時期的には同人誌二巻の後あたり。同人誌を読まなくても大丈夫です。
本編で出てきたアネットはどうなったの、という質問があったので書きました。
《登場人物》
「アネット・ラ・クリスベール」
リオンの義母の侍女。本編の第二話登場。リオンに成長のきっかけを与えた人物。ルイジアナ王国王妃に忠実に仕えている。何があっても王妃の味方……というほどの忠誠心はないが、普通程度に王妃を慕っている。
※リオンの事を「完全無欠で人格的にも高潔」と思っていたい人は見ない方がよろしいかと。リオンの人間としての欠点がどっさり出ています。
「リオン、アネットって覚えているか?」
ジョカにそう聞かれ、リオンはしばらく記憶からその名前を掘り出すことに専念した。
数秒おいて、やっと過去の記憶の地層からその名を見つけ出し、フルネームでたずねる。
「アネット・ラ・クリスベールか?」
わざわざフルネームで尋ねたのは、この時代の女性の名前というのはバリエーションが少ないからである。リオンの知己にも三、四人の「アネット」がいる。
しかし、その中からリオンの知る限りジョカとの接点のある女、ということで記憶に検索をかけたが、該当者はゼロ。
リオンの知り合いで、ジョカとの接点がほんの少しでもある相手、という条件で再度検索をかけて、ようやく一人該当者がいた。
それがアネット・ラ・クリスベールだ。
ずっと前の話になるが、義母への偏見をとく最初のきっかけとなった女性で、ジョカの前でも一度、彼女の事を話した気がする。
もう何年も前のことで、すっかり忘れていたが。
「ああ、そうだ。彼女だな」
ジョカに肯定されて、リオンは首を傾げる。リオンの知る限り、ジョカと彼女の接点などないのだが、何故突然聞いてきたのだろう。
ひょっとしてリオンが知らないだけで会っていたりしたのだろうか?
「彼女がどうかしたのか?」
「いや……どうなったのか知ってるか?」
リオンは首をひねった。
話題になるのが他の、二人の共通の知人ならば話は判る。
だが、話題のタネになっているのは、リオンから見ると「存在すら忘れてた」相手だ。
――いや、待てよ。
リオンは気を引き締めた。
ジョカは、一つ処に居ながらにして、ルイジアナ中の情報を集めることができる人間である。
なら、その集めた情報の中にアネットのことがあってもおかしくはない。
そして、ジョカは女好きである。
――もし、アネットがジョカの好みだったとしたら?
女好きの男がもし好みの女性を見つけたら、そしてその情報を自由自在に集めることができる立場だったら、普通は集めるだろう。いわゆるノゾキというやつだ。
時期的に幽閉中だったはずだから実際に手を出しているとは思わないが、(幽閉が解かれた後はリオンに耽溺していたのは、リオンがいちばん良く知っている)ジョカがこっそり彼女の情報を集めてにやにやしているところを想像すると、極めて不愉快であることは間違いない。
リオンはゆっくりとした口調で、確認を取った。
「あなたの、知り合いなのか?」
「いえ全然まったく知り合いじゃありません。目! 目が何だか怖いですよ、リオンさん!」
無意識のうちに半睨みになってしまった目を、意識して元に戻す。
「じゃあどうして聞くんだ?」
「……お前、あの子のこと好きだったんじゃないのか?」
リオンは失笑した。
「どうして、私が、あんな女と」
「あんな女、って……おまえな」
リオンはにっこりと、ジョカに笑いかけた。
「いいか、ジョカ。私はな、女性の好みがうるさいんだ」
「そうなのか?」
「政略結婚で相手の容姿に注文をつけるほど愚かではないが、愛妾とするなら私の隣に並び立てる程度の容姿が最低ラインだ」
「……」
なんだかジョカが脇を向いて、「お前と同等が最低ラインて……」と小声で呟いているが無視する。
リオンは自分が美貌の主である自覚があるが、それでも国一番の美貌とまでは自惚れない。
そもそも女性の美貌と男性の美貌は土俵が違う。また、女性は化粧や装いで化ける。リオンと同等以上の美女、というのは希少ではあるが、探せばいるものでもあるのだ。
「愛妾の容姿は、男の地位を示す道具のひとつでもあるからな。正妻ならともかく、愛妾は顔で決める。不出来な顔の女を連れている男など、公式の場では失笑される要因だ」
この時代、高い地位にある男にとって、同伴する煌びやかに着飾った女性は自分の「格」を示す大事な装飾品のひとつである。
そしてまた同時に、
醜女を連れる男は同情と哀れみの対象となる。侮りを受けることになってしまうのだ。
しかし……女性を箔付けの道具としか見ていないあまりにあまりの台詞に、ジョカは頭をかきむしった。
「王族ってのはこれだから!」
リオンはむしろ、愉しげに笑う。
「久々に聞いたな、その台詞。アネットという娘、確かに普通よりは印象に残っているが、顔が落第点だ。愛妾にするほど美しくもなし、政略で結婚するほどの地位でもなし。普通よりは記憶に残っていることは確かだが、それだけだな」
普通の侍女ならば余程容姿に優れなければ個別に認識などしない。義母への印象を一変させる契機となったこともあり、アネットは「侍女のなかでは」格別に印象深い相手といえた。
――が、所詮は侍女。
生まれながらに王冠を約束され、常に人に囲まれて育ち、使用人を空気のようにはべらせて生活するのが当たり前として生きてきた生粋の貴人であるリオンにとって、使用人などどうでもいい存在であった。
男尊女卑のルイジアナ王国。リオンはその、正嫡の第一王子である。その教育はしっかりとその身にしみついている。
「……そういやお前は生粋の王族だった……」
「母上ほどの絶世の美女ならともかく、あれぐらいどこにでもいるからな。……どうかしたのか?」
「……イイエ。完全完璧に俺の勘違いです。その子が今度、結婚することになって……」
「そうか」
何の感情もこもらない、無関心の「そうか」。
本当に、どうでもいいというのが伝わってくる。
ジョカは言葉を続ける気力をへし折られながら、一応最後まで言った。
「……お前が、その子のこと気に入っていたんじゃないかって」
「わたしが? どうして?」
純粋な疑問の問いかけに、ジョカは完全に自分の愚を悟った。
ため息をつきながら、それでも一応答える。
「お前、彼女と……その」
リオンはやっと納得がいった。
くすりと笑う。
「ああ……知っていたのか。いや、あなたの場合『見て』いたのかな?」
「見てたよ。故意に見ていたわけじゃなく、起きてる間に自然と情報が流れ込んできたんだけどな。その辺は信じてくれ」
「わかった。信じる」
即答に、ジョカは緩みかけた頬を何とか引き締めた。
「お前が彼女に微笑んで、彼女がお前に熱上げて、お前が彼女にいろいろハンカチとか小物を侍女仲間に知られないよう影でこっそりやって、髪を撫でてキスしてるところとかも見た。だからてっきり恋人かと……」
リオンは王冠が約束された王子だった。恋人の二人や三人いても何ら不思議ではない。いや、一人もいない方がおかしい。
アネットの方もまさか結婚できるとは思ってはいなかっただろうが、それでも愛妾ぐらいは夢見ていただろうし、なんせリオンの父が中小貴族の娘を王妃にしたのだ。ひょっとして、と期待ぐらいはしていただろう。
何より、彼女の方は明らかにリオンに夢中だった。
――しかし、そのすべてをリオンは一言でぶったぎった。
「馬鹿な女だったな」
「………………」
「ああ、他国の貴族の娘だ。面倒だし純潔を奪った責任取れとか言われるから手は出していないぞ。ちょっと笑いかけて、小物を贈って、義母上の情報を流させただけだ」
宮中では星の数ほどある恋愛遊戯である。
軽い口づけと微笑み――それだけであの少女はリオンに落ちた。
純粋な恋愛とは思わない。リオンの地位や身分からくる打算も大きいだろう。
リオンの方はただ単に、自分の笑顔の力の確認と、ジョカの言う色仕掛けの効果の確認と、女への接し方の訓練と、恋愛遊戯と、王妃陣営の情報の横流しの一石五鳥を目的にやっただけである。
リオンが使用人に手を出したのは後にも先にもそれ一件だからジョカが誤解するのもわからないでもないが――。
リオンは冷ややかに笑って、つづけざまに滅多切りにする。
「仮にあの女が地位か容姿、どちらかを持っていたとしても、己の仕える主人を簡単に裏切って私に情報を渡すような馬鹿な女は願い下げだ。もし、情報を流しているという自覚すらなかったのなら尚更だな」
リオンはそこで、凝固しているジョカに笑ってみせた。
「宮中ではよくある恋愛遊戯だ。二股三股も珍しくなく、お互いに恋のときめきを味わって楽しむ遊戯。傷物にしたわけでもなく、損をしたわけでもない。一時の恋。それで終わった話だが?」
「まあ……そりゃあ、そうだけど……」
リオンの性格からいって、面倒な婚姻前の未婚の娘に手は出さなかっただろう。
甲斐性なしのジョカとは違い、小物ながら品よく高価な女性の好む贈り物もしていたようだし、アネットにとっては「良い思い出」でおしまいだろう。一時は、「あの」リオンの心を独占できたと信じて。
その思い出は父親に言われたまま嫁ぐ彼女の人生に、誇りという明かりをともすだろうし、誰も傷つかない美しい思い出……なのだろうが。
「私はあなたの教え通りに動いたつもりだがな?」
「う……っ」
自覚のあるジョカは呻いた。
「王子だから、ではなく、自分自身の味方を得ろ。自分専用の配下と耳目をつくれ。実践してみただけだが?」
言われたことを実行するとともに、ついでに自分の顔がどれほど効果のあるものか、ちょっと試してみたのである。
――王子だから、という理由ではなく、リオン自身へと忠誠心を捧げる人間を作れ。
上に立つ人間は、下の者に忠実に情報を耳を届けてもらわなければ、単なる傀儡に成り下がるのだから。
ジョカの忠告通りにリオンは自分で動き、自分の味方を作った。
アネットは王妃側の情報を漏洩させるために作った手のひとつだ。
それ以上でも、それ以下でもなかった。
王宮を出奔した今も彼らはそれなりに役立っている。ジョカがいれば情報収集に労苦はないので重要度は低下したが、ジョカでも王宮内の微妙な心理のもつれに関しては目が届かないし、工作をするのにも便利である。
「そういや、お前の女の好みって聞いたことがないな……」
リオンはあっさり言う。
「馬鹿は嫌いだ」
「……」
ジョカは沈黙する。
優秀な者の、優秀さゆえの無能者への残酷さがそこにあった。
人を愚かと断言し、切り捨てることに一切の躊躇がない。
人を判断し、選別し、差別する権利があることを信じている……いや、「知って」いる。
王族とはこういうもので、同時に王族とはこうでなくてはならない。
人の能力を見極め、判断し、見合った仕事を与えることが、支配者層の仕事なのだから。
リオンはそこでふと考え込んだ。
「……そうだな、義母上の認識を変えるきっかけをくれた点で、アネットにはそれなりに好意を抱いていたかもしれないが――あっさり主の情報を流した時点で呆れた」
アネットが、リオンに嫌われるまいと問われるままに王妃の近況を話し始めたあの瞬間――リオンは彼女を見限った。
抱いていたかもしれない好意は雲散霧消し、どうでもいい存在、利用するだけの相手に成り下がった。
「馬鹿な女は嫌いだし、醜女も嫌いだ。まあ優先すべきは頭の方だから賢ければ容姿は多少妥協してもいいが。逆に、愛妾なら優先すべきはやはり容姿だな。頭はあんまり馬鹿でも困るが、多少馬鹿なぐらいが扱いやすくていい」
容赦なく女性を下に見きった言いざまに、ジョカは額を押さえていた。
いや、男尊女卑の国の男性王族の女性への認識などこんなものだが。
「……ええと……じゃあいらないおせっかいだったってことか。ごめん。その、お前から直接彼女の名前を聞いたこともあったし、その時お前は彼女に好意的だったし、お前の恋人で初恋かなって思ってて……」
いま、リオンの心がジョカにあるのは判っている。
だからこそ、ジョカは言ったのだ。親切で。
彼女が結婚して国を退去するようだけどどうする? と。
もしリオンが彼女に未練を残していたら言わなかっただろう。さすがにすすんで恋敵を増やすほどジョカは酔狂ではない。
ジョカが万能に近いのはルイジアナ国内に限られる。力の根を縦横に這わせたこの土地だからこそ。自国に戻った彼女には、もう生涯会えないだろう。
だから、リオンが嫁いでいく初恋の人間にもし、最後に一言挨拶でもしたいのなら協力するつもりだった……のだが。
……どう見ても、「いらぬお節介」以外の何物でもなかったようである。
がっくりきているジョカの顔をリオンは顎を掴んで持ち上げた。
青い瞳と黒い瞳が交わる。
青い瞳は、笑みを含んでいた。
「なあ、ジョカ。判ってないようだから言うんだがな? あなたの初恋は私じゃないが――私の初恋は、あなただぞ?」
リオンは驚きに見開かれたジョカの目を見ながら、そのまま口づけた。
合わせるだけの軽い口づけを繰り返し、顔中に接吻の雨を降らせた。
目蓋に口づけて、リオンは囁く。
「あなたは、本当にやさしいひとだな。私が誰に対しても優しくなければ嫌か?」
「誰に対しても、というか……。曲がりなりにも昔の恋人だろ? お前に、以前付き合っていた女性にひどいことを言ってほしくないというか……」
リオンは肩をすくめた。
「付き合っていたわけじゃないからな。手を握って耳触りのいい甘い言葉を囁いてやっただけだ。あなたが、私の初めての恋人だぞ?」
「え」
「恋人というのは、恋をして交際する相手のことだろう? 体を合わせる相手はいたが、それは恋人じゃない」
リオンはジョカの髪を指にからめる。この黒髪が、リオンはお気に入りである。
リオンだけを見て、リオンだけを愛する魔術師。なんて理想的で完璧な。
独占欲が満たされて器から溢れるほどに愛情を注がれて。
余人には望むべくもない、絶対的な愛情。そんなものを向けられては他の人間など目に入らない。ジョカが思っているよりずっと、リオンは彼が好きだった。
身分ではなく、地位でもなく。――これほどまでにリオン自身を愛してくれる人間が、一体この世のどこにいる?
「私の独占欲が強いというのは、あなたも知っての通りだがな? 恋人なら侍女などさせるものか。辞めさせて手元に囲っているさ」
リオンにはそれができる財力と、許される身分があった。
「うー……、お前には他人に対しても優しくしてほしいというか何というか……、その――、俺が悪かった、ごめん」
言葉を探して言語の海を迷子になったのち、ジョカは謝った。
「まったく同感だな。どの口がそれを言うんだ?」
リオンは必死で笑いを堪える表情で、ジョカの頬をつねる。
「他人に優しくしてほしい、か。あなたが言うなと百回ぐらい言いたいな」
「……返す言葉もございません」
――リオン以外のルイジアナ国民がどうなったってどうでもいい。
そう公言してはばからず、実際にリオン以外の全国民を皆殺しにしようとした魔術師が言うには不釣り合いにも程がある発言であった。
もっとも、両方ジョカの本音だろうということも判っていたが。
要は、リオンの冷徹な面を見たくないのだろう。ジョカはこう見えて、中身はリオンより余程お人好しにできている。
他人ならともかく、過去に付き合った女性を悪し様に言うのは、この優しい魔術師にとってできればやめてほしいことなのだ。
ふむ、とリオンはかつてジョカから聞いた彼の恋人の事を思い出した。
幽閉される前にジョカが交際していた女性。
浮気して去った女性だが、それでもジョカは彼女を悪く言うことはなく、むしろ擁護して語っていた。一度好きになった女性を悪く言えない。そういう性質なのだろう。まして、ジョカの方にも非はたっぷりあったし。
そういえば、親友のルダイに対しても、あそこまでの事をされてすら、一度はほだされて許したのだ。
良くも悪くもジョカは一度情をかわした相手を見捨てられず、切り捨てられない。彼はそういう優しさ――甘さと言い換えてもいい――を持っている。
だから、かつての恋人を容赦なく切り捨てて語るリオンに対して、複雑な気持ちになったと。
まあそういうことなのだろう。わかった。
リオンは理解して頷く。
リオンはジョカに溺愛されている自覚があるが、その愛情に胡坐(あぐら)をかく気はない。
以後はそういう言動をちょっと慎もうと決めて、囁く。
「私の初恋があなたで、嬉しかっただろう?」
「……」
答えがないのが、答えである。
リオンは顔を緩めると、そっと口づけた。
「どれほど時が積み重なっても、過去は変わらない。私の初恋を、あなたに捧げよう。私の初めての恋は、永遠にあなたのものだ」
たとえこの先、リオンの愛情が別の誰かに向けられることがあったとしても――未来永劫変わらない、それは真実だった。
完璧な人間などいないもので、リオンは「王族」で「傲慢」で「男尊女卑」の人でもあります。
そういうリオンは見方によっては非常にイヤ~な人間でもあります。
そんな鼻につくところ全開のお話になりました。
アネットへの評価の容赦のなさは、自覚しない失望の現れでもあります。彼女が仕える主の情報をリオンに流した瞬間、「馬鹿な女」でリオンの評価は固定されてしまいました。
アネットとしてはリオンに嫌われたくない一心だったのですが、リオンはその事も気づいていて、その上での評価なので、もし彼女がリオンの心中に広がる軽蔑を知ってすがっても、リオンの評価は揺るがないでしょう。
色んな意味で、リオンは完全無欠な人間などではなく、欠点を抱えています。
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