リンカの一人称です。
私は凛花。
この名前はお母さんがつけてくれた贈り物。
私はこの名前をとっても気に入っている。りんか、っていう響きも綺麗だし、字も綺麗。お母さんからもらったたくさんのものの中で、いちばん気に入っているものだ。
ううん、そうじゃないか。
私自身。
私という命そのものが、お母さんからもらった最大の贈り物だ。
お母さんが死んだのは、私が七つの時だ。
あの日の一日前まで、私は幸せだった。
大きいお腹のお母さんを助けて家事をやって、にこにこしながらいつ赤ちゃんが出てくるのかなーと言ったのを覚えている。
お母さんがそれに笑って「もうすぐよ」と言ったやさしい声も。
お母さんが産気づいたとき、私は近所のお産婆さんのところまで走った。
お産婆さんはすぐに来てくれて。
手助けに近所の女性たちも来てくれた。
そして、私自身は部屋の隅っこでじっと待っていた。
おとなの女性がたくさんいる部屋で、私のような子どもには何もすることなんてなかったから。
朝方始まったお産は、昼をすぎても、夜になっても終わらなかった。
お父さんは仕事が済んで帰って来てからそれを知った。腕の良い大工である父の仕事場は毎日変わる。誰も仕事場を知らなかったから、誰も知らせに走ってくことができなかったんだ。
お父さんが帰ってきたのは昼を少し回ったところで、お産の最中で家にたくさんの女衆が詰めかけている現状に驚いた様子だったけれど、そのうちの一人に言われて、邪魔にならないよう小さくなっていた私を食事に連れ出してくれた。
そしてその食事が終わって家に戻ってもまだお産は終わらなくて。
結局、お産は、翌日の夜までかかった。
お母さんは、死んだ。
赤ちゃんも。
難産で死ぬ女性は珍しくない。
女性が男に裸を見せることに抵抗があって手遅れになることだって珍しくない。
お父さんはそれを知らされると呆然として、次に暴れ出して……私も、何か叫んだ気がするけど、覚えてない。
記憶はふっつりと途絶えている。
次に記憶にあるのは、お母さんが埋められていくお葬式の光景だ。
お母さんが埋められた土饅頭の絵が、記憶に残っている。
そしてまた、記憶が途切れる。
お母さんの土饅頭。
悲しみに沈むお父さんの横顔。
私を同情の目で見つめる人たちの顔。
がらんと広くなった部屋。
お母さんが死んだ前後の記憶はそんなふうで、映像と映像がとぎれとぎれに繋がっていた。
私から見ても、お父さんの悲しみは深かった。
最初は誇らしかった。私のお父さんはお母さんのことほんとうに好きだったんだ、奥さんが死ぬなり別の女の人をつれてきた近所のペーさんちのお父さんとはちがうんだ、って。
それから、お父さんはお酒を飲むようになった。
私はお母さんが死ぬまで、お父さんがお酒を飲むところなんて見たことがない。
お父さんは、お酒を飲むと決まって泣いた。その姿を見て、私はお母さんが死んだ悲しみを癒すために酒を飲んでいるんだと、わかった。わかってしまった。
わかってしまうと、お酒を飲むお父さんを止められなかった。
最初にそうして止めずにいたのが、良くなかったんだと思う。
最初はそれでもよかった。
お父さんは腕のいい大工で、私はお母さんに家事を仕込まれていて、近所のおばさんたちも私に色々家事を教えてくれた。
おばさんたちは、私に料理を教えながら皆口々に言った。
今はつらいだろう。これからのことなんて考えられないだろう。でもね、おまんまを食べなきゃ誰だって生きてけない。いいかいリンカちゃん、お母さんは死んじまった。どんだけ泣いて悲しんで嘆いても、お母さんは生き返らない。これからはリンカちゃんが、お母さんの代わりにおさんどんしないといけないんだよ。
お父さんは夜お酒を飲んでも、朝はちゃんと仕事に出て、お給金を私に渡してくれた。私はそれを預かって、一生懸命買い物にでて、ご飯をつくって、お掃除をした。
毎日毎日小さな体で掃除や買い出しの大荷物を抱えるのは重労働で、毎日へとへとになりながら過ごすうちに私の中ではお母さんが死んでしまった悲しみは薄れて過去になっていった。
お父さんも、私が作ったへたくそな料理を食べてくれた。ごめんなうまいよと詫びながら。
私もお父さんの背を撫でながら謝った。
ごめんなさい、下手でごめんなさい、明日はもっと上手に作れるようにがんばるから。
あのまま時間が過ぎれば、私たちは、今頃は貧しいながらもありふれた一家でいられたと思う。
お母さんは死んでしまったけれど、そんなのは珍しくもない不幸だ。そんな不幸の中でも親子二人で支えあう親子に、なれたと思う。
けれども、お父さんはお酒におぼれるようになった。
最初はお母さんを忘れるために飲んだお酒の底なし沼に、お父さんは腰まではまってしまった。
それに気づいたとき、私は強烈に後悔した。
私が言われるまま酒を買って出したせいだ。
お母さんを失った悲しみを忘れるためにお酒が欲しいんだと思って、そうでなくてもお父さんは家長で、逆らうなんて思いもしなかった。夜に晩酌する旦那さんなんて珍しくもない。
でも、そう気づいたときには遅かった。
お父さんはすっかりお酒にとりつかれてしまった。
お母さんのことを忘れるためじゃなく、ただお酒を飲みたくて飲むようになってしまった。
言われるままにお酒を買って出していたらどんどん量が増えて、さすがに止めたら……お父さんは私を殴ろうとした。
手を振り上げて、そして眉間にしわを寄せて私を睨んで手を震わせ、結局殴らずに下ろしたけれど。
私は今でもあの時の顔を思い出す。
怒り狂った鬼みたいな顔で私を殴ろうとして……、そして結局殴れずに手を下ろしたお父さんの顔。
お父さんは酒の魔力に飲まれても、それでも私を殴れなかった。愛情と酒への欲望とを天秤にかけて、愛情を選んだ。
あの歪んだ顔は、その証拠。
私を愛してくれているあかし。
それからお父さんは私にお酒を出せということはなかった。
お父さんは自分でお酒を買ってくるようになった。
仕事の帰りに酒を買い、あるいは酒を飲んで帰ってきた。
大工の仕事は明るくないとできないから、早ければ昼過ぎ、遅くても夕方には帰ってくる。
時刻が早くて飲み屋に行けない時は酒屋で酒を買い家で手酌で飲み、遅いときは飲み屋に行った。
そうしてお父さんは、私が止めるのを振り切ってお酒におぼれていった……。
大工の仕事も、それに合わせるようにして少なくなって。
家に入るお金はどんどん減っていって、なのにお父さんはお酒をやめてくれなかった。
毎日毎日手の中の小銭を数えてぐーぐー鳴るお腹を水で誤魔化す日々がつづいた。
坂道を転がり落ちるように、何もかもが悪くなっていった。
私は悲しくて悲しくて。
どうしてこうなってしまったんだろうと思うとやりきれなくて仕方なかった。
――お母さんがいてくれたら、お父さんがこうなることはなかったのに。
お父さんはお母さんが死ぬまで、お酒なんて飲む人じゃなかった。
私の心の中に、治療師になりたいという願いが生まれたのは、このときだ。
お母さんがお産で死んでも、それだけなら私はごくふつうに生きて、死んだだろう。そんな子どもはたくさんいる。
でもお母さんが死んで、お父さんが転がり落ちるように身を持ち崩してから、すべては変わった。
今の生活の不幸のすべては、お母さんが死んでしまったからだ。
お母さんさえ死ななければよかったのに。
そう思うようになった。
けれども、いざ治療師になろうとしても、私は女の子だ。
どこの治療師の先生にかけあってもにべもなく断られればいい方、悪いとお金を要求された。弟子入りにお金を取るところなんて初めて聞いた私はびっくりした。
後になって、治療師なんていう『稼げる』仕事では、技術の対価としてお金を要求する人も少なくないと知ったけれど、どうせ私には差し出せるものは自分の体しかなく、支払う事なんてできっこなかった。
私の夢を聞いて、やめときな、そう言った近所のおばさんは数多かった。
でも、がんばりな、と言ってくれた女の人もいた。少しだけだけど。
お産の時にお母さんが死んでしまった、男に股を見られるのを嫌がって。だから私が治療師になって看れるようになりたい。
――そう聞いて共感し応援してくれる女の人は多い、そういうことだと思う。
だって、子どもを産む女性なら誰の身にも降りかかるかもしれないことだから。
でも、それをそのまま口に出せるほど世の中の空気は優しくない。
だから、表立っては批判の方が多かった。でも内心は違ってた。
それが、私が実際に治療師への第一歩を踏み出してからはっきりとわかった。
これまで諦めな、と言っていたおばさんたちもまた、私の事を思いやってくれていたんだって事がわかった。
女性というだけで徹底的に差別される社会のなかで、治療師なんかなれっこない、望みのない夢は早めに諦めさせた方が身のためだと思ってくれていたんだと。
だって、流れ者の治療師。
流民でありながら腕の良さでお客が集まりだした変わり者の治療師の先生に私が弟子入りを果たすと、おばさんたちの態度はガラリと変わったのだ。
諦めな、なんて言ったおばさんはそれを謝って、私の応援をしてくれた。
今までいろいろ言ってごめんな、おばさんはあんたを応援するよ。
あんたが一人前の治療師になったら、おばさんも嬉しい。
そういって、お父さんや私の食事を差し入れしてくれることも多かった。
先生は優しいけれども厳しくて、いつも診察が終わるとへとへとになった。家事をする気力がないことも多かったから、これはほんとうに助かった。
お父さんは、私が治療師の先生に弟子入りするのを反対しなかった。
酒臭い顔で、私の言葉を聞いてただ頷いた。
大工の仕事も、酒浸りの日々が続いて数年したころ、来なくなった。
お酒を飲んでばかりいたせいで、手の震えが止まらなくなったんだと、そんなんじゃ大工としては終わりなんだと、お父さんの同僚の人から聞いた。
お父さんがお酒を買うお金をどうやってお金を捻出していたのか、私は知ろうともしなかった。
勉強すること、覚えなければならないことが多くて大変で、知りたくないとすら思っていた。
弟子としての生活はもちろん無給だったけれど、治療師の弟子として働いていると、小さな女の子が走り回る姿に微笑ましく思う人は多いみたいで、心づけを貰う事が多かった。
先生は繁盛していたから、その心づけだけで私とお父さんの食費くらいは充分まかなえた。
ふつうならその心づけさえも師匠に巻き上げられる事が多いけれど、先生は私の困窮を分かっていたんだと思う。
笑って見過ごしてくれた。
私は夜眠るとき、いつも神様に感謝した。
優しくて、寛大で、腕がいい。なんていい先生に私は弟子入りできたんだろう。
それに、何より、先生は男色家だった。
じつのところ、おばさんたちが一番心配していたのもそれだ。
女の子が誰かの弟子として入るってことは――、無体を強いられるってことだ。
嫁入り前の娘が慰み者にされた挙句、治療師になれればいいけどろくな指導も受けられずに放り出されたら、結婚もできず外もまともに歩けず娼婦にでもなるしかない。
危険が大きすぎて反対したのだと、あの頃はわからなかったことが今ならわかる。
そしてそれさえも問題ない理想の師匠に私は巡り合えた。
先生は男色家だから、女性は興味ない。実際に働いていて、先生にこき使われるけれども色めいた視線を感じた事は一度もない。
腕利きの治療師である先生が男色家と言う話を聞いて、男が先生を誘惑しに来た……なんていう外ではとても言えない笑い話もたくさんあるのだけれども、先生はその男をじっくり見てから、(筋骨隆々か、あるいは美男子かどちらかだった)小馬鹿にした目で失笑した。
「自分の顔見てから出直してこい」
――この一言で、ことごとく撃沈して帰っていった。
実際先生の大切なひとはとても綺麗なひとで、ああこの人と比べたらなあと納得したのを覚えている。
忙しくくたくたになるけれども充実感のある毎日。
先生も厳しいけれども理不尽な事を言う人じゃなくて、私は幸せだった。
幸せだったのだ。先生が出て行くまでは。
◆ ◆ ◆
先生が旅に出る、と宣言し、患者さんたちにもそう言って診療所はしばらく閉めることになった。
そうして私は目をそらしていた現実と、向き直ることを強いられることになった。
そう、お父さんがどこをどうやってお酒を買うお金を手に入れていたのか、っていう謎だ。
少しでも世間ずれしている人ならすぐにわかる。そもそも謎にもならないだろう。
年頃の娘をもつ酒浸りの父親が酒を買う金をどうやって捻出するか?
答えは一つしかない。
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