あかね雲

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□ 黄金の王子と闇の悪魔 番外編短編集 □

魔法使いの弟子 9


 先生が旅立ってから、私の生活は一変した。

 朝起きてすぐに診療所に行き、そこで夕方まで働いて買い物して家に戻ってご飯を作って食べるという生活が、朝から晩まで家にいることになった。

 その生活を案じた先生が事前に患者さんの一人に話をつけてくれて、私は先生のいないあいだ、朝から夕方までその患者さんの家で小間使いとして働くことになった。
 お母さんや近所のおばさんたちのおかげで私はきちんと家事を仕込まれていたし、そのおうちには体の弱い奥様がいて、暗に先生の弟子として、多少の医術の心得も期待されての奉公だった。

 そうして得た賃金のほとんどは、お父さんに取り上げられた。
 いつの間にか私に渡されず、お父さんに渡されることになっていた。
 私もそれに疑問を持つことはなかった。だって、お父さんが家長だから。

 でも、私が働いたお金でお父さんがお酒を飲んでいるのを見たときには、胸がもやっとした。

 なんでなにがもやっとしたのか、その時はわからなかった。
 お父さんは相変わらず酒浸りで、その時にはもう仕事には全然行かなくなっていたから、私はひとりで働いて、ひとりで家に帰ってひとりで食事を作ってひとりでご飯を食べた。

 お父さんのぶんのご飯は、作って置いていけば次に見た時には無くなっていた。

 毎日毎日、酒浸りのお父さんを横目に奉公へ行く毎日。
 一日中働くのには先生のところで慣れていたし、こき使われ具合では先生の方が上だったから体的には大したことなかった。ただ、先輩の関係がたいへんだった。

 先生のところは、本当に恵まれていたんだってことを痛感した。
 先生の弟子は私だけで、先生は絶対的な上だったけれどそれは当然で、それだけだった。
 先生は尊敬できる凄腕の治療師で、どんなことでも知っているその知識量や技術はすなおにすごいと思えたし、その人に何を命令されてもちっとも苦には感じなかった。

 でも、その家では違った。大きなお家であるその家では私以外にも小間使いがたくさんいて、一番苦労したのも、一番疲れたのも、同僚である先輩の小間使いとの関係だった。

 りふじんに怒られるっていうのがどれだけ心に堪えるのか、具体的な暴力などなくても人に刺々しい態度で接されるのがどれほど傷つくことか、私は初めてそこで知った。

 その上、私はただの小間使いじゃなかった。
 腕利き治療師の唯一の弟子であり、先生が帰ってきたらいなくなる人間であり、先生が帰ってくるまで『預けられた』人間だった。

 体の弱い奥様に何かあったとき簡単な手当てぐらいはできる人間として、また先生から預かっている子どもということで、私は上の人から特別な配慮がされた。
 それがいっそう、私の立場を難しくした。

 先生が旅に出て、約束していた日限が過ぎて、それでもしばらくは私への目は変わらなかったけれど、さすがに一月を数えると周囲の目も変わってきた。
 もちろん、私自身の心も閉ざされた器の中で水位を徐々に上げていくように、不安が日々増していった。

 先生はどうしたんだろう。
 ひょっとして旅の途中で怪我や病気になってしまったんだろうか。
 泥棒によって路銀を奪われたり、あるいは盗賊に襲われたりしたんだろうか。
 あるいは先生は流民だから、ひょっとしてひょっとしたら、たちの悪い官吏に目を付けられて冤罪を着せられたり――。

 考えれば考えるほど悪いことばかりが浮かんできた。
 当初の予定から一か月すぎ、二か月すぎ、三か月すぎ――私は、自分の身の振り方を真面目に深刻に暗い気分で見つめるようになっていた。

 ――きっともう先生は帰ってこない。不慮の事故にあってしまったのかもしれない。いつか帰ってくるかもしれないけれど、でもいい方ばかり考えるのはやめよう。
 最悪の事態を直視しよう。

 もし……先生がこのまま帰ってこなかったら、私はどうしよう?
 もう、最初にあちこちの治療師の門をたたいて門前払いをくらったときの私じゃない。
 腕利きの先生の唯一の弟子として、しばらく学んだ身だ。
 私の腕――ひいては先生の技術を欲した治療師の誰かが、私を弟子にとってくれないものだろうか?

 でも、そういう人がいたとしても、さすがに先生みたいな男色家であることまでは望めないよね。お金もない。弟子入りの入門料を払えない私は、体を差し出すしかない。

 それが嫌なら、このままここで小間使いとして奉公を続けるという道もある。
 でもその時は治療師になるという夢もあきらめざるをえなくなる。

 私は自分の夢と自分の純潔を天秤にかけて――迷わず夢を取った。

 私にとって、なにより夢が大事だった。

 でも、先生が帰ってくる可能性もなくはない……。
 私は考えて、一つの区切りを作った。

 あと一年。一年だけ、先生が帰ってくるのを待とう。そして、先生が帰ってこなかったら、治療師の人たちのところにお願いに廻ろう。
 たぶん最初は門前払いだろうけれど、先生のところで学んだことを言って何度もお願いすれば、そして何人も廻れば、きっと――……。

 そう心に決めながら、涙が出た。

 先生。
 ひょっとして、もう亡くなられてしまったんでしょうか。
 山賊や夜盗に目を付けられて、殺されてしまったんでしょうか。
 どうか、無事に戻ってきてください。

 私は毎日、近所で祀られている祭神に手を合わせて祈った。
 どうか、先生が無事に帰られますように、と。

 ――家に帰った私がその男と出会ったのは、そんなころだった。

     ◆ ◆ ◆


 見るからに、関わってはいけない人間だった。
 破落戸(ごろつき)だっていうことは、見ただけでわかった。

 貧しいながらもまっとうに生きてきた私とは、これまで一度も関わったことのない人種だ。
 この界隈で暮らす人間なら、道端で出くわした瞬間に慌てて道すじを変えて迂回する種類の人間だ。
 体からも顔つきからも、己の私利私欲のために他人を傷つけることを厭わない男の腐臭がぷんぷんと漂っていた。

 私は情けないことに、そんな男に一番会ってはいけない場所である自宅で出くわして、体がすくんでしまった。

 男はすくんでいる私をじっくりと頭の先からつま先まで値踏みする視線で見回して、とても嫌な感じで笑った。
 ひとを――特に女を、獲物か商品としか思っていない男の目。

「へえええ。おまえの娘だっていうからたいして期待はしちゃいなかったが……なかなかどうして可愛いもんじゃないか。これならじゅうぶん、稼げるぜえ?」

 血の気が引くのが自分でもわかった。
 一瞬で、どうしてこの男がここにいて自分をこんな目で見ているのか、父との関係がすべて理解できてしまった。

 私は信じられない思いで男の隣で私から目をそらしているお父さんを見て、喘ぐように言った。
「お父さん……まさか……!」

 まさか、まさか、まさか。
 その言葉が頭の中をぐるぐると回る。

 お父さんは私と目を合わそうとしない。
「お父さん! 何か言ってよ、嘘だよね……嘘でしょ?」
 ここまで言ってもお父さんは私の方を向こうとしない。
 私はお父さんに駆け寄って、その肩をつかんで揺すった。
「おとうさん!」

 そこまでやって初めてお父さんは私の方を向いた。煩わしそうに。

 まったく予想してなかった瞳がそこにあった。
 そこにあったのは、罪悪感で押しつぶされそうになっている目でも、逃げようとしている目でもなかった。私をなじる瞳だった。

「お前がわるいんだ」
「え……」

「おれを馬鹿にしやがって……娘のくせに……」
「お父さん! 私、そんなこと思ってない……!」
 お父さんは突然激昂した。
「うそつくな! わかってんだぞ! 仕事から帰ってくるたび、あてつけるようにおれを見やがった!」

 私はことばをうしなった。
 お酒ばかり飲んでいたお父さん。仕事にも行かず、お酒ばかり飲むようになってしまったお父さん。
 私が仕事から帰ってきたとき、お父さんを見るといつも引っくり返っていた。機敏に仕事をしていたころの引き締まった背中とはくらべものにならない丸い背だった。

 そんなお父さんを見て、責める気持ちが私の中になかったとは言えない。
 ――お父さんは、そんな私の気持ちを敏感に感じ取っていたんだ。

 男がいやらしく私の肩に手を廻してきた。とっさに逃げようと体が動きかけたけれど、萎縮しきった体は思ったように動いてくれず、肩に手を廻されて動きを制限されてしまう。
「まあ、リンカちゃん。気持ちは分かるよ。こおんな駄目男が親父じゃあなあ、俺だっておんなじように思うよ。なあ?」
「や……っ」

 異性の肌と、治療目的じゃなく性的な意図で接したのはこれが生まれて初めてのことで、私は硬直した。
 救いを求める目をお父さんに向ける。
「お、おとうさん……」

 お父さんは私からもう、目をそらしていなかった。
 憎々しげに睨んで吐き捨てた。

「女のくせして治療師になりたいだなんて笑われるようなこと吹聴しやがって……お前のお陰でおれまで馬鹿にされたじゃねえか。こんなことになったのもおまえのせいだよ、おれは悪くねえ」

 私は視界が滲んで、ぼやけたお父さんを呼ぶことしかできなかった。
「お父さん……」
 私の呟くような声に、もうお父さんは何も返さなかった。

 瞳から涙が次から次へと溢れてすじを作った。
 そんな私に同情のことばをかけてくれたのは、皮肉なことにお父さんじゃなく、ごろつきの方だった。

「あーあ、ヒッデー父親だよなあ。酒のために娘を売った挙句、娘のせいだって責任転嫁してんだからなあ」
 お父さんの頭が跳ね上がったが、お父さんは男の目を受けて何も言い返せずに萎れた花のようにうなだれた。

 その動きの意味が、子どもである私にさえもよくわかった。
 ――お父さんは、この男には言い返せない。
 私のことはてきとうな理由をつけてなじれても、この男には言い返すこともできない。弱い相手にしか攻撃できない、お父さんはそういう人なんだ……。

 男は作った上機嫌の顔で、にんまりと腕の中の私を覗き込んだ。
「リンカちゃん、心配しなくたっていい。思っているほど怖いところじゃないさ。それに、リンカちゃんは治療師の心得があるんだって? きっと大事にされるさ。その腕が必要とされる場所でもある。なんたって怪我や病気が絶えないところだから、なあ?」

 これから私は女郎屋へつれていかれる。
 抱きすくめられて力ずくで逃げ出すなんて夢のまた夢だし、隙を見て逃げ出してもすぐに捕まるだろう。
 私はこのまま女郎屋へ売られるしかない……。

 絶望した私の中に先生の言葉が蘇ったのは、その時だった。
 ――リンカ。お前はこれから、たくさんの人から馬鹿にされて、邪険にされて、非難されるだろう。それでも治療師になりたいと思うのなら、今のその気持ちを忘れるな。人の心には、不可能を可能にする力が秘められている。

 私は、これまでも繰り返し思い返した言葉をまた、心に唱えた。
 ――人の心には、不可能を可能にする力がある。

 私は顔を上げた。
 人の心には、不可能を可能にする力がある。先生は間違ったことは言わない。先生があるといったらある。
 私が諦めない限り、その力があるんだ。この状況でも。

 私は涙を振り捨てると、一本芯の通った声を上げた。
「待ってください」
 実の親に売られ、ぼろぼろ泣いていた少女がこんなにも早く立ち直ったことに、男が意外そうな顔になる。

「なんだい?」
「私を売る以外に、お父さんの借金を返す方法があります。もっと効率がよくて、もっと稼げる方法が」
「……へえ」

 男の目に、面白がる色が浮かんだ。
 この状況で、絶望にうちひしがれて引きずられるように売られる娘がこんなことをいうのは珍しいのだろう。
「どんな方法があるっていうんだ? 言ってみなよ。聞くだけ聞いてやるからさ。リンカちゃん」

「私は、この街でいちばんの治療師の唯一の弟子です」
「そいつはちがうなあ? 弟子だった、だろう?」
「ええ。でも、先生はいずれ戻ってきます」
「戻ってくりゃあなあ。でももう予定から三か月もすぎてんだろ? どっかで野垂れ死にしてんじゃねえか?」

 私はごくりと息を呑みこんだ。
「私は、先生がお金持ちだって言うことを知っています」
「ああ、そうかもな、でも……」
「先生は、いずれ戻る予定だからっていって、そのお金を隠していかれました」

 ふざけた様子で聞いていた男の目に、初めて本気の光が宿った。

「……その金のありかを知っているってのか?」
「いいえ。さすがに弟子だからって隠し金庫のありかを教えるほど、先生は心を許してません。でも、だいたいの場所は知っています」
「そうか、じゃあ早速――」

 私はかぶりを振る。
「私は、先生の一番弟子です。先生の生死もわからない状態で、そんな真似はできません」

 男の目にいらついた険がまざった。
「じゃあ何のつもりだ?」
「あと二か月。待っていただけませんか? 先生は私にこう言われました。もしそれまでに戻らなかったら、俺は死んだものと思え、と。その言葉がありますから、二か月後に私がそのお金を掘り出しても、先生を裏切ることにはなりません」

「はっ、馬鹿馬鹿しい。そんな約束真面目に守ろうって方がどうにかしてる。さっさと――」
「二か月以内に先生がもし戻ってきて、自分の隠し財産が盗まれていることに気づいたら、真っ先に私が疑われるでしょう。そして、先生の顧客はあなたが思っているよりずっと多いんです。きっと、付き合いのある官憲に手を廻して、私や、あなたを捕まえてお金を取り戻そうとするでしょう」

 私はそこで言葉を切って、男の目を見つめて言った。
「……とても、困った事態になると思います」

 男が懸命に頭を働かせているのが良く分かった。

 先生の顧客は多い。これは嘘じゃない。
 先生はこの街でいちばんの腕利きの治療師なのだから。
 先生の顧客には、この町の有力者も多い。これも本当だ。
 だから先生を敵に回したら、面倒なことになるっていうのも、本当。

 でもそれ以外は、ぜんぶ嘘八百だ。
 先生が隠し財産を持っているなんて聞いたこともないし、ないものの隠し場所なんて知るわけない。

 私は瞳に涙をためて、必死に男に訴えた。
「二か月だけ、待っていただけませんか? もし二か月以内に先生が戻ってこなかったら、私はあなたに隠し場所を話します。そして二か月以内に先生が戻ってきたら、私は先生にお金を貸してくださいと頼みます。先生は私を可愛がってくれてます。きっと、お金を貸してくれるでしょう」
「……」

 男は考えている様子だ。
 どちらが得か、損か。見極めようとしている。

 私は駄目押しした。
「そして、二か月後もし先生の隠し財産が思った通りの場所になかったら――そのときは、予定通り私を女郎屋に売ればいいでしょう」

 男は沈黙している。
 その沈黙を、捌かれるばかりの子豚の気分で私は待った。

 もちろん私が話したのはぜんぶ口から出まかせだ。
 二か月。その時間を稼ぐためのもの。
 二か月あれば、ひょっとして先生が帰ってくるかもしれない。その間にお父さんが身を持ち直すかもしれない。その時間があれば、私は逃げられるかもしれない。

 ――人の心には、不可能を可能にする力がある。

 父親が酒浸りで女郎屋に売られても、それでも何とかできる可能性は、常にある。諦めなければ。
 こうして嘘八百で時間を稼ぎ、そしてその間にほんとうに先生が帰ってきてくれれば、私は助かる。
 でもそれも、出まかせを言おうと思いつかずにあそこでただ茫然とするばかりなら、男に引きずられるまま女郎屋に売られるだけだっただろう。

 未来は、自分の行動で勝ち取るものだ。
 先生の弟子という立場をお願いのごり押しで勝ち取ったように、私は私の未来を勝ち取ろう。
 諦めずに、戦うんだ。

 やがて男は心を決めたのか、顔を上げてにやりと笑った。
「いいだろう。二か月、待ってやるよ。せいぜい祈るんだな、先生が帰ってくるように。そして、リンカちゃんのお願いを聞いてくれることをな」



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Date:2016/01/13
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