《番外編 ユーリッドの冒険》「お、ユーリッドちゃん! 可愛いね、これからお出かけかい?」
近所のおじさん(獣人族)の声かけに、私はくるりと回って見せた。
お父さんからもらった外套(いろんな魔法付与つき。私の身長にあわせて調整済み)が弧を描く。
背中には背嚢。これも、いざとなったら盾として使えるように頑丈な魔物の革で出来ているし、魔法付与もかかっている。更に更に私の装備は一式全部、過保護な父が用意した魔法付与付きの最高級品なのだ。
お父さんのお古だけど、やっぱりお父さんてすごい冒険者だったんだなあ。こんなのを持てるなんて。
「うん! これから出発するの! まずは手紙の配達よ! 初仕事なんだから!」
「そうかそうか! これでユーリッドちゃんも一人前だな」
陽気に笑って頷くおじさん。
でも私は見逃さなかった――おじさんの目が、一瞬後ろに流れたことを。
一瞬後には何事もなかったように私を見ていたけど。
……その顔がどこか笑いをこらえているように見えるのは……私の気のせいだったらいいなあ。
「いいかい、気をつけるんだよ。この町から外は、色んな危険がいっぱいなんだからね!」
色んな人に口を酸っぱくして言われた言葉。
ここ、私が住んでいる町、サンローランは大陸でも有数の大都市にして、「平和の街」として知られている。
なんでも、私が住んでいた家に以前住んでいた勇者さまが、各種族の平和と協調を願って作った町なんだとか。
だからか、この町は色んな種族がごちゃまぜで仲良くやっていて、力を合わせて得意分野で頑張ってきた。私が物心ついた頃から今まで戦争の気配ひとつ聞いたことがない平和で豊かな町だった。
外では激しいって聞く人族による異種族差別もなにそれ? って感じ。
言葉としては聞いたことがあるけど、一度もあったことないから、よくわからないんだよねー。
私自身、人族と魔族の混血の半魔族だし。正確には四分の一魔族だけど、さすがに四分の一魔族、なんて言葉はない。
人族と魔族の混血はみんな一緒くたに「半魔族」って呼ばれてる。
え? どうして半人族って言わないのかって?
……私にもよくわかんない。昔からそう言われているからみんなそう言う。言葉ってそういうものじゃない? 何となくみんな昔からそう言っているからそう使っているよね。
でも、私が思うに、半人族、っていうと、色んな混血がいるから、じゃないかな。
人族の特徴のひとつに、色んな種族との混血が可能、っていうのがある。種族はたくさんあるから、できない種族の方がずっと多いけどね。
たとえば魔族と獣人族では混血できない。
でも、魔族と人族だったら混血できちゃうんだ。私みたいに。
そして、精霊族とも人族は混血できる。獣人族とも、一部の特別な種族とならできるみたい。
だから、半人族っていうと、どことの混血なのかわからない。
だから、混血した側で呼ぶんじゃないかな。
半魔族、半精霊族、半獣人族、ってね。
「わかってる。気をつけるね。それにコリュウもいるし」
私は自分の頭の上を指差す。
そこには、尾を含めれば体長が成人男性の二倍ほどもある緑色の飛竜がゆったりと浮かんでいる。
身体が建物の邪魔にならないよう私の頭のだいぶ上を飛んでいて、下から見上げると玄妙な色合いの緑色の鱗が光を弾いて、とっても綺麗。
私とは一緒に育って、血は繋がっていないけど、コリュウは私のことを「可愛い妹」って言ってくれる、頼りになるお兄ちゃんだ。
いざとなったらブレス攻撃一発で焼け野原を作れちゃったりする、ちょっと心配症で、兄馬鹿ぎみなお兄ちゃんでもある。
以前町に流れてる噂を信じて私に絡んできた奴にブレスを吐こうとした時は必死に止めた。
いくらなんでも殺すのはまずいってば!
「……コリュウも大きくなったなあ……」
なんだか感慨深げにおじさんは呟く。
おじさんは私が生まれる前からサンローランに住んでいる。
つまり、私よりもコリュウの小さい頃については詳しい。
「でしょ? いざとなったらコリュウに乗って逃げるから、大丈夫」
竜族は希少だから、サンローランでもコリュウ以外は住んでいない。
……ときどき、コリュウを訪ねてくるときがあるけどね。
それは、コリュウがこの町を作った勇者さまの仲間だから、らしい。
……しかも、その勇者のパーティメンバーのひとりが私のお父さんなのだ。
そのせいで、私が住んでいる家=勇者さまが以前住んでいた家、だし、コリュウをはじめとする勇者さまの仲間全員が同居人で家族で……うううっ。
「ユーリッドも、大きくなったなあ。初めて見たときにはこーんなちっちゃな赤ん坊だったのに」
「もう! おじさんたらやめてよ!」
ホントーにその目やめて!
この町を作った勇者さまは尊敬しているけど、おかげで私は凄い迷惑!
だって、勇者さまの子どもだって影で言われてるんだよ、わたし!
そんなことあるはずないのに!
そりゃあお父さんは勇者さまのパーティメンバーだけど、お母さんは別の人だ。
だって勇者さまは結婚してたもの。お父さんじゃない人と。
お父さんが父親だということは勇者さまがお父さんと…ふ、不義をしていたってことだ。
勇者さまがまさかそんなことあるはずない。だから私が勇者さまの子どもだなんてこともあるはずない。
……ないんだけど……、やめてほしい、その目。
懐かしむみたいな、私の中に若くして亡くなった勇者さまの面影を探すような目。
――私は勇者さまの子どもじゃないんだってば!
そう叫びたくなるのをぐっとこらえる。
いくら言ったって聞いてもらえないのは経験上わかってる。
ここはスルーだスルー。
「じゃ、行ってくるね!」
私は手を振って出発した。
……そして町の門を出てしばらく歩き、人気がなくなると同時に足を止めた。
くるりと振り返る。視界に映るのはよく均(なら)され舗装された道とのどかな自然だけ……に見える。
「――お父さん」
ぎくっ。
そんな音が聞こえた気がした。
しばらく待っても出てこないのでもう一度呼ぶ。
ふふん。そこにいるのは判っているのだ。その程度の隠蔽魔法じゃ、私の感覚は誤魔化せない。
「お、と、う、さ、ん! 出てきて! そこにいるのはわかってるんだから!」
何もないように見えていた空間の一部がぼやけ、私と同じ、青黒い肌の魔族の男が姿を現す。三十代ぐらいの、ハンサムな人だ。
……まったく、もう。
あの獣人族のおじさんが笑いをこらえていたのは、十中八九この人に気づいたからに違いない。獣人族は匂いに敏感だから。
その人はあたふたしながら言い訳を口にし出した。
「ユ、ユーリッド。こ、これはだな。理由があるんだ」
「たかだか町に手紙を届けるだけでしょうが! ついてくる父親がどこにいるのよ!」
「そ、それはそうだが! でもな、良く考えてみなさい。お前は初仕事だし、まだ十二歳で、女の子で、しかも可愛いんだ。いくらコリュウがついていたって色々と危険なことがいろいろあるに違いないんだ、だからな、しばらく冒険者の仕事に慣れるまでは俺と一緒に……」
「却下――っ!」
最後まで言わせず、私は叫んだ。
「却下却下却下――っ! いったい! どこの世の中に! 娘の冒険にこっそりついてくる父親がいるのよ!」
「コ、コリュウはついてきてるじゃないか!」
「コリュウはお兄ちゃんだもん! 魔法まで使って姿を隠してこっそりついてくるお父さんとは違うわよ!」
そう、この情けない魔族が私の父親だ。
お父さんは勇者のパーティメンバーだけあって、魔法がとても達者だ。一見魔族に見えるけれど、実は半魔族。だからその子どもの私も自動的に半魔族ということだ。
お父さんはぎっと上空のコリュウを睨んだ。
「ずるいぞ、お前ばっかり!」
「お父さんいくつよ!」
思わず瞬速でつっこんだ。
上空のコリュウが「ふふん」、という顔をしたのは……見なかったことにしよう。
「魔物討伐とかならともかく! 一体どこの世の中にたかが手紙配達に付き添う父親がいるのよ! 恥ずかしいの! お願いだからやめて!」
冒険者ギルドの登録は十二歳から。
その時もこの父は大変だったのだ。
この冒険者ギルドって言うのは、要するに「労働者派遣組合(荒事含む)」だ。
だからちょっと大きな町には必ず一つはあるし、大きな町になると三つ四つ……なんてことも普通にある。
大陸有数の大都市であるサンローランにももちろんあって、十二歳になるなり私はそこに登録した。
……もう想像がおつきだろうと思うけど、この父は大反対だった。
なんせ、お父さんはこの町を作った勇者さまのパーティ仲間。
コリュウもそうだし、家で一緒に暮らしているエルフのマーラもそう。
当然、我が家はお金持ちだ。財産なんて一生遊んで暮らせるぐらいある。
もし万が一お金が足りなくなっても、魔法の達人であるお父さんやマーラ、竜族のコリュウならちょちょいのちょいでお金を稼げる。
だからお父さんは私が冒険者なんて荒事も扱う仕事をやるのには猛反対だった。
「金ならいくらでもあるじゃないか! お前がわざわざ命の危険を冒して冒険者になる必要はない! たとえお前がどこかの王族に嫁ぐとしても持参金に不足はないぞ!」
……ねえ皆さん。
この台詞を聞いて、どう思います?
私は、いらっときましたよ。ええ。
「お父さんは黙ってて! 私の将来は私が決めるの! 私は冒険がしたいのよ!」
それから父の猛反対をマーラとコリュウの協力でかいくぐり、ラグーザ冒険者組合に登録し、今日の初仕事までの日々の長かったこと……!
なんせラグーザ冒険者ギルドは勇者さまが所属していた老舗ギルド。
勇者さまの元所属先なのだ、そのネームバリューと信頼度は圧倒的で、サンローランには他の冒険者ギルドがないぐらい。
ラグーザ冒険者ギルドに駆逐されちゃったんだね……。
で、その勇者さまの仲間が、このメンドクサイ父なのだ。当然、昔のよしみでギルドに顔がきく。
――何が起こったか、お判りだと思う。
……ほんと、こっちの味方にコリュウとマーラがいてよかった。
二人ともお父さんと同じく勇者さまのパーティメンバー。
二対一。
登録させまいというお父さんの妨害も、仕事を回すまいという嫌がらせ(以外の何物でもないよ!)も、コリュウとマーラが押しとどめてくれた。
そうしてやっと獲得した初仕事。
これ以上父に邪魔させてなるものかっ!
私は、じとっとした目で言った。
「……お父さん。もしもう一回黙ってこっそりついてきたら……嫌いになるからね」
――私の完全勝利だった。
◆ 2 ◆ るんたった、るんたった。
鬱陶しい父を何とか振り払い、私は軽い歩調で道を歩いていた。
そんな私の上空を飛ぶコリュウが話しかける。
大きな体のコリュウは、私の真上なんて飛べない。
かなり上空をゆったり飛んでいる。
距離があるのに声が届くのは、風の精霊にコリュウが愛されているからだ。鳥や竜、空を飛ぶものはみんなそうだけど。
「ユーリッド~。空飛ばないの~?」
「空を飛んだらあっという間じゃない」
サンローランは大都市だ。大抵の物はあるから、サンローランの外へ出るのはこれが初めてだった。
「初めてサンローランの外へ出たんだもん、空を飛ぶのは満喫してからね!」
うちには本棚があって、そこには冒険物語もたくさんあった。(小さい頃は知らなかったけど、家に本棚があるってすごく珍しいことだ。勇者さまの仲間だから、高い本も買えるんだろうな)。
やっぱね、お約束ってあるじゃない。
道を歩いていて出くわす山賊! 人攫いをくわだてる奴隷売買組織! 魔物!
それを華麗にぶっとばす、わ、た、し。
ふっふっふっふふふふふふ……。
こう見えてもお父さんの秘蔵っ子である私は、かなり強いのだ。
お父さんの反対を、ねじ伏せられるぐらいには。
物心ついた頃からお父さんやマーラに魔法を習い、家にいるやたら強いメイド人形さんに家事全般とともに剣術を仕込まれ、時々来るやたら強い人族のおじさん(私のためにお父さんが雇ってくれた教師)に剣術と魔法のコンビネーションについて鍛えられた。
私は半魔族だけど、お父さんと一緒で外見は魔族そっくりだ。
青黒い魔族の肌。
直毛で、腰までまっすぐのびた黒い髪。
目だけが人族の血が出たのか青い。
まだ十二歳だからお肌もぴかぴか。……ま、元々魔族の青黒い肌は日光に強いから、しみもそばかすもないのが普通だけどね。
顔は……顔は……うん、たぶん美少女に入るんじゃないかな? たぶん。
自分の顔が全体から見てどの程度なのか、っていうことについて、私は極めて判りにくい立場にいる。
だって――種族が違うと美的感覚もちがうんだもんっ!
人族では「色の白いは七難かくす」って言葉があるらしいけど、私の肌は魔族の青黒い肌。
……も、ここのところで基準が違うのがわかるよね。
お父さんやコリュウやマーラは可愛いって言うけど、私だってそれを鵜呑みにするほど馬鹿じゃない。
近所の人も右に同じ。
かといって、鏡を見て自分で判断しようにも……わかんないんだもんっ!
少なくとも、お化けみたいな顔ではないと信じたい。
話を戻すと。
そんないたいけな美少女(たぶん)が道をてくてく歩いていたら、そりゃー盗賊とかが襲うでしょ。襲うよね。コリュウは上空にいるから、空を見上げないと気づかないし。
そして私にブチのめされる、と。
くぅ~っ、いいよねいいよね。ヒロイックサーガのお約束だよね。
そのためにも、私は今はてくてくと道を歩くのだ。
鍛えてるからこれぐらいへっちゃらだしね!
周囲に溢れる日差し? 平気平気。魔族の青黒い肌は日焼けにはメチャ強いのだ。
人族の女性の場合、「色白」が美人の条件だし、日焼けに弱い肌だからつらいよね。日焼けっていうのは軽い火傷なのだ。なめてはいけない。……まあ、魔族の青黒い肌で、日焼けとは無縁の私が言っていいかどうかはわからないけど。
この世界では女の子の一人歩きなんて、襲って下さいって言っているようなものだ。
しばらく歩いていれば定番の展開が……と、思っていたんだけど。
「――あれ?」
「あ、ユーリッド、次の町見えてきたよー」
「あ……うん」
……次の町、ついちゃった。何事もなく。
コリュウが上空から感心したように言った。
「早いねー。普通の人の足の二倍以上のペースだよ。疲れてない?」
「うん、ぜんぜん」
伊達にメイドさんに鍛えられてない。……ほんと、あのメイド人形さんてばスパルタだった……。思い出して遠い目になってしまった私。
「じゃ、この町で宿をとる? それとも更に次の町まで行く?」
私はちょっと考えた。
――手元の手紙の届け先は、ヴェルトーラスの町。
実を言うと、結構……かなり遠い。
基本的に「届け物」依頼は、品を届けた時点で依頼がクリアになって報酬もでる。遠かったり、山脈が途中にあったりすると報酬も上がる。
信用もない新人冒険者に高価なものを預けるほどギルドも馬鹿じゃないから、私が預かっているのは封書一通だけだ。手触りからして、何か同封してあるわけでもない本当に手紙だけ。
このヴェルトーラスの町への手紙の送付依頼は、随分長い間掲示板に貼り出されていた。
理由は簡単――国境を越えなければならないし、遠い。なのに報酬はさほど高くないからだ。
下手すると、宿泊費だけでも足が出てしまう。
でも私は、その名前に惹かれて手に取った。
ヴェルトーラスの町。
それに聞き覚えがあったからだ。
――おばあちゃん。
二年前に寿命で天に召されてしまった、おばあちゃん。お父さんのお母さん。人族で、たったの四十八歳で死んでしまった……。
そのおばあちゃんの遺品を整理していたら、一本の短剣が出てきたのだ。
かなり精緻な細工が施されたその短剣は、鋼の質も良く、一級品だった。武器の目利きを叩きこまれた私の目は確かだ、間違いない。
でも――見るからに相当高価なそんなものをどうしておばあちゃんが持っていたのか?
短剣をくまなく点検し、柄と刀身をバラして根本にある銘にはこうあった。
――ヴェルトーラス武器組合。
ヴェルトーラスに住む鍛冶屋がこの短剣を打った。
そして、見るからに高級品の短剣が、どういった経緯か、おばあちゃんの手に渡った。おばあちゃんはそれを大事に持っていた。
……うん、ピーンとくるシチュエーションだよね。
刃の質から見て量産品ではなく一点物だし、これだけ細かい細工だ。鍛冶師が生きていれば、憶えている確率が高い。
それが何、って言われるだろうってわかってる。
でも、私は知りたい。
おばあちゃんはきっと、若い頃この町にいた。なら、この短剣は、恋人だった人からのものではあるまいか?
おばあちゃんのルーツをたどれば、お父さんのお父さんが判ると思うのだ。
知ってどうする、っていう人も多いだろう。お父さんなんかは絶対聞いたらそう言うはずだ(だから言ってない)。
でも私は会いたい。おじいちゃんかもしれない人に。
――そして、言ってほしい言葉があるのだ。
◆ ◆ ◆
サンローランから出発したその日の夕方、私は二つ目の町へとついていた。
これまでのところ、不穏な気配は皆無だ。
私は道を歩きながらブツブツとぼやく。
「……治安がいいのはとてもいいことだけどっ! どうして何もないのよっ」
「……ムチャ言わないように」
矛盾したことを呟いていると、上空からコリュウの突っ込みが入った。疲れたような声だったのは――、聞かなかったことにしよう。
「ユーリッド、町に入らないの?」
私が町に入らず迂回する道を選んだのを見て、コリュウが声をかける。
「だって入街税もったいないもの」
「宿取らないの?」
「お金勿体無いもの」
「……たくさん持ってなかった?」
「あれはいざって言う時のためのお金。私は冒険者なんだから、依頼の報酬だけで収支を黒にしなきゃいけないんだよ?」
そう、ウチは何度も言うけど裕福だ。
お父さんなんかは私のために最高級の装備を用意してくれた。
――なんでも、お父さんが昔現役時代に使っていた装備で、それを私の身長に合わせて仕立てなおしたそうだ。
その他にも、支度金としてたくさんお金をもらった。
……でもね、お父さん! 支度金として一生暮らせるお金を新米冒険者に渡す親がどこにいるのよっ!
あ、ここにいたか。
それに……私はお父さんに大見栄切って反対を押し切って冒険者になったのだ。
それなのにお父さんのお金に頼って生活するなんて筋が違う。
私はあくまで、冒険者として得た収入の中で、やりくりして生活すると決めたのだ。
となると問題になるのは手紙の配達料だ。
前述のとおり、あまり多額の報酬じゃない。贅沢してちんたら旅をしていたら、宿泊費だけで足がでる。
ここはやっぱり、野営をすべきでしょう!
「……ユーリッド、それならそれで、空を飛んだほうがいいと思うんだけど……」
「そうだけど……夢とロマンが! 山賊に襲われて困っている人を颯爽と助けて『ふっ、お礼には及びませんよ』とか言ってみたいの~。明日はちゃんと空飛ぶから!」
「……マーラ。恨むよ。どうしてこの子の情操教育に『英雄物語』の絵本なんて使ったんだ……」
コリュウの嘆きをよそに、私は元気に足をすすめた。
やっぱり私は半魔族だけあって、十二歳の子どもであっても基礎能力は大人の人族を遥かにしのぐ。……スパルタで鍛えられたしね。
この世界の旅人の足は健脚だけど、私の足はそれをラクラク上回り、その日の夜には三つ目の町についていた。ちなみに、普通の旅人なら一日で一つ目の町につくぐらいだ。
「……で、やっぱり町に入らない?」
「うん」
「……もう外暗いけど?」
「夜目がきくから大丈夫!」
半魔族である私は、魔族の種族特性として夜目がきく。
さすがに完全なる闇を透かし見ることはできないけれど、星と月さえ出ていれば、フツーに見えるのだ。
「……夜なのにまだ歩くの?」
「夜のうちに国境超えたいの。もうそろそろだと思うんだよねー。夜のうちに入っちゃった方が楽じゃない」
「――密入国かいっ!」
「うん!」
「そこ! イイ笑顔で頷かない! 普通に手続きとればいいだろ! ちゃんと正規の身分証があるんだから!」
「時間とお金がかかるじゃない!」
ただでさえぎりぎりの採算なのに、関所で正直にお金を払うなんてもってのほか!
コリュウは――がっくり首を折った。
どこの国も国境には関所を設けていて、そこではお金を取る。
入街税みたいなもので、入国するのにもお金がかかるのだ。
「……おかしいなあ、お金には不自由させた憶えがないのに、どうしてこんな締まり屋になっちゃったんだろう……」
「あれ? 冒険者が関所以外の国境を柵越えして越えるのなんて当たり前って聞いたけど?」
「……誰に?」
「メイドさん」
「ファーナああああっ!」
コリュウの悲痛な絶叫が響いた。
◆ ◆ ◆
関所は街道沿いに作られている。
広い国境線全部を見張ることなんて事実上不可能だ。そのため、関所が設けられていない場所を通って入国料をごまかそうという冒険者や商人は数多い。
空を飛べる私やコリュウはもっと簡単だ。
夜、関所の上空を飛び越えればいいのだから。
悠々と密入国を果たした私たちは、関所から大分離れた場所で降り、野営した。
過保護な父親が用意した魔道具で、天幕を張るのも結界を張るのもお手のもの。
あっという間に支度は出来て、私はくーすかと眠りについた。
◆ ◆ ◆
家にいたメイド人形は、おかしな人形だった。
私の剣の師は、その人形になる。
なんでもエルフのマーラがエルフ族の秘術で作成した人形ということで、喜怒哀楽があり、受け答えも臨機応変で人間そっくりという、見た目を覗けば人間そのものの人形だったのだ。
外では普通の人形のふりしてたし、私も厳重に口止めされていたけどね。
子どもの頃は本当に人間だと思っていたくらいだ。
……人間にしては、体温がなかったけどね……。
彼女の名前はファーナ。
私に剣を教えるにあたり、ファーナが最初に厳しく言い渡したことがある。
「これからあなたに剣術を教えるわけですが、最初に、言っておくことがあります。人を殺してはいけません」
「おいおい……」
それを聞いていたお父さんが呆れたように制止の言葉をつぶやいたけど、ファーナは無視した。
「いいですか、人を、殺してはいけません。決して、ひとりもです」
「……え? なんで?」
「人を殺せば、いつかあなたが殺されるからです。人を殺すというのは、いつか巡り巡って己に返ってきます。人を殺して生きてきた人間は、いつか殺されるのです」
「だ、だって、じゃあ、相手が私を殺そうとしたらどうするの? 殺されちゃうよ?」
ファーナは笑った。
「人を殺してはならない、それは、あなた自身も含みますよ、ユーリッド」
「ど、どういうこと……?」
私は訳が分からず問い返したし、お父さんも顔を厳しくして言った。
「それは、綺麗事だ」
「あなたは、あなた自身をも殺してはなりません。誰も殺さず、あなた自身の身も守る……それを出来るだけの力を、これからあなたに与えます。いいですか、人を殺してはなりません。そして、殺されてもなりません。人を殺してはならないのは、いつかその恨みがあなた自身に巡り巡ってやってくる為。そして、あなた自身を守るのは、あなたとあなたを愛する私たちの為です。人を殺さず、殺されず、相手に勝つ……それが出来るだけの力をあなたに授けます。だからあなたは、誰も殺さないでください。
……人を殺せば、いつかそれは己に還ってくるのですから」
繰り返し、ファーナは私に言い聞かせた。
人を殺してはならない。人を殺せば、どんな悪人であろうとその家族が私を恨む。そして恨みは巡り巡って私を殺す。だからこそ、人を殺してはならないと。
……正直言って、よくわからない。
だって、人を殺したことのない良い人だって、殺されてるじゃない。
殺されるかどうかは、人を殺したことがあるかどうかなんて関係なくて、悪人に出会ったかどうかで決まるんじゃない?
そして、そんな悪人を殺して、何が悪いんだろう?
わからない。
でも、ファーナに繰り返し言い聞かせられたせいで、私は、すっかり人を殺すことが怖くなってしまった。
――人を殺した恨みは、巡り巡って本人に戻ってくる。
そんな言葉を物心ついたばかりの子どもに口酸っぱく言い聞かせるファーナもファーナだと思うんだけど……、幼い頃から聞かされた言葉は、暗示のように私に染みついてしまった……。
――人を殺してはなりません。ですが、あなたも殺されてはなりません。それが出来るだけの力を、あなたに与えます。
――天幕の中で、私はむっくりと体を起こした。
辺りは真っ暗だ。天幕の中だから光がない。完全な闇ではさすがに夜目も働かない。
手探りで天幕の外に出ると、くっきりと見えた。
「あはっ!」
思わず笑ってしまう。
待ち望んでいたものがそこにあった。
こーんな街道から離れた所に張ったテントに忍び寄る曲者たち。数は五人。
ファーナの教育が染みついてるから、殺さない。
でも、捕獲はしなきゃね。
「四乗鎖(フォースバインド)!」
夜の闇に包まれた周囲が一瞬だけ、ぴかっと昼間のように明るくなる。
そしてそれが消えた時には、曲者たちは全員捕縛されて地面に転がっていた。
「弱すぎるよ!」
思わず私は突っ込んだ。
魔法一発で終わり!?
ばちばちした魔法戦や剣戟を期待していた私の立場は!?
「あんたら山賊なんだからもうちょっと、こう……鍛えるべきでしょうがっ!」
善良な人から金品を強奪する仕事なんだから、最低限普通の人より強くなきゃ出来ない職業(?)だと思うんだけどなあ。
「いや、その人たちが弱いんじゃなくて、ユーリッドが強いんだと思うけど……」
と、言いながら天幕の外にいたコリュウがのっそりと現れた。
「ユーリッド、この人たち何?」
「今からそれを聞くんだよ! 山賊かな?」
そこで、ぐるぐる巻きにされた一人が叫んだ。
体が痺れてるだろうに、よくやるなあ。
「我々は国境警備員だ! 密入国者の摘発を仕事にしている!」
「……」
「……」
私はコリュウと目を合わせた。
……えーと。
どうしよう?
関所の収入は国としても大事な収入源だから、密入国は当然犯罪だ。
相手は真面目にお仕事に励んでいるお役人さん。
で、私たちは密入国の現行犯。
どっちが悪いかっていったら、そりゃあ……ねえ。
――どうしましょ?
私が悩んでいると、コリュウが口を出した。
「嘘だね」
「……な……っ」
「おじさんたち、肌白いよ。人族の肌じゃないか。一人二人じゃない。全員白いよ」
正確に言うと褐色の肌だけど、魔族から見れば一緒くたに「白い」と言われる。
私みたいな青黒い魔族の肌に比べれば、差は歴然だ。
「――この国は魔族の国。魔族が圧倒的に多いのに……なんでひとりもいないのかな? おかしいよ」
コリュウの言葉に、私も彼らをまじまじと見た。
五人もいるのに、一人も私と同じ青黒い肌の人がいない……。
「山賊? 盗賊? それともユーリッドを狙ってやってきた? 正直に答えたほうがいいよ。ボクの牙……人間の胴体ぐらい簡単に千切れるからね」
コリュウはその大きな口を開けた。
乳白色の大きな牙が順序良く整列している。対比して真っ赤な口の中がいかにも怖い。牙の先端は鋭利に尖り、よく切れそうだ。実際とってもよく切れる。人形のファーナは力が弱いから、固い食材の殻を砕く時にコリュウに噛んでもらってたっけ。
ともあれそんな物騒なドラゴンの脅しに、曲者たちはあっさり吐いた。
「お、俺たちはその女の子を攫ってこいと依頼されただけだ!」
「……私なんかを攫ってどうするのよ?」
首をひねる私と、正反対に「あーあ」と頷くコリュウ。
「勇者の娘であるその子がいれば勇者の残した利権の後継者となれる、そう主張できる。だから……っ」
ぶち。
瞬間的に私は沸騰した。彼らは私の逆鱗に触れたのだ。
「私は勇者の娘じゃないっていってんでしょうが――っ!」
今から十年ほど前、若くして亡くなった大地の勇者さま。
何でも彼女が産み落とした子どもとわたしの性別と年齢が同じだそうで、しかも父親が勇者さまの仲間ときてる。
誤解されるのも無理はないほど条件が揃っているのは認めるけど、でもそれで間違えられるこっちは大迷惑だ!
「私のお父さんはダルク! 魔王と勇者さまの間に生まれた奇跡の御子なんかじゃないの!」
その昔、勇者さまと魔族の国の王様が恋に落ち、そして一人の子どもを残して勇者さまは亡くなられた。その後、その御子も幼くして亡くなった。
でも――その赤ん坊は秘密裏に勇者さまの仲間のお父さんに託されてサンローランに運ばれ、育ったっていうまことしやかな噂があるんだこれが!
「勇者さまの御子は魔王城で亡くなったの! 赤ん坊が死ぬのなんて珍しい話じゃないでしょ! 庶民なんて二人に一人は死ぬんだから! 大体、魔王の子どもならお姫様でしょーがっ! 勇者さまが母親なら尚更、大事に大事にお姫様として育てられるわよっ!」
こんなガサツに育てられた私がお姫様? ちゃんちゃらおかしいわ!
庶民レベルのテーブルマナーはファーナに躾られたけど、王侯貴族のテーブルマナーなんて欠片も知らないわよっ! 詩歌音曲なんて論外!
お姫様ってドレス着て舞踏会でステップ踏んで優雅におほほと笑ってお茶してるもんでしょ? 私のどこがお姫様?
物心ついたころから魔法ではお父さんとマーラ、料理や掃除の家事全般と剣術をファーナに習った。
「どこの世の中に野生動物の猟から血抜き、解体、料理までできるお姫様がいるのよっ!」
曲者たちの間に、「言われてみれば……」という空気が漂う。
私の叫びに真実の響きが宿っているせいもあるだろう。
「食べられる野草や山菜の見分け方まで完璧よっ! 野外のサバイバル技術をフルコンしている私が勇者さまと魔王の一粒種のはずないでしょうが!」
そのとき、私は気がつかなかった。コリュウが思いっきり複雑そうな顔をして私を見ている事に。
男たちはコリュウの表情が視界に入っていたけれど、竜族の表情は見慣れた人間でないとわかりにくいのだ。
「私が勇者の娘だなんて下んない噂、間に受けるのはやめてよね! ホンット迷惑なんだから! 大体同じ年頃の半魔族の子どもなんていくらでもいるでしょうが! 勇者の娘だなんてどうやって証明するのよ!」
「……それは、その、嘘をついているかどうかを判定するスキルで……」
私は頭痛がして頭を押さえた。
「……じゃあ私を攫っても無駄じゃないの。私は勇者の子どもじゃないんだから。私を買収とかして嘘言わせたところで、嘘判定来るわよ」
真偽の判定は、本人がそれを信じているかによる。
そのとき、曲者のひとりが言った。
「……それは、ただ単に、君が真実を知らされていないだけじゃないのか?」
「どういうことよ?」
「これは知られていない話……と言っても公然の秘密というやつだが、大地の勇者は、暗殺されたんだ」
「……聞いたことがあるわ」
私もそれには同意した。
私が勇者の娘だ、なんて益体もない噂を私の耳に届ける人がいるように、その話も聞いたことがあった。
「そのとき、娘も殺されかけた。だから勇者の仲間が娘を守り、逃げ出した。その姫の名は……ユーリッド」
男は溜めの間をあけて、どうだって顔で言った。
けど。
「知ってるけどねー。……ユーリッドって名前の娘さん、魔族でどんだけいると思ってるの?」
ユーリッドって名前は、魔族では決して珍しくない。
十人いたらひとりぐらいはいるんじゃなかろうか。
右向いても左向いてもユーリッドさん、ってなぐらいはいる。
「確かに、珍しい名前じゃないけどな。『偶然』同い年で、『偶然』名前が同じで、『偶然』勇者の仲間に育てられた赤ん坊。そんな存在が早々いると思うか? 素直に、君が勇者の娘で、仲間に預けられたっていうほうがずっとしっくりくるじゃないか」
あーもう、うるさいなあ!
「そんな偶然、いくらでもあるわよ! お父さんが勇者さまにふられてショックのあまり言い寄る女性に手を出して孕ませた挙句に子どもを押しつけられたとか! ほらこれなら私とお姫さまの年齢が同じでも何の不思議もないでしょうが!」
勇者さまが結婚してすぐお父さんがふらふらとどこかの女性に迷って出来たらちょうどぐらいの年齢なのだ、私は。
さすがにお父さんには聞けないのでマーラに聞いた話になるけど、
「お父さんは勇者さまが好き」で
「でも勇者さまにふられ」て、
「お父さんに言い寄る女の人とデキて(同棲はしたけど正式な婚姻は結ばなかったらしい)」、
「お金を毟られた揚句、赤ん坊を押し付け……もとい託された」のがわたし、なんだそうだ。
男は、ふと、真顔になった。
「……君の家ではそういう説明をしていたのか?」
「ユーリッド姫は仲間みんなのアイドルだった。その姫様を殺されて、新しく手元に来た赤ん坊に同じ名前をつけた。そういうことでしょ!」
そう言い募ると、男はやっと口をつぐんだ。
「だいたいっ、私がお姫様だっていうのなら、どうして魔王さまは迎えに来ないのよ? そこがまずおかしいでしょ」
男の筋書きでは、暗殺の危機の中、勇者が娘を仲間に託し、落ちのびさせた、それが私、ということになる。
それならば、だ。
「その時はいいとしても、事態が落ち着いたら、お姫様だし自分の娘なんだから迎えにくるでしょう? それをしないのは私が娘じゃないから。ほら、すっきりするじゃない」
男もこの疑問には答えられないようで、それは……と言葉を濁している。
フン。
その根源的な疑問を解決してから来いってもんだ。
「コリュウ、行こ!」
縛られた男たちをよそに、野営道具を片付ける。魔道具だから収納も簡単コンパクトだ。
「この人たちどうするの?」
「ほっとくわよ。そのうち仲間がやってきて縄もとけるでしょ」
後腐れないよう殺す、という選択肢は、不殺のファーナの教えのせいで私にはできない。くそー。
町まで運んで警備隊に突き出すのも、運ぶのがメンドクサイ。
町まで離れているし、五人もいるし。
プイと踵を返すと、声が追ってきた。
「君は、そこの竜にでも、自分の素性を聞いた方が良い」
私は振り返り、思いっきりあっかんべーをしてやった。
男たちは十二歳の女の子にあかんべーをされ、呆気にとられた顔になる。
「私のお父さんは、お父さんだけだよ!」
そう、誰が何と言おうと、時々……ううんしょっちゅう鬱陶しい存在であろうと、私のお父さんはダルクひとりなのだ。
――が。
そんな私の健気な決心を粉々にしてくれたのが、それから僅か一時間後、コリュウが口にした言葉だった。
「あのね……ユーリッド。いままでナイショにしてきたんだけど――」
と、切り出された時に猛烈に嫌な予感がした。
でも、その時の私はコリュウの背に乗って、あの曲者たちを簀巻きにした場所から急いで離れていた最中だったので、止めるに止められなかった。
コリュウが口にしたのは、
「君のお母さんとお父さんは、勇者と魔王なんだよ」
そんな、知りたくもなかった出生の秘密だった。
◆ ◆ ◆
――どうせなら、一生墓まで持っていって欲しかった。
「君のお母さんは、大地の勇者で……父親は魔王で」
「クリスが、殺されて、ばたばたしている間に命の危険があって、逃げ出したんだ」
――どうして今更そんなことをいうの。
「えっと……黙っていたのは、ユーリッドの身の安全を考えたからで……。知らなければ漏らしようがないし、ユーリッドを狙う奴らはたくさんいたし。ダルクだって騙そうとしてたわけじゃなくて。ユーリッドの肌の色とか考えると、ダルクの娘だっていうことにするのが一番説得力あって」
――尚も続く言い訳を、私は一言で断ち切った。
「話は後で、お父さんから直接聞くわ」
――自分の父は、ダルクだけなのだから。
◆ 3 ◆ コリュウは世界最速の種族の名に恥じない速度で飛んでくれた。
私はヴェルトーラスの町に着くと、目を丸くする市民を無視してコリュウから飛び降りた。
ちょっと石畳がへこんだけど気にしない!
だってギルドの前にはコリュウが下りられるスペースがないんだもの。
冒険者ギルドに駆けこんで依頼を完了済みにすると、即座にコリュウに飛び乗った。
どうやって? ジャンプして。三階建ての建物と同じ高さぐらい、軽い軽い!
祖母の短剣も、ヴェルトーラスの武器組合も頭からすっとばし、滞在時間三分で私は飛び立った。
――そして。
サンローランの町から出発した翌日には、私は家に帰っていた。
目の前には引きつった顔の「お父さん」がいる。
「昨日の夜、コリュウから聞いた」
そう言ったときの表情で、ぜんぶわかった。
でも信じたくなくて、私はそれに目をつむった。
「嘘だよね? ちがうよね?」
「あ……う……」
「嘘だよね、ねえっ!」
コリュウが私を騙すはずがない。
わかっていても、それでも……私はお父さんの肩に手をかけて揺さぶった。
嘘だと言って欲しかった。ひとことでいいから。
「私はお父さんの娘でしょ!? 勇者さまに振られたお父さんが悪い女の人に引っ掛かった挙句に押しつけられた赤ん坊でしょ!?」
「――だれだそんなこと言ったのは!」
いきなりの怒声に私はきょとんとする。
さっきまでの勢いも引っ込んで、すなおに答えた。
「マーラ」
悪い女の人うんぬんは私の想像だけど。
押しつけられたうんぬんもそうだけど。
でも、普通赤ん坊って女性が産むから、女性の手元に残るよね? 女の人が捨てるか死ぬかしないかぎり。
だからやっぱりそういう事だと思ったんだけど……。
「あの野郎……っ!」
「それより答えてよ! そういうことじゃないの? 私は勇者さまの娘なの? ちがうよね?」
「……あー、それは……だな」
後ろめたさに、お父さんの目が一瞬泳ぐ。
そして告げられたのは。
「……すまん。お前も冒険者として独り立ちしたし、そろそろ真実を知ってもいい頃だろう。お前は……勇者クリスと魔王の娘だ」
という、答えだった。
「――」
「――」
「――」
「――」
しばらく、息もせずに私とお父さんは見つめあった。
その沈黙の数秒間は、数時間にも感じられるほど長かった。
やがて震える私の唇がひらき――
「――ちがうもんっ!」
「は?」
予想外の私の言葉に、ぽかんと、お父さんの口が間抜けに開いた。
「ちがうもんっ! 嘘だもんっ! わたしの、わたしのお父さんは、ダルクだけだもんっ!」
――本に出てくる母親探しの話じゃあるまいし、おばあちゃんの持っていた短剣の銘なんていう、普通に考えれば薄い薄い糸を辿ってヴェルトーラスの町まで行こうと思ったのは、お父さんのお父さんに会いたかったからだった。
おじいちゃんに会って、そして。
――私は、あなたの孫娘だと、言って欲しかったのだ。
「魔王の娘なんかじゃないもんっ!」
百歩譲って、勇者の娘であってもいい。父親がお父さんであるのなら。でも、それは町で聞く「高潔な勇者さま」の話からしてありえなさそうだったから、勇者の娘であることも否定してた。
「うそつき……うそつきっ! 私のお父さんは、ダルクだもんっ! 一度も会いに来たことのない魔王なんて知らないっ!」
感情のまま手を振り上げて頬を叩こうとして――ぎりぎりのところで安全弁が働いた。
魔術師であるお父さんを今の私が全力で叩いたら。
……結局、私は振り上げた手を下すしかなく。
行き場のない怒りはぶつけどころをなくして、頭の中はわけがわからないほどぐちゃぐちゃだった。
いつの間にか私は泣きじゃくっていて、何が悲しいのか何故悲しいのかどうして泣いているかもわからなくなっていた。
「お父さんの馬鹿あっ!」
結局私は、子どもみたいに泣き叫んで逃げ出すしかなかった。
◆ ◆ ◆
ダルクは物凄く複雑な顔で泣いて走り去った娘の後ろ姿を見送った。
喜んでいいのか、悲しめばいいのかわからん、というのはこういう心境なのではないだろうか。
父親は自分だけ、と言うほど慕われているのはすなおに嬉しいのだが、反抗期プラス嘘をついていた引け目が加わって、どうしていいのやらわからない。
「――何をやっているんですか、あなたは」
「……おまえな。あの子になに嘘八百吹き込んだんだ」
ダルクがぎろりと睨みつけたのは、緑髪に長耳が特徴的な、エルフである。
勇者の仲間のひとりにして、勇者亡きあとはパーティリーダーもやっていたマーラだ。口にお互い遠慮がないが、それは親しさからきている。長年一緒の家で暮らしたので、家族同然だ。
「なんでそこで突っ立ってるんです。あの子にとって、父親はあなただけなんでしょう? 十二歳で、お前は自分の娘じゃない、なんて言われて泣いている娘を追いかけないでどうします?」
――あ、そういうことか。
今頃わかって――ダルクは自分でも自分の鈍さに地面にのめりこみたくなった。
あれだけユーリッドが取り乱したのは、ダルクの娘ではないと言われたせいなのだ。
しかもユーリッドはいかに早熟でも十二歳。
おまけに周囲には愛情いっぱいで甘やかす人間ばかりだったので、精神的に強いかと言われると疑問が残る。
ダルクが冒険者になるのを反対したのはそれもあるのだ。
ここサンローランに住んでいる限り、何の心配もいらない。箱庭のなかで、平和に穏やかに暮らしていける。
でも、冒険者というのは、陰惨な現実を直視しなければならない職業だ。あの子にそれができるだろうか、と。
そう、例を上げて言えば、あの子の母親の大地の勇者は類い稀なる鈍感力の持ち主だった。
死体がごろごろ転がる目の前で鳥をさばいて鼻歌交じりで料理をし、ぺろりと食べて「食事は健康管理の基本」とのたまうことができたけれど、大事に育てられたあの子に同じ真似ができるか、ということだ。
「じ、自分の娘じゃないなんて俺は……っ」
「あなたが言ったのは、そういうことですよ」
ダルクは沈黙し――急いでユーリッドを追いかけ始めた。
エルフは苦笑して蝶の使い魔をその肩に宿らせてやる。
これで、足の速いユーリッドを見失うことはないだろう。
「まったく世話がやける……」
苦笑しつつも、その表情はあくまで柔らかかった。
◆ ◆ ◆
お父さんのもとを逃げ出した私は――結局、家の敷地の隅っこで膝を抱えた。
近所の人たちはみんな私と顔見知りだ。見守る視線でもあるけど、意識すると監視されているような気分になる。
こんな顔で外に出たら、一発で声をかけられる。
そして、私が何も言わなくても、いろいろ想像されてしまう……それが嫌だったのだ。
膝を抱えて丸くなる私に、柔らかい落ち着いた女性の声がかかった。
「ユーリッド」
「……ファーナ……」
そこにいたのはエルフ族の秘術で作り出された生き人形。
生きた人間のように動き、人格を持つメイド人形だった。ある意味、私の第二の母親ともいえる(第一の母親はもちろんおばあちゃんだ)。
「内緒にしていたこと、許して下さい」
「……ファーナも知ってたんだ……」
「はい。私は、勇者さまが身罷られた直後に作られましたから」
私は、その言葉の意味をとっくりと考えた。
そして言った。
「……も、何が悲しいのか、よくわかんないよ……。よくよく考えてみると、隠していたことも、無理ないかもって思えてきちゃって……」
みんな、私に隠してた。
でも、みんなが私を愛して、私の為を思ってしてくれたことなんだって、考えてみればわかるのだ。
サンローランの町から出るなり、曲者が私を襲った。
それって……つまり、そういうことだよね。
「勇者の娘」には、それだけの価値があるんだ。
知らなければ漏らしようがない。
知らなければ、本心から否定する。
そして、その否定は「嘘じゃない」から、説得力を持つ。
……そういうことだ。
そういうみんな側の事情に思いいたってしまったら……もうその事で責められなくなってしまった。
「――でも、じゃあ、ずっと騙されていた私の気持ちはどうなるの!?」
みんなして、私に嘘をついて、隠してた。
きっと、おばあちゃんだって知ってただろう。
みんなみんな、私のためであっても私を騙していたんだ!
「……はい。そうですね。私たちは、あなたを騙していました。それは事実です」
「ファーナ……」
人形なのに、どうして彼女はこんなに悲しそうな顔をするんだろう。
「ファーナ! ちがうの……そうじゃない! わたし……わたし、わたし、は……」
ファーナの手が、背を撫でる。
「ダルクは、あなたのことを、血が繋がってないから自分の娘じゃないとでも言いましたか?」
「……う、」
「駄目な父親でしたか?」
「そんなことない!」
「鬱陶しいぐらい、過保護で、いい父親でしたか?」
「……う、うん」
「そんなダルクとあなたは血の繋がりはありません。それは事実です。ですが――血が繋がっていなければ、父親とは認められませんか?」
「ち――ちがう! わ、わたしのお父さんはダルクだけだもんっ!」
「……じゃあ、十数えながら大きく息を吸って、十数えながら吐いてください。それを三回、繰り返して」
それは何度も繰り返した剣の鍛錬の前動作。
わからないまでも、条件反射でわたしはその通りにしてしまう。
――そして、それが終わった時には、大分心も落ち着いていた。
「……ごめんなさいファーナ。みんなは私の為にいろいろしてくれてたのに」
「いえ。いいんです。あなたが、一番傷ついたのは何ですか?」
ファーナにそう聞かれて、私は、やっと落ち着いて心を見れるようになった。
そして、気がついた。私が、ショックだったのは――。
「……お、お父さんが、ほんとのお父さんじゃなかったこと……。あんなにいろいろ良くしてくれたのに、わたし、我が儘言ってばかりで……う、うざいとか鬱陶しいとかそういう傷つける無神経な言葉とかたくさん使ってた……」
寄せられる愛情が鬱陶しくて。嬉しいけど鬱陶しくて。冒険者になると決めた時、心配してくれるのもメンドクサイと思ってた。
ギルドの登録を邪魔されたときとか、仕事がまわってこないように妨害されたりとか、そういうの全部いやで、お父さんに文句ばっかり言ってた。
「知らなかったから、いっぱい無神経なこと言っちゃった! お父さんはホントの子どもじゃない私を育ててくれたのに! 嫌われたらどうしよう……っ」
「馬鹿ですねえ」
つん、と額をつつかれた。
「あなたの過保護で鬱陶しい親馬鹿の父親は、そんなことであなたを嫌うような人なんですか?」
「そんなのわかんないよ!」
「じゃ、本人に聞いてみましょう」
ぎょっとして振り返れば、そこにはお父さんがいた。
どこか困ったような、微妙な顔をして、立っていた。
お父さんは、私と同じ、青黒い肌をしている。そのせいで、二人並んでいると、よく似ていると言われた。
異種族の人たちから見れば、肌の色が同じなだけで、見た目に共通感が出るらしい。
これが魔族の人が見ると「似ているところはない」になるんだから、人の感覚なんて種々様々なものだ。
外見もハンサムで、中身だって勇者の仲間で凄腕の魔術師という非の打ちどころのないお父さんは、私の自慢だった。
お父さんは黒い瞳で私をまっすぐ見下ろすと、真摯な口調で言った。
「……黙っていて、悪かった。でも、お前は、俺のたった一人の娘だと思っているし、今もそうだ。至らないところもたくさんあったと思うが俺はお前の父親だと……思っていて、いいか?」
じわりと視界が滲んだ。
「わ……わたしも……甘え通しの至らない娘で……ごめんなさい」
頭を下げると、ぽんと、手が置かれた。
いつもどおりの、温かくて大きいお父さんの手だった。
◆ ◆ ◆
仲直りする親子を、離れたところから三対の目が見守っていた。
一人はコリュウ、一人はマーラだ。そして最後の一人は一見何の変哲もない人族の男である。
「……だそうですよ?」
皮肉たっぷりに言うのは、緑髪のエルフで、言われたのは人族の男だ。
ユーリッドが見ればこういうだろう――「お父さんが雇った家庭教師」と。
さすがに素顔をさらして大都市であるサンローランを歩くのははばかられるため、外見を魔法で偽っている。その正体は、ユーリッドの実の父親だった。
この世界に十二人しかいない、魔族の王。
彼のたった一人の娘は、実の父よりも育ての父を選び、彼だけが父親だと言っている。
虚しい気持ちがあるのは否定しないが――
「ふん」
エルフの嫌味に、彼はそう返しただけにとどまった。
今はまだ養父との仲に遠慮のある娘――ユーリッドも、そう遠からず悟るだろう。
人は、どう生まれたかではなく、どう生きるかなのだから。
――ちなみに、成長したユーリッドがこの日の記憶を思い出すたびのたうちまわることになるのは、ここだけの話である。
素面(しらふ)ではとても言えない台詞のオンパレードであった。
リクエストがあったので、アップしてみました。
楽しんでいただければ幸いです。
- 関連記事
-
スポンサーサイト
Information
Comment:3
Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学