魔力が枯渇したあなたは、重度の虚脱感にさいなまれていました。
この程度で済んでさいわいで、もっと行き過ぎれば、最悪死んでしまうこともありえたのです。
ゆらゆらと、女性兵士の背で揺られていると、いつの間にか眠ってしまったようでした。
いっぽう、女性兵士の方は、あなたのあまりの軽さに愕然とする思いでした。
軽い。とんでもなく軽いのです。
ここしばらくの食生活の改善で体に大分肉がついてきたあなたでしたが、それでも平均体重の半分ほどしかありません。半分です。平均体重が50キロとすると、25キロしかないのです。
服に隠れて見えませんが腕はまさに骨に皮がついているという状態で背も低く、女性兵士はあなたを十二歳ぐらいと見て、そんなに若いうちから王都行きの選考基準をクリアし、あんな大魔法を詠唱できるほど優秀な天才児なのだと思ったほどです。
あまりの軽さに疑念を抱いた女性兵士はそっと、服の上からあなたの手足を撫でてみて、確信しました。
宿についてあなたを寝台に寝かせた後、彼女は戻ってきた教師と少し話をして帰っていきました。
話の内容は、あなたが痩せ過ぎているので旅の間、体力的に配慮してほしいという事を言い、あなたの家族がどういうものかを遠回しに聞き、そして勿忘草(わすれなぐさ)の町は彼女の恩を忘れないので、王都の学院を卒業後でも、卒業できなくても、住まいなど用意するから何かあったら頼ってほしい、というようなことです。
言外に言っている意味は、明らかでした。――あなたを、元の場所へ返してはいけない。
教師は真摯な顔で、頷きました。
あなたが目を覚ましたとき、そこは宿で、隣には教師がいました。
ざ、と心の内側で汗が噴き出ます。
「ああ、目が覚めたか。よかった。いいか、魔力を使いすぎたら、死んでしまうことだって普通にあるんだぞ。もう無理はするんじゃない」
「はい、わかりました…。……すみません、側に、人がいると……落ち着けないので。ひとりに、していただけませんか」
教師は一瞬戸惑いの顔を浮かべて、すぐに頷きました。
「あ……ああ。わかった。ただ、これだけ教えてくれ。どこであんな魔法を習った?」
学校であんな魔法を教えるはずがありません。国の頂点に位置する一級魔術師ですら一発で動けなくなる代物です。生徒に教えるには危険すぎます。
「私は、魔力が小さかったので……、図書室に入り浸っていると、そういう危険指定の魔法書もわりあい、自由に閲覧できました」
以前のあなたの魔力なら、逆に危険はありません。そもそも発動に足る魔力がないからです。
ですから危険指定の図書を盗み見ることができたというのも事実でした。露見する危険の少ない嘘です。
「一か八かで、やってみたのですが……成功してよかった。あの、城門にいた、馬車の人たちは、無事でしたか……?」
教師は目を丸くし、そして頷きました。
「……ああ。無事だったぞ。俺たちに礼を言っていた」
あなたは息を吐き出します。
「良かった……」
あれがダリルであるはずがありません。たぶん、間近で見たら、似てもいないでしょう。
同じぐらいの年格好で、同じ色の髪をしていたので、そう錯覚しただけなのです。
「知り合いでもいたのか?」
「……故郷の、友達に、似ていたんです」
「そうか……」
教師は優しい目で頷くと、立ち上がりました。
「お前は良くやった。しばらく休め。そこのベルを鳴らせば人がきてくれる。吸い飲みは隣だ。空になった魔力が戻るには、二三日はかかる」
こくりと、あなたは頷きました。
教師がそっと部屋を出て行った後、よろよろと起き出して手を伸ばし、枕元においてあった吸い飲みを手にとって水分を補給しました。
喉の渇きを癒し、あなたはほっとして枕に頭を預けます。
教師はあなたに水を飲ませるつもりだったのでしょうが、あなたの無言の拒絶に、そのまま去ってくれたのです。
さっきもそうでしたが、急に、他人が側によることに拒絶反応が出るようになりました。
人に触れられること、密室で、二人きりで誰か隣にいることが負担です。
あなたは目を閉じ、深淵をゆっくりと下りて行きました。
覚醒したのは、誰かの体の重みを感じたためです。声を上げようとしても、口元は大きな手のひらで覆われていました。
「……ん、んんっ……!」
首を振り、拘束を抜けだそうとしますが上手くいきません。
あなたにのしかかっている相手は非力なあなたよりずっと力が強いようです。
「ふざけやがって……てめえが英雄だと?」
弟でした。
その瞳は煮えたぎるスープのようです。
蔑みと劣等感、嫉妬と怒りが混然となっていました。
「お前なんかが、お前なんぞが……っ! 俺よりも上だと? 英雄だって? あんな魔法唱えられるわけがねえ! なにか卑怯な
狡をしたんだろう! そうに決まっている!」
それは長年見下してきた者との立場が逆転したことから来る邪推でしたが、完全に、正鵠を射ていました。
服を脱がされそうになってあなたはもがき、枕元のベルを鳴らそうとします。
いくら上から全体重を掛けて押さえつけても、下になっている人間が全力でもがけば完全に制するのは難しいものです。まして、弟はあなたよりは力が強いですが、十三歳の少年でしかありません。
「お前は、俺に殴られてりゃいいんだよ!」
暴れるあなたに痺れをきらし、弟は手を上げました。
殴られ、流れたあなたの体がベルに触れます。床に落ちたベルの音がけたたましく響きました。
すぐに宿の女性が飛んできました。
続いて、教師も駆けつけました。
――どういう言い訳もできない状況でした。
あなたは衰弱し、伏せっていた少女で、顔には生々しい殴られた跡。乱れた衣服。それに馬乗りになっていた少年。
震えていたあなたが殴られた顔を手当され、宿の女性に衣服を整えてもらい、世話をされている間に、全ては終わっていました。
「大丈夫……だいじょうぶよ。あなたにひどいことをした相手は、もういないわ」
宿の女性は親身にそう言い、震えるあなたを抱きしめ、囁き続けました。
そこには、仕事上だけではない優しさがありました。
すでにあなたの放った大魔法については町中に広まっていたのです。町を救った大恩人がこの宿にいるとまでは広まっていませんでしたが、宿の人はあなたこそがその魔法使いで、そのために魔力を使いはたしてしまい、倒れていることを知っていたのです。
そして、感謝と労わりとともに経過を見守っていたのですが――この事件です。
衰弱した年端もいかない少女に狼藉をくわえようとしたなどと、それだけでも許しがたいことです。
いつものようにあなたは十二歳ほどと見られていたので、尚更憐憫は深まりました。その反面、一層加害者への非難は大きかったのです。
弟の処遇は、あなたの魔力が回復し、落ち着いた頃に告げられました。
「ルテルクスは、追放処分にした。もう二度と、君の前に現れることはないだろう」
――あなたはそれを聞いた時、しばらく黙ったのちに、そうですか、と一言呟きました。
喜べばいいのか、悲しめばいいのか、それすらもわかりませんでした。
両親に一身に期待を掛けられ、両親の愛を奪い取り、見下し慣れた自分に上を越され、狂ってしまったたった一人の肉親。
弟が受けた処分は、軽いものではありません。十三歳の少年を旅先で放り出し、二度と故郷に帰ってくるな、そういう罰則です。
両親が残したささやかな遺産は、すべて地元の親戚の誰かが継ぐことになるでしょう。あなたには、もう故郷に帰る気がないのですから。
弟――ルテルクスの処分には、いくつかの要因があります。
長く戦争が続いている昨今では、魔法使いは一般人に比べ格段に優遇されています。
この国は人が人を差別することを許すのです。
ルテルクスには才能がありますが、一級魔術師でさえも手こずる魔法を唱えてみせたあなたと、魔力が高いとはいえ、一学年に二三人はいるレベルの弟では、重要度が違います。
また、言うまでもなく、抵抗する術のない少女を殴り、暴行しようとしたというのは、犯罪です。ましてやそれが、稀なる素質をもつ魔法使いの卵ともなれば。
王都まで連れていく引率の教師には、期間限定ではありますが、強い懲戒権があります。
そして、ルテルクスの行為は、人間としても、法に照らしても、許されないものだったのです。
王都へと向かうのは、三名になりました。
教師からも問われましたが、騒がれるのは嫌いでしたので、あなたが動けるようになり次第まるで逃げるようにその町を出立することになりました。
それでも、どこからか聞きつけたのか、数名の人間があなたたちを見送りに来てくれました。
何度も何度も、深々と頭を下げられながらお礼を言われました。
「助けてくれて、ありがとうございました!」
その見送りを受けながら、馬車は出発します。
王都へと。
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