あかね雲

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□ 黄金の王子と闇の悪魔 番外編短編集 □

下準備 2

 漢字は、リオンにとっては驚きの連続だった。
 まず、縦書きというところからして、驚きだ。
 リオンにとって、文字とは常に横書きだったのだから。
 そして、その複雑な形と種類の多さもだ。

 ルイジアナの文字は、たったの五十二文字しかない。
 その五十二文字ですべての言葉を書き記すというのに、漢字の種類ときたら呆れるほど多い。百や二百ではない。千や二千でも足りないだろう。

 「表意文字」なので、すべての事物にその固有の漢字があるということを考えると、めまいがする。実際は、覚える人間もたいへんなので、同じ漢字を使いまわすことも多いそうだが。
 まして薬草の固有名詞ときたら、難読漢字のオンパレードだ。
 おそらく、字が読める人間でも、漢字で書かれた薬草名を見てそれが読める人間は少ないのではないか。

 正直に告白すれば、「軟膏」という漢字ひとつすら、リオンは書けないし読めない。
 軟膏という言葉は知っていても、漢字は見たこともないし書けないのだ。

 漢字の難解さを考えると、リンカが読み書きできないのも仕方がないような気がする。
 日常生活用語だけでも覚えなければならない漢字は二百では済まないだろう。ましてリンカは治療師として、医療用語も覚えなければならないのだ。
 教材が書き上がったら、自分にも一度見せてもらおう……と思いながらリオンは筆記道具を片付け、夕食の支度をした。

 二人で夕食をとりながら今日やったことを報告する。
「今日、いろいろ周囲に聞きまわったんだがな」
「ん?」
「この近辺で、借金をしている人の数はおよそ二十七人だ。で……今朝がた押しかけた女性だが」
「んん?」
「どうしてあんなことをしたんだろうな? と思って調べてみた」
「……リオンおまえ、暇だなあ」
 ジョカは思わず本音を言ってしまったが、リオンはびくともしなかった。

「実際今は暇だからな」
 ふんと頭を振っていつもと変わらぬ様子でリオンは答える。
「あんなのに関わるのは、時間の無駄だと思うがな」
「正直言って、私もそう思っていた。でも――以前言われた言葉があるんだ。結構痛い言葉でな、それを思い出した」
「どんな?」

「ずっと前の話だが、私は、すがることで困った立場に追い込まれる人にすがるなんて浅ましい、と言った。それに対して、それは貴方が苦労しらずだからだと、ラゼルムが言ったことがあったんだ。それを思い出してな」
「ああ……」
「私が苦労しらずというのは、事実だからな。その時はろくに反論もできなかった。そして、思い出してみると、今の状況にぴったりだろう? 私はあの女性の事情も人となりも素性も何もかも知らない。ただ困らされる言動をされて、その言動から彼女の性格を推測しただけだ。――ひょっとしたら、あの女性はそうせざるを得ないほど追いつめられていたのかと、そう思ったんだ」
「ほう……」
 そこまで聞いて、ジョカは感心した。

 かつて、リオンは罪は罪と切り捨てるところがあった。
 もちろんそれは正しい。罪は罪だ。
 ただし、罪だけをみて断罪するのは、正しいようで心情的には正しくない場合が多々ある。いわゆる情状酌量の余地、というものがないのだ。

 犯罪者を悪人というくくりでくくって札をつけ、その内面に踏み込まず、一律に見下し、断罪するのは、とても楽だ。
 ――だが、リオンはそこから一歩踏み出した。

 その人にも事情があったのではないか。
 そうせざるをえない何らかの経緯があったのではないか。
 そうやって汲み取ることを始めたのだ。

 リオンはかつて、罪人として切って捨てた人間の心情など、一顧だにしない性格だった。それが、相手の事情をおもんぱかることをしてみようと、歩み寄ることを始めたのだ。

 だが――。
 ジョカはいたわりを持って微笑む。
「で、どうだったんだ?」
 リオンは肩を落とす。
「……病気の子どもがいるとか、あるいは酒乱の夫に命じられてとか、色々と考えていたんだが……」
「が?」
 ジョカは優しく促す。

 リオンは目を閉じて嘆息した。
「……子どもが飢えていた。五人か六人か。一目見ただけで見ていられなくて逃げ出した。私は、事情を知ったらきっと同情してしまう。手を差し伸べようとしてしまうだろう。だから、ひとまず逃げ出したんだ」

「お前は、子どもにはほんとうに優しいものな」
「駄目駄目に甘い、と言ってもいいぞ。自分でも自分の駄目さ加減に涙が出そうだ」
 リオンは片手で顔をおおう。
 自分でも自覚があるからこそ、深入りする前に逃げたのだ。
 リオンは子どもに甘い。

 リオンが顔を上げ、ジョカを見る。
「なあ、ジョカ。あなたはあの女性の事情について知っているのか?」
 ジョカはのんきとも言えるのんびりした口調でいった。
「知ってるけど、お前に言うと下手に同情しそうで言いたくないなあ」
「……まったくだ。言わないでくれ。でも、どうしよう。私は次にあの女性が押しかけてきても、毅然とした態度をとれないかもしれない」

 知らない、ということは強みでもある。
 相手の心情や事情を知ろうとしない、というのは強さでもあるのだ。
 一々相手の事情を斟酌(しんしゃく)していたら、きりがない。

 以前はリオンは彼女の言い分に僅かも耳を貸さずに拒絶できた。あの種の困った人間の対処に、リオンはそれなりの経験を積んでいたからだ。
 それと同類と決め付けたからこそ、何も聞かず、見ようともせず、きっぱりと跳ね除けることができたのだ。

 だが、リオンは彼女の家で飢える子どもを見てしまった。
 知ってしまった以上、知らなかった頃にはもう戻れない。

「今度来たら、事情を聞いてみた方がいいだろうか……」
「んー……俺は、お前がそういう優しさを振舞うのは嫌いじゃない。ただし、彼女は別だ、やめとけ」
「……え? 何故だ?」
「俺、あの女嫌いなんだ」
 ジョカはにこりと笑って、言い切った。

 リオンは少し黙ったあと、たずねる。
「理由を聞いてもいいか?」
「自分の子どもを虐待する女は、大嫌いだ。それだけ」
 リオンは沈黙した。
 そして、嘆息しながら額に手を当てて考え込んだ。

「……って言うと、お前のことだから子どもが可哀想とかやるんだろうな」
「……その、通りだ」
 リオンは噛み締めるように一言一言発音すると、それ以後は黙って食事を進めた。

 その白く端正な横顔を見ながら、ジョカはやれやれと思う。
 リオンの優しさに救われたから、ジョカはリオンの優しさを否定しない。
 だが、時々面倒だと思ってしまうのも確かだ。

 リオンほど優しくなく、身勝手なジョカは、自分たちさえ幸せなら目の前ではない遠い所で子どもが不幸になっていても割り切れる。
 目の前にいられたらさすがに寝覚めが悪くて手を差し伸べてしまうが、そうでないのなら気にしないでいられる程度には、ジョカは割り切りができる人間だ。

 リオンは子どもを見捨てられない。あるいは見捨てることに、非常に大きな罪悪感を感じてしまう、優しすぎるほどに優しい人なのだ。
 かとって、ジョカとしても、愛しい人が子どもを平気で見捨てる人間である方がいいのかと言われると、返答に窮してしまうのだが。

 ジョカは黙ってリオンの出す答えを見守っていたが、やがてリオンはぽつりと。
「手を出せば下手すれば誘拐だな。犯罪の烙印を押されないためには、役人を巻き込むしかない。現状把握と根回しが必要か」

「うんうん、お前のそういう地に足についているところが好きだわ」
 ジョカがリオンのお人よしをやれやれと思っても、いさめようとは思わないのは、リオンが優しくても現実的感覚を忘れないからだ。
 リオンは馬鹿ではない。
 馬鹿ではないので、自分の行動が他者からいかなるように見えるのか、どのように動けば最善の結果が得られるか、きちんと考えて動くことができる。

 リオンは自分自身にため息をつきながら、ジョカに詫びた。
「ごめん。ほんとうに、自分でも自分がどうにかしていると思うんだが、かといって知ってしまった以上、見捨てるのもどうしようもなく後味が悪いんだ。無視しているのと、対処するのと、どちらが負担が少ないかというと対処する方がまだいい。あちこち聞きまわって何とか事業の計画を立ち上げるから、ちょっと待ってほしい」

 ジョカは聞き返した。
「事業?」
「今日は途中で帰ってしまったからな。あの女性の事情を調べて、周辺の人間関係を調べて、法律関係を調べて、何とか事業として成り立つような何かを立案するさ」
 ジョカは一瞬、自分の頭の中の知識の海を高速で検索したが、何も言わなかった。

 知識の提供を求められれば与えるが、そうでなければ何もしない。
 それが魔術師のあるべき態度だ。
 ――自力で考えもせず、答えだけを与えられる人間は決して成長しない。

「ふうん……まあ、頑張れ。事業計画書を作ったら目を通すから」
「分かってる」
 リオンがいつも通りの表情でうなずき、ジョカは少し釘を刺す必要を感じた。

「リオン。――いつでも出られる準備だけは怠るな。俺たちは流民だ。いつ何時、いわれなき迫害や糾弾、冤罪を着せられるかわからない。そうなったとき、お前は『可哀想な子ども』を見捨てて逃げられるか?」

 リオンのすらりと伸びた白い首すじの、喉仏がかすかに動くのをジョカは注視した。
 ジョカの視線を浴びながら、やや固い顔で、それでもすぐにリオンは頷いた。
「わかっている。だいじょうぶだ。深入りするつもりはない。わかっている。これは私の、時間と金に余裕があるがゆえの道楽だ。危険が迫っているときに、どちらをとるか迷ったりしない。そこまで私は優しくなれない」

 そこに嘘はないだろう。
 それが、リオンにとっての真実だろう。

 ジョカは手を上げて、リオンの頬に触れた。
 リオンは目を閉じたが、数秒しても口づけがないことに戸惑ったように目蓋を上げてジョカを見た。
「ジョカ……?」
「信じてもいいんだな?」
「――ああ。これは自分の身を危うくしてもやりたいというものじゃないんだ」
「なら、お前の思うままにするといい」

 ジョカは口づけを一つして、そこでこの話を終わりにした。

 世の中で不幸な子どもはそれこそ山のようにいて、それらすべてに手を差し伸べることなどできるはずもない――などという御託を、ジョカはリオンに言おうとは思わなかった。
 ジョカはリオンのやることが無意味だなんて思っていないからだ。
 他にも不幸な子どもは山ほどいると無関心を向けるより、目の前の子どもだけでも助けようと思う方が、よっほど尊い。
 そこに、少数であっても救われる子どもたちが確かにいるかぎり、無意味などではない。

 釘を刺したのは、リオンの優しさに懸念を感じたからだ。
 ジョカは心の奥深いところで、リオンと自分、それから他人の間に冷酷な一線を引いている。
 情が薄いといえばいいだろうか。
 ジョカはリンカをそれなりに可愛がっているつもりだが、たぶんリンカが明日死んでも大して悲しまないだろう。恐らく、リオンの方が衝撃を受けるはずだ。毎日多くの時間をあの少女と共有しているジョカより、ほとんど接触のないリオンの方が。

 ジョカは、自分の状況を決して楽観視していない。
 冷静に、客観的に考えると、そう遠くなくこの街を追い出される可能性はかなり高いのだ。

 なんせ流民。
 それも大金持ち。
 更には腕利きの治療師として、そこそこ裕福な暮らしをしている。

 「流民ごとき」が、元からここに住んでいた人間より、よっぽど豊かな生活をしているのだ。
 よそ者が豊かな生活をするなんて許せない! 元々ここに住んでいた自分より不幸で、貧しく、ひもじい思いをしていなければ気が済まない。
 そう考える人間は、相当いる。

 どこぞの誰かの嫉妬と侮蔑の対象となり、ジョカに冤罪を着せて処刑して財産を没収しようとたくらむ可能性はかなり高いと見ている。
 そうなったとき、ジョカにはこの街を捨てることに少しの未練もない。
 リンカはリンカの人生だ、自力で何とかすればいい。借金も返してやったことだし、貸しはあっても借りはない。

 リンカのことはそれなりに情も移っているし大事にしているつもりだが、ジョカが本当の意味で大事なのはリオンだけであり、この街で親しくなった人々は、リンカも含めて彼にとっていつでも切り捨てられる相手でしかなかった。



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Date:2016/02/17
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