「そこまではわかった。あなたは、女性が職業を持って夫を好きに捨てられる、そういう社会になった方がいいと思うんだな?」
リオンの言葉はかなりの棘の混ざったものだったが、ジョカはすんなり肯定した。
「ああ。俺は、夫の暴力や暴言で痛めつけられる女性をいくらでも見てきたからなあ。逃げられるのなら逃げた方がいいに決まってる。でも、逃げるのに必要なことは、『食べていける事』だ」
リオンは深く頷いた。
「わかる。飢えると、自由すら意味がなくなる」
「実家が受け入れてくれるのならいい。助けてくれる人がいるならいい。あるいは手に職をもって稼げるのならいい。何もなければ、がまんするしかないんだ」
ジョカが指摘する社会の現実に、リオンは沈黙するしかなかった。
「だから、俺はリンカを応援する。技術を仕込んでやろうと思っている。女性が働くことを、俺は素晴らしいと思っているから。――でも、お前はそれが嫌なんだろう?」
リオンは答えられなかった。
ジョカは頓着せず、話を次に進める。
「で、だ。リオン、リンカが仮に俺の弟子をつとめきって、数年後に自立したとしよう。最初は女だから閑古鳥がなくだろうが、女だからこそ舞い込む仕事も多いだろう。そんなとき、誰が家事を担うべきだと思う?」
「それは……」
「リンカの一日の仕事量、お前も身を持って実感しただろう。なんで、女性が家事をすべてやって当然だと思うんだ? なんで男は仕事だけしていればいいのに、働く女性は家事も仕事もすることを求められるんだ? 家事を完璧にやった上なら働いてもいいって何様だ?」
その言葉は、リオンの心の奥底に突き刺さった。
リオンが返事をできないのを見て取って、ジョカは軽く笑ってその話を終わりにしてくれた。
だが、リオンはその後夕食を食べている間も、寝台に入ってからも、その疑問が頭を去らなかった。
リオンの心の中には、根強く「家事は女性がして当然」という意識がある。
今はまだいい。
リンカは修行中だ。金を稼いでいるわけではない。
金を稼いでいる父親のぶんも家事をするのは当然――そう考えられる。
だがリンカが仕事をし始めたら、家事をひとりで担っているリンカは負担が大きすぎるだろう。
そして、「なんで」と何度もジョカが言った、ということは……。
思わず寝台の中で目を見開いてしまう。
リオンはようやく、ほんとうにようやく思い至った。
彼の考え方の中には存在しない考えだったので。
――ジョカは、女性だけでなく男も家事をやるべきだ、と思っているのか!?
なお、リオンは自分のことは例外として処理している。
男であっても、情夫が家事をするのはわりあいよくあることだ。
リオンはジョカに養われているのだから、家事をするのは当然である。
その考え方を当てはめると、リンカが稼ぐようになって、父親も稼いでいたら、家事はどちらがやるべきだろうか。
リオンはやはりリンカがやるべきと思ってしまう。理由は彼女が女だから。
だが、たぶんジョカはちがうと否定するだろう。
そして、それはリオンにも当てはまるのだ、たぶん。
リオンはもちろんのこと、家事をこなした上で仕事をしようと思っていたのだが、ジョカは、たぶん――。
「……家事分担しようって言うんだろうか……」
「うん」
返事があるとは思っていなかったので、リオンはびっくりして隣を見た。
今は夜だ。リオンには何も見えないが、隣に寝ていたジョカの目には良く見えているのだろう。
ふわりと頭を撫でられる感触がした。
「共働き、って言葉も概念もないからなあ。家事をどっちがやるか、って問題は、どうしても女性側が多くなりやすい。リオン、俺は、お前が働きだしたら当然家事は半々にするよ」
さすがに、リオンは抵抗した。
「それは、あまりにも甘え過ぎで、悪いと思うんだが」
「なんで?」
ジョカは優しい声で、リオンを諭す。
よく考えてごらん、と。
いつものように。
リオンが考え込むと、ジョカはもう一度頭を撫でて、そして今度こそ寝入ったようだった。
◆ ◆ ◆
翌朝朝食の席で、リオンはジョカに切り出した。
「ジョカ。昨日言ったことを覚えているか?」
「ん? ……ああ、家事分担のことか?」
リオンは頭を振って否定した。
「いや、それじゃない。リンカのことだ」
「リンカの?」
「あの子の帰りが夕暮れから夜になってしまう、という話だ。リンカの修行はあとどれくらいかかりそうだ?」
ジョカは難しい顔になった。
「……あと三、四年はかかるな……」
「そんなに?」
「俺の知識を徹底的に叩き込もうと思えば、十年以上は欲しいくらいだ」
「そんなに……」
「でも、リンカは女の子だし、あの生活を十年っていうのは体が持たないと思う。だから基礎を叩きこんで後はリンカに選ばせようかと。つまり、治療師として独り立ちするか、あるいは最後まで徹底的に教えるか」
「そうか。……昨日言っただろう、リンカが夜道を歩くのは危険だけれどもどうしようもない、と。負担が大きすぎるというあなたの言葉はもっともだ。そこで考えてみた」
「考えた?」
「あの子が被害に遭ったら、私はどう思うかを」
ジョカは純粋な疑念を含んだ声を上げた。
「なんでおまえが?」
その疑念の意味を感じ取って、リオンは渋面になる。
「……たぶん、あなたはそれも含めてリンカが選んだ運命だろうと言うんだろうな」
あの子が帰り道で暴行されて殺されたら、リオンはさぞ寝覚めが悪いことだろう。
ジョカはそれも含めてあの子が選んだ運命だと達観しているようだが、ジョカほど割り切りがよくないリオンは到底そんな風に潔く見れない。
しかし、毎日毎晩送って買い物に付き合ってリンカを家まで送った後に自分の家に帰って……をやるとなると、ジョカとしても負担が大きいというのもわかる。リンカの家は近くではない。
昨日、悩んだ末に、リオンは結論を出した。
「だから、私が毎日送ろう」
「え?」
予想外の不意打ち。ジョカの、唖然とした声が響いた。
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