「ああ、いい考えじゃないか?」
リオンの考えを聞いたジョカが言ったのは、そんな言葉だった。
その反応は、リオンには少々意外だった。
「いいと思うのか? リスクとリターンが見合ってない馬鹿な商売に見えるんだが……」
ジョカは肩をすくめた。
「阿呆みたいな金利をとる金貸しが横行してるからなあ。リオン、お前は算術ができるな?」
「あ、ああ」
「リンカは、生活上簡単な算術はできる。足し算と引き算だ。でも掛け算と割り算は知らない。教えてもいない。教えるヒマがなかったから。そしてな、算術の四則演算ができない人間が、この街だけでどれだけいると思う?」
リオンは目をまん丸にした。
「でき……ないのか?」
「できません。学校通える人間なんて、ごく一部の上流階級のみ。文字の読み書きも算術もできないのが普通。できるのは上流階級と商人くらいだ」
リオンは想像してみてぞっとした。
ルイジアナには、幼年学校という制度があり、国民はそこで基本的な教養を身につけた。誰もが字を読めて、誰もが基本的な算術ができた。
その国で育ったリオンには、想像するのも恐ろしいのだ。
国民のほとんどが文字を読めない国。
国民のほとんどが算術をできない国が。
正直なところを言ってしまうと、実感をもって想像することさえもできない。
「そ、それで大丈夫なのか?」
「ルイジアナは、特別だったんだよ。異常と言い変えてもいい。何でそれができたのかっつーと」
「というと?」
「どこぞの魔術師の恩恵で、金が有り余っていたからでしたー」
ぱちぱちぱち。
ジョカが乾いた音で拍手をする。
「文字が読めないんじゃ、布告とかどうするんだ? それに日常生活でも普通に算術使うだろう?」
「文字は読めません。だから、看板読めません。だから、看板は色と絵で何屋かわかるようになってます。布告も同じです。布告をするときに役人が口頭で内容を言います。算術も同じです。値段が読めないので商人に値段を聞いて、商人が口頭で答えます。そもそも値段貼ってないのがほとんどだろう?」
自分も買い物をするリオンはもちろん知っている。
青果市場でも、値段は貼っていない。みんな商人に値段を聞き、交渉をして、値切って買っている。だから人によって値段はバラバラだ。
文字なんて、読めなくても生きていけるのだ。
リオンはなおも食い下がった。
「お釣りを誤魔化されたらどうするんだ」
「銅板一枚二枚三枚……。さて、リオン君、問題です。銅板三枚の品物にあなたは銅板を何枚出すでしょう」
「……三枚」
「そこに算術はいるでしょうか?」
「……いらない」
「仮に、銅板四枚のものと五枚の商品を一緒に買おうとして値段を聞いたとします。銅板十枚と言われたらどうするんでしょう?」
「……銅板十枚出す」
ジョカは優しくたずねた。
「お釣りを誤魔化す必要は?」
「……ない」
「お前が日常生活で文字を見たのはどれくらい?」
「……そういえば……あなたに教わるときと、役人の書簡くらいしか、ない……」
リオンがここの言葉を教わったのは、もちろんジョカが相手だ。
教材ももちろんジョカが作った。
ジョカの流暢な言葉を聞き、ジョカの生真面目な筆跡を見ながら、リオンは一生懸命画数の多すぎる難解な文字とその読み方を頭に叩き込んだのだ。
ジョカはやさしくリオンに言う。
「教育は大事だと、俺たちは知っている。でもそれは、教育を受けたから、知っているんだ。周りじゅうみんな教育を受けた人間がいなければ、教育を受けないことの不都合も感じず、それなりに生きていくことができる。この国……いや世界規模でそうだから、この世界か。この世界はほとんどの国民が文字も読めず算術もできないのに、普通に暮らしているわけだ。でも、国民のほとんどが学力がないと、どうなると思う?」
「……どうなるんだ?」
ジョカは苦味のこい苦笑を洩らした。
「悪人が、やりたい放題できるんだ」
リオンは敏感に察した。
「……文書を書いても、それがどういうものか、読めないんだものな……」
「リンカの父親は意外といい生まれらしくて、読み書きできるんだよな。字の下手さはリオンといい勝負だけど。でももし読み書きできなかったら? たとえば、あれ。リンカの父親にサインさせただろう?」
「あ……」
そう、そういうこともあった。
ジョカはちゃんと事前にその内容がどういうものか、説明した。嘘偽りなく。
けれども、あれが嘘だったら?
「わかるだろう? 悪人が跳梁跋扈できちまうんだよ。借金の利率もおなじ。とんでもない高金利で貸し付けてるんだ。あほみたいな、一年で何百パーセントって年利でな」
リオンはぽかんとした。
「なん……ひゃく、パーセント? 誰もそれをおかしいと思わないのか?」
ジョカは笑みを含まない顔でうなずく。
「そうだ。そういう馬鹿げた利率がまかりとおっている。いくら貸したらいくら返してね、と言われるだけで、金利という考え方も利率という考え方も知らす、実際の年率がいくらなのか、計算ができない人間が多いからだ。無知で無教養なものほど悪人に食い物にされやすい。でもな……」
ジョカはため息をついた。
「無知なのも、無教養なのも、本人のせいじゃないだろう? だから俺はルイジアナでは初等教育を徹底させたんだ」
ルイジアナでは幼年学校があり、無料で誰でも入れた。ルイジアナ国民なら、誰でもだ。親は子どもを通わせるのが義務の一つになっていた。親の世代も教育を受けているので教育の重要さを知っていて、多くはその通りにした。
だから、理屈の上ではルイジアナでは一定以上の年齢の人間は誰でも文字が読めるし、算術もできた。
あくまで理屈の上なのは、いつの世の中も学校に通わせてくれない親の下に生まれる子どもがいるからだ。
周辺諸国を見回しても他に類のない、全国民が入学する学校なんてものがあったルイジアナ。
そんなものがあったのは何故か。――答えは目の前にある。
リオンは深くジョカに感謝した。
「ありがとう、ジョカ。あなたの提言で、歴代の王は幼年学校を設立してくれたんだな」
リオンの感謝に、ジョカは何故か不思議そうな顔でこめかみを掻いた。
「……なーんであんなもの作ろうと思ったんだかなー」
「え? それはあなたが今言った通りの理由だろう?」
「いや。俺はルイジアナの民なんざひでえ目に遭って全員死んじまえと思っていたはずなんだが。気の迷いだな、うん」
首をひねるジョカに、リオンは答えを提示した。
「その悪人もルイジアナ国民なんだろう? 食い物にされる被害者も悪人もどっちも憎いルイジアナ国民なら、悪人が懲罰も受けず、この世の春を謳歌している方がいやだったんじゃないか?」
「おお、なるほど。きっとそうだな」
ジョカはぽんと手を打つ。
彼が幽閉された年月は長すぎて、何百年前のさして重要でもない事をやろうと思ったときの心境など覚えていないのだ。
「だから、リオンがやろうとしていることには意味がある。やる価値もあると思う。現在は、人の弱みに付け込んで食い物にしようとする金貸しばっかりが横行している」
「そうか……」
リオンは真面目に考え込む。
ジョカの反応は、意外なほどの好感触だった。
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