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あかね雲

□ 君の死骸を苗床に、未来の樹を芽吹かせよう □

《第六の村、流星(りゅうせい)、第七の村、水月(すいげつ)》


 次の村までは遠かった。
 コウヤの足が途中痛みを発し、魔法を使うほどではなかったので持参の薬草で湿布をしたせいで多少歩く速度が遅くなったこともあるが、最大の要因は、六番目の村流星が、滅んでいたためだった。

 村は、生者の気配なく、乾いた風が吹いていた。
 石造りの家の室内には埃がたまり、風が扉を揺らす音が響く。冬が来る前は植え耕されていたのだろう畑は打ち捨てられ、ところどころ生命力の強い雑草が葉を揺らしていた。
 血の気配もなく、冬の風が通り過ぎるばかりだ。

 コウヤは左右に目を配りながら村を貫く道を進んだ。
「……どこいったのかな。この村の人たち」
 ユージーンも厳しい顔で、油断なく目を配りながら言う。
「もっと食料のある土地を求めてどっかへ行ったのか、あるいは滅ぼされたか―――」

 コウヤは沈黙する。それから張り付く喉を無理に開いて言葉を絞り出した。
「―――でも、死体は、ないけど……」
「一年もすりゃあ血の跡なんざ消える。死体は……わかるだろ?」
 人が飢えているように、獣も飢えている。
 そして、獣の嗅覚は人より遙かにいい。そして、人も、飢えていた。

 道沿いに一通り調べても、人の姿は見えなかった。
 ユージーンは言う。
「人はいねえみたいだな。今日はこの村で休むか。壁と屋根がある分、ずいぶんましだ」
 村の出口近くの、状態がましな家に入る。
 埃っぽいが寝台もあり、竈も屋根もある。旅の途中で、これ以上は望むべくもない。

 コウヤが一夜の宿の埃を払っている間に、ユージーンが家を点検する。
 その家のすべての戸棚、すべての貯蔵庫を開けて回った。
「やっぱ食料は小麦一粒もねーな」
「じゃあ、やっぱり移住したんじゃ―――」

「さあな。このご時世だ。略奪されたって同じようになるだろうよ」
 ユージーンが暗に言っていることは判った。
 考えるな、だ。

 移住でも、戦で負けて滅ぼされたのであっても、ふたりにできることは何もない。
 ユージーンもコウヤも口にしなかったが、もう一つ可能性がある。
 集団自決だ。
 食料がつきたら、そしてこの先に何の希望もないと思ったら、どうするか。

 餓死は苦しい。水さえあれば、人間は案外何日も食べなくても生きていけるのだ。ゆっくりと、引き伸ばされたような苦痛が、長く続く。空腹感は、気力も奪う。ただそこに転がっているだけの物体となり、命の鼓動が止まるまでの数日間を過ごすのだ。
 そんな苦痛に満ちた死よりも、安らかな死の方を、選べる者なら選ぶ。
 罪を背負う覚悟のある村長なら、皆を一か所に集め、毒を飲ませるだろう。
 ……そして、自分も。

 そうだとしたら、遺体は、獣の御馳走になったろう。餌を巣穴に引きずっていく習性のある獣なら血の跡などないし、引きずった跡など、数日で消えてしまう。
 ―――その可能性を口にしないのは、恐ろしいからだ。

 決して人事ではない。
 この時代に生きる人間なら、誰もが考えること。食料が尽きたらどうしよう。
 村の備蓄が尽きたらどうしよう。
 口には出さない思考の末に、たどり着く答えが、それだ。
 流星の村はその道を選んだのだろうかというのは、答えの出ない疑問だった。

 その晩は、廃屋で一夜を過ごし、次の日出発した。

     ◆ ◆ ◆

 コウヤは熱い息を吐き出した。
 惰性の力で足を前に動かす。
 足の感覚は、もうとうにない。頭は考えることを止めている。十秒前と同じことを同じようにして、前へ進んでいっている状態だった。

 日々、体の奥に積もっていく鈍いもの。それが「疲労」だということは気づいていたけれど、どうしようもない。
 夜に寝て、起きると、少し疲れが抜ける。けれども歩き続ければまたいっぱいいっぱいになる。それまでの時間がどんどん少なくなっていっていた。
 ユージーンの、足手まといにならないように。
 彼の背中を見て、それを必死に追いかけることばかりを考えている。

 疲れは休めばとれる。だが、休んでいる最中も食べなければならないから食料は減る。
 流星の村で補給できなかったぶん、食料事情は厳しい。
 疲労は魔法で取れないし、魔法は使うほど食料がへる。
 休息を取るか、歩き続けるか、ユージーンも天秤が揺れている状態だろう。食料が尽きた状態での徒歩は、恐ろしくペースが落ちるのだ。

 やせ我慢と気力で、毎日歩きとおしているが、限界が近いことはコウヤ自身も判っていた。
 今は心で持っている状態だ。
 心が折れれば、足も折れる。
 何とか折れる前に次の村にたどり着きたい。

 手元の地図を睨みつけ、自分で自分を絶え間なく励ましながら鈍痛の響く足を動かす。
 無駄口をたたく体力はとうになく、少しの会話だけで、後はお互いの荒い息を聞きながら足を進めた。
 夜は、食料を節約しながら食事にし、終わるとすぐに横になる。お互い、疲れ切っていて会話はない。
 朝は食事をすると、重い荷物を背に負い、歩き始める。

 数日をそうやって過ごし、ついに水月(すいげつ)の村が見えた。
 コウヤは最後の力をふりしぼって足を進める。
 しかし、間近になったところでユージーンが突然言った。
「止まれ」

「……え?」
 ユージーンは道を遮るように右腕を広げていて、コウヤはその前で止まる。
「……どうしたのさ?」

 疲労が骨の髄にまで沁み込んでいるので、反応に間が空いた。
「結界がある。俺が明星の村に張ったのとおなじやつだ」
 理解に、数秒かかった。
「……魔法使い……」

 当然ながら、魔法使いはユージーンだけではない。
 ただ、オルウが懐に入れた銀山の収益の一部で呪文書を買っていたため、明星の村は他の村に比べて破格に多くの魔法を知っていた。
「どういう魔法?」

 疲れた顔をユージーンに向けると、教えてくれた。
「外からこの結界に、入れない。解除に少し時間がかかるから、荷物おろして待ってろ」
「うん」

 荷物を下ろし、その上に腰を下ろす。
 体の重荷を下して息をすると、体に羽根が生えたように軽く感じ、疲労が全身を覆い包んで、その快さに寝入ってしまいそうだった。

 ユージーンは疲れた顔でこちらを見ているコウヤをちらりと見てから、結界に視線を戻す。
 ユージーンも疲れていた。疲労ではコウヤとどっこいだろう。
 魔法を使ったら、最悪昏倒しかねない。ユージーンは解除をあきらめ、正攻法でいくことにした。
 すうっと息を吸い込み、肺活量に相応しい大声で叫ぶ。

「すみませーーん! すみません、敵意はありません! この結界を解いて下さい!」
 村の門まで十歩ほど離れているが、幸い外に出ていた人間が二人に気づいてくれた。
 オルウの手紙はきちんとこの村に届いていて、二三のやりとりのあと、ふたりは水月の村に招きいれられることになった。


 村長に挨拶をすると、ユージーンはいくつかの社交儀礼をすっとばし、疲れているので眠るところが欲しいと単刀直入に切り出した。
 ふたりの埃だらけの風体と、疲労を率直に示している顔を見て、村長もその無礼を許容する気になってくれたらしい。
 寝台がふたつある部屋をひとつ、ふたりに貸してくれた。

 コウヤは寝台をあてがわれるとすぐに寝てしまい、それはユージーンも同じだった。
 夢も見ずにひたすら眠り、翌朝、空腹に目が覚める。
 コウヤが目をさまし、辺りを見回すと薄暗闇のなかにユージーンが寝台の上に体を起こしていた。
「……ユージーン?」

「ああ。目、さめたか?」
「まだ頭ぼうっとするけど……お腹が空いて」
「ああ。俺もだ」
 かすかに笑みを含んだ同意。

「昨日は俺も疲れてて頭回らんかったからな。あたりさわりのない会話ってやつができる自信がなかった。揚げ足とられるようなこといったり、相手を怒らせたりっていう大ポカしたらこまるだろう。だから正直に寝床をくれって言ったんだ」
「……今何時?」
「まだ夜明け前だ。もうすこし寝てろ。家人が起きだす気配がしたら、食事をもらえるよう頼んでやるから」

「ありがとう」
 礼を言い、もう一度目を閉じる。
 一瞬後に起こされた、と思ったら、部屋の中は明るくなっていた。
「ほら起きろ。食事だぞ」

 食事、の一言に一瞬で覚醒して寝台から跳ね起きる様に、ユージーンが笑った気がした。

     ◆ ◆ ◆

 村長同席の朝食の席では、粗末な、だがこの村の精一杯だろう料理が振る舞われた。
 その席でユージーンは切り出す。
「すみませんが、食料を分けていただけないでしょうか」

「う……む。春を呼ぶ使者たるユージーンどのを支援することは、春の来訪の手助けをするも同じこと。快く承諾したいところなのですが……」
 ユージーンたちに残り僅かな食料を差し出して、春が来るという保障はどこにもない。濁った回答は、村長の立場では当然だった。

「ただで、とは申しません。我が故郷である明星の村は、どこよりも多くの魔法を知る村です。この村にも魔法使いはいらっしゃるでしょう。その方に魔法をひとつ、お教えするかわりにというのはいかがでしょうか」
 村長の視線が揺らぐ。

「それに、私たちについてもお疑いでしょう。本当に春が来るのかと」
 ずばりやましい点を突かれ、動揺がはしる。
「断言いたします。春は来る。私たちが世界樹を蘇らせ、春は来るのです」
 ユージーンは力強く言い切る。

 その言葉に、村長だけでなく、同席の全員がこれまでとは違う色を浮かべて、ふたりを見た。
 彼らは、ユージーンの言葉に希望を見たのだ。春が来る未来を。
「長さま! 世界樹は蘇ります。俺たちが蘇らせます、必ず! どうか信じてください。確かに俺たちなんかが春をもたらすなんて信じられないかもしれません。でも、ほんとなんです。俺たちが世界樹までたどり着けば、春が来ます!」

 コウヤの飾りのない言葉は、ユージーンの礼儀正しいそれよりずっと直接的に人の心を揺らした。
 誰もが、心から待ち望む春。
 この冬は、長すぎた。

「明星の村は遠く、遙かな遠方にあり、私たちもここまでたどり着くのに言葉ではいえないほどの苦労をいたしました。それも、あとわずかで成就しようとしています。ですが、食料がなければ、絶対にたどり着くことはできないのです」
 ここまでの道のりの遠大さを思うと、コウヤも果てしない思いにとらわれる。月が二つ巡る以上の間、歩きとおしてきたのだ。

「ここまで来る道のりに比べれば、この先の方がはるかに短い。どうか、ご助力くださいますようお願いいたします」
 魔法の教授と、春という欲。春をもたらす使者に協力すべきという道義的責任。
 なにより、春が来る、という希望が、村長の選択を決めた。

「―――わかりました。ご使者様の道のりの安寧をお祈りするとともに、いくばくかの食料をお譲りいたします」
 感謝の気持ちを示し、ユージーンが頭を下げる。
 すべての人間が、春を、狂おしいほど待ち望んでいた。

     ◆ ◆ ◆

 コウヤは、ユージーンが魔法を教えるのを離れたところから見ていた。
 魔法は魔法の適性のある人間にしか使えない。見ていても、コウヤには使えないのだが。
 この村の魔法使いは五十ほどの老齢の人間で、自分の孫ほどの年齢のユージーンに教わるのはプライドが傷つくと全身で主張してやまなかった。

 コウヤは他の村に行くのはこの旅が初めてで、当然他の村の魔法使いに会うのもこれが初めてなのだが、ユージーンそっくりの傲慢な態度にあらぬ想像をしてしまう。
 ―――魔法使いっていうのは、みんなこんななのだろうか?

 明星の村のもう一人の魔法使い、クライはユージーンを反面教師にしたのか素直でいい人間なのだが。
 ユージーンは、常日頃の態度が嘘のように辛抱強く、そんな魔法使いに教えていた。
 まともに言うことを聞かない態度に手を焼いている間に、その日は終わった。
 見ているだけで腹が立ってしまったコウヤは、村長の屋敷に引き上げた後、ユージーンにその怒りを爆発させた。

「なんだよあいつっ! 教えてやってるっていうのに偉そうに!」
「まーまーいいじゃねーか」
 ユージーンはさほど気分を害した様子もなく、憤慨するコウヤをなだめた。

 ユージーンにはユージーンの腹積もりがある。
 正直な話、一日程度では疲れが抜けきらない。コウヤの体から疲れがとれるまで、そして自分の体からも疲れがとれるまで、この村に逗留したい。
 村長も、まさか魔法の教授が終わらないうちにとっとと発てとは言わないだろう。
 コウヤはそんなユージーンの態度に驚いたらしい。恐る恐るたずねた。

「……え? ユージーンまさか怒ってないの?」
「なんだよそのまさか、ってのは。俺はいっつも温厚な紳士だぜ?」
「うそっ! このひとユージーンじゃない! ユージーンの顔した別人だ!」

「……おまえ、なあ」
 拳骨で頭を挟んでぐりぐりする。お馴染みの刑罰に、コウヤはすぐに降参した。ただし、
「なんだあやっぱりユージーンだ」
 と、要らない一言を付け加えるのは忘れない。

 ユージーンは大きな掌を二三回開閉した。
「もう一回、やっとくか」
「いらない、いらない! だって変だろ。俺でさえ腹が立ったあの態度に、ユージーンが我慢して文句の一つも言わないなんて!」
「ああ? 文句言ってどうするよ? それに魔法使いなんざあんなもんだぜ」

 コウヤは一瞬黙り、恐る恐る言った。
「……やっぱりそう?」
「ああ。魔法は使えば使うほど腹が減る。それを知らん奴らは人のことを大食らいっていって責めやがるし、かといって村人全員に知らせたところで結果はおんなじだ。飢えてんのにむしゃむしゃ食っている奴がいれば理屈ぬきで腹が立つだろうが。それでいて魔法を使えといって頼りやがる」

 コウヤは無言だった。
 明星の村の扱いを思い起こす。ほぼ、ユージーンの言うことにあてはまった。
 傲慢で、自分勝手なユージーン。
 それは、自分たちのせい、だったのだろうか。

 周囲の無理解や蔑視から自分を守るために、ユージーンは傲慢にならざるをえなかったのだろうか。
 しおしおとコウヤはしおれて、頭を下げた。
「……ごめん」
「あ? 何でお前が謝るんだよ? お前は一言だって俺の大食らいを責めたことねーぞ。視線や態度でもな」
 だから、ユージーンは自分を特別扱いしてくれていたのかと、コウヤはやっと合点がいった。

 内心の感情を言葉に出さないことはできても、態度や目線に出さないのは、とても難しい。
 敏感なユージーンは、村人たちが口には出さない感情に気づいてしまうのだ。
「それにな、俺は結構お前が俺にわきゃわきゃやるの、キライじゃねーんだよ」
「そ、う?」

「ああ。前に俺が物見の塔をつぶしちまったことあっただろ?」
「あ、ああ。うん、あったね、そういうこと」
 あれは、物凄い魔法だった。
 小型の太陽かと見まがうほどの大火球が村の上空に出現したのだ。
 実際それは、小型の太陽を作り出そうという、古代の実験段階の魔法だったそうなのだが、それを詠唱できたユージーンの実力は確かにしても、制御に難があった。

 上空で固定できれば、その熱と光は明星の村近辺を春にしただろう。
 だが、あくまでその魔法は実験段階にあったもので、完璧には程遠かった。
 すべての村人が見守る中、大火球はよろめき、落下し―――物見の塔に激突して炎上した。
 幸いというか、周囲は豪雪地帯である。村人総出で村周辺の雪をリレーし、炎上する塔に振りかけた。

 そしてようやく鎮火し、村人全員が虚脱状態でへたりこむなか、コウヤの怒涛のような文句がユージーンに炸裂したのだった。
 無制限一本勝負の文句はおよそ一時間余りにおよび、村人全員がコウヤの語彙の豊富さに感心するとともにユージーンに同情すら感じてきたころ、それは終わった。
 あれが、村人の心のうっぷん解消にかなりの役に立ったことを、コウヤは気づいていない。だがオルウも、ユージーンも気づいていた。

 だからオルウは制止せず、当然の罰と言わんばかりの態度で、孫息子への罵倒を聞き流したのだ。
 なんせ、魔法の動機は村のためで、それが失敗したのもユージーンのせいとは言えない。だからユージーンを責められない、というのが大人の態度だ。

 ところが、人はそう単純ではないから、誰にもユージーンが責められなかったら、ユージーンが壊した物見の塔を再建するために木を伐り出す人間も、運ぶ人間も、組み立てる人間も、心の中でこう思わずにはいられないだろう。
 まったくユージーンの奴め、と。

 だがコウヤが面と向かって一時間も説教したら、そんな気持ちは起こらない。
 悪気はなかったし、村のためだし、もう盛大に文句言われたしな、で終わる。
「みんながシーンとしているなか、お前だけが俺を怒鳴りつけただろうが。まったく、いい度胸してるよ」
「へ? なんでだよ」
 ユージーンはぬぐったように笑みを消し、コウヤをまっすぐに見て、真顔で尋ねた。

「お前、俺が怖くないのか?」
「なんで?」
 きょとんとして見返すコウヤの顔に、無垢な疑問を見出して、ユージーンは苦笑した。
「……馬鹿な質問した。忘れろ」

 コウヤはしばらく考えてから、ユージーンに声をかけた。
 ユージーンが、怖いと思ったことは、今まで本当に一度もない。言われるまで思いつきもしなかった。
 そして、言われて気づいた今になっても、やはりユージーンが怖いとは思えない。
「あのさあユージーン。俺、ユージーンが怖いって思ったことないよ。でも、それはユージーンが俺に危害を加えないって思ってるせいじゃないんだ」

 ユージーンが驚いたようにコウヤを見る。
「ユージーンが俺をどうこうしようと思えば、俺が何したってどうにもならないだろ? だから怖がるだけ無駄だってば。だったら考えない方がいいし、ユージーンが俺をどうこうしようってときがもし来るとしたら、それはそれなりの理由があって、他にどうしようもない時だって思うから、やっぱり怖がる気になれない」

 その、呆れるほど全面的な信頼に、ユージーンは数秒、穴のあくほどコウヤの顔を凝視してから呆れたような笑いをもらす。
「俺がたまたま苛々しているときにお前がやってきて、つい魔法をぶっぱなしちまうってことだって、ないとは言えねえんだぞ?」
「うん、あるんじゃない? でもさ、俺はユージーンのことよく知っているから断言するけど、ぶっぱなしたあと、ユージーンはものすごく後悔するよ」

 それは図星だったので、返す言葉がない。
「ものすごーく後悔して、俺がもし大けがとかしちゃってたら謝って一生懸命治療して、もし俺が死んじゃっていたら自分をとんでもなく責めて責めて責めまくるのが、ユージーンだよ。ちがう?」

 あまりにも痛いところを突かれて、ユージーンは複雑きわまりない顔でコウヤを見下ろした。
 コウヤは少しの気負いもなく、ユージーンを見返す。
 ……その通りだった。

 一言の反論もできない。自分はこの少年を傷つけたら、一生後悔する。
 コウヤは笑って言う。
「だから、俺はユージーンが怖くない。たぶん一生、おんなじだよ」

     ◆ ◆ ◆

 その翌日も見学するつもりで昨日と同じ所へ行くと、先にいた老いた魔法使いは、コウヤのほうに目を向けた。
 その眼差しは小さな子供だったら泣き出してしまいそうなものだったので、勝気で真っ直ぐなコウヤは睨み返す。

「おい、小僧」
「小僧じゃない。コウヤだ」
 そう言い返すと、魔法使いは少し驚いた顔になる。すぐにその驚きを消し、たずねてきた。
「昨日から俺の方を何故睨む」

「はあ? そんなこともわかんないのか。人にものを教わってるっていうのに、あんたがユージーンの言葉を聞こうとしないからだよ!」
 ユージーンはまだ来ていない。この魔法使いが攻撃魔法を知っていてそれを放つ気になれば一たまりもないのだが、コウヤはいい意味でも悪い意味でも恐れを知らなかった。

 威勢良く言い放つと魔法使いは呆気にとられた顔になり、ややあって笑いだした。
 今度驚いたのはコウヤの方で、はて自分の言葉に笑うような要素があったろうかと真剣に考えた。
 魔法使いは天を仰いでからからと笑うと、コウヤに目を向けた。
「そうだな、お前の言う通りだ」

「……へ?」
「俺の態度は教わる者の態度ではないし、お前の言うことも道理だ。だが、この年になると、いかんともしがたいものでな。頭で判っていても変えるに変えられん」
 コウヤのなかでの悪印象が、がらりと変わる。なんだか、「わかる」人になってしまった。

 戸惑いながら答える。
「ええ、と……。ユージーンは、先生なんだから、先生って言うことから始めたら?」
「そうだな、頑張ってみよう。―――世界樹は、贄によって蘇るというのは本当か?」
 コウヤは表情を消した。

「――……それ、誰から聞いた?」
「明星の村長からの手紙だ。遠路はるばる運ばれてきた。一般の村人は知らん。俺は魔法使いだからな、長と一緒に見た」
 これまでの好待遇には、そんな理由もあったのだ。
 コウヤはふう、と息をついた。それなら、仕方ない。
「本当だよ」

「贄になるのは誰だ?」
 コウヤは肩をすくめて笑う。
「もちろん俺だよ。ユージーンは魔法使いで、しかも明星の村長の孫息子で、次期村長なんだ。贄になんてなるはずないだろ?」
 魔法使いは、怪訝そうな顔になる。
「お前がか?」

 いっそ疑念を抱くほどの、強い疑問の響きだった。
「そうだけど……?」
 魔法使いはまじまじと見つめる。
「それは……彼は知っているのか?」
 彼というのが誰なのか、考えるまでもない。

「うん、もちろん」
「それで……納得していると?」
 ユージーンとの喧嘩を思い起こす。

 コウヤは腕組みをして、首をひねった。
「納得……はしてない、かも。最初すごく反対されたし。でも、ユージーンだって春が来なきゃ困るってことは判っているはずだから、諦めたんじゃないかな?」
 魔法使いはそうあっけらかんというコウヤを、奇妙な目で見下ろした。

 魔法使いは、初日からずっとふたりを見ていた。ユージーンがこの少年に向ける眼差しも知っている。それは年を経て、経験を積んだ彼にとってみれば見ればわかるという程の、とても判りやすいもので。
「お前は……彼にとっての自分の価値を、考えてみたほうがいいんじゃないか?」

 首をかしげる少年。
 心に陰りを持たないせいなのか、魔法使いに対して、髪ひとすじも恐れる様子のない天衣無縫の態度は、極めて珍しい。
 絶えて久しかった「怒られる」という経験に、彼もつい笑い出してしまったほどの。

 そのときやっと、二人の姿を見たユージーンが慌てて走ってきた。
「すみません、こいつが何かやったでしょうか!?」
 初老の魔法使いはニヤリとする。

「いや、何も。実に愉快な時を過ごさせてもらった。未熟者だが、よろしく頼むぞ、『先生』」
 ユージーンは昨日とはまるで違う態度に目を白黒させ、コウヤに顔を向けた。
 コウヤは歯をむき出しにして笑う。

 ……なんとなく事情がわかったユージーンは、それ以上そのことについて追及せず、授業を始めることにした。

     ◆ ◆ ◆

 ユージーンが魔法使いに教えているのは、回復魔法だ。
 ユージーンがほいほい使っているのを見ているのでつい忘れがちになるが、回復魔法は難しく、その需要の割に、あまり知られていないのだ。

 軽い体力回復ぐらいはできるようになるまで数日かかった。
 この先あの魔法使いが回復魔法に習熟しても、ユージーンのような、致命傷であっても直後に魔法をかければ大丈夫というところにまでは、行けないだろう。
 それは、コウヤにもわかった。

 村でほとんど唯一の魔法使いなので、ユージーンの魔法がどの程度のレベルかということをコウヤは意識したこともなかったのだが、どうも、ユージーンは魔法使いの中でもかなりの水準らしい。
 コウヤはユージーンが魔法を教えている間に、次の村の情報収集や、衣類の洗濯、清拭などをした。埃だらけのふたりを憐れんで、村人は体を拭く布とお湯をくれたのだ。

 水月の村は冬の冷たい大気の気配に満ちていた。陰鬱な冬の空に閉じ込められ、村人たちはあまり姿がみえない。憂鬱と、気だるさと、絶望が村を行き来している。
 春を呼ぶ使者であるふたりのことは皆が知っているだろうに、明るい表情はない。

 希望をもち、裏切られることに慣れた心は、希望を持つまいとするのだ。
 出発前日、恐らく村の虎の子だろう食料をどっさり荷物につめていると、心が陰った。
 これだけの想いをかけられて、なけなしの食料を奪って、自分たちは出発する。
 通り過ぎた村で見た、飢えきった子どもの虚ろな瞳。

 滅んだ村の様子が蘇る。滅ぼされたにせよ、移住したにせよ、原因は食料が足りないからだ。
 コウヤは唇をかみしめる。
 苗床になることを思うと浮かび上がる恐怖を、いくつもの記憶が意識の底に引っ張って沈めていく。

 代わりに浮かんできた、この、血が熱くなる気持ちは何なのか。義侠心か怒りか使命感か。
 ユージーンはあれから一度もその誘いを言ってこない。
 ―――だが、もし言われても、もう心は揺れないだろう。



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Date:2015/12/26
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