嵐月の村を出てから十一日目に、浦月の村に到着した。
八日の予定よりずいぶんと遅れてしまったのは、もともとの予想が「大人の男の健脚で、冬が来る前にかかった時間」だったからである。
この辺は雪はないため、ユージーンの魔法での時間短縮の効果もない。
カズツィ山の悪路に手こずったこと、全般的に冬の間に道が荒れていたこと、コウヤが小柄で、大人の男より少し遅れる足だったため、時間がかかってしまったのだった。
村人たちが見守る中、村長の家へ招かれる。
貧しい村の精一杯の食事を用意された。ふたりを見つめる村人の瞳には、春に焦がれる狂おしいまでの熱望が見て取れた。
コウヤは早々に村長の前から辞去すると、用意された客室で足をさすった。
「……いてー……」
足だけではない。肩も背中も鈍い痛みがある。
これまで、歩き続けの筋肉が熱をもち、痛みを訴えていた。
蓄積された疲労が、全身をだるく変えている。
「疲れがたまったか?」
「うん……ってユージーン。村長さんの相手はいいの?」
村長の家に招かれての食事会だったが、体調がすぐれないのを言い訳にこれ幸いとコウヤは抜け出してきたのだ。
偉い人との、気の抜けない食事は疲れる。
「ああ。俺も旅をしていて疲れているので済みませんがっつって抜けてきた」
「ユージーンも?」
なんとなくほっとする。
「俺もお前と同じだよ。かったるー……」
ユージーンは二つある寝台の一つに体を投げ出すように座り、体のあちこちをもむ。関節を回すと、骨が鳴る音が聞こえた。
「決めた。明日休みな。一日だけ、ちょっと休み取るぞ」
「うん。……でも、浦月の村ってかなり困ってるみたいだけど、迷惑にならないかな?」
出されたものは、冬が来る前なら、残飯と呼びそうなものだった。
野菜の皮に水、ぐずぐずに煮込んだ穀物粥と、その中の、煮込んでもなお固く干乾びた干し肉。もちろん、今の基準では御馳走で、美味しくすべていただいたが。
村の雰囲気も、暗い。
そうでなくとも、この村で見た、お腹を減らした子どもの瞳は、直接的に胸に迫った。
大人は隠す飢えを正直に目に表した、虚ろな無気力そのものの瞳だった。
まだ、五六歳だろう。この村では出産制限をしなかったようだ。
明星の村では見たことのない飢えた子どもの姿は、見るに堪えないほどの苦痛をコウヤにもたらした。
「手持ちの食料で食いつなげば寝台ぐらい貸してくれるだろ。一日だけだしな」
「そうだね」
体の奥深く、澱のように沈殿した疲労が、それ以上の抵抗の言葉を吐かせない。
一日でいいから、ゆっくり体を休めたい欲求に勝てなかった。
気が付いたら泥のように眠っていて、翌朝目が覚めると隣にいたユージーンが言った。
「今日泊まる許可は取っておいたから、もう少し寝てろ。歩きっぱなしだからな。この辺で疲れをとっておかないと体に障る」
コウヤが寝入ってしまった間に、ユージーンは許可をとりつけてくれたらしい。
「……ん……。あり、がとう……」
そのまま、また引きずり込まれるように眠ってしまう。
目が覚めた時には昼近くだった。
すっきりした気分でコウヤは体を起こし、肩や腕や首を動かしてみて、疲労は七割がた抜けたと判断する。
「腹減ってないか?」
隣からかかった声の持ち主は、もちろんユージーンだ。
「すいてる」
ぽんと投げられた包みを受け取って、コウヤは頬張る。
「今日はゆっくり休め。……外は出歩かない方がよさそうだ」
「……わかった」
少し間をおいて、頷く。
ユージーンが懸念していることが、想像ついたからだ。
自分たちは食料を持っている。それもかなりの量の。
春を呼ぶ使者は、皆の希望だ。
だけれども、実際にあと一日食事しなければ餓死するときに、そんなことを考慮できる者はいるだろうか?
後先考えず、目の前の一切れの肉に手を伸ばす―――その気持ちを、コウヤも知らないわけじゃない。
自分の正体は胃袋で、脳も手足もそれにくっついているだけのような、あの気持ち。
ただ胃袋を満たすことだけしか頭にない、そのあと絞首刑になろうがどうなろうがどうでもいい。後のことなどこれっぽっちも考えず、ただ腹の臓腑の震えを止めたい時というのは、あるのだ。
今は、そんなことを知らないでいられるような、幸せな時代では、ない。
コウヤは、隣の寝台の上にいるユージーンを見上げた。
今日、外は曇りだ。室内はぼんやりと薄暗く、薄闇に溶けた秀麗な顔は超然としていて、内面を窺い知れない。
……まだ、反対なのだろうか。
あの喧嘩から、ユージーンはそのことについて何も言っていない。コウヤも、喧嘩になるのが嫌で持ち出すのを避けていた。
春になれば、みんな助かるのだ。
昨日の、あの子供のうつろな瞳を思い出す。―――きっと、あの子は、助からない。
自分たちの食料をあの子に渡すことはできない。それは一時しのぎにしかならないし、すぐになくなってしまう。世界樹まで、あと何か月もかかるのだ。渡した食料がもつ間に、春にはならない。
無責任な同情を、優しさと勘違いしない分別は、コウヤにもあった。
自分たちの食料は、自分たちのためにあるのではない。世界樹にたどり着き、春を呼ぶためにあるのだ。ここであの子に食料を差し出しても、得られるのは安っぽい自己満足だけで、そのせいで自分たちが倒れたら、自分の食べ物を削って渡してくれた皆の思いを踏みにじることになる。
それに、あの子の体は……もう、食べ物を受け付けないだろう。
そう自分に言い聞かせても、明星の村では見たことのない、飢えきった子どもの眼差しは、胸を焼いた。
全くの他人で、何の関わりもなく、明日出立すればもう二度と会うこともないだろうものなのに、脳裏にしがみついて忘れさせてくれなかった。
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