家まで送り届けてくれたダリルを見送って、あなたはそうっと家へ滑り込みました。
すでに家の明かりは消され、闇に沈んでいますが、生まれ育った家です。壁に手をつき、慎重に廊下を進み――そこで立ち止まりました。
周囲に魔法の明かりを浮かべ、腕組みをし、不機嫌な顔で、弟が待っていました。
「ずいぶんと、遅いお帰りだな。何をしていた」
あなたは、薄紅色の唇を開きました。
「……ご飯をご馳走になっていた」
「ダリル・モンバッツにか?」
なぜダリルの名前を知っているのだろうと思いつつ、あなたは頷きました。素直に、こくんと。
……その仕草のどこかが、弟を刺激したようです。
気がつけば殴られ、吹っ飛ばされていました。あなたの軽い体は、少し力を込めて殴られただけで、あっけなく飛んでしまいます。
壁に叩きつけられ、意識が一瞬途切れました。
弟の体温を感じ、顔を上げると、また殴られました。
顎を掴まれ、上向かされ、肩を壁に押さえつけられました。
顔が近づき――、細すぎるほど細い首に熱を感じました。
あなたがダリルの言葉を思い出したのは、その時です。
そう、ダリルは――。
「……だ、め、だ……っ! 嫌だ」
見かけ通りに力の弱いあなたの抵抗など、弟なら力ずくでねじ伏せられたでしょう。
しかし、「抵抗された」ということが、弟の動きを止めました。
これまで人形のように、されるがままであった姉を見つめると、感情の見えない青い瞳が見返してきました。
「駄目だ。嫌だ。これは、してはいけない事だ」
それは、あなたが初めてした抵抗でした。
内実は、ダリルがそう言っていたからというだけでしたが、それでも、あなたが与えられた理不尽に初めて反旗を翻した瞬間だったのです。
……けれどもその代償は、少なくありませんでした。
「こ、の……っ! 屑のクセして……っ!」
殴られ、蹴られました。
「我、天と祖霊に…」
命の危険を感じ、唱えようとした魔法は最初のワンフレーズを言う前に潰されました。
「詠唱省略もできない愚図が! そんなの通用するかよ!」
この国はずっと戦争のさなかにあり、魔法はそのための技術です。象牙の塔でこねくり回され観賞されるためのものではなく、実戦に供するための、実用技術です。
ですから、より早くより簡単に魔法が唱えられるよう発達したのは必然でした。今のように魔法を詠唱している最中に殴りつけられては、意味がないからです。
あなたの技量では、魔法を形成するのに四つの工程をそれぞれ詠唱しなくてはなりませんが、弟は、それを短縮できるのです。
……同じ真似は、あなたにはできません。
弟の激昂を、あなたは細い体で、受け続けました。
やがて、物音を聞いてやってきた親もそれを止めません。
父親はにやにやと笑いながら
「やりすぎて殺すなよ。売る先は決まってるんだ」
というだけですし、母親も、
「うるさいわねえ……」
と言って、向こうへ行ってしまいました。
そして誰も止めないままに時間が過ぎ。
息を切らした弟が立ち去ったときには、体中から血を流し、痣だらけになったあなたが倒れていました。
それでも、命に別条はないようです。
よく、暴力に慣れていない人が激高し、限度を見誤って殺してしまうことがあります。
それは、逆も言えます。
あなたを題材に、暴力に慣れている弟は、激昂のさなかでも際限を誤ることはなかったのでした。
それでも体中が燃えるように痛く、どうやら熱も出ているようです。廊下にうずくまり、浅い呼吸を繰り返していると、不意に声がしました。
『――憎いか?』
視界はかすんでいましたが、あなたは懸命に見ようとします。
そして、それを見て、目を見開きました。
『お前を虐げる家族が、憎いか? 力が欲しいのならくれてやろう。
――ただし、お前の両親の命と引き換えに』
そこにいたのは、魔でした。
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