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あかね雲

□ 君の死骸を苗床に、未来の樹を芽吹かせよう □

《第十の村、長星(ちょうせい)》


 長星の村に向かう途中、幾度も顔を上げ、前方の世界樹を見た。
 世界樹を見るなと言われたが、ここまで近づけば自制しようにも見てしまう。
 すぐ近くに見えるというのに、一日歩きとおしても姿は変わらずやはり疲労感が増したが、三日歩きとおせばさすがに少しは近づいたのがわかり、十日歩きとおすと、そこは最後の村だった。

 村の入口近くの高台から、この旅の終着点を見下ろす。
「これが……」
 世界樹は、無残な姿だった。

 大の大人が百人がかりでも手を回せない太い幹の途中から二つに折れ、その折れた先の枝葉は地に伏して緑の色は抜け、朽ちた茶色と黒と白が入り混じっている。幹の折れた個所は黒ずみ、虫食いの穴がそこここにあった。
 村から、世界樹まではかなりの距離がある。大の男が歩いて三十分はかかる。女性ならもっとだろう。
 それだけの範囲を枝の下に抱いていた世界樹は、往時はさぞ堂々たる姿だったのだろう。

 いや、今でもそうだ。
 折れ、地に伏した姿であっても、その巨大さはコウヤを圧倒した。
「……ユージーン」

「まあまあ待て。今日のところは長星の村でゆっくりしようぜ。風呂に入ってさっぱりもしたいしな?」
 四月もの間、歩きとおしてきたのだ。一日ぐらい延びてもどうってことはない。
 それに、ユージーンの気持ちもわかった。あの入浴からこれまで、せいぜい盃(さかずき)一杯の湯を貰って体を拭くぐらいしかしていないのだ。

「温泉、あるの? この村」
「いや。でも、願えば出てくるだろ。それぐらいの権利はあると思うぜ?」
 その通りだった。
 世界樹を復活させる使者であるふたりのために、長星の村の住民はできるかぎりのことをしてくれた。

 世界樹の枯死した枝先を、この村では切って燃料にしていた。不敬ではあるが、生きていくためには仕方ない。世界樹は信じられないほどに巨大で、五年が過ぎても燃料に余裕がある。
 それで沸かした湯を、ふたりに提供してくれたのだ。

 浴槽は大きなもので、世界樹の枝の一本をくりぬいて作られた、木製のものだ。そこからあがる蒸気で浴室の中は暖かい。擦れば擦るほど出てくる垢を綺麗さっぱり洗い流すと、ユージーンが声をかけた。
「コウヤ。ここ座れ、髪の毛洗ってやるから」
「え? ……うん、ありがとう」

 普段言われたら大変だからと断るが、今は断らなかった。
 峡月の村からこっち、ユージーンは落ち着いている。コウヤの選択を、受け入れてくれたのだろう。
 暖かい湯がかけられ、茶の長い髪の各所に石鹸がつけられ、揉みこまれる。頭皮から耳裏に至るまでの細やかな手の動きに、コウヤは心地よさにひたる。

 頭皮が終われば次は長い髪で、何箇所かで泡立てられたいっぱいの泡が長旅の汚れを落としていく。長い髪は便利だが、洗う時に面倒だ。
 最後は頭からお湯をかぶり、泡を洗い流した。一回では済まず、長い髪を桶に入れて、揉むように泡を流す。
「ユージーン。俺もやるよ。座って」

 同じ作業をユージーンにやる。
 これで最後だと思うと、自然と丁寧になった。
 洗い終え、若干冷えた体を、浴槽に入って温める。

 コウヤはユージーンの左の肩口に残る白い線にふれた。コウヤをかばって負った傷だ。
「……痕残っちゃったね」
「気にすんな。勲章だ」
 そっけない口調は、本心だろう。
 すっかり綺麗になって浴室を出ると、たっぷりの食事が用意されていた。
 しきりに話しかけてくる村長に、当たり障りのない返答をしながらふたりは食事をすませ、部屋に引き上げる。

 さて。
 コウヤは、どうしてもしないとケジメのつかないことがあった。
 ユージーンの寝台の上に上がり、正座の形に座る。
「ちょっとユージーン。こっち向いて」

「んあ?」
 ユージーンがこちらを見る。
 コウヤは、がばっと頭を下げた。

「ユージーンさま。これまでの過酷な長い道中、大変なお世話をおかけいたしました。おかげでここまでたどり着くことができました。ユージーンさまがいらっしゃらなければ、途中で道の土となっていたことと思います。本当にありがとうございました!」

 一体どれだけの夜をユージーンと一緒に過ごし、どれほどの回数、ユージーンがいてくれてよかったと思っただろう。
 長大な道のりは、一人では心がくじけてしまうほどに、長く、つらかった。
 その苦難も、明日、終わる。……終わるのだ。

 ユージーンは面食らった顔で聞いていたが、コウヤが言い終え、顔を上げると苦笑した。
 柔らかく優しい、年少者を見る年長者の微笑みだった。

「気にすんな。俺だってお前に世話になってるしな」
 解いたままの頭をくしゃりとかきまぜる。
「え? 俺が? ……一度もそういう記憶ないんだけど」

 記憶を探っても、この四カ月、世話になった記憶しかない。
「お前が気づいてねえだけだよ」
 ユージーンがそうならそうなのだろうと、コウヤは納得した。

 髪をかき混ぜていたユージーンの手が自然に下りてきてコウヤの頬にふれる。
 女性にもない顔が近づき、目を閉じて受け止めた。
 ふれるだけの、口づけ。
 離れたあと、聞いた。

「……する?」
「いや、いい。……お前とは、この距離がいい」
 ユージーンは、男でも女でも見惚れずにはいられない顔で、微笑した。
 コウヤはその笑みに数秒見とれて、そんな自分に気づいて慌てて俯く。

 生まれた時からの付き合いなのに、こんな顔を、初めて見た。顔がどんどん赤らんでいくのがわかる。止めようとしても止められない。相手はユージーンなのに、なんで、こんな―――。
 そう思った瞬間、唐突に、清明な悟りはきた。
 ―――ユージーンが、好きだ。

 もちろん今までも好きだったし、そう口にしたけれど、それとは違う意味で。
 いや、自覚してなかっただけで、そうだったのだろう。ユージーンの寝顔を見て、よく見とれていたのだから。
 自覚していたこの世で一番好きな人というのと、距離的にはさほど差がない。

 コウヤは最後の最後になって気づいた感情に、毛布に顔を突っ伏して唸った。
 釣り合わない。どう見たって釣り合わない。ユージーンは強くて美しく、自分は何のとりえもない。いや、それはまだともかく、自分は明日死んでしまうわけで―――。

 ……一緒に過ごせるのは今日が最後だ。
 コウヤは一瞬で覚悟を決めた。このまま、気持ちを伝えずに死んだら、きっととても後悔する。大体嫌われたって、明日には自分はいなくなるのだ。

 跳ね起き、ユージーンを見据えた。
 髪をほどいたままのユージーンは、美丈夫というにふさわしく、また一瞬見とれてから、コウヤは思い切って口を開いた。
「ユージーン!」
「んあ? なんだお前さっきから変だぞ?」
「好きだ!」
 ユージーンの体が揺れた。

「好き。好き。すごく好き! これまで言ったみたいな意味じゃなくって、その……男嫌いのユージーンが嫌がるような意味で好きなんだ!」
 言いたいことを言い終えると、顔に火がついたようになった。隣の寝台に逃げて、慌てて布団をかぶってしまう。
 あとには爆弾発言に唖然としているユージーンが残された。

「……お、おまえ、なあ……」
 言い逃げされたユージーンは、どうしようかとしばし悩む。
 頬が熱いのがわかる。あまりにも直球の告白に、こっちまで恥ずかしい。……今の声、他の部屋に届いてないといいのだが。

 ユージーンは、自分の取るべき行動について、迷った。
 嬉しいかと言われれば、答えは決まっている。ユージーンのコウヤへの気持ちは、好きなんていう言葉では、到底足りないほどで。……けれど、明日、自分たちは。

 熟考の末、ユージーンは立ち上がると、コウヤの寝台の縁に腰かけた。
 貝のように毛布の中に潜り込んでしまった少年の肩に手をおき、呼びかける。
「コウヤ」
 様々な感情をつめて、ユージーンは言った。
「ありがとう」

 泣きたくなるほど切ないその声を、コウヤは毛布の中で聞いた。
 声に宿った切なさが、コウヤの胸に届いて、コウヤは閉じた瞼の奥の熱いものを外へ出すまいとこらえる。
 四か月、朝も昼も夜も一緒にいたのはユージーンにとっても同じだ。
 その間に、コウヤにとってユージーンが誰より好きな人間になったように、ユージーンのなかで、コウヤは少しでも特別な人間に、なれただろうか。

 当然といえば当然ながら、コウヤはその言葉を「フられた」と解釈した。ユージーンはコウヤに好意を持っているから、だから毛嫌いせずに、男だからといって気持ち悪いと罵らずに、そう言ってくれるのだと。

 自分は明日、生贄になる身だ。そのことを盾に迫れば、ユージーンも考慮してくれるかもしれない。だが、想像しただけでイヤになって、コウヤはその考えを捨てる。
 同情や、憐れみで、相手してもらって何になる?
 そんな行為は、自分を卑しくするだけだと、頭ではなく感覚でコウヤは知っていた。

     ◆ ◆ ◆

 夢を見ていると、わかっていた。
 そこにいるはずのない相手がいたからだ。
 オルウの影がユージーンに言う。

 ―――決めたのだな?
 ―――ああ。くそばばあ。あんたの思惑に、一から十まで全部ハマったよ。抜け出そうとしたけど、抜け出せなかった。抜け出せないよう仕組んだ、あんたの勝ちだよ。

 ユージーンは、ほろ苦く、笑う。
 ―――本当に大切なものっていうのは、普段はいることも意識しない空気のようで、奪われそうになってようやく気づく、そういうもの、なんだろうな。

 こんなことになって、やっと、気づいた。
 ―――何故、自分のものにせなんだ?
 ―――俺、今、すげー幸せなんだ。あいつが俺を好きになってくれた。もちろんあいつは腹芸なんてできる奴じゃないから、あれだけ素直に懐いているのは、俺を好きだからってのはわかってたさ。でも、そういう意味じゃなく、好きだと言われた。……無茶苦茶嬉しかったよ。同じ言葉はこれまで山ほど男にも女に言われたけど、嬉しいと思ったのは初めてだった。

 あの時のコウヤの顔と言葉を思い返せば、幸せな気持ちが、胸にあふれる。
 ―――あいつが俺をどう思っていても、俺があいつを何より大事だってことは変わりないし、することも変わらないけど、報われたと思った。

 人の心とは、単純で複雑だ。
 お礼はいらないと言っても、実際何も、言葉でのお礼もないと、大抵の人間はむっとしてしまうように。

 コウヤの、あの超直球の告白だけで、ユージーンは満たされてしまった。
 ―――こうなって初めて気づいたけど、あいつは、俺の、聖域なんだ。何があっても侵せない白く大切なもの。

 どんな人間にも、心の奥にしまっておく宝石のような記憶や存在が、必ずひとつはある。
 それは早くに死んでしまった親だったり、優しくしてくれた人だったり、故郷の山河の風景だったりするだろう。

 ユージーンにとって、それはコウヤだった。
 何とも引き換えにできないほど大切で、触れたら、汚してしまいそうな恐怖があった。
 大切で大切で……「だからこそ」触れられない。
 時間が残されていれば、話は別だったかもしれない。これからの未来があれば、ユージーンの選択も変わっただろう。
 けれど、現実は、二人に与えられた時間は、夜明けまでだった。

 ―――それに、抱いちまったら、あいつは俺を忘れられない。俺は、あいつの笑顔が好きなんだ。
 コウヤの、くるくる変わる表情が、好きだった。
 どんな時も明るさを失わない強さ。
 世界樹の生贄なんて役目をふられても、コウヤは「コウヤ」だった。その強さも明るさも少しも損なわれることはなかった。

 ……普通なら、生贄としての特権に溺れてしまう。
 自分を憐れむ特権と、自分を特別視する特権だ。
 この二つは、たちのわるい女のように人を変える。

 可哀想だと自分を憐れむのは蜜の味で、しかもそこには世界を救うという陶酔感までついてくる。自分の犠牲で世界を救うのだと考えれば、ほとんどの人間は人が変わってしまう。それを、周囲が許容するとなればなおさら。
 本人は自分の身を犠牲にして世界を救ってやるんだから傲慢に振る舞う権利があると思い、周囲は世界を救ってもらうんだから仕方がないと思う。
 その悪循環。

 どちらも、人として当然持ってしまう感情だからたちが悪い。
 何かをしてやったんだという思う感情も、何かをされて申し訳ないありがとうと思う感情も、両方、普通の、誰もが持つものだ。
 だからこそ、それに陥らないのは難しい。

 けれど、コウヤは、旅の最初から最後まで変わることなくコウヤのままで、その輝きに目を灼かれるほどだった。
 明日、自分がいなくなるというとき、いつもと変わらず笑える人間がどれほどいるだろう?
 ユージーンは、そんなコウヤを、慈しむ。

 ―――いいのか?
 ユージーンは笑ってうなずいた。
 ―――いいんだよ。

 ―――あやつに、そこまでの価値があるのか?
 ―――価値なんて、相対的なものだろ? 銀が、今では鉄より劣るように。食料より劣るように。俺にとってのあいつは、何にも代えがたい、宝なんだ。

 コウヤがいなくなれば、この世のすべては色を失う。
 ユージーンにとって、コウヤこそが春だった。



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Date:2015/12/27
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