リオンは疲れた体を引きずって家に戻る。
ジョカと顔を合わせ、開口一番、言われた。
「おかえり。遅かったな、メシ作ってくれ」
思わず目が座ってしまったリオンの前で、ジョカはにやりとする。
「と、言われたんじゃないか?」
「……あなたは千里眼か……」
どっと疲れがぶりかえして、リオンは肩を落とした。
かつて千里眼だった魔術師はくすくすと笑う。
「いかにもあの父親が言いそうなことだと思ってな」
「ああ……大正解だ。なんでわかった?」
「そりゃもちろん――リンカが家事も仕事もするのが当然と思っていて、リンカの父親もそうするのが当然だと思っているからさ。働きたいっていう『我が儘』を叶えてるんだから、家事をするのは当然。その上で支障がない範囲でするべきだと」
リオンは重いため息を吐いた。
「…………リンカは、超人か……? 今日が特別じゃなくてあれがごくふつうの一日なんだろう? 毎日毎日あんな生活なんだろう?」
「今日はお前がいるから楽な方だなあ。だってどうせお前、見ているだけでいいって言っても荷物持ちはやったんだろう?」
「やった」
リオンは悪びれずうなずく。
嘘をついて誤魔化しても無駄だろうと思ったからだ。リオンのことを、ジョカはリオン以上に知っている。
ジョカの方も、
「やっぱな」
と返しただけで、怒りはしない。
「さ、疲れただろう? 食事を買ってある。一緒に食べよう」
実はジョカがこうして用意してくれているだろうと思っていたリオンは頷いた。リンカのところでも少ししか食べていない。
ジョカが買ってきた料理を二人でつついていると、リオンはどうしても考えてしまった。
いま、リオンは家事全般を受け持っているせいもある。
「ジョカ……。私が仕事を始めるとなると、私はリンカと同じように仕事の上に家事もやらなきゃいけないんだよな……」
リンカの働きぶりは素晴らしかった。正直なところ、リオンはあの子にむしろマイナスの印象を持っていたのだが、すべて吹っ飛んだくらいには。
ジョカがあの子に甘い理由もわかった。
あれだけ頑張っていれば応援したくもなる。
しかし、自分にアレができるだろうか? と考えると、リオンは暗くなってしまう。
ジョカがリオンを一日張り付かせて見せたかったもの、考えさせたかったこと、伝えたかったこともわかった。
ジョカはこう言いたいのだろう――リンカと同じことがお前にできるのか、と。
「あなたは、こう言いたかったんだな。働きたいのなら家事を両立させるべき、リンカと同じことが私にできるのかと。家事を完璧にやった上で仕事をすることが、私にできるだろうか?」
「はあ? なんで?」
ジョカはとびきり頓狂な声音でそれを言った。
リオンは顔を上げ、ジョカをまじまじと見てしまう。
ジョカは、優しく微笑んでいた。今度は普通の響きで、もう一度言う。
「なんで?」
「なんでって……。そういうものだろう?」
「なんで?」
「……私が仕事をするのはやっぱりいやか? 家事をやった上で仕事をやるのならやってもいいんじゃないのか?」
「だから、なんで?」
リオンはジョカが何を言っているのかわからず、困惑して見返した。
ジョカはスッと指を一本立てる。
「いいか、リオン。リンカは頑張り屋だ。それはお前も認めるな?」
「ああ、もちろん」
リオンは即答する。
「が、あれだけ頑張れる人間は滅多にいない。あー、それが先駆者の宿命ってやつかな。人より頑張って、人より結果を出さないといけない。リンカは大変だ」
「……んん? ごめん、何を言いたいんだ?」
「リンカが本気で治療師になりたいのなら、男よりずっと頑張らないといけないってことだ。リオン、もしもリンカが男だったら、どうなっていたと思う? あの父親は、帰ってきた彼女にどういう声をかけたと思う?」
リオンは想像してみて――すぐに答えが出た。
「……父親は家事をやらせようとはしないだろうな……」
「そうだ。リンカは望むと望まざるに拘わらず、家事をしなきゃいけない。休日は洗濯も加わるから大変だぞ? なぜならリンカは女だから。そして、女性は家事をするのが当然と、父親だけでなくリンカ自身も思い込んでしまっているからだ」
「でも、それが当然だろう? 働くのなら家事をやった上で、が」
「だから、なんで?」
またも聞かれて、リオンは考え込んだ。
自分の心という深海を覗き込み、思い切って飛び込んで潜ってみる。
潜ってみて探してみると、答えは案外近くで見つかった。
「……女性は外にいるべきじゃない。家の中にいるべきだからだ」
ジョカはもう一度、たずねた。
「それは、なんで?」
リオンは真面目に言った。
「危ない。女性は男より力が弱いんだ。襲われたら抵抗のしようもない。女性が外を歩くときは付き添いがあるべきで、外へ働きに行くべきじゃない」
「女性が一人歩きできるほど治安が良くない、っていうのは同感。リンカはその辺、どーも警戒心がうすくて。まだ子どもで男の対象外だ、って思っているんだろうな」
「もう十三なのにな」
「もう立派に男の欲望の対象なのにな」
頷いて、気づいたリオンは眉間にしわを寄せる。
「……おい。あの子が夜道で襲われたらどうするんだ?」
「どうするってどうしようもない。俺に何ができるというんだ?」
確かにそれはそうだ。
「その……帰りを送る、とか……」
「リンカは毎日市場によって買い物をして帰るのに? 毎日毎日荷物持ちをしてリンカの買い物に付き添って家まで送れと?」
ジョカはじょうだんじゃない、と言わんばかりに首を振る。
負担が大きすぎるのだ。
女性に「夜道を歩くな」と説教する人間は多いが、「じゃあ毎日毎日あなたが送迎してくれるのか」と聞けばほとんどの人間は「そこまではできない」と言うだろう。
ジョカはリンカの日常を知っているだけに、夜道を歩くなと言っても言うだけでは意味がないからこそ、何も言っていないのだ。
「話を戻すぞ。リオン、お前が女性が外で職を得ることに反対するのは、それだけか?」
「反対なんて……」
「言い変えよう。お前は、どうして女性が仕事をするのなら家事を完璧にやるのが前提だと言うんだ?」
リオンは、絶句した。
「治安が悪い、女性が外で働いて平気な社会じゃない、という意見には一理があると認めよう。確かにな、女性が外で働いたら色々な身体的精神的危険がある。でも、断言するけど、もしリンカが剣の達人であっても自分の身は自分で守れると豪語できる豪傑であっても、お前はリンカが外で働く以上は家事をするべき、と言うよ。それは、あの子が女だからだ」
リオンはうつむき、唇を舐め、駄々っ子のような声を出した。
「……で、でも……」
「でも?」
リオンはぎゅっと拳を握る。
今になって、さっきのジョカの言葉が理解できた。
「あなたは……、女性が外へ出て働くことを、何とも思わないのか?」
「何とも、というのは違うな」
ジョカは否定する。
リオンはその次の言葉に驚いた。
「そうなればいい、と思っているよ」
「……なんで?」
「金を得ることは、自立の第一歩だからだ」
「……え?」
「金を得ることは、自立の第一歩だからだ」
「……」
最愛の相手にして誰より賢い人の言葉に、リオンは考え込んだ。
「自力で金を得る手段さえあれば、女性は自らの立場を自分で主張できる。意に沿わないことをされても、暴力をふるわれても、それでも女性は夫から離れられない。何故なら、離婚したら稼げない彼女たちは、生きていけないからだ」
「なら、娼婦になればいいだろうに」
黙って、ジョカはリオンを見た。
厳しい眼差し。リオンがめったに見ることのない、ジョカが叱るときの目だ。
リオンも自分の失言を理解して謝る。
「ごめん」
「そういう職業につきたくない、っていう女性の気持ちがわからないのか、おまえは」
リオンはうなだれた。
「……よく、わかる……」
「旦那に殴られるのはいや、でも娼婦にはなりたくない、娼婦になるくらいなら今の方がまだいい、って思う女性の気持ちがわからないのか」
「わかった。悪かった。軽率だった。すまない」
真摯に謝ると、ジョカはそれで許す気になってくれたらしい。目の力をゆるめた。
「……もう二度と言うなよ」
「ああ、言わない」
「だいたい、あれは非常にリスクの高い職業なんだぞ」
ジョカはうんざりとため息をついて髪をかきあげた。
「男は元手がいらない職業だって馬鹿にするがな、体液交換、粘膜による濃厚接触は、極めて多くの病原体の伝播を可能とする。それでもそれが一対一なら危険度は低いが、不特定多数とその行為をするんだ。それだけ感染のリスクは跳ね上がる。つまり、娼婦は病気にかかって早死にする可能性が極めて高いんだ」
リオンはぽつりとつぶやく。
「感染……」
思い出してしまうのは、監禁されていたときの記憶だ。
苦しすぎて覚えていないが、自分が複数の感染症――それも創傷を原因とする病に侵されていたことは、たぶん、間違いないだろう。
記憶がないというのは実に幸せだと、リオンは頭を振って余計な雑念を捨てた。
リオンは困難には真正面から立ち向かって克服することが大事だ、などというマゾヒズム一歩手前の正義感は持っていない。できれば一生、あの時間の記憶を思い出したくはない。
苦しすぎて自分で自分を守るために消した記憶。
その記憶を探ったり呼び起こすつもりは、リオンにはなかった。
「おまけに、娼婦には社会的偏見も根強いしな。だから、女性が自立したいのなら職業が必要で、それは娼婦以外のものがいいんだ」
アルファポリス小説大賞にエントリーしています。
投票していただけると嬉しいです。
→ BACK→ NEXT
- 関連記事
-
スポンサーサイト
Information
Comment:0