王都へ来て三年がたちました。
あなたは、十五歳にして氷の最上級呪文を唱え、死ぬことなく成功させたという実績とその容姿から、『氷嵐』の二つ名を戴くことになりました。
いまだ学院を卒業していないにもかかわらず。
……影では『凍結人形』『人形姫』というあだ名も囁かれておりますが、由来は語るまでもないでしょう。
煌めく銀の髪。
透き通るような白い肌。
長い睫毛の奥の、澄んだ青い瞳。
能面のような無表情と、この三年で磨きのかかった圧倒的な魔力。
地方から、選抜されて王都にのぼる子どもは毎年百人ほどいます。
しかし、一年が過ぎるうちに、数は半分ほどに減じます。
その地方の学校ではトップでも、王都の学院ではその程度はごろごろいます。そういう生徒が集まってくるのですから。
その現実を見せ付けられ、高かったプライドをへし折られ、一年で帰るのがその半数。二年で更に減り、三年間の学習過程を修められるのは、百人のうち三分の一ほどでしょうか。
あなたがやらかした業の噂は王都にも届いていたようで、王都へ来た当初は雑音もありましたが、今は静かなものです。
どんな揶揄にも、下卑た悪口にも、表情筋を動かさずに無視するあなたをつつくだけ無駄だと学習したのでしょう。そして、もちろん――学年主席という成績も影響したのでしょうが。
学院に在籍する生徒は、学生寮に入ります。基本は四人部屋ですが、人の気配が苦手なあなたは、『勿忘草』の町から送られてきたお金を使い、個室を確保しました。
魔力は遺伝するもので、貴族の方が魔力は高いものです。学院での人数比は半々ほどでしょうか。
絶対数が少ないのに、貴族の中で学院に進めるほどの魔力の持ち主は、それほど多いのです。
平民の中から入れるのは二千人にひとりで、貴族の中では十人にひとりほど、それぐらいに差があります。
そして、貴族の人間がすし詰めの四人部屋に我慢できるはずもなく、差額を支払えば個室を確保できるのです。
あなたが氷漬けにして殺した魔の軍勢から相当な素材が獲れたらしく、教師があなたのために世話を焼いて開いてくれた王都の銀行の口座には、見たこともない金額が振り込まれました。そこから、あなたは個室の代金を支払うことにしたのです。
とはいっても、四人部屋を一人で使うのではなく、元々個室として作られた部屋ですので、貴族の使っている部屋に比べれば小さいものですが。
もうすぐ卒業も近く、同時に国家試験があります。それに合格してはじめて魔法使いの資格を得られ、更に、あなたの場合、同時開催の階級検定で一級魔術師となるのは間違いないだろうと言われています。
そうなれば、次の魔の攻勢のとき、最前線に立つことは間違いなく――。
「……なあ蛇。お前は、何を私にさせるつもりなんだ?」
答えは予想通りでした。
『くくっ。今はまだ何もするつもりはない。何も、な。お前はこの上なくうまくやっている。その調子だ。お前がもっと出世した時にこそ、役に立ってもらおう』
……もし、あなたが、魔の攻勢が始まったときに味方の魔法使いを襲えば、どうなるでしょう? 戦線は混乱し、魔にとって非常に有利です。
いえ、あなたが栄達すれば、王と面会さえもかなうかもしれません。その時に――。
あなたはかぶりを振ります。
あの日、あなたはダリルに運命を委ねました。そして、優しい彼はあなたを殺せませんでした。
ですが、それは間違いであったのではないかと……そう思うのです。
今は、あなたは蛇と話をし、蛇の言葉に拒絶もできます。
ですが、あなたが学院に来て調べたところ、ダリルの言う通りでした。
蛇は、時間をかけてあなたを浸食します。やがては、あなたの意志に関係なく、あなたを操れるのです。
かつて、魔と契約した人々は魔の操り人形となり、暴れ、人に甚大な被害をもたらした末にその命を断たれていました。
人に寄られると嫌悪感が走るあなたに友人はおらず、実質、蛇が唯一の話し相手です。親しみを感じていないといえば、嘘になります。
あの町では、あなたの望みどおりに力を貸してもくれました。
それでも、味方ではありません。
保護者を失ったあなたにとって、王都に来ることは必然でした。
栄達への道で、名誉で、更には現実的な生活手段でもあったからです。
勧められるまま、流されるまま、ここへ来ました。
ですが。
――もしも、私が蛇に呑まれそうになったら、死ななければならない。
あなたにも、それぐらいの判断力は残っていました。
◆ ◆ ◆
そんな深刻な悩みを抱えているあなたが週に一度の休みに向かったのは、地元で有名なパン屋さんです。
使われている小麦がとても質のいいもので、もっちりふかふか皮はぱりぱりで、とても美味しいのです。
学院の生徒ともあれば、いろいろと優遇されるものなのですが(誰に防衛してもらっているのかを考えれば当然です)、目立つことが嫌いなあなたはそれはせず、いつものように並んでパンを買い求めました。
ここで売られている特製パンは、あなたのお気に入りです。
三つほど買いこむと、近くの公園のベンチに移動し、かじりつきました。
かれこれ半年ほど続いている、週に一度の楽しみです。
「――」
いくら目立たないように、といっても、あなたが目立たないはずもありません。
学院の支給服を着ていることからエリートだということはすぐに判りますし、学院の生徒で主席のあなたを知らぬものはおりません。
週に一度の休みのたびにパン屋に並ぶあなたの姿はよく知られていて、町では『銀細工の君』などと言われているのですが、もちろんあなたは知りません。
食生活の不自由がなくなったので大分体はふっくらしましたし、痩せこけて血色が悪かった頬も薔薇色になり、背も伸びて十五歳ほどに見られるようになりました。
以前の、「不健康さ」を土台に構成された病んだ美はもうありません。
ですが、美しさはそのままです。
この国の一般的な美の基準とは、むっちりとして肉付きの良い、メリハリのある健康な肉感的美女ですので、今の方がいいという人は多いでしょう。
食生活が改善されてもあなたは太れず、全体的に細身です。ほっそりとして凹凸のあまりない体ですが、不気味なほどに痩せた手足にも肉がつきましたし、能面のような無表情も相まって、独特の魅力がありました。
そんなあなたが、小動物のように一心不乱にパンにかじりついているのです。どこか微笑ましい、人間味を感じさせる光景でした。
シャク、はむはむ。シャク、はむはむ。
表面に砂糖ごろもがかかっているパンは、最初の一口は雪をスコップですくうような食感がします。
その食感がまた楽しく、夢中になっていると影がさしました。
誰かベンチに座りたいのでしょうか。なら共有なんてとんでもないので席を譲って、学院に戻って食べよう――一瞬のうちにそう思いながらあなたは顔を上げ――そこに信じがたい人物を見ました。
三年前より、ずっと背が伸びています。
体つきも、遥かに逞しくなっていました。胸板も厚く、二の腕なども引き締まっています。
黒い髪は少し伸びて、先端が鎖骨につくぐらい。その髪を後ろで無造作にくくっています。
町民の服の上に皮鎧を着こんでいました。蜥蜴種(リザード)の皮でしょう。表面がごつごつしています。
腰にはもちろん剣を帯刀しています。
見覚えのある剣です。一度、それを向けられました。
――ダリルでした。
ぽふっと、あなたの手から、パンが膝の上に落ちました。
ダリルは茶色の目を和ませて、爽やかに微笑みました。
三年の月日を感じさせる笑顔でした。もう、子どもではありません。大人の、落ち着きと余裕を感じさせる顔です。
「久しぶり」
思考回路が情報過多で故障しました。
無意識に膝の上のパンを拾って袋に押しこみました。
手はその袋を握り締め、足は立ち上がり、即座に動きました。
――つまり、あなたは、脱兎のごとく逃げ出したのでした。
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