その日リオンは、終わったころを見計らってジョカの診療所を訪ねた。
店じまいの支度をしていた少女が顔を上げる。
「リオンさん?」
ジョカが口を添えた。
「ああ、リンカ。今日はリオンが送って行く。明日からはお前の父親に迎えに来てもらえ」
「え? え? え? なんでそんな……」
少女はジョカとリオンを交互に見て困惑した様子だ。
ジョカはため息とともに言った。
「夜道は危ないんだ。特に、俺たちの側はな」
「え……?」
「とにかく、明日から父親に必ず迎えに来てもらえ。いいな」
「い、言ってみますけど、頷いてくれるかどうか……」
「断られたら言え。俺から言う」
「私からも言おう」
少女の顔がくしゃりと歪む。
「……わかりました。頼んでみます……。でも、へいきですよ?」
リオンもジョカも揃ってため息をついた。
これまで大丈夫だったんだから、これからも大丈夫だろう。そういう何の根拠もない自信だった。
ジョカが説教する。
「いいか、リンカ。お前は女の子なんだ。これまでナアナアにしてきた俺も悪いが、お前自身がしっかり危機感を持って自衛しないとどうする!」
「……はい」
「これからは父親が来れない時はお前だけ早めに返すことにする」
「う……はい。わかりました」
「じゃ、リオン。送って行ってくれ」
「ああ」
送迎の話が今朝持ち上がったため、今日のところはリオンが送ることになったのだ。
リオンは少女を促す。
「先生は?」
ジョカは少し笑った。
「俺はだいじょうぶだ。明るい内に帰るしな」
ジョカの腕前と闇を透かし見る目を知っているリオンも同意する。
ジョカは、こう見えて強いのだ。特に夜間戦闘においては最強ではないだろうか。
人は闇の中では何も見えない。ジョカただひとりをのぞいて。
夜襲を受けても、明かりさえ潰せればそこで勝負は決する。不意打ち以外は傷を負うこともないだろう。
リオンは少女の隣を歩く。
「今日は市場に駆け込まなくても?」
「ええ。今日は近所の良くしてくれるおばさんが、差し入れをくれたので、それを夕食にするんです」
少女はにこにこと微笑んで、とても嬉しそうだ。
「夢みたいです……一時は何もかも諦めなきゃいけないって思ったのに、また元通りに働けるなんて。何もかも先生とリオンさんのおかげです。先生の言葉は本当でした」
リオンはそこで、昨夜ジョカに言われたことを思い出した。
「それだが――もし私が、君が治療師になることは反対だ、と言ったら?」
リンカはきょとんとした顔になった。
「はい? それが何ですか?」
「……いや、だから反対だと言ったら?」
「すみません、私は頭が悪いから何をリオンさんが言っているのか判りません。反対だから、何ですか? 私はいま、先生の弟子をやめろと命令を受けているのでしょうか?」
「いや、そんなことは思わないし命令しようとも思わないが……」
少女は困惑した表情で首を傾げた。
「リオンさん、私はあなたにとっても大きな御恩があります。だから、あなたが治療師になるのをやめろ、と命令されるのでしたら考えないでもありません。リオンさんはそう言いたいんですか?」
「……いいや」
リオンは自分の胸の内を探って出た答えに驚きながらも否定した。
リオンは、彼女が治療師を目指すことをやめろと命令したくはないのだ。
「じゃ、どういう意味でしょう? リオンさんは、反対だという意思表示だけをされたいんでしょうか?」
「……そう、いうことに、なるかな……」
何とも歯切れの悪い返答になってしまった。
実に頭の悪そうな答えだ。
それに対し、少女ははきはきした声で明快に答えた。
「すみません、命令だとおっしゃられるのでしたら考えますが、私は治療師になりたいです。あなたのご希望には沿えません」
その断言に、不快感ではなく爽快さを感じてしまったあたり、自分はこの子に多少なりとも情が移っているのだろうか、とリオンは考えた。
たぶんそうだろう。
そして、ジョカが笑いながらリンカは気にしない、と言った理由もよくわかった。
リンカにとって、リオンの反対など「どうでもいい」ことなのだ。
想像したらちょっとばかり不快だった。
「反対されることはよくあるのか?」
「ええ、しょっちゅうです」
なんでか胸を張って、少女は言った。
「お父さんは……反対はしませんでしたね。いつもお酒を飲んでいたので、私がいろんな治療師のところに弟子入り志願してたこと知らなかったんだと思います。先生に弟子入りは認めてやるけど親の許可をとれって言われてから初めて言いました」
「なるほど……」
「むしろ、家の近所に住んでいて、いつもお世話になっているおばさんたちの方が熱心に私を止めました。そんなのやめときな、って。でも……それもぜんぶ私を思ってくれてのことだったんです」
夕暮れの光のなかで、少女はリオンに笑いかける。
全開の、はちきれんばかりの笑顔だった。
「マーおばさん、キマおばさん、ワンおばさん、みんな私のためを思って反対してくれていたんです。リオンさんも、そうでしょう?」
「いや、わたしは……」
ただ単に、何となく気に食わないだけである。
正直にリオンは否定しようとしたが、少女はそれを笑ってかぶりを振る。
「いいんです。こっちで勝手にそう思っていますから。どうせ他人の心の中なんて見えないんです。最大限いい人っぽく考えた方が、私が嬉しいし心の中も穏やかでいられるからそう考えちゃいます」
リオンは感心する。
年にそぐわぬ大人の考え方だった。
「リオンさんなんて特に、恩を盾にとられて強制されたら私としても抵抗が難しいのに、反対だって言うだけでしょう? なおさらそう思っちゃいますよ」
「じゃあ、もし私がやめろと命令したら?」
「え? もちろん素直にすぐ諦めたりしません。あがいてあがいてあがきます。具体的には泣き落とします」
リオンは黙る。
単純にして、鬱陶しい戦法だった。
「膝に泣いてすがって懇願します。私、しつこいですよ~。わたし、悟りました。世の中あきらめずにあがけば、何とかなるんです」
そのろくでもない教えを少女に植え付けてしまったのは……もちろんリオンとジョカだろう。
しかし、彼女は言うだけのことは実際やったのだ。
女性なのに治療師になりたいと言う頓狂な夢を持ち。
その夢をかなえるために行動し。
ジョカという色眼鏡なしに自分を鍛えてくれる師匠を見つけ、お願いのごり押しでとうとう押しかけ弟子になり。
順風満帆で弟子として忙しいなりに充実した毎日を過ごしていたと思ったら父親に女郎屋に売られかけ。
とっさの機転でその運命に猶予をもらい、稼いだ猶予の間に師匠が帰って来て、師匠とその愛人を泣き落としで口説き落としてお金を出してもらい。
どんな手を使ったのか、元々の原因である酒浸りの飲んだくれの駄目父親も更生させた……。
こうしてみると、少女がそんな人生訓を得てもしょうがないと思えるほど華々しい『実績』である。
その実績の数々を思い返すのと同時に、リオンはジョカのことばを思い出した。
――リンカだけは例外にしてやってほしいけど、お前のペースでいいんだよ。
リオンは改めて考えた.。
何の偏見も先入観も持たないようにしようと気を付けながら、この子の頑張りをまっさらな心で見てみる。
もしもリンカが少年なら、リオンはごくふつうに、すんなりと応援しただろう。
それができないのはリンカが女の子だからで、でもジョカの言葉にも一理あって、ジョカは女性が就労して自立していくことを応援したいと思っていて……。
――私は貴方とは違うんです。
靄が晴れるように、一気に理解が達した。
リオンは女性は男性に守られているのが幸せだと思っている……思っていた。
しかし、考えてみればリンカには守ってくれる男などいないではないか。いるのはろくでなしの父親だけだ。
リオンは、女性は男性に守られているのが幸せだと思っていた。
でも現実に守ってくれる男がいない場合、女性がとれる手段は夫を見つけて結婚するか、あるいは自分で働くかだ。
リンカは後者を選んだ。
ただ庇護されるのを良しとせず、自分の力で立とうとする心をジョカは尊ぶ。そういう人だとリオンは知っている。だからリンカのことも鍛えているのだ。
そしてそれは、リオンにとっても好ましい心の持ちようではないか? その通りだ。
ならばリンカの姿勢は、褒めるべきでこそあれ、反対するのはおかしい。
リオンは自分の心を諄々と説得し、抵抗する心の苛つきをねじ伏せた。
リオンは少女を呼ぶ。
「リンカ」
その響きに何かを感じ取ったのか、少女は背筋を正した。
「はい」
「私はお前の選択を応援しよう」
リンカは一瞬呆けた後、弾けるような笑顔になる。
「――ありがとうございます!」
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