私は、お父さんと話をした。
長い長い話をした。
まず何より先にしなければならないのは、お金を返すこと。
そして次にしなければならないことは、先生に頭を下げて謝ること。
「お父さん。先生には私が必ず返しますって言ったけど、そもそもお父さんの借金なんだからお父さんが返すのがスジだよね」
「あ、ああ……」
「だからね、一緒に、先生に謝りに行こう。そうしてきちんと筋を通そう。で、お父さんは先生に毎週お金を返す。もしも先生に全額返す前にお父さんが逃げちゃったら、今度は私が自分の意志で身を売るよ――だって先生にちゃんと御恩とお金を返さないと」
「ああ……そうだな、その通りだ」
なんだかお父さんやたら素直。
これはあれだ、リオンさんにこてんぱんにやられて私が出て行って。
自業自得ではあるけど心がぼっきり折れたところに私が帰ってきたせいかな。
リオンさん、コワかったもんなあ……。
蔑みの目って、しかも露骨で隠す気もない蔑みの目って、ほんとに心に堪えるよね。
いくら自分が悪いって思っていても、思っていればなおさら心に突き刺さるよ。
しかもリオンさん美形だから、さらに威力倍増。
お父さんが殊勝になっている今のうちにと、私は先生から借りたお金で借金を返済した。私は行くのが怖いから、お父さんに行ってもらった。
少々不安が胸をよぎらないでもなかったけど、お父さんはちゃんと借金を完済して受取証を持ってきた。
これで私が女郎屋に売られる心配はひとまずなくなった。
次は、先生に頭を下げないとね。
翌朝私はお父さんを引っ張って先生の所に行った。
お父さんは足が鈍っていたけれども、私が睨むと大人しくついてきた。そりゃあお父さんはリオンさんに叩きのめされた直後だから、わかるよ。わかるけどね。やらなきゃいけないことだよ。
先生は、私がお父さんを連れて謝罪に訪れたことに、心底驚いているみたいだった。
こんなポカンとした顔の先生、初めて見た。
「「すみませんでした!」」
私とお父さんは、一緒に頭を下げた。
場所は先生の診療所の前だ。リオンさんはいない。
まだ診療所は開いていない朝の時刻だ。周りの人通りは少ないけれどもしっかりある。早朝から仕事に出かける職人たちが、訝し気に土下座する私たちを眺めて通り過ぎていく。
先生は慌てた様子で土下座する私たちに声をかける。
「ちょ……、とにかく中へ」
「あ、いえ、すぐに済みますから。――俺の不始末で、先生にはほんとにご面倒をおかけしました。申し訳ありません。娘にこんこんと叱られて、しんから反省しましたです。つきましては、月に数回、返済を死ぬまで行いたいと思います」
「お父さんがもし途中で逃げちゃったら、今度こそ私を女郎屋に売って下さい。それでお返しします」
私はその旨を記した証文を先生に差し出した。
呆気にとられている先生に、私はいっそう深く頭を下げた。
「そして、昨日の恩知らずな真似を許していただけるんでしたら……、私を下女としておいてください。もちろん給金はいりません」
先生は受け取った証文を一瞥して読み、たもとに入れると腰に手を当て、長い長いため息を吐いた。
吐き切ったあとに、顔を上げ、私を見つめる。
「――リンカ」
「はい」
「水を汲んできて、竈に火をいれて、沸かす用意をしなさい。そろそろ診療所を開ける頃合いだ」
◆ ◆ ◆
怒涛のように患者さんが来た。
私自身もそうだけど、先生が帰ってきた、という知らせはこの界隈じゅうを駆け巡ったらしい。
昨日は診療所が開かれなかったから、今日こそは! と意気込んできた患者さんがたくさんいた。
私はその対応と先生に言いつけられる診療に使う資材の準備にてんてこまいだった。
水を沸かしたり、薬草庫から薬の基材をとってきたり、布を裁断したり、お釣りがなくなって両替に両替商まで走ったり。
いつまでも続く海のような患者さんは、日が暮れてようやく終わった。
私以上に忙しかった先生はぐったりしていたけれど、それでも居住まいを正して私に向き直った。
「で? 父親は更生したのか?」
「はい。……たぶん。仕事も見つけて、働いてくれてます。これからずっと、借金を返すまで先生に返済をつづけるって」
先生は、ため息に似たものを吐き出した。
「そうか……」
その様子にただならぬものを感じて、私はたずねる。
「先生?」
「あ、いや……よく、がんばったな、リンカ」
「はい。すみません、昨日は自分勝手なこと言って戻って」
「いいや。結果が出たなら話はちがうさ」
「え?」
先生はにやりと笑って私を見た。
「大言壮語をして結果を出せなかったら愚か者、でも結果が出たら有言実行のデキる奴。人間なんてそういうものだ。リンカ、お前は昨日、自分で言った通りに自分の父親を説得し、更生させてのけた。えらいぞ。よく、頑張った。正直言って、俺もリオンもできるとは思ってなかった」
先生の手が、嬉し気に、ちょっと乱暴に、私の頭を撫でる。
えへへと笑う。髪の毛がぐしゃぐしゃになっちゃったけど、私も嬉しい。
「酒依存症を直すには、並大抵の意志じゃだめだ。叱って励ましてやめさせつづけないとな。それはお前の役目だ、いいな?」
「はい。……お父さんは、私がいないと、すぐに駄目になっちゃうと思うんです。昨日、せっかくああまで言ってくださったのに戻ってすみませんでした。父さんは、私が叱らなかったら、たぶんあのまま駄目になってしまうだろうと思ったんです。だ、だから、その……明日から、また通っていいでしょうか?」
先生は頷いた。
「リンカ。おまえの判断を尊重しよう。お前は、父親は自分がついていないと駄目になると思っているんだろう?」
「はい。しばらく、完全に立ち直るまでは側にいないと駄目だと思うんです」
「そうだな。……父親の様子はどんな感じだ?」
「お酒を飲まないと、不安でいらいらするみたいで、それをぐっとこらえているみたいです。あと、手の震えが止まらなくて、大工の仕事もつけなくなりました。これ、治るんでしょうか?」
どんなことでも知っている頼もしい先生は、一つ頷いてすらすらと答えてくれた。
「手の震えは断酒をつづけていれば治る。ただし、苛つきや不安感の増大の症状は、相当長く残る。が、飲めば消える。飲めば消えると、本人にもわかっている。だから飲んでしまう。その繰り返しになる。酒の離脱は、きついぞ。だからお前が父親の元に戻ったのは正しい判断かもしれない」
「え?」
「依存症にまでなった人間が酒を断つには、一に精神力、二に親しい人間の励ましがいる。人間はそう強くない。何の励ましも叱責もなくひとりだけでつらい道を進める人間はほとんどいないんだ。側で支え、励ましてくれる人間がいればこそ、人は強くなれる。お前は、父親の支えになれるか?」
「――はい!」
先生は笑って、私の頭を撫でてくれた。
優しい手。
この手の感触を、失わずに済んでよかった。
「昨日はお前ともう会えないかもとさえ思ったが……予想が外れて、よかった」
「あはは、私がお父さんによってもう一回売られるって思ってたんですね」
返答は、沈黙だった。
私は図星を刺してしまったらしい。
ちょっと焦る。
でも、やっぱり、そういう風に見られていたんだなあ、お父さん。
戻ってきた娘を食い物にして……って。
まあ一回売っているから無理ないよね。
「先生、お父さんは確かにどうしようもない人でしたけど……目を覚ましてくれた、と思います。たぶんですけど。だから、大丈夫ですよ」
「それで、もしももう一回裏切られたら?」
「今度こそ愛想つかします」
そこのところは譲れない。私はきっぱり言った。
「もしお父さんが先生への返済を途中で放棄してどこかに逃げたら、私はもう二度とお父さんを父とは認めませんし、何もしません」
「それでも、一度は許すんだな。俺だったら許さないぞ」
「……ほんとに、そうですね。でも……まあ……」
私は苦笑した。
「家族ですから。先生だって、リオンさんに何か迷惑かけられても、必死に謝られたら何だかんだ言っても許しちゃうでしょう?」
「リオンに?」
先生は戸惑ったような声を上げ、それから首を傾げた。
「俺はあいつに迷惑かけられても、嬉しくはあっても迷惑とは思わないからなあ」
その回答に、私は呆れてしまった。
こういう時ってどういうんだっけ?
えーと。そうそう。
ご馳走さま。
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