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あかね雲

□ 黄金の王子と闇の悪魔 番外編短編集 □

白と黒

ジョカ幽閉中の出来事です。



 自分の首すじに刃を当てる。
 切るべき場所は頸動脈。迷うな、躊躇うな、確実に両断しろ。

 ナイフを握る手に力がこもる。
 鮮血。
 膨大な血流が首すじから吹き出す。
 溢れ出る血の勢いは天井にまで達し、ばたばたと子どもの足音にも似た音とともに跳ね返って床に落ちる。
 急速に失われていく意識のなかで、彼は思った――どうか、死ねますように、と。



 彼が再び意識を取り戻したとき、彼は流れ出た血液によって赤黒く染まった浴室と、途絶えることもできない生命のともしびが自分の中にあることを確認した。
 首すじに手を当てれば、すでに癒えた傷口が、周辺からわずかに違う再生したての皮膚の感触を残すだけだ。
「頸動脈を切断して、生存見込みは二秒以内の措置が必要。……くそ。二秒でも、届かないのか」

 彼は体を起こしたが、目の前がふらついて倒れ込みそうになった。かろうじて浴槽の縁に手を突いて踏みとどまる。
「くそ。――闇の四、光の十、水の十、土の一、造血の二十五」
 体の中の減っていた血液が増えていく。

 無意識下での癒しの魔法は、生命維持に最低限必要な程度しか処置されない。
 貧血状態から脱した彼は、浴槽中に飛び散った自分の血に忌々しげな眼差しをむけた。
「確実に、コップ十杯ぶんは出てるからな……」

 彼は面倒くさくなって指を鳴らした。それだけで、血液が彼の体や浴槽から離れて浮かびあがる。
 掃除を終えると、彼はしばらく、動かなかった。

 ――どうすれば、自分は死ねるのだろう?
 彼は世界で最後の魔法使いだった。
 そして、魔法使い全員に課された制約が、彼を縛っている。
 魔法使いは自殺できない。今のように、意識を失ってもなお自動で治療魔法を発動し、癒してしまう。
 ならば、魔法が使えないほど受傷と死の間が近しい方法を選んだらどうだろうかと頸動脈を掻き切ったのだが、それでも足りないらしい。

 人が即座に死ぬ状況というのは、実は極めて少ない。
 高い所から落ちて首の骨を折っても人は即死しない。
 心臓を一突きにされても人は即死しない。
 ギロチンで首を切断されてもなお、人は即死しないのだ。
 世間で即死と見られていることは、本当の意味での『即座の死』ではなく、そう言われているだけなのである。

 彼が、自分が死ぬ方法について何万回と繰り返した思索を再び繰り返していると、扉がコンコンと鳴った。
「ジョカ? 入ってもいいか?」
 硬質の、まだ若い少年の声だ。

 この部屋にある扉は一枚だけ。開けられるのは外からだけだ。
 彼は黙って扉を見やるだけで、何も言わなかった。
 それでも浴槽から体を起こし、体にローブを纏いはしたが。

 無言でいても、この相手は勝手に扉を開ける。元々、相手を慮(おもんぱか)るということが身についていない少年なのだ。
 何度かのノックの後、案の定扉は開かれた。
 入ってきたのは、金髪碧眼の並外れた美少年だった。この国の第一王子、リオンである。彼が週に一度通って来い、と言った言葉を実行している、律儀な少年でもある。

 少年は素肌にローブを羽織っただけという彼の姿に目を丸くしたが、それについて感想をいう事は避けた。
「ジョカ。風呂上がりだったのか? 出直すか?」
「男同士で面倒くさい。気にするな」
「わかった。でも……私が今日この時間に来るということは分かっていただろう。その時間に合わせて配慮くらいしてくれ」

「はああ? 配慮? 俺が? お前に?」
 思いっきり顔をゆがめて笑って見せる。
 少年はムッとするかと思いきや、やれやれと年不相応の落ち着きを見せて肩をすくめて流した。
「そうだな、あなたにそんなもの、求める方が無駄だな」
「そういうことだ」

 王族に対して無礼千万の態度だが、彼には王族に下げる頭はないのだ。自分を幽閉している王族になど。
 彼は扉の前にあるテーブルにつき、リオンも対面につく。

「今日はあなたに相談したいことがあるんだが……」
「知っている。お前の侍従の事だろう?」
「――そうだ」
 短く肯定の答えを返した後、少年は口を閉ざした。

 そうしていると、一層その美しさが際立つ。
 美貌は国一番と言われた母譲り。強い意思の光を放つアイスブルーの瞳。見れば見るほど、彼好みである。顔だけは。
「ふうん? で、王子はどうしたいんだ? 侍従の首を落としたいのなら、そうすればいいだろう?」

「……そう簡単に、人の命を損なうようなことを言うな。私は人を殺すのがきらいだ」
「王子がその気になれば、いくらでもできるだろうに、それは嫌か。だが、王子はこう悩んでいるのだろう? 侍従を馘首することはかんたんだ、だが、あの侍従はそれで引き下がるだろうか、陰で王子を失脚させる工作ができるほどの人脈を、彼は持っている。後顧の憂いになったら、危険だ、と」
「……その通りだ」
 悩みを言い当てられても驚かず、リオンは短く肯定した。

 一見、リオンの地位は安泰に見える。正嫡の第一王子にして、父王の覚えもめでたい。だが、実際は少しちがう。リオンの下に、現王妃の子がいる。その事実は小さくない。
 彼はテーブルの上に右肘をついて頬杖をし、王子を眺めた。

「では聞こう。それがわかっていてなお侍従を罷免したい理由は何だ?」
「私は、私の情報を他の誰かに流し、見返りの金を受け取る人物に、身近にいてほしくない」
 言葉には強い感情が滲んでいた。――嫌悪と怒りだ。
 侍従がリオンの情報を金で売っていたと知り、裏切りの衝撃は怒りと失望に変わったのだろう。

 彼は指先でカップの縁をはじき、しばらく黙っていた。
 話題の侍従がどのような人物か、彼は知っている。
 その侍従が金で主人の情報を売っていたことも知っている。そういう意味で、少年の怒りはまったくもって正当だろう。――だが、それ以外の多くの事も、彼は知っていた。

 だから、彼はぽつりと言った。
「王子は、哀れだな」

「な……っ」
 少年は一瞬激昂しかけたが、その憤激を一瞬で押さえこみ、尋ねた。
 それを見ていた彼は少し感心する。
「――どうして、そう思う?」

「人の見方を、一元的にしかできない。それは王子がそれ以外の見方を教わっていないからだ。それを不幸と言わずして何という?」
 所詮は、まだ十四歳の少年だ。
 リオンはとっさに何も言えないことで、それが真実を指摘しているという事を教えてしまった。

「不幸……私が?」
「王子は、その人物が嫌いだろう。嫌いだからこそ、嫌いだという感情を通じて物を見る。その侍従が、人脈でもって嫌がらせをする? その人脈は、人望という言い方もできるだろう。公然と王族である王子の不興をかってもなお、工作できるほどにそいつは慕われている。それはなぜか、という考え方が、どうしてできない?」

「――」
 少年は口元に手を当てた。
 彼はにやりと笑って言葉の矛を突き刺した。
「答えられないのなら、教えてやろう。王子は、王子が嫌いな誰かが他人からそんなに慕われているとは考えたくないのさ」

 考えたくなった心の闇を突かれ、少年は短く声を洩らした。
「あ……」

「王子の情報を流し、そのことで賂を貰ったのは事実だ。だがな。それをやっていない人間は、どれほどいる?」
 リオンの顔が強張る。潔癖な少年の想像外のことだったのだ。
「他の……人間、も?」

「やって当然、ならないのはマヌケ。王宮内での公然の秘密というやつだな。潔癖なのはいい事だが、たまたま目の当たりにした一人だけを処罰すれば、それですべてが解決すると思うのは間違いだ。そうだなあ、王子がその正義感を貫き通したいのなら、王宮の使用人全てを馘首するしかないな」
 実現不可能な議題を提出されて、少年は沈黙した。

「人の欠点にだけ目を向けるのはかんたんだ。だが、王子はいずれ国王になる身だ。人の欠点にばかり目を向けるな。向けるのなら、欠点と同時に美点をも見ろ」
「美点……面倒見が、いい、とか?」
「人を育てるのが、得意なんだなあ、あいつ」
 彼は悠然と言った。

「慣れない王宮勤めで気苦労が絶えない新入りに優しく声をかける。コツを教える。なんだかんだと折々に励ます。急に金が要り様なときは、事情を話せば叱咤とともに金を貸してくれる――。まあ人は懐くわなあ。そして、これが、王子が見ようとしなかった処だ」
「あなたは、なんでそれを知っている?」
「今年聞いた中で最も愚かな質問だな」
 魔法使いにそれを聞くとは。

 リオンもその愚を悟ったようで、口をつぐんだ。それから悄然と肩を落とし、うつむく。
「欠点だけでなく、美点をも見るように……か」
「お前にはない美点が、そいつにある事は確かだな」
 少年はしばらく、何も言わなかった。
 深く、噛み締めているのだ。自分にはない美点があるという言葉を。

「王子。完全な善人など、この世にいないぞ」
 追い打ちの、痛烈な言葉。――けれどもそれは、この世の真理だった。

 白と黒。そう割り切れるほど、この世は単純ではない。
 長所だけの人間など、この世にいない。
 欠点のない人間など、この世にいない。
 だからこそ上に立つ者は、長所と短所を同時に見ることが必要なのだ。

「わかった……馘首は……少し、考えてみる」
 立ち上がった少年に、彼は声をかけた。
「綺麗なものと汚いもの、両方を見るよう心がけることが、王子には必要だ。王子はいずれ、王となるのだから」
 立ちあがった少年はその青い瞳で彼を見つめ、こくりと頷いた。

 去る少年を見送り、彼は甘い己に自嘲する。
 あと五年もすれば、あの少年も自分を幽閉する側に回る。なのに諭してしまう己の甘さが、無性におかしかった。




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Date:2016/03/17
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