あかね雲

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□ 黄金の王子と闇の悪魔 番外編短編集 □

魔法使いの弟子 11


 翌朝、私は良い匂いで目覚めた。
 ぐつぐつと塩水で米を煮ると、香ばしくも甘い、こんな匂いがする。朝がゆの匂い。

 ぼんやりとそれを嗅いで数拍過ごし、やっと昨夜のことを思い出して私は飛び起きた。
 抜け出すときに寝台を確認してみたけれど、昨日蹴られて寝台ごと位置がずれたそのままだ。ずれた跡がくっきり残っていた。

 ……ということは、あれは夢ではないのだ。
 嬉しいような悲しいような気分だった。

 昨日聞いたあの謝罪が私の空耳でないとしたら、それはそれで嬉しい。でも、それは昨日私を夜中に襲って食事を作れと理解不能な罵倒をしたのもお父さんだということになる。

 胸に重苦しいものを抱えながら、隣の部屋までの数歩を歩く。
 食卓にはお父さんがいて、食器を並べているところだった。

 お父さんは足音で私に気づいて顔を上げ、そして痛いものを見たように動きを止めた。

「――すまなかった、凜花」
 そこにいたのは、私の知らないお父さんであり、昔の私の知っていたお父さんだった。

 お母さんが死ぬ前の優しくて頼りになるお父さんであり、お母さんが死んだ直後の貧しいながらも二人で支え合っていこうとしていたお父さんだった。

 伸びていた無精髭も綺麗に剃っている。……ちょっと失敗して赤い線がうっすら見える箇所がいくつかあるけど見なかったことにしよう。
 何より違うのは、その目だった。
 酒精に濁っていた目に、理性と後悔が宿っている。
「おとうさん……」

 お父さんは卓の上に両手をついて頭を下げた。
「ほんとうに、すまなかった。凜花……」
 大きな体のお父さんが、私みたいな小さな子どもに頭を下げている。それがおかしくて、変で、奇妙で、いたたまれなくて――でも、お父さんは、それだけのことをしたんだっていう想いが、どうしても去らない。

 お父さんのつむじを見ながら、私は言った。
「……お父さんは、私を売ったの?」

 弾かれたようにお父さんの頭が上がった。
 黒い瞳が私を見て、数秒の拮抗の後に下がった。低い声が私の耳に届いた。
「――ああ」
 お父さんの声だ。酒精に染まっていない以前のお父さんの声。
 私は、服のすそを手でつかんだ。

「俺が、馬鹿だった。途方もない大馬鹿だった。俺は……頭がどうにかしていたんだ。借金の証文に署名したとき、俺は酔っていて……。酔いがさめたあとに自分がしたことに気づいて青ざめた。そしてその現実と直視することもできず、自分がしたことをお前に伝えることもできずに増々酒に逃げたんだ」
「お父さんは、私を男に売って、娼婦にして、そのお金でお酒を飲んでいたんだよね?」

 ぐっと、お父さんが詰まった。
 瞳の中に、怒りに似た色が宿る。
 けれども私に反論はしなかった。ただ頭をもっと深く下げた。
「――その通りだ……すまん」

 私は泣きそうになりながらもぐっとこらえて、お父さんを見つめた。
「そんなに私が憎かったの?」

 私にはお金の件で頼れる大人はいない。親戚もいないし、逃げるのは夢物語と同じくらい現実味がない。旅をできるほど腕に覚えなんてないし、腕に覚えのある護衛を雇うこともできないし、旅の隊商に混ぜてもらうことも無理。払えるお金もなければ先生のように技術を提供して無償にしてもらうこともできないからだ。
 どの方向を向いても八方ふさがり。後はもう、先生が二か月以内に戻ってくることを祈って、更に先生がお金を貸してくれることを期待するしかない。

 そんな状況に私を追いつめたのは、お父さんなのだ。

「頭が……どうにかしていたとしか……思えない。言い訳にしか、聞こえないだろうが……俺はお前の存在がいとわしくて、お前に何をしてもいいとさえ思っていた。俺を馬鹿にして俺に非難の目を向けるお前がいなくなればいいと……」

 想像はしていたけれど、父の心境を告げられて私は心がズタズタに引き裂かれた。

 ひどい。
 最低。
 なんてひどい父親だろう。

 酒浸りで、何もしないお父さんに非難の目を向けたのは事実だ。でもそれは、お父さんが何もしないせいじゃないか。
 家事もしない、仕事にも行かない、することといえばお酒を買って飲んで私が作ったご飯を食べて家を散らかすだけ。そんなお父さんをばかにして、何が悪いっていうの。

 でも――そんな私の態度が、お父さんをかたくなにさせて、その道を選ばせたんだ。
 私は俯いた。心の声が音になって外にこぼれ出た。
「私が悪かったのかな……だからお父さんは私を売ったの……?」

 下を向く私の視界に映ったのは、貧相に痩せた足だった。あと二か月後には、娼婦になって、見知らぬ男に撫でまわされるだろう。こんな鶏ガラのような体でも、それがいいという男はいる。

 うなだれた耳に、お父さんが必死に否定する声が聞こえた。
「ちがう! 凜花、おまえは悪くない。悪くないんだ。おれが、おれ一人がひたすら悪いんであって、お前は何も悪くないんだ。俺が言ったことは忘れてくれ。俺は、ただたんに、お前が悪いと責任転嫁してお前を責めただけなんだ」

 お父さんはそこで言葉を切り、唇を舐めた。
 つっかえつっかえ、言いよどみながらもその言葉を口にした。
「そ……その……お、おまえをただ責めている方が、謝るより楽だったから……」

 ――私は、その言葉を受けて、うん、と頷いた。
「知ってた。わかってた」
「……凜花」

「お父さんが自分の罪悪感と直面したくなくて何とかしたくて私が悪いってことにしたいから責めたんだっていうこと、わかってた。あの男の人にも、わかってたと思うよ。でも、つらかった……。わかってても、つらかった」

 私のひとことひとことを、お父さんは体に突き刺さる槍の穂先のように顔をゆがめて受け止めていた。
 でもいいよね?
 ――これぐらいは、私のとうぜんの権利、だよね?

 私はなおもお父さんをなじった。
「わたし……お父さんのせいで、娼館に身売りするんだよ。しなきゃいけなくなったんだよ」

 言葉をぶつけるうちに、瞼の裏に熱が溜まり、あふれた。
「年季が明けても、もう、ここへは戻れないよ。だって、みんな私が娼館に売られたって知ってる。そんなところへ、戻ってこれないよ……」

 一度、悪所に身を落としたとなれば、もう二度とここには戻れない。
 お世話になった近所のおばさんたちに治療師となって恩を返すこともできなくなる。

 私はもう十三だ。現実を知っている。
 私は、娼館で奉公して年季が明けても、ここへ戻ってこれない。引っ越しを余儀なくされる。
 一度落ちるところまで落ちた女は、それを知られている場所で道を歩いているだけでいやらしい目で見られる。それだけじゃなく、男に襲われる。

 男っていう生き物は、娼婦なら襲ったって構わない、そう考えるから。
 今は気の優しい近所のおじさんたちも、戻ってきた私をいやらしい目で見るだろう。この子は娼婦だ、あわよくば一度くらいやらせてくれるかも、そんな目で見て、いやらしいことをしようとするだろう。

 だから、年季が明けたあとも、私はここじゃないどこか、私のことを知る人がいないどこかへ引っ越ししなければならないにちがいない。
 町といっても広いものだ。町の反対側に行けば、私のことを知る人もいない。……それでも何かの拍子で噂が流れるかもしれないけれど……。

「好きでもない人に抱かれて、お金をもらって、相手をして、それを毎日毎日繰り返すんだよ。どんなに嫌でも私に嫌だっていう権利はないんだよ。それが終わったら終わったで、一生言われるんだよ、お前は娼婦だったんだって。そうでしょ?」

 お父さんは、私の糾弾を顔を固くしながら最後まで聞いていた。ひとことも、言い返さなかった。
 言葉のつぶてをじっと黙って耐えているお父さんを見ていると、私の胸のうちの重さはだんだんとその重みを失っていった。

 その代わりに浮き上がってきた記憶は、同じ顔のお父さんの記憶だ。
 泣くのを堪える顔で、私が作ったへたくそな料理をそれでも食べてくれていた、お母さんを亡くしたばかりのお父さんの思い出だった。

 お酒の力にとりつかれる前のお父さんは、お母さんの死を悲しみながらも、それでも立ち止まらずに仕事をして、私を養って、私を守ってふたりで暮らそうとしてくれていた。
 そうだ、そんな頃も、あったんだ……。

 言いたい事をすべて言い終えてしまうと、私は口を閉じた。

 ……お父さんを責めてどうにかなる状況はとっくに過ぎてる。
 今、言いたいだけ責めたおかげで気持ちのおさまりも、どうにかついた。
 私は、諦めた。

 ――人の心には、不可能を可能にする力がある。
 先生はそう言ったけれど、借金をチャラにする方法はない。不可能を可能にできるとしたら年季が明けた後、もう一度治療師の誰かに弟子入りすることだけだ。

 その頃には私もいっぱしの娼婦だろうから、色仕掛けなんかもできるようになっているだろう。先生が帰ってくるかはわからないけど、先生以外の治療師には色仕掛けは通じるだろうから、いざとなったらそうして弟子入りさせてもらおう。……子どもじゃないから断られるだろうけど、何度も何度もお願いすればきっと何とかなる。だだで娼婦とできると思えば、頷いてくれるひとはきっといる。

 私の気が済んだ頃合いを見計らっていたのか、お父さんが口を開いた。
「凜花……それなんだが……」
「なに?」
「俺は大馬鹿だった。ほんとうに、馬鹿だった。すまない。頭がどうにかしていたんだ。それで……俺がやらかしたことを何とかできないかと思って、行ったところがある。お前が知っているように、うちには親戚がいない。それは俺が昔あることをしたせいだ。いないんじゃなくて、縁を切られたんだ。それでな、俺がやった今回のことをどうにかできないかと……行ってみた」

「――何とかできるの?」
 突如見えた希望に、私は目を輝かせた。
 けれどもお父さんは、苦い顔だった。その顔を見て、膨らみかけた期待はすぐにしぼんだ。

「……お父さんは、家の顔に泥を塗ったんだ。それを許してやるからには、それ相応のことをしろって言われたよ。その……正直、ほんとうにすまない」
「何を……しろって言われたの?」

「お父さんができることなら何だって喜んでした。でも、俺じゃ駄目な事だったんだ……。本家の偉いひとは、本家の援助を受ける代わりに、本家の問題児の面倒を見ろっていうんだよ」

「面倒を見る? ……食事のお世話をすればいいの?」
「いや……その、つまり、おまえの縁談、という話になる」
 言い渋ったあと、お父さんは覚悟を決めたように言った。

「縁談……」
「正直に言うと、娼館へ行くよりは、いいだろうと思った。でも、よくよく話を聞くと、そうでもないとわかった」
「どういうこと? そりゃ、娼館よりは縁談の方がずっと……」
「その男は、あまりたちの良くない男なんだ。……実は前の妻を殴り殺しているらしい」

 私はひっと声を上げた。
「お、お役人につかまらなかったの?」
「一族の恥だ。何とかもみ消したようだ。……かといって、娼館に行っても安全とは言えない。たちの悪い客に出会い、はずみで暴力によって殺されることはあるだろうし、性病をもらう確率だって高い」

 自分の妻を殴り殺し、それをもみ消した。
 私はそんなひとが実在することとその人がひょっとして自分の夫になるかもしれないことに呆然とした。

 もちろんこの界隈でも、妻に暴力を振るう夫も泣かされる奥さんもいる。でも、それが「殺人」なんてものに発展した話は聞いたことがない。私なんかの耳に聞こえた時点でお役人に捕まるも同然だから、完全に隠されているだけかもしれないけど。

 絵空事のようで、現実味がなくて……でもそれが自分の夫になるかもと思った瞬間に一気に現実味が背後まで押し寄せた。

 そして、話を聞いていて気づいたことがある。
「……お父さん。お父さんの家は、ひょっとして、いいお家なの?」
「ああ、まあ、たぶん……名家といっても、いいかもしれない。それなりに長い家系で、地元ではそれなりに力のある家だとは、思う。ただ、俺はとっくに絶縁されているから何の財産も力もない。俺がその家に連なる人間だってことさえ知っている奴はこの辺にはひとりもいないだろう」

 言葉を濁しているけれども、きっと、それなりのいいお家なんだろう。
 そうでなければ、いくら結婚が条件だからって大金をぽんと出してくれるはずがないし、妻とはいえ人を殺してしらばっくれることができるはずがない。

 ――ということは、私を殺しても、きっとたぶん同じようにしらばっくれることもできるってことだ。

 一瞬見えたかに見えた希望の光の儚さに、私は諦めてひっそりとわらう。
 射しこんだかに見えた曙光は単なる幻、目の錯覚にすぎなかった。今はもう闇の中に消えてあったかどうかもわからない。

「右を向いても地獄、左を向いても地獄だね……」
 私のつぶやきに、お父さんはうなだれる。

「お前は……どちらがいい? どちらもいいとはいえないけれども、せめてその選択くらいはお前にさせてやりたい」

 娼婦になれば、大事な商品だ。女衒も無闇に暴力を振るって好き好んで殺すことはしない、と思う。でも暴力的な客に殺される可能性もあるし、私が逃げようとしたら容赦なく殺すだろう。逃げ出した女郎は殺されても文句は言えないさだめだ。
 もちろんお役人だって見てみぬふりをする。花街はそういう暗黙の了解のもとにできている。
 それにもちろん、私は一生『元娼婦』という烙印が押される。
 でも、年季が明ければ私は自由になれる。

 くらべて、その男と結婚したら、女性には離縁の権利がないから私は一生結婚したままになる。暴力男だそうだから、つらい毎日になるだろう。ものの弾みで殺される可能性も高い。だって前妻はそれで殺されたんだから。
 でも、元娼婦という蔑みの目は向けられない。
 でも、一生その男から逃げられない。

 考えたけれど、答えは決まってた。
「結婚する」
 お父さんの顔がぱっと輝く。
「そ、そうか!」

「でも教えて。どうして、とつぜん、謝ってくれたの?」
「俺が間違っていたことが、わかったんだ」
 私はわけがわからずに顔を上げてお父さんと目を合わせた。

 お父さんの黒い目には、深い後悔と罪悪感の影があった。
「頭から急に靄が晴れるみたいにして、何もかもはっきりしたんだ。おまえの一言で」
「あんなことばで……?」
「お父さんじゃない、私のお父さんはそんなことしない、ってな。その言葉がおれの目を覚ましてくれた」

 そんなことで?
 私は、お父さんがお酒におぼれていくなか、ただ黙って見ていたわけじゃない。何度も止めて、やめてほしいとすがった。お父さんはそれを振り切って酒を飲んでいたのに……。

 そんな必死のことばが届かずに、昨日の切羽詰まって叫んだ言葉がすとんとお父さんの心に届いた。
 私は拍子抜けしたけれども、人生の転機って、案外こういうものかもしれない。

 誰かの何気ない言葉が誰かの人生を変えてしまうように、そんなつもりのない言葉が予想もしなかった反応を引き起こしてしまう。
 人生の転機は、そういう何でもないことだったりするんだろうな。

 酔っぱらったお父さんが、何も考えずに私を売り渡す借金の証文に署名したみたいに。



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Date:2016/01/15
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