立った。
 正直に言うと、重い。

 一面識もない人々からの期待が、重い。もてなしから、自分がいかに期待されているかを感じ取れて……息苦しさを感じた。そして、そこから逃げ出してきたのだ。
 たぶん、ユージーンも同じなのではないだろうか?

 黙って寄り添っていると、しばらくしてユージーンが口を開いた。
「―――……御馳走がならんでるぞ」
「もう、パンパンになるぐらい食べたよ。ユージーンこそ、女の人からの誘いを断るのに手一杯で食べてないんじゃないの?」

 ユージーンは、答えなかった。黙って空を見上げている。
 コウヤは焦らなかった。ユージーンは、自分の心と、会話したいときなのだ。
 その邪魔をしないよう、黙っていた。
 ユージーンは、夜空を見上げたまま、言う。

「……この村な、餓死者がこれまでに数人、出てるそうだ」
「―――うん」
 明星の村では、これまで餓死者が出たことはない。

 出産制限を早くからかけたこと。まだ冬が来る前に備蓄を増やしていたこと。石の家を早くに出て、燃料を節約できたこと。
 コウヤも今日実感した。
 石の家は、いかに毛皮を敷いても、とても寒い。

「けど、このままでいりゃあ、明星の村でも出るだろうな。くそ。わかってんだよ。わかってんだ、そんなことは」
 ユージーンは、自分の腹立ちを持て余すように頭を何度も振る。
「自分が幸せにならずに、何が幸せだ。お前ひとりの犠牲で皆が救われて万万歳なんてなんて茶番だ。そんなもんが幸せであるもんか」

「……ユージーン……」
「お前だって、嫌だろう? なんで自分がって思うだろう? 思わなきゃ嘘だ!」
 顔を歪めて吐き捨てる、その様子に、ユージーンがどれほど苦悩したかが伺えた。

 嬉しい……なんていうと、怒るかもしれない。でも、正直、嬉しかった。
 そして、ユージーンの言葉は、コウヤの心の奥深くをえぐっていた。

 ―――なんで自分が。

 そう思わないといったら、それは、嘘だ。
 けれどもコウヤはかぶりを振って、ユージーンの顔をのぞきこむ。

「ユージーン。認めるよ。確かに、俺はそう思ってる。誰でもいいのならなんで俺なんだろうって思っているよ」
 こちらを見たユージーンの瞳に、必死に縋る色を見出して、コウヤは言葉を失う。
「そうだろう? なら、そんな役目逃げようぜ! 罪は俺が負う。お前は被害者でいい。だから……!」

 あのユージーンが、すがっていた。必死に頼み込んでいる。
 コウヤに。
 傲慢でそれを周囲が許してしまう実力があって、自分勝手なユージーンが。コウヤに。

 それは絶句してしまうほどの衝撃をもって、コウヤを打ちのめした。
 ……なのに、なぜだろう?
 囁かれれば囁かれるほど。
 否定されればされるほど。
 強くなるこの気持ちはなんだろう?

 使命感か、義務感か。
 こうまで自分を守ろうとしてくれる人を足蹴にしてまで進んでいこうという気持ちは何なのだろう?
 心を鎮め、今の自分の心境を語る言葉を、拾い上げる。

「―――ユージーン。俺は、この役目から逃げないよ」
 不器用で、不器用なりに、一生懸命伝えようとあがく。
「だって、俺、行かなかったら、逃げたら、一生後悔する。明星の村に一生近づけなくて、逃げた後、どこかで餓死者が出たらそれはすべて俺のせいだと思うんだ」

 こんなことを言っているユージーンだって、村人に餓死者が出たら、自分のせいだと思わずにはいられないだろう。
「……てめえに教えてやる」
 ユージーンは唸るような声で言った。

「人が一等はじめに考えなきゃいけないのはな、自分の幸せだ! 自分を幸せにしてから他人の幸せを思え! 自分を幸せにできないやつが他人を幸せにできるか。自分が幸せでないときに他人の幸せを心から願えるもんかよ!」
 ユージーンの言うことも一面の真理だ。

 人は、自分が不幸な時に他人の幸せを願えるようにできていない。
 腹を空かせているとき、まず何よりも思うのは自分の食料だ。他人の幸せを願えはしない。
 痛いところを突かれ、コウヤは口ごもり、苛立ちのまま口走る。
「いいじゃないか! 生贄になるのは俺で、ユージーンじゃないんだから!」

 言い終わると同時に頬に灼熱を感じた。
 体が吹っ飛んで、建物の壁に打ち付けられる。
 咳きこみながら体を起こすと、罪悪感に歪んだユージーンの顔が目に入った。

 コウヤは、頭を下げる。
「……ごめん。俺が言いすぎた。言って、いいことじゃなかった。ごめん」
 殴られても当然だった。
 自分を心配してくれている人に、あんなことを言うなんて。

 コウヤが頭を下げると、ユージーンも喉の奥につかえていた謝罪の言葉を口にした。
「……わりい。大丈夫か?」
 ユージーンの手が、殴打された頬に当てられる。
 呪文の詠唱―――回復魔法に、傷が癒やされていく。
「だいじょうぶ」

 数秒で傷は癒え、頬に感じていた熱感が消える。
 コウヤが目を上げると、ユージーンの瞳と目があった。
 彼は、苦渋に満ちた表情で、コウヤを見下ろしていた。

 コウヤは黙って、その目を見返す。
 そらしてはならないと思った。
 自分は、ユージーンの気持ちをきちんと受け止める義務があると、感じたのだ。

 苦しみ。怒り。悲しみ。そして苛立ち。
 矛盾しつつも同居するユージーンの気持ちを、瞳はあきれるほど正直に伝えてくる。

 数秒して目がそらされ、小声で吐き捨てる声が聞こえた。
「くそ……っ! お前でなければ、とっとと見捨ててやるのに……!!」

 何も知らない第三者が聞いても、癒やせぬ痛みに心が引き裂かれているとわかる声だった。
 何かを言おうと開いた口は、閉じられる。
 なんて言葉をかければいいのか、わからなかった。



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Date:2015/12/24
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