<注意!> 無駄に長文なので、ご注意ください。
愛猫が亡くなりました。
二十年以上生きてくれた、ほんとうにほんとうに親孝行な猫でした。
自分の中でこの事実を消化するために、少々昔語りにお付き合いください。
今から遡る事二十年以上前(あんまり前過ぎて、家族中誰も正確な年を覚えていないという……)。
一匹の雑種の子猫が我が家にやってきました。
捨て猫が数匹セットで拾われ、そのうちの一匹が人を介して我が家にやってくることになったのです。
それが、今回私を号泣させているにゃんこです。
毛皮の色は、灰色の部分もあれば、黒い部分もあれば、茶色い部分もあるし、ぜんぶ混ざった濁った色の部分もあるし……というはっきりしない雑種の毛並みでした。
縞模様とか綺麗な模様になってればなーと思うのですが、絵の具を水に垂らしたような毛並みで、境目がぼかしたようになっていて柄になってないんですね。
そして瞳の色は綺麗な黄緑色。
我が家はそろって猫好きです。
しかしそれが災い。
貰われてきた子猫にとっては、たまったものではなかっただろうと思います。
なぜって――家の中でとことこ歩いているだけで、家人が「かわいいのお!」と猫攫いとなって猫セクハラをかますからです!
無理矢理抱っこ、無理矢理もふもふ、無理矢理部屋に拉致監禁……。
うん、猫でなく人にやったらどれもぜんぶ一発アウトですな!
しかし、猫に人権はなく、可哀想なにゃんこは日々繰り返されるナデナデともふもふに耐えるしかなかったのです。
そして二十余年。
ちっちゃな子猫だった猫は、あっという間に大きくなり、猫らしい猫となりました。
猫らしい猫ってどういう意味? というと――もちろん!
「天上天下唯我独尊、オイラはこの家でいちばん偉いんだい!」といういばりんぼうになったのです。
なんせ猫好きの集まった猫好き一家。
世にも可愛いにゃんこが「みー」と鳴く声に逆らえるものはおりません。
そしてこのにゃんこが実にワガママで餌の選り好みが激しく、とにかく自分の好きな餌じゃなきゃテコでも食べないという猫らしい猫の上、猫に甘い父がおりまして。
父には一番いい刺身が回るのが我が家のルールなのですが、それが問題でした。
父が大黒柱特権でつまんでいる極上刺身。
その隣でちょこんと座り、みゃーと鳴く猫。
そして猫好き一家の一員である父。
……はい、何が起きたのか皆さんおわかりですね?
ねだられるままに猫に極上刺身をやってしまう父。
母は、「そのまぐろはお父さん用のいいマグロなのに! 私も食べてないのにっ、キィッ!」と猫に文句たらたらなのですが、我が家では父の権威は絶対なのです。
かくして猫の舌はどんどんどんどんと、増長していきました。
そりゃもう底なしに贅沢なにゃんこになっていったのです。
――今、家の片づけをしていますが、晩年になるとこの愛猫の餌の贅沢っぷりにも拍車がかかりまして……。
家に今残っている餌は、十種類をかるく越えます。
だってうちのにゃんこ、嫌いな餌は食べないし、好きな餌でもすぐに嫌いになるし……。
カリカリ嫌い、ウェットフードでなきゃ食べない、ウェットフードでも超選り好みが激しく嫌いなものは絶対食べない、時間が経ったウェットフードも絶対食べない=食べ残したウェットフードはその後も絶対食べない、という有り様でして……。
とにかく「数撃ちゃあたる!」でいろんなご飯を買ってそれをローテーションでぐるぐるまわしてあげていたので、今家にあるご飯の種類と量がエライことになっています。
飼い主の悪戦苦闘ぶりが窺えますね!
この中に、猫を飼おうと思っている人がいるかもしれません。
そういう人に言っておきますが、猫というのは、飼うのには相応の苦労が要ります。動物はみんなそうですけど。
ご飯の用意、うんちの始末。この辺は「基本」ですが、うちの子はとにかく夜泣きがひどく(晩年に入ってからなので、認知症だったのかも?)、餌の選り好みが激しく、ワガママゼータクを言いまくり、猫のごはん代は普通の猫の五倍はかかっていたと思います。飼い主がどうにも甘く、この子のワガママ(こんな餌じゃやだ!)に応じてしまうせいもありますけど。
そして毛玉も良く吐く子でした。
家中いたるところにゲロゲロ吐いてくれるので、飼い主は半泣きになりつつ片づけたものです。気づかず踏んでしまい、ゲッとなることもしばしば。
それにもちろん、病気にもなるし、動物病院は医療費が財布にとんでもない打撃ですし、死んだらそれこそ悲しくて悲しくて夜も眠れません。
動物を飼おう、という人は、それをちゃんとわかった上で、飼ってください。
一度飼うと決めた以上は、安易に捨てないでください。
終わる直前の話をします。
愛猫は、ある日からご飯を食べなくなり、寝てばかりいるようになりました。
それでも水を飲むときとトイレのときは立っていたのですが、すぐに立てなくなりました。
そして、水も飲めなくなりました。
水を口元に近づけても、脱脂綿で口元を湿らせても、もう飲めないんです。
そして、立てないので当然トイレにも行けません。
寝床で丸くなったまま、おもらしをするようになりました。
寝床の毛布の上にペットシーツを敷きましたが、最初はその肌触りが嫌なのか、不自由な足を水を掻くようにもがいて何とかペットシーツの上から逃げようとするんです。
その為、ペットシーツは効果がなく、尿で汚れた毛布を交換し、洗濯し、ドライシャンプーでアンモニアにまみれた体を拭き、ドライヤーで乾かし、新しい毛布の上に横にして……。
またすぐにおもらしをしました。
ペットシーツの上から体をどかすこともできなくなったのは、そのたったの一日後です。
交換はずっと楽になりましたが、「おもらし→交換→それが刺激になったのかまたおもらし」は変わりません。
たったの一日で、部屋のゴミ箱には交換されたシーツが積もりました。
でも私自身はぜんぜんそれが苦ではなく、「ああ、この状態でいいから生きていてくれないかな」と思っていました。
それが数日になれば話は変わったかもしれませんが、私自身はにゃんこの尿の始末をするのも、体をふくのも、楽しいとすら思っていたのです。
猫にさわさわするのは猫好きの至福なので。
おしっこの始末? ご主人様への奉仕は下僕の幸せです。手なんて洗えばいいだけです。
寝たきりのにゃんこは、かのニャンモナイトそっくりです。というかそのまんまです。
可愛くて可愛くて、おもらししてもちっとも可愛さは減りません。そのせいか、介護してても苦ではありませんでした。
いくらでもお世話するから、できるだけ長く生きてほしい……そう思っていた矢先のことです。
そんな事を思っていた、まさにその日のうちに。
愛猫は、その心臓を止めました。
うちの子は、二十歳を越えた高齢猫でした。
そのせいか、「ぴんしゃん」状態から、弱り始めて絶命まで、たったの一週間未満しかかかりませんでした。
容体の悪化はまさに坂道を転げ落ちるがごとしでした。
数日前まで元気だった子が、
「あれ? ご飯食べない、どうしたんだろう、寝てばっかり」と思っていたら、あれよあれよ……で、一週間たたず、冷たい骸になってしまったんです。
猫が死んでしまって……、不意に理解したことがあります。
「生」と「死」のちがい。
それって、すごく簡単で、強烈に人肌に訴えかける原始的な感覚です。
――温かくない。
いつも、にゃんこの体は温かかったんです。
寝たきりで、おもらしするようになっても温かかったんです。
世話をする私はいつもにゃんこの体に触れて、あったかいなー、柔らかいなーと思っていました。
でも、死んでしまった愛猫は、もう温かくありません。
触っても、ナデナデしても、ただただ冷たく……そして、「固い」。
その翌日には硬直はさらにひどくなり。
まるで糊で固めたように、かちこちになりました。
アンモニャイトの姿勢のまま、固く冷たく……鼓動を止めた愛猫は、まるで猫のかたちの置物のようでした。
愛猫が鼓動を止めたのは、深夜日付が変わる直前のことです。
すでに眠っていましたが、家族によって起こされ、知りました。
深夜、私は鼓動を止めた猫を前に泣いて泣いて……泣きながら必死にトイレ、床、猫用品を洗いまくり掃除をしまくりました。
何かをしていないと、気が休まらなかったんです。
片づけや掃除は体力仕事です。数時間ぶっ通しで掃除に励んだ結果、疲労によって昂った神経も何とかおさまってくれて、翌日仕事に行きました。
仕事中、私は神様に感謝しました。この仕事をしていたことに。
だって、サービス業なので仕事中はニコニコしてなきゃいけません。
いやでも切り替えてお客様の応対に意識を集中していないといけません。そのおかげで、気が紛れたからです。
これが事務仕事なら、基本お客様のような他人の目がないので、仕事に集中できたかどうかわかりません。
ほんとうに助かりました。
そして、仕事がおわったあとに、ペット火葬場に連れて行きました。
ネットで検索すればすぐに出てくる、良い世の中になったものです。
電話をして、幸いその日に空きがあったので予約をし、連れて行きました。
行きの車の中も火葬場でも、泣きっぱなしでした。
火葬場の名前を出そうか迷いましたが、紹介しておきます。
静岡県富士市にある碧雲ペット霊苑さまです。
とても感じのいい対応をしてくださいました。
葬儀にいらっしゃったお坊さんは、多分ほんもののお坊様です。
何故か?
道路挟んだ真向かいがお寺で、名前も一緒なのでたぶん共同経営じゃないかなあと……。
こちらで、本職のお坊様にお経をあげていただき、心のこもったお葬式をあげてくださったおかげで、だいぶ心が落ち着いた気がします。
また、火葬して、白いお骨になったあの子を拾い(骨になると、ほんとに小さくなりました……)、骨壺に入れて抱きしめたことも、気持ちの落ち着き場として良かったと思います。
形式なのですが、時としてその「形式」が、心の納得を呼んでくれるものになるのでしょう。
少なくとも、お葬式をして、火葬して、骨を拾う、という経験は私の心に何かを呼び込んできてくれました。
20年一緒にいた愛猫の死を受け止めるという上で、助けになる何かを。
その日一日、仕事中以外は泣いて泣いて……泣きすぎて頭がガンガンしてきたので、睡眠薬を飲んで無理矢理寝ました。
その後数日たち、これを書いています。
実感としては、サービス業をしていて本当に助かりました。
気が紛れたからです。
一人でいれば泣いているばかりの時間。無理にでも笑ってお客様の相手をしていると、心が救われました。
家にいたら、気持ちを切り替えることが難しく、いつまでも引きずっていたでしょう。
うちの猫は、我が儘で贅沢で食費が普通の猫の五倍はかかって、飼い主を下僕としか見てなくて、ゲロゲロ吐きまくって、夜泣きがひどくて睡眠妨害ばっかりする猫でしたが、ほんとうに可愛い、長生きで親孝行な猫でした。
山ほど苦労もさせられましたが、振り返ると感謝ばかりが沸き起こります。
よく、二十年以上も生きてくれたね。
よく、頑張ってくれたね。
今まで二十年以上、家族に幸せをくれてありがとう。
いつか私がそっちに行ったとき、会えるといいな。
大好きだよ、ミーコ。
今までほんとうにありがとう。
↓元気だったころの愛猫饅頭。
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