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あかね雲

□ 硝子の瞳のあなた □

4 無垢であり無知



「おう! 今日もはりきってるな!」
 元気な声に、あなたは振り返りました。
 そこにいたのは、黒髪に茶色の目で赤いバンダナを頭に巻いた活発そうな男の子でした。
 名前はダリル。

 目下、あなたの唯一の「友達」といっていいのではないでしょうか。
 早朝練習するあなたと同様に早朝練習している子で、ある日話しかけられたのでした。それからは訓練場で顔を合わせるたび、話しかけられます。
 あなたは決して話しかけやすい外見でもないしとっつきやすい性質でもないのですが、根気のあることです。

「もうすぐ卒業だな! なあ、おまえ、どこへ行く?」
 ダリルが言っているのは、魔法学校のほとんどを占める生徒の進路、つまり勤め先です。
 王都に行くのは毎年一、二人ぐらいなので、それ以外は全員何らかの仕事に就くのです。

「……わからない」
「え?」

 怪訝そうな顔をするのも当然で、あなたはとても見栄えがいいのです。
 やはり、見栄えがいい人間のほうが、勤め口をさがすには有利です。
 あなたの容姿です。お店で売り子として欲しいという人は多いでしょう。勤めるのに苦労するでしょうか?

「弟が、反対して……」
 それは珍しいことでした。
 弟が父に面と向かって反抗することは、滅多にないのです。けれど、その時ばかりは弟が父親に真正面から反対し、そうすると弟に甘い両親はたじたじとなり……あなたの就職先は現在保留です。

「へえ……お前の弟ってあれだろ? 王都行きが決まってる俊英。反対って、どこ?」
 あなたは答えました。
めかけ

 ばさっ。ダリルが手に持っていた訓練場備え付けの弓を取り落としました。
 震える手でそれを拾いながら、
「……悪い、俺、ちょっと耳がおかしくなったのかな。め、めかけ……って言った?」
「言った」

「……つ、つまり、あい、じん……ってこと?」
「そうらしい」
 ダリルはあなたの頭のてっぺんからつま先まで、見おろし、見上げました。三往復ぐらいしたでしょうか。

 鶏がらのような手足。
 胸はぺったんこ。
 お尻もまったいら。
 つまり、あなたは、痩せすぎていて男女の特徴がまるでなかったのです。

「……ええと、すみません。ほんとすみませんでした。あ、あなたは……女の子……ダッタノデショウカ」
「いちおう」
 と、あなたは言いました。

「……そ、そうデシタか…ははは…。ええと、じゃあ、妾っていうのは、どこかで見初めて……?」
「そうらしい」
「……ひょっとしてひょっとしなくても、支度金とかでお金がたくさん入るの?」
「そうらしい」
「……相手、貴族とか?」
 もし相手が貴族なら、あなたの親にも情状酌量の余地があるでしょう。
 庶民が貴族に逆らうのは、現実にはとても難しいことです。

「違うと思う」
「……相手のこと、会ったことない?」
「ない」
 父親が決めてきた仕事でした。

 これまで育ててやった食いぶちを返せ。
 それが実の父の言葉でした。
 それをダリルに言うと、彼はとても怒りました。
「なんだよそれ!」

 怒るダリルを、あなたは不思議なものを見るように見上げました。
 そして、ダリルはそれに気がつくと不意に呼吸を止めました。
 あなたはとても小柄です。栄養が足りていないので、二三歳は年下に見えます。そして、銀の髪に青い瞳の、吸い込まれそうな不思議な魅力の「少女」でした。

「と、とにかくっ。怒れよ! そんな親捨てちまえ! 金でお前のこと売ったんだろ!」
「……自分のものを売るのは当たり前のこと」
「ちげえって! 子どもは物じゃねーよ!」
 その理屈は、あなたには判らないものでした。子どもは、ものでしょう。役に立てば大事にし、立たなければ捨てる、「物」です。

 ぷんぷん怒っているダリルは、無責任に怒っているわけではありません。
「お前ももう十五だろ! 家飛び出して、どっかに住みこみで勤めればいいじゃねえか! 俺だって叔父さんとこのパーティにやっと入れてもらって冒険者になるんだし!」

 魔と長年戦争を続けている人間たちは、冒険者という職業を自然と生み出しました。
 彼らは防衛線の内側、人間の国土内で暴れる魔を退治するのが役目です。
 戦争のさなかに潜り込んだか、防衛線をこっそり越えて侵入してきたのか……。どちらなのかわかりませんが、人間の国土の中に入り込んだ魔は領土内で繁殖し、退治しても退治してもキリがありません。

 そうした魔を退治する民間の人間が、冒険者です。
 もちろん各地方に騎士団はおりますが、退治した魔物の体はさまざまな部位が素材として活用できるため、民間でも魔物を狩り、それを売る者があらわれたのです。
 国としても駐屯する騎士団を自前で増やすよりもずっと安上がりで防衛の戦力を確保できるため、それを黙認しました。

「そんな親捨てちまえ! おまえを金で売ってんじゃねーか!」
「……私は、弟とは違う出来そこないから。親に無駄金を使わせてきたから、仕方がない……」
 それは、あなたがいつも、親から言われてきた言葉でした。
 お前を育てて損をした、無駄金を使った。とっとと働いて金を返せ。

 さっと、ダリルの顔が変わりました。
 表面は平静ですが、怒りはむしろ、濃く大きくなり、奥にと潜ったようです。
 声変わり済みの低い声が尋ねました。
「……おい。お前の親は、そういうことを、お前に言うのか?」
「それが、普通だろう?」

 ぎり、という音がしました。ダリルの手が握りしめられ、弓が軋んだ音でした。
「――お前の弟は、お前がどっかの妾になるのを反対したんだな?」
「ああ」
 ダリルは考えこむように俯き、弟はまともか……と呟きました。

 そして、ふと何事かに気づいたように、あなたを見ます。
 痩せぎす、というにも生易しいがりがりの体。感情を映さない瞳。知能が低いわけではなく、受け答えもスムーズなのに、歪んでいる知性。――そして、それら全てが合わさってできる、アンバランスな美。
 不安定で、異様で、今にも弾けて崩壊しそうな……それだけに人の目を引きつける美しさがそこにありました。

 そして、こんなに美しい女の子の家がそうであるのならば、自然とある懸念が湧いてきます。
「……おまえ、さ。その……父親に、なんか、変なこと、されてない?」
「へんなこと?」
「その……体をさわられたり、とか」

「されていない。殴られるけど」
「…………」
 ダリルは予想通りと言うべき答えに頭を掻き毟りたくなりました。

「……じゃ、じゃあ、変なことはされてないんだな?」
「体を触るのは、変なことなのか?」
 年齢を重ねるうちに身につく性的な知識について、あなたはまったくの無知でした。
 そういうことについて教えてくれる両親が、あなたを嫌っていたからです。

 学校で教えてくれる知識だけが、あなたのものでした。
 あなたは何も……そう何も、性的な知識を持っていなかったのです。

「そうだよ。そういうのは、好きなやつとだけやるもの……って、お前十五なのになんでこんなこと知らないんだよ……」
 普通の親なら、これだけ可愛い女の子なら、何にもまして用心を教えこまねばなりません。
 なのに、あなたは何も知らない。
 ダリルはそれだけで泣きたくなりました。

「弟がする」
 なので、そのときぽつんと言われた言葉の意味を、ダリルはすぐに理解できませんでした。

 理解した瞬間――ざわっと一瞬で鳥肌が全身に立ちました。
「弟が私に触りたがる。それは、変なことなのか?」

 ダリルは手に持っていた弓を地面に叩きつけました。顔は蒼白です。
「おまっ、おまえっ、おまえっ! それっ、それ、それはっ!」
 あまりの嫌悪感に言葉になりません。
 あなたの弟は学校で有名なので、ダリルも知っています。よりずっと体格も大きく、態度も大きいため、下手しなくとも年上に見えます。

 似てない兄弟だなと思っていました。
 ダリルはあなたの両肩をつかみました。
「抵抗しなきゃ駄目だ! 嫌だと言わないと!」

 普通の家庭で生きてきたダリルからみれば、吐き気すらする背徳でした。
 でも、あなたには、わからないのです。
 ほっそりとした首を傾げて、言いました。
「嫌? ……わからない」

「わ、わからない、のか?」
「嫌なのかどうか、わからない」
「え……あ、ああ……、そうか」
 ダリルの顔にその時浮かんだのは、深い哀れみでした。村の醜聞をきいたとき、決まり文句のように言う「可哀想」などではなく、もっと真摯で深いもの。

「弟は私を殴らない」
 自然と、ダリルは口をつぐみました。

「私が怪我をしていると、治してくれる。困っていると、助けてくれる。そして体を撫でる。これは、変なことなのか?」
「……服の上から?」
「服の上から」

「撫でる……場所は?」
「体中。首も肩も胸も腕も脚も。特に胸が多い」
「――それは、変なことだ。やっちゃいけないことだ。もう、させちゃだめだ」
 力を込めて、目と目を合わせて、ダリルは言い切りました。

 彼女は何も知らないのです。それが忌わしい背徳だということも、淫らな行為であることも、なにも。
 誰も教えなかったから、彼女はそれがいけないことであるということでさえ、知らなかった。
 ――これほどの悪徳があるでしょうか。
 ダリルはそれを見過ごすことができません。
 知ってしまったら、見捨てることはできません。
 何としても彼女を家から引き剥がすべきだ、そういう結論に達しました。

 無垢な者はそれしか知らない。無垢な赤子のときに言い含められれば、それが正しいと言われれば、黙って耐えるしかありません。
 ですがそうやって内側に隠された破滅の箱は、いつか必ず暴発します。「真実」を知った時に。

「駄目なのか?」
「駄目だ。絶対。もう駄目だ」
 力強く、ダリルは言い切りました。

 このとき、もう少し彼が大人なら、別の言い方があったかもしれません。
 けれど、十五歳の少年のダリルには、こうしか言えませんでした。
 感じた猛烈な嫌悪感のまま、それをあなたに押しつけました。

 ――曲がりなりにも両親から庇い、守ってくれた弟がどう思うかを、一切考慮せずに。

「それと……お前の家から逃げること、考えよう。一緒に考えてやるから」
 そこで、ダリルは早朝、訓練場に二人きりという状況を思い出し、冷や汗をかきました。
 男だと思っていたから、ダリルはこれまで気軽に接することができたのです。

 毎日ふたりで練習していることを囃したてる声がないでもなかったのですが、男同士で何を言っていると笑い飛ばし、変な噂を寄せつけませんでした。
 もちろん揶揄した人々はあなたの性別を知っていたのです。やっと、その意味を理解し、ダリルは頭を抱えました。


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Date:2015/10/25
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