現在、ISの脅威がまさに世界中で猛威をふるっております。
そんな中、図書館で目に留まったのがこの一冊の本。
「テロリストの息子」という衝撃的かつストレートなタイトル。著:ザック・エブラヒム。
この本は、タイトルを見てわかるとおりにテロリストとして捕まった人の子どもが書いた本です。
てっきりタイトルからみて、「僕は何にもしてないのに! なんでみんな僕をいじめるんだ」という偏見と差別を訴える本かと思いきや、ぜんぜん違いました。
親がテロリストだっていうことで、学校でさんざん苛められたようなのですが、彼はそれをこの本にはほとんど書いてません。
「苛めがあった」と書くだけです。
こんな事をする社会はおかしい、自分が声をあげることで犯罪加害者家族の現状を知ってもらい、救済活動の端緒を付けよう……というような内容の本なんじゃないか、と思っていたのですが、大外れです。
予想は木っ端みじんに、外れました。
それよりずっと多くのページが、彼の家族(主に母)がいかにして父親の思想的偏向を止めようとしたか、その努力も虚しく父親が傾いていったのか、そして主人公が憎悪の連鎖から学んだ「学ばない事」に費やされています。
最初は平凡な普通のイスラム教徒だった男性が、いかにしてテロリストになっていったかを家族目線で書いたものと言いましょうか。
彼のお父さんは、不幸な冤罪によって心に大きな傷を負いました。
イスラム教って相互扶助の精神が強いので、彼の家では奥さん主導でしばしば女性を泊めていたのですね。もちろん奥さんが泊めるし同じ家の中には子どももいるので、何も起きません。
が。
そうして泊めてあげた貧しい女性の中に、金目当てに「レイプされた!」と訴える女性がいたのですね。
更に運の悪いことに、その当時、アラブ系の男によるレイプ事件がその地域に発生しておりまして……警察当局は、すわこいつがその犯人か! と厳しく追及したのです。
最終的に、虚言の訴えをした女性が体の特徴についてデタラメを言ったおかげで、お父さんの冤罪ははれるのですが……可哀想なことに、冤罪を着せられたおかげで父親の生活はめちゃくちゃになります。
この不幸な経験が、主人公の父親がテロリストになっていく契機でした。
このときのレイプの罪は冤罪でしたが、テロに関しては違います。
そして、テロリストって、家族に対しても無実を訴えるのですね。
「俺はやってない! 当局にはめられたんだ、信じてくれ!」と。
そして、妻は、それを信じてしまうんです。だって信じたいじゃん……。
私だって、父親が捕まって牢獄のなかから「無実だ、信じてくれ!」と叫んだら……信じてしまうだろうなあと。
ビデオカメラの映像とか、よほどの証拠があって見せられれば別ですが、そうでなければ信じてしまうでしょう。
自分の父親がテロリストだなんて信じたくないから。無実だと信じたいから。
無実だと信じたくて、家族が無実だと訴えていたら……はい、私も信じてしまいます。
「家族」なんですから。
家族が無実を訴えていて、そして検察側に確たる証拠がなかったら、人は信じてしまいます。
そういうものでしょう。
でも、現実はとても悲しくてやるせないです。主人公のお父さんは、テロリストでした。
だから、テロリストはせめて自分の家族にだけは嘘偽りなく事実を言ってほしいです。
そんな騙したりせずに、ちゃんとありのままに言ってほしい。
だって、人は自分の家族が無実を主張したら、信じてしまうんですから。
この家族も、信じました。
結果、テロリストの夫が無実だと信じた妻(主人公の母)は、必死になって弁護費用を捻出するため動くんです。
ところが。
事実は残酷で、主人公の父親はテロリストでした。
再度のテロ容疑で、父親は捕まります。
この事について、主人公はこう述懐しています。
父親が牢獄にいることは、多くの不幸をもたらしたけれども、僕の思想にとってはプラスだったと。
牢獄にいる父親は、僕の考え方に影響を及ぼすことはできなくなったと。
その通りで、彼は思想的に自由に育ちます。父親の影響力のとどかない場所で。
私は父親がテロリスト、なんて本人にはまったく責任のないことで苛められたら、その子供は社会を、アメリカを恨むようになるのではないかと思っていました。(かれはアメリカ国民です)
でも、この本の中でその手の恨み言はほぼ皆無です。
その代わり、彼は悲しみとともにこう書いています。
父は、家族よりも無関係の他人を殺す生き方を選んだのだと。家族を犠牲にしてもやったんだ、と。
彼の非難の矛先は、父親に行ったのです。
そして父親がいないことで、彼は思想的に自由のまま、育ちます。
その中で、彼は「共感」という感情を悟ります。差別され、虐げられる人への共感です。
苛められる側の人間だった彼は、苛められる人間の気持ちがわかる、そんな事をしたくないと思う。それは憎悪よりも強い感情だ、というのです。
……私としては「そうかなあ」と思う所もありますが、彼はそう考えたのです。
とても立派な考えだと思います。
最後に、彼はこう述懐しています。
偏見を植え付けることはテロリストをつくる第一歩である。
収入や自信やプライドを失った弱い人間を見つける。
その人間を孤立させ、自分とは違う人間を、ひとりの人間ではなく顔のない標的と見なすようにすればいい。
この部分ほんとうにそうだと思います。
たとえば、彼の父親が被った奇禍。あの冤罪によって、彼の父親の心には傷が刻まれました。
「弱い人間」になったのです。
そして、そこにつけこむ思想的洗礼を受けた結果――彼の父親はテロの被害者を一個の人間ではなく、「顔のない標的」と見なすようになっていったのです。
人間が人間を殺すのには、抵抗があります。
でも、相手を人間ではなく、顔のない標的として見てしまえば、かんたんに殺せるのです。
それを助長するのが、「偏見」です。
最近ネット上では人種や国籍上の偏見がまさに満員御礼、正義としてまかり通っているのですが、したり顔で書かれている人種差別の文章を読むたびに嫌な気分になります。
こうして日本人じゃない人を叩いている人は、その人にも顔があり家族があり人生があるということを考えてもいないのでしょう。
ただただ顔のない標的として、叩いているのです。
テロリストが、爆弾を仕掛けるときに「殺されるアメリカ人にも家族がいて人生があって……」なんて考えないように。
最後に、彼のお母さんの名言を紹介して終わりにします。
「誰かを憎むのはもうたくさん」
できるだけ早く、テロが撲滅されることを、心から願っています。
- 関連記事
-
スポンサーサイト
Information
Comment:0